ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




廣文館書店。千代田区神田神保町1-9。1987(昭和62)年11月1日

靖国通りと白山通りが交わる神保町交差点。角の廣文館書店は建物とも今も変わらない。元はタイル張りの建物だったようだ。
この店のHPを見ると、本部と本店は広島で、広島市や呉市などに20店くらいの支店を展開してる。神保町の店は「東京店」となっていた。



村田簿記学校3号館。神田神保町1-11。1985(昭和60)年8月4日

白山通りとすずらん通りとの交差点に面している。1枚目の写真にビルの裏側が写っている。
このビルを紹介したサイトに、k-kai氏の「廃景録>消えた近代建築」があるので、ビルの前歴などはそちらをご覧願いたい。

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コメント
 
 
 
Unknown (したまちっこ)
2008-01-19 19:20:23
 神保町も急速に高層ビルが増えている地域ですね。
 昔は簿記学校の雄だった村田簿記も大原簿記やTACに押されて最近は縮小ぎみです。
 建設中のビルは私がよく行く中華料理店の「揚子江」でしょうか?以前は銀座の並木通りに支店がありましたが、2度の火災の後、しばらくしてビルの上階で再開したもののまもなく閉店。有名な「五目冷麺」が食べられるのは神保町店だけになってしまいました。
 ちなみに高田馬場や目白にも同名の店舗がありますが、ここは系列が異なるそうで「五目冷麺」は食べられません。
 
 
 
>したまっちこ様 (流一)
2008-01-20 10:33:44
最近は大学の経営危機が話題になりますが、競争相手がある専門学校も一頃のように拡大一方とはいかないのでしょうね。
揚子江采館のことは知りませんでしたが、正統な中華料理の店のようですね。神保町すずらん通りで中華料理、というのは寿ビル=中華第一楼の連想ですが、由緒正しいという気がします。
 
 
 
村田簿記(旧萬崎ビル) (千葉萬崎洋服店 仕立屋運國齋)
2010-12-02 18:23:25
偶然にこの写真を見ましたので、懐かしく投稿致します。神田の萬崎洋服店は現千葉の萬崎の本店のようでした。私は神田の萬崎へは行った事がありませんが、先代の父親はそこで修行をして、千葉の現萬崎洋服店を任されたようです。
 
 
 
>運國齋様 (流一)
2010-12-03 11:48:19
萬崎洋服店が現在も存続していると知って驚きました。
このビルは『日本近代建築総覧』に「村田簿記学校(旧万崎洋服店)、建築年=昭和5年前、設計者=岩城谷蔵」としています。昭和30年頃の地図には「萬崎ビル」とあり、萬崎洋服店が建てたビルのようですね。
『KANDAアーカイブ>神田資料室(KANDAルネッサンス23号)』
http://www.kandagakkai.org/archives/article.php?id=000296&theme=012&limit=20&start=40&sort=kk
に「(村田学園は)現在の3号館にあたるビルを昭和31年に取得」とありました。
このビルを建てた昭和初年には、萬崎洋服店はかなり大きい店で、千葉市以外にもいくつか支店を持っていたような感じですね。
 
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