自然コレクション

秋田の田舎暮らし!
アウトドアー生活を紹介します。

日本のアンプは壊れない!

2023年01月25日 05時18分00秒 | Weblog
自分が最初に買ったアンプはラックスマンのLUXMANL-507だった。1975年購入であった。価格は忘れたが、約100000円ほどのプリメインアンプだった。
このアンプは音はいいが、ツマミ系統があまり良くなく6年くらいでガリがでた。当時は新婚したばかりでアパート暮らしだったこともありどちらかと言えば湿気の多い環境だった事もあり、ウオールナットの木枠も塗料がハゲてきた。
結構すぐにオクラ入りしてしまった。

次に購入していまだ現役のアンプがSANSUI AU-α555VSである。


いわゆるAVアンプです。プロジェクターも購入して、ミニシアターを楽しんでいた。1983年に69800円で購入したものだが、明らかにラックスマンより良い音を出してくれている。
スピーカーは、フォステックスのフルレンジスピーカーを使って米松に単番で自作したスピーカーを使っていたが、後オンキョーの10万円弱のスピーカーに買い換えたが、10年ん程前に断捨離の対象になってしまった。
今は、息子の払い下げのSONYのスピーカーを鳴らしているが、そこそこいい音が出る。
パワーステージを改良することで、2Ωまでの低インピーダンス負荷ドライブ能力を獲得しています。
このサンスイのアンプだが、音楽信号系と映像信号系の回路を基板レベルから分離し、2層構造として厳重にシールドし、オーディオ/ビジュアル間の相互干渉を徹底排除しているのだ。
映像入出力には、高級ビデオセレクターに搭載されている通過帯域10MHzの広帯域ビデオアンプを搭載し、画質の劣化を防いでいて、今は当たり前かもしれないが、この40年でそこそこの音を出している。
残念ながら最近プロジェクターの調子が悪くミニシアターはできていない。
長い前置きだったが、謎の科学者K氏が吉田拓郎の「今はまだ人生を語らず」のリマスターCDを貸してくれた。


4400円もするCDだが、この音がとんでもない音だ。スーパーオーディオCDです。他のCDが聴かれなくなるほどの音質である。
ただ、うちのCDプレーヤーは普通のプレーヤーなので、このCDのパフォーマンスはあまり引き出せないはずだが、明らかに音が違います。


iTunesでハードディスクに録音しましたが、ロスレスで保存しても音質の差は歴然としている。
デジタルがアナログに明らかに近づいている!凄いぜ!


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ソロストーブもどきでペレットを燃やす!

2023年01月23日 07時58分00秒 | アウトドアー
一昨日の11月にAmazonで購入したソロストーブタイプのウッドガスストーブがあります。ソロストーブの構造をマジでパクったもので、本物と遜色ありません。


本物は8800円なので1/5以下の値段です。

中華恐るべし!
ソロストーブは二次燃焼で煙つまりはガスを再燃焼するものです。
普通に薪を燃やすと煙が発生し(一次燃焼)、煙は空に昇っていきますが、この煙は、可燃ガスなので燃やすことが可能なため、これを燃やすことを二次燃焼といいます。
ただし、二次燃焼を発生させるためには、一定の条件が必要になるのですが、この条件を簡単にクリアし、自動的に二次燃焼が発生する仕組みが施された焚き火台を、一般に二次燃焼ストーブと呼ばれています。
焚き火の燃料といえば、やはり薪を思い浮かべる方も多いと思います。
斧や鉈で薪を割り、焚き火台に薪をくべ、「ぱちぱち」といい音を奏でながら炎を眺めるのが、焚き火の醍醐味ですが、この「薪」に変わる燃料「木質ペレット」を使ってみます。


