自然コレクション

秋田の田舎暮らし!
アウトドアー生活を紹介します。

小友から赤田へ

2022年05月31日 07時01分00秒 | アウトドアー
昨日はoffだったので小友から赤田へ抜けるほぼオフロードをドライブアンド登山をした。最初は龍馬山へ向かい、その後東高山へ更に赤田の大滝へとハードだった。龍馬山は携帯を忘れて写真を撮れなかったが、往復1時間ほどで戻って来れた。
車で移動し、東高山へ向かう。さすがに東高山はハードだった。車が3台ほど停められる駐車場?に車を置いてスタート!




モリアオカエルを撮ったところで、スマホの電源が落ちた。何だ今日は!
ポータブル電源で充電して出発。

結構ハードな登山だ。標高600mも無いのに上りで1時間30分もかかってしまった。往復で2時間30分ほどで踏破!両方の山も樹林帯の為日差しがなく良い感じですが、最近熊情報が多々出ていたので、火薬銃をバンバン鳴らしながらの山行だった。
帰ってきたらスマホはフル充電になっていた。
最後に赤田の大滝へ向かった。




道路整備をすれば一大観光スポットになると思うのだが!


目的は貴石、奇石探し!ハンマー持って降りましたがよく分からない。

こんな絵地図をゲット!この辺でも珍しい石があるはずなのだが!何もゲットしないまま15時になろうとしている。
帰りの上りで疲労はピークで、足に来ていてプルプルしていた。昨日は20000歩歩いていた。超疲れた。

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今年も咲きそう

2022年05月30日 11時12分00秒 | 
一昨年から連続3年で花芽をつけました。10年に一度しか花を付けないユッカランです。
しかも今年は2m以上に背を伸ばしています。


孫が140cm
位なのでこの高さです。
来週には開花しそうです。
15年ほど前に矢島中学校が取り壊しの際裏玄関にあったユッカランの子株を頂いて植えたのがこの状態です。更に右側には孫株?までできています。
その孫株も昨年秋に花芽を付けました。

ユッカの花言葉は「偉大」、「颯爽」などがあります。

上へと葉を茂らす雄雄しい姿から、青年らしいとされ、ユッカは青年の木と呼ばれることがあります。

ユッカの花言葉はそれらにちなんで、「勇壮」や「偉大」、「立派」と意味付けられています。また、ロゼッタ状にひろがった葉が風に吹かれる姿から、「颯爽」とも呼ばれます。




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植物活性素

2022年05月29日 07時19分00秒 | 野菜
植物活力素にメネデールがあります。メネデールに窒素·リン酸·カリは入っていません。中身は、二価鉄イオンの水溶液です。
植物の生長、特に光合成には鉄が必で、それが取り込みやすい形になっているのがメネデールです。芽が出る根が出るメネデールとの強気の商品名はそこから来ています。
鉄は植物には絶対に欠かせない。メネデールもどきが自作できるというのが流行しましたが、あっという間に廃れてしまいました。やっぱり二価鉄イオン水溶液を安定した状態で保存するというのは難しいことなのです。
二価鉄イオンは植物の活力の素だから植物活力素というそうです。私はスチールウールとクエン酸で今でも作っています。


そして!、威力抜群です。

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恵の雨 芋たちが笑っている!

2022年05月27日 06時23分00秒 | 野菜
さつまいもを植え付けて4日。
全く雨が降らず、朝夕の水やりも大変だった。昨日までは萎れ気味だったが、今朝の雨でさつまいもが立っている。


これでうえつけごの根張りができた。
ジャガイモは花を付けた。


メークイーンと男爵を植えているが、どっちがどっちか忘れてしまった。多分色の薄いのがメークインだったような。


久々の水分補給にジャガイモが笑っている。最近芋たちと会話できるようになった。



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農民の日

2022年05月24日 03時20分00秒 | 野菜
昨日は一日中農民になった。
3月27日にポットに種蒔きしてほぼ2ヶ月でやっとキュウリを地植えした。






同じくミニトマトも植え替えた。すずなりトマトはまだ時間がかかりそうだ。






雨予報だったので朝飯前の作業だった。
ところが雨は雀の涙ほどで太陽が照ってきた。横岡まで車を走らせ、イカリソウの葉を採りに出かけた。


今がベストで、後数日で虫に食われてしまう。イカリソウは
乾燥させてお茶、リカーに漬けて元気の源にします。

数日前に近くの園芸店で、さつまいもの苗不足で入荷予定が未定という張り紙を見つけました。そこで色々店を回りましたが、全く売っていない。コメリなどでは、4本で490円もする。
折角畑を準備したのにと途方にくれていた。ところが、イオンの園芸コーナーで25本1束498円で紅あずまが売っているではないか!
とりあえず2束購入して植え付けた。


丁度2畝になった。
20日ほど前に植えたジャガイモはいい感じでもうすぐ花が咲きそうだ。




これで芋畑の準備は完了。
ただ、雨予報が全くないので、朝の水やりは欠かせない。
畝立てで汗びっしょり!もう作業は大変だ。




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カワラヨモギがありました!

