ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




石川美術印刷。中央区入船1-8。1988(昭和63)年1月4日

鉄砲洲小学校の西側の道路に面している。写真右手へ行くとすぐに南高橋の通りへ出る。通りに面した建物には石川美術印刷、畑田商事、入船診療所が入っている。長屋の戦後版といった建物ではないかと思う。駐車場との間の路地を入ったところのアパートのような建物は末広荘で、住宅地図では日栄製版と久英堂印刷が入っている。やはり長屋の戦後版だろうか。
戦後すぐの航空写真を見ると新大橋通りと鉄砲洲通りの間に十字形の白っぽい幅広の線がすぐ目に入る。建物疎開で建物を除去した跡である。十字形にかかる範囲の地区にあった建物の半分は取り壊されたようだ。入船・湊地区は空襲の被害に遭わずに済んだが、密集していた建物が半分なくなってしまっては戦災というほかはない。焼夷弾を大量に落とされては建物疎開くらいでは効果はなかったに違いない。
写真の場所は建物疎開で防火地帯になったところだ。



大沢印刷。入船3-8。1988(昭和63)年1月4日

こちらも建物疎開になった場所で、大沢印刷の建物も戦後のものだ。アパートのように見えるが1階の窓が連続していて印刷工場として建てられたのだろう。2階は住居のようだ。
現在はザロワイヤルビルが1990(平成2)年竣工している。大津屋は肉店。そのビルも現在はバド銀座東ビルに変わった。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )



« 中央薬局、他... 池田靴店、中... »
 
コメント
 
 
 
定年です (月島職人)
2009-02-08 21:16:56
昭和41年、16歳で就職した大沢印刷。来年2010年で定年。なつかしい限りです。私の仕事の出発点。ここから定時制高校に通いました。
 
 
 
>月島職人様 (流一)
2009-02-09 17:46:01
当ブログへの訪問とコメントをありがとうございます。
大沢印刷は外見を見ただけですが、印刷業が集中していた入船・湊の中ではわりと大きい会社だったのではないですか。活版印刷だったのでしょうか。昭和40年代というとずいぶん忙しい思いをされたんでしょうね。
 
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。