ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




秋山三五郎商店。中央区八丁堀3-14。1984(昭和59)年6月17日(2枚とも)

新大橋通りから平成通り、鍛冶橋通りから八重洲通りへ抜ける2本の横丁の交差点。八丁堀は平成になってから急激にビル化が進み、今では空襲で焼けた後に建った木造家屋は珍しくなった。角の蔦に覆われた秋山商店の建物はまだ残っていると思う。
祭りは日枝神社の山王祭である。秋山商店は神具仏具の店で神輿の製作もする。終戦後じきに建てられたと思われる古い家だから神酒所にはぴったりだ。「清水園」については不明。
写真中央には戦前の看板建築かと見える建物があるが、これも戦後のもの。昭和27年頃の火保図に「工事中」の記載があるからその頃に建ったものだ。秋山商店から写真右奥へ、「藤ビル」(看板は「コジマ」)、「直平ビル」(看板は「防火用品・冷暖房機器 株式会社トーワ」と「マキタ電動工具 八丁堀直平」)、「㈱直平」、「そば 永盛(ながもり)」、「一ふじ」、「花沢」、「ヤマグチ(事務機・文具)」・・・。
直平(なおへい)金物店のところは戦前には「吉兵衛(きちべい)金物ヤ」。この2店は大工道具の店として有名だったらしい。永盛はかなり古くからあるそばやらしいが現在もほぼ同じ場所、「東八重洲シティビル」の1階に店がある。




今は書き換えられているが、角の飾り窓には「神佛師/秋山三五郎商店/神具・佛具」と書かれたシャッターが下りる。2基のお狐様は固定されているわけでもないと思うがいつも外に出ている。
秋山商店の初代・秋山三五郎が製作した神田多町の神輿は上野の国立博物館に重要文化財として保存されている。当然、八丁堀の神輿は全部秋山製。深川にも2基あるという。『 多町と神田祭』によると、鉄砲洲稲荷の大正6年製作の神輿も代表作だという。このサイトに大正15年撮影の神輿を中心にした記念写真が載っていて、秋山三五郎もそこに収まっている。『 わが町・八丁堀 八丁堀三丁目西町会『わが町のあゆみ』から』の「昭和初期の鈴らん通り」の章に「秋山三五郎商店のジイさんは切れ長の腫れぼったい目を光らせて神輿細工に余念がない。貫禄たっぷりで近付きがたい感じ。」という文があった。

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