薪よりも安価で販売されていて、ホームセンターなどで簡単に入手できるペレット(木質ペレット)なのですが、意外と焚き火に利用している方は少ないかと思います。
とても小さいのですが、かなり圧縮されているので固くなっています。
ちなみに木のいい香りがします。
ペレットは、乾燥した木材を細粉し、圧力をかけて直径6~8mm、長さ5~40mmの円筒形に圧縮成形した木質燃料で、主にストーブやボイラーの燃料として利用されているそうで、その原料は、森林の育成過程で生じる間伐材や樹皮のくず、端材、おが粉、チップなど、再生可能な資源である木材が使用されており、これを扱いやすく加工したものになっています。
また、ペレットは、円筒状に小さく加工されているので、運搬や取り扱いが容易で、しかも乾いているので着火性に優れており、発熱量も高いです。
ペレットは、薪と違って、とても小さな円筒状の粒のような形状をしています。


このペレットをストーブいっぱいにいれて業務スーパーの消毒スプレーをかけて点火しました。1リッルで480円は素晴らしいコスパです。値上がる前に買い置きしています。アルコール度数は78度もあります。一発で天下できます。
ストーブの中に白い煙が溜まって来ると同時に焚き火台の内側にある「二次燃焼の穴」から炎が舞い上がります。



基本的に、ペレット自体が燃えて炎が上がる(1次燃焼)が発生して5分後くらいには2次燃焼が起こり火力が強くなります。
そのため、二次燃焼の穴から渦を巻くように上がる炎が美しいです
この可燃ガスが綺麗に燃焼していることから、炎から黒い煙が発生する状況は全く見られませんでした。
ペレットはそれほど燃費はよくないと思います。



5分おきくらいに一掴み程度のペレットを加えておけば、強い炎を維持できる感じです。結構面倒です。

とりあえず餅を焼くことにして網を上げると煤が出ます。
鍋などを上げるとものすごい煤が付着します。それで使わなくなってしまう人がほとんどです。
煤の後処理が嫌な人はコマーシャルに騙されて購入しない方がいいです。
基本的にキャンプ地で小枝などで調理するためのもので、ペレットも邪道です。


