ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




東京建物ビル。中央区八重洲1-9
左:1987(昭和62)年7月25日
上:1991(平成3)8月4日

土木建築工事画報 昭和5年3月号』に「東京建物株式会社新築工事」という記事が載っている。執筆者は東京建物の技師の前田利八という人。以下、そこからの引用である。
冒頭に「東京駅の裏口、所謂槇町線の大通りに昨秋新築落成した、八層楼の褐色大建築こそ、オフィスとして実に豪奢な近代的な内容外観を備えた最近工事の一例である。」とある。「槇町線」というのはかつての外堀線で、当時、外堀通りを走っていた市電のことだと思うが、東京建物ビルは八重洲通り沿いに建っている。場所は震災前には「日本橋区上槇町」で、当時は「呉服橋3丁目」に変わったばかりの頃だ。八重洲通りの向かい、現八重洲2丁目が「京橋区槇町」。東京駅の裏口である八重洲口は改札口が設けられたばかりの時で、外堀に架かっていた八重洲橋を渡っていった。
建設工事は1928(昭和3)年9月1日着工、1929(昭和4)年10月30日竣工。設計=阿部美樹志、施工=大倉土木株式会社、施主=東京建物株式会社。本誌には現場工事関係者として、「東京建物技師前田利八、阿部事務所高橋技師、大倉土木建築部技師山田馬治」の名前が出ている。その子孫の方が名前をネット検索しないとも限らないので書き写しておく。
阿部事務所は「外堀線の槇町ビルディングがまだ完成しない本年(昭和4年)六月中旬、丸ノ内の昭和ビルから移転」(『土木建築工事画報 昭和4年11月号』の「阿部美樹志博士の卓上小談」)してきていた。槇町ビルは東京建物ビルのすぐ裏、外堀通り沿いにあった5階建てビルで、昭和40年頃までは存在していたようだ。
外観のデザインは、「様式はビザンチンスタイルを加味せる近世復興式」としている。ビザンチン様式といわれてもピンとこない。ニコライ堂に似たところがどこかにあったのだろうか。ビル平面の中央部に2基のエレベーターがあり、その位置に塔屋があるのだが、路上からではよく見えない。



左:『建築工事画報 昭和5年3月号』表紙の写真。右:近影。2013(平成25)年5月19日

東京建物株式会社は「安田財閥の創始者、安田善次郎が1896年(明治29年)に設立した日本で最も古い歴史を持つ総合不動産会社」(ウィキペディア)。ビルの1階は2つの大きな営業所があるだけで、当初から東京建物の本社と安田銀行が入るための内装にしたのだろう。
現在は昭和33年に建った隣の新館も含めて東京建物ビルと言っているようだ。

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