ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




八軒長屋。中央区日本橋蛎殻町1-37。1985(昭和60)年5月5日

水天宮前から隅田川大橋への通り(水天宮通り)にあった洋風の商店長屋。2軒は曲がった横についていて、1軒はなくなっているが、八軒長屋になりそうである。写真右の横丁を入ると中央区役所日本橋出張所(地図では「日本橋劇場」とも)がある。通りは鉄板が敷かれているが、地下鉄半蔵門線の工事だと思う。
角は2軒分を日宝商事(事務用品・事務用機械)が入り、隣も2軒分を高延商店(工具)が使い、その隣が手島氷店。この店は現在、長屋の左端のところに移ったが、2階建ての家を建てて商売を続けている。ネットには「純氷」を売っている店として出てくる。ちなみに1986年の住宅地図では右から「日宝、高延、手島、自転車車庫、エリザベス」。現在はマンションに替わっている。




上:1987(昭和62)年6月7日
左:2002(平成14)年6月

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コメント
 
 
 
Unknown (北味)
2023-07-22 20:57:26
初めまして
まさかこの一角を写真に撮ってる方が
おられたとは夢にも思いませんでした。
ここは厳密には八軒長屋ではありませんでした。
実はライオンズMの方にも梁は伸びてて更に
4・5軒長屋が続いていたそうです。
自転車小屋の所には氷屋さんと同じ窓の家が
あり、ライオンズM建設で長屋が殆ど解体され
残ったのが上の写真の時期だったようです。
今はこの残った部分も再開発されてしまいました。
 
 
 
>北味様 (流一)
2023-07-24 09:50:04
当ブログをご覧頂き、ありがとうございます。
昔の住宅地図である火保図は、建物の一軒一軒が分かるように書かれているのですが、それを見ると、八軒長屋1棟と、ライオンズマンションのところに一軒屋、二軒長屋、二軒長屋と3棟があったようです。マンションが建つ前の1979年の住宅地図では、角の所から「日宝商会、高延…(字が読めない)店、手島、太盛…、スナックエリザベス、堺商店」「うさぎや」「スナックガリバー、…」「五十嵐(表具店)、井上」。
これらの長屋が長い1棟の長屋に見えたということは、正面が洋風の形に統一されていたのでしょうか? 私も見ているわけですが、なにも思い出せません。もしかすると、角の「井上」は傘屋だった?
 
 
 
お返事恐縮です (北味)
2023-07-25 01:37:41
元はこの37番地の水天宮通り側は同じ家が並んだ長屋だったそうです。
震災直後に建てた長屋で老朽化もあり所々リフォームされるお宅が出てきておりましたので最終的には外見がバラバラになったようですが
建て直しはしてない、出来ない構造だったようです。

窓まで新築当初の姿を留めていたのは氷屋と自転車置き場の所にあった大盛観光だけでした。
因みに二軒分お持ちだった髙延さんの看板は「鋳物金物は髙延へ」と書いてありました。錆びてて落ちそうで下を歩くの怖かったですが。

エリザベスは定食屋です。小さい頃何度か食べに行きました。
更に昔はエリザベスベーカリーというパン屋があったそうです。
井上さんは傘屋ではありませんでしたね。

かつて私の母の実家がこの蛎殻町の水天宮通りの近くにありましたので、幼い時分に私も何度か遊びに行ったのを覚えています。
そういう理由で検索サイトでこの辺の昔の写真を探していて、こちらにお邪魔させていただいた次第です。

母にこのブログを見せたら、この一角や母校の中学高校の校舎の写真を拝見して懐かしいと申しておりました。
素敵な写真を拝見させていただき、本当にありがとうございました。御礼申し上げます
 
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