今回使用したペレットは、コメリで購入した黒松のペレットで10kgで680円でした。

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天神様のお話し

2023年01月22日 13時42分00秒 | 郷土史
本荘郷土資料館では2月11日から公開の本荘ひな街道の展示準備が完了しました。

天神様も飾ります。秋田市に明治期より伝わる八橋人形が収蔵されているので、受験期でもあるので展示します。
天神様といえば「学問の神さま」として名高いです。
天神様の本当の名前は菅原道真といいます。
もともと天皇の側近で、平安時代の秀才と呼ばれていた人でした。
あまりの秀才ぶりから、異例の速さで右大臣までに出世してしまったほどのエリートです。今だと官房長官かな!
字がとても上手で、空海、道風と並んで、「日本の三筆」なんて言われています。
そんな訳で、天神様は「学問と書道の神さま」という性格をもっています。
また才能だけでなく、真面目でひたむきな人柄が多くの人の心を打ち、彼が亡くなると「天神様」として崇あがめられるようになりました。
江戸時代に入ると、子どもたちが学ぶ寺子屋が普及し、「子どもが学問に親しみますように、字の上手な子になりますように」と、天神様はますます慕われるようになっていきました。
人間を神様としてあがめる信仰を、「人神」といいます。
菅原道真は、学者の家に生まれたことより、幼いころから人並外れた才能を発揮していました。
青年になると学者としての最高位の文章博士となり、祖父や父と同じく着実に学者としての道を歩んでいました。
また、とても誠実な人柄だったことから周りからの信頼も厚く、さまざまな官職も就任し、着実に成果を上げてきた人です。
そして平安時代に認められて右大臣となった超エリート菅原道真は、このまま恵まれた人生を送るはずでした。
ところが、朝廷の政争に巻き込まれ、落とし穴にはまります。
左大臣(今でいう内閣総理大臣)藤原時平が、醍醐天皇に「道真があなたを退かせ、自分の娘婿の斉世親王を即位させようと企んでいる」と嘘の告げ口をしたのです。
この言葉を信じた醍醐天皇は、彼を都から遠い、九州の大宰府に左遷させてしまいました。
左遷とは、今までより低い役職や低い能力の業務に落とされることです。
皇位継承を巡り、醍醐天皇と時平が有能すぎる菅原道真を追放し、宇多勢力を一掃するために仕組んだとか、道真に反感(嫉妬)を持つ人々の意向があったなど、当時の貴族社会の問題が目え隠れした内容です。
ちなみにこのあとすぐに、藤原時平は妹である穏子を醍醐天皇の女御(奥さん候補)として入内させ、事実上の正妃に格上げさせています。
太宰府への移動はすべて道真の自費だったそうです。
そこではお給料も従者も与えられず、政務にあたることも禁じられ、衣食住もままならない厳しい生活を強いられました。
そして左遷から2年後の903年、失意のうちに亡くなったのです。
享年59です。
刑死ではありませんが、緩慢な死罪に等しいと言われています。
彼は、いつの日にか疑いが晴れて帰京できることを夢見て、詩を書き続け、気持ちを紛らわせていたと伝えられています。
しかしその夢もかなうことはありませんでした。
道真の死後、都では次々と異変が起こり始めました。
都で疫病が流行り、落雷、干ばつ、火災が相次ぎます。
さらに示し合わせたように、道真を陥れた政敵が次々に不審死を遂げていくのです。
左遷に追いやった藤原時平は、909年、39歳の若さで熱病にかかり悶死します。
時平と左遷に結託し、後釜として右大臣に昇進した大納言・源光みなもとのひかるも、913年、鷹狩りの最中に泥沼に転落して溺死、遺体があがらず。
923年、時平の妹と醍醐天皇の間に生まれた皇太子・保明親王やすあきらしんのうが19歳で急死します。
次の皇太子となった藤原時平の孫・慶頼王でしたが、925年、改元の甲斐なく5歳で急死します。
そしてさらに、人々を震撼させる衝撃的な事件が起きます。
930年になんと、醍醐天皇のいる宮中に大きな雷が落ち、皇族や貴族が多数死傷し、醍醐天皇の側近である藤原清貫までも焼死したのです。
醍醐天皇はその惨状を目の当たりにしたことで体調崩し、そのまま亡くなりました。享年49でした。
あまりにも衝撃的で凄惨な事件であり、『清涼殿落雷事件』として歴史上に残されています。
じつは醍醐天皇は生前の923年、相次ぐ関係者の死に恐れおののき、道真の左遷を命じた文書を燃やし、左遷そのものを取り消していたそうです。
それほど「道真の怨霊のしわざに違いない」と誰もが考え、その祟りに怯えていたということです。
不思議なことに、菅原道真の家があった桑原だけは、落雷の被害がありませんでした。
雷が鳴ったときに「くわばら、くわばら」と唱えるのは、このことが由来です。
 
道真の祟りを恐れていた人々は、道真の霊を神さまとして祀って、怒りを鎮めようと考えました。
そして947年、道真の祟りを解くために、京都北野にあった天神社のかたわらに、道真の霊を祀る社を造営しました。
これが「北野天満宮」のはじまりです。
こうして菅原道真は神さまとなりました。
今では学問の神様として名高い菅原道真も、「天神様」として祀られた当初は、何をやらかすかわからない怨霊として恐れられていたのです。
天神様、学問の神様と呼ばれる
 
怨霊とされた天神様が、「学問の神様」と言われるようになったのは、江戸時代になってからです。
学問に秀で、人々から厚い信頼を得ていた菅原道真にちなんで、自然と「学問の神様」として信仰されるようになっていきました。
寺子屋には天神様の神像が祀られ、手習いに来た子どもたちは、まず小さな手をあわせ、天読み、書き、算盤の上達を祈ったそうです。
それから現在では、全国の天満宮が学問の神さまと呼ばれるようになりました。
 
資料館に天神様をたくさん飾るので受験生は神社までいかなくても資料館に集合してもらいな!
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冬の矢島スピチュアルスポット

2023年01月09日 09時23分24秒 | 霊場

冬の矢島スピチュアルスポット

孫2号の野球の練習が矢島の室内練習場であったので、送迎をしました。

3時間という限られた時間でしたが、矢島総合支所に車を置いて、歩いて回りました。雪が例年より少なかった様な気がします。

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塩蔵山蕗の塩出し

2023年01月05日 08時51分00秒 | 山菜
晩春に収穫して塩蔵しておいた山蕗の塩出しをしようと思う。
蕗の皮で蓋をしていましたが、とても良い感じの保存状況です。

