![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/c8/95577bcd8461366d53336d802a3e8695.jpg)
廣文館書店。千代田区神田神保町1-9。1987(昭和62)年11月1日
靖国通りと白山通りが交わる神保町交差点。角の廣文館書店は建物とも今も変わらない。元はタイル張りの建物だったようだ。
この店のHPを見ると、本部と本店は広島で、広島市や呉市などに20店くらいの支店を展開してる。神保町の店は「東京店」となっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/03/defb9ffbd3b4b2544c46f1da5fe7715b.jpg)
村田簿記学校3号館。神田神保町1-11。1985(昭和60)年8月4日
白山通りとすずらん通りとの交差点に面している。1枚目の写真にビルの裏側が写っている。
このビルを紹介したサイトに、k-kai氏の「廃景録>消えた近代建築」があるので、ビルの前歴などはそちらをご覧願いたい。
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昔は簿記学校の雄だった村田簿記も大原簿記やTACに押されて最近は縮小ぎみです。
建設中のビルは私がよく行く中華料理店の「揚子江」でしょうか?以前は銀座の並木通りに支店がありましたが、2度の火災の後、しばらくしてビルの上階で再開したもののまもなく閉店。有名な「五目冷麺」が食べられるのは神保町店だけになってしまいました。
ちなみに高田馬場や目白にも同名の店舗がありますが、ここは系列が異なるそうで「五目冷麺」は食べられません。
揚子江采館のことは知りませんでしたが、正統な中華料理の店のようですね。神保町すずらん通りで中華料理、というのは寿ビル=中華第一楼の連想ですが、由緒正しいという気がします。
このビルは『日本近代建築総覧』に「村田簿記学校(旧万崎洋服店)、建築年=昭和5年前、設計者=岩城谷蔵」としています。昭和30年頃の地図には「萬崎ビル」とあり、萬崎洋服店が建てたビルのようですね。
『KANDAアーカイブ>神田資料室(KANDAルネッサンス23号)』
http://www.kandagakkai.org/archives/article.php?id=000296&theme=012&limit=20&start=40&sort=kk
に「(村田学園は)現在の3号館にあたるビルを昭和31年に取得」とありました。
このビルを建てた昭和初年には、萬崎洋服店はかなり大きい店で、千葉市以外にもいくつか支店を持っていたような感じですね。