2022年05月23日 04時00分00秒 | 薬草
西目の海浜植物観察をしました。カワラヨモギは、白っぽく目立ちます。


 カワラヨモギはヨモギ属ーきく科の植物で本州から九州、沖縄の日本各地や朝鮮半島から中国などの大陸や台湾、フィリピンなど熱帯地方に分布し、生息場所として河原や砂浜、海岸などの乾燥した場所に自生している多年草の植物です。
基本ヨモギと同じようですが漢方でいんちんこうと言われています。ちなみに生薬名の茵陳蒿の名前の由来と意味は冬になっても葉の一部が枯れずに冬をすごし、春先にそこから新しい葉や茎が出てくる様を古い(陳=チン)苗が元(因=イン)になって新しいヨモギ(蒿)がでてくると言う意味で茵陳蒿と名づけられたそうです。
中国では春の絹毛覆われた若芽を「茵陳蒿と呼びます。つまり今がその時期に当たります。

茵陳蒿は中国最古の薬物学(本草学)書と言われる神農本草経に記載されています。インチンコウは「黄疸の聖薬」と言われるほど黄疸には効果があります。
ヨモギほど多くはないので多くは採取できませんね!

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由利の史跡巡り

2022年05月22日 04時26分00秒 | Weblog
 昨日は、本荘由利地域史研究会のフィールドワークに参加しました。地元の郷土史研究会の案内で、国指定有形文化財を中心に史跡巡りをしました。総勢17名とコロナ禍では最大の参加者です。



 最初は森子大物忌神社です。
森子大物忌神社の創建は奈良時代初期の養老年中(717~723年)、八乙女山に大物忌神社本社の分霊を勧請したのが始まりとされ、貞観3年(861)には社殿を造営し長く鳥海山滝沢修験の中心となりました。



 早くから神仏習合し龍洞寺が学頭として最盛期には33坊を擁する一大組織となり歴代領主である由利十二頭の1人滝沢氏から篤く崇敬庇護されました。戦国時代末期、当時の領主滝沢政道は最上義明に従った為、被官ながら1万石の大身としての地位を確立、新たに前郷城を築いた為、慶長13年(1608)に祈願所であった龍洞寺はその城下に移されました。元和8年(1622)に御家騒動により最上家が改易になると滝沢家も連座、当地が本荘藩領に組み込まれると藩主六郷氏の崇敬社となり多くの社宝が寄進されました。同じく鳥海山登拝口である矢島修験とは逆峯の本流を廻って対立関係にあり度々争いが起こり江戸時代中期頃には敗北したと伝えられています。




 社殿には大物忌神社の本地仏である薬師如来像を中心に両脇侍像である日光菩薩像、月光菩薩像、十二神将像が祀られ、近代以前は「薬師堂」と呼ばれてきましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され(仏像は天井裏に隠されたと思われます。)



 森子大物忌神社に社号を改めています。現在の森子大物忌神社拝殿、幣殿は安政3年(1856)に再建されたもので木造平屋建て、入母屋、銅板葺、平入、桁行3間、梁間3間、屋根正面には大きな千鳥破風、1間唐破風向拝付き、細部には力士像や鳳凰、龍、獅子など精緻な彫刻が施されています。

 本殿は大正時代に建てられたもので3間社流造、銅板葺。森子大物忌神社本殿、拝殿、幣殿は「造形の規範となっているもの」との登録基準を満たしている事から平成23年(2011)に国登録有形文化財に登録されています。
 又、森子大物忌神社境内一帯は貴重な事から平成21年(2009)に鳥海山修験の重要な遺構の1つとして国指定史跡に指定されています。

 次は川西字奉行面にある岩船地蔵の見学です。現教育次長のご実家で、智仙という和尚が、矢島から女達のかけ念仏で子吉川を流して運んで来た岩を、刻んで作られた。村に凶事がある時は汗を流して知らせるといいます。東日本大震災の前にも汗を流していたそうです。昨日は乾いていました。

 その後由里仲八郎政春の墓と山本の戊辰戦争跡に向かい昼食は水辺プラザでワンコイン注文をとりました。

 昼からは吉沢の神明社に行きました。ここも国登録有形文化財です。今回は、社殿の中に入る事ができるという事でとても楽しみにしていました。
神明社は、享和3年(1803)社殿建立の際に三尊観音を遷座し、「竜重山金湧寺」と称し、現在の社殿は元治元年(1864)に再建されたものだそうです。