大きめの鍋で水から加熱します。
役80度まで温めます。沸騰させるとべちょべちょになるので気を付けないといけません。
水泡の出始めが60度でプチプチが蕗につき始めると役80度です。

後は火を止めて半日経ったら水を換えます。
更に半日経ったら水を換えます。これを3度行えば塩抜きができます。
高野豆腐と椎茸と一緒にお煮染めを作る予定です。




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恵方詣りについて

2023年01月03日 04時54分00秒 | 霊場
門松の由来や歳神様について調べていたら恵方詣りという事がでて来まして。恵方巻きは知っていますが恵方詣りは知りませんでした。是非お参りしようと思います。

まずは、恵方参りと2023年の方角について、時期と場所とお祈りの作法についてを確認します。
恵方詣り(えほう詣り)は、日本の正月行事の一つです。
その年の「恵方」の方角にある社寺に1月1日(元日)に参拝して、その年の幸福をお祈りすることを指します。

この、「恵方」とは、陰陽道で、その年の福徳を司る神である歳徳神さまが在位されている方角の事を言うようです。

恵方、は十干に従って毎年方角が変わります。
令和5年、2023年の恵方は 南南東やや南(右) です
私の家は日本海側にあるので南側内陸部が南東にあたるので神社は沢山ヒットします


昔は、立春の日が新年を迎える日であったので、本来の恵方参りは、2月の立春の節分の日にお参りしていましたそうです。
しかし、現在の暦では、元旦の1月1日に新年を迎えます。
なので、1月1日にお参りするように変化してきました。


恵方参りのお祈りの作法についてですが、お参りする神社仏閣に合わせたお祈りの作法に従ってお参りする、というので良いみたいです。二礼、二拍、一礼が基本です。
しかしながら、右手を上にあげ、右手の人差し指で天を指し、左手を下にし、左手人差し指で地を指す、というポーズをとる、まさに、お釈迦さまの有名な「天上天下唯我独尊」の指さしポーズをとる、という作法もあるようです。
これは、天と地と自分をつなぐ、ということを意味します。
そして、この場合、自分の住所と名前をはっきり伝えて、自分が恵方だと唱えます。

さらに、「私にチャンスを、チャンスを見抜く知恵を、そしてチャンスに乗る勇気をください」と唱えます。
このような事をやっている人は見た事がありませんが!
恵方参りには、願いを叶えることができる自分になることができる、知恵とチャンスをつかんで幸せになる、という効果があるとされています。これは、願いを直接叶えてもらうために祈ること、とは違う、ということを認識しなければなりません。
願いをかなえるための知恵とチャンスを掴みに行くのです。
この格好で参拝するのは勇気がいりますが!
更に、恵方参り先で購入したお札を恵方とは反対の方向において、恵方に向けて飾る置き方を恵方置きと言うそうです。
破魔矢の矢の先は恵方の方角に向けて飾ります。
これでさらに恵方参りの効果が上昇するといわれています。




まだ恵方詣りはしてませんが、善法寺あたりが南東にあたるので、行ってみようと思います。


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初詣

2023年01月01日 12時28分00秒 | 霊場

私は、月山神社の氏子です。幼少期より大晦日の11時30分には神社に行って、新年を迎えています。

https://youtu.be/12PR43OIVPU

コロナの為、3年ぶりに元日詣りが一般の氏子にもできるようになりました。

初詣の由来は平安時代からある「年籠り(としごもり)」という風習から来ていると言われています。

大晦日から元旦にかけて氏神様のいる神社にこもり、新しい年の豊作や安全を夜通し祈願するという風習です。

 やがて、年籠りの風習は大晦日にお参りをする「除夜詣」と元旦にお参りをする「元日詣」の2つに分かれます。

江戸時代頃までは元日詣では「恵方詣」とも呼ばれ、その年の恵方の方角にあるお寺や神社を参拝していました。

以前は神社までの参道はすれ違うのも大変でしたが、今はまだ回復していません。

withコロナされど回復の兆し見つからず!

今年こそはと願う元旦でした。

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