 社殿欄間の彫刻及び正面梁上の力士像は由利本荘市の小川松四郎の作であり、天井画『二十四孝』は谷川丹山、弊殿両脇の壁画『司馬温公』は本荘藩お抱え絵師の鈴木梅山、『楠公父子』の大絵馬は藩土牧野雪僊の画です。現在本荘郷土資料館では、本荘お抱え絵師の絵が展示されていますが、鈴木梅山、牧野雪僊の絵がここで見られるとは嬉しい限りです。









 神明社は、当時由利地方における一流芸術家による、作品の宝庫です。

2人以上で団体とみなして拝観できるそうなので是非足を運んでください。

・参拝は自由 時間の制限なし 
・社殿内部拝観時間 
 9時00分 ~15時30分 (要予約  0184-53-3693) 
 
・ご朱印授与 8時30分~16時30分

その後矢島で「令和の城下町矢島を創造する会」にも参加して一日中活動していました。激疲れですが有意義な一日でした。


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ハマボウフウを食べよう

2022年05月18日 14時16分00秒 | 薬草
自分家から海外まで数百mで海岸です。海浜植物の宝庫です。今はハマナスの花が咲き始めました。
希少植物と言われるハマボウフウをあちこちに生えています。


ハマボウフウは美味しいので栽培されていますが、天然物は、別物です。風味が栽培物と比べると数倍あります。


今日は150gほど採取してきました。天然物なのでこれで1000円位で取引されているみたいです。
お浸しにして酢味噌でいただくか、やっぱり天ぷらが一番です。
根は漢方薬にもなっていて、呼吸器系の病気に効くらしいです。
この時期、花粉やらで苦しいのでこれで改善を図ります。


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園芸家に!

2022年05月17日 07時41分00秒 | Weblog
鶏小屋跡地に花でも植えよかと考えて3月27日にポットに数種類の種を蒔きました。
数週間前から地植えを行っています。


紅花、カリフォルニアンポピー、キンセンカは順調です。

今朝はカーネーションを植え付けました。


鶏小屋跡地に植え付けるスペースがないので、カーネーションは畑に移植しました。
地植えするとみるみる大きくなります。7月には花を付ける思います。
種は200円もしないので、とてもリーズナブルな園芸です。
朝仕事をして勤務に向かいます。


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2022/05/15

2022年05月15日 10時32分00秒 | 霊場
今朝も早よから横岡で山菜探しです。まだしどけが食べ頃です。


人差し指サイズのゼンマイもたくさん収穫しました。

孫達の野球の大会が10時からあるので、9時30分には下山しました。


途中小滝の金峰神社を参拝して必勝祈願です。




以下引用
金峰神社概要: 金峰神社の創建は斉衛3年(856)、慈覚大師鳥海山を棲みかとし村人達に悪事を働いた手長足長を退治した際、鳥海大権現と蔵王権現を勧請したのが始まりとされます。鳥海山を御神体とするの修験の拠点の1つとされ、奈曽の白滝が神域(鳥海山)と下界の境界線と見られていたようです。「チョウクライロ舞(国無形文化財)」もそうした神を向かい入れる為なのかも知れません。中世に入ると鳥海山修験が盛んになり別当寺院である龍山寺の門前、小滝には修験者の宿坊が数多く設けられ江戸時代中期には9坊を擁し、蕨岡、矢島と共に鳥海山の開発経営を行っています(鳥海山の登拝口はその他に、吹浦口、滝沢口、院内口とあります。)。神仏混合時代には蔵王権現などと称していましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され明治2年に鳥海神社に社号を改称、さらに大正2年に境内社の熊野神明社と合祀して金峰神社となっています。現在の拝殿は文化元年(1804)の大地震により堂宇が倒壊後の文化2年(1805)に再建したものを万延元年(1860)に現在地に移築したもので細部には竜、鳳凰、像、獅子、力士(全ての彫刻の目が黒く塗られているのは、かなり宗教的な感じがします。)などが施されています。境内からは奈曽の白滝を見下ろす事が出来神聖な場所だった事がわかります。境内には慈覚大師が築いたと伝わる旧参道石坂をはじめ、元亨2年(1322)の板碑、明和元年(1764)の青面金剛、享保16年(1731)の西国三十三所巡礼供養碑、鐘楼、土舞台(閻浮堤・チョウクライロ山)、護摩壇跡、白滝の蛙など神仏習合当時の修験遺跡が数多く残されています。

金峰神社境内の宝物殿には、国指定重要無形民俗文化財のチョウクライロ舞に使用される凌王の面などが陳列されています。








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