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銀座中央通り、片桐ビルから読売広告。中央区銀座1-8。1983(昭和58)年8月21日
中央通り、銀座1丁目の東側を南方向へ向いて撮った写真。住宅地図によれば写真左から、片桐ビル(ダイショウの袖看板)、宝光ビル(銀座茶館)、イトーキビル、銀座ABビル(アサヒビールの袖看板)、ツルヤビル、ササキ、喜久屋、伊勢伊ビル、レックス亜壽多、銀座アスター本店、大新、読売広告社。
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銀座ABビル。1985(昭和60)年9月8日
地下にガンダーラ、1階に銀座ビヤハウス、2階にピザハットなど全館飲食店のようだ。
『震災復興〈大銀座〉の町並みから・清水組写真資料(銀座文化史学会編集、秦川堂、平成7年発行)』にこのビルが載っている。以下、その記事によるが、日本麦酒鉱泉という会社が本社ビルとして建てたもので、設計施工は清水組、昭和4年3月着工、12月10日竣工である。昭和10年に改装され、戦災で内部が焼けたようで戦後、再度改装されている。竣工時から1階をバー(ユニオンバー)、地下をビヤホールとした。
と、この調子で書いていくと全文書き写してしまいそうなのでやめておく。本書はまだ教文館あたりで買えるかもしれない。
竣工時の写真を見ると、スクラッチタイル貼りで、1階は中央に入口、その両脇はショーウインドウである。
銀座ABビル
1987(昭和62)年10月25日
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今までの2年間は銀座で働いておりました。
最初の印象は、ブランドショップばかりでお金持ちがお出かけする街だという印象しかありませんでしたが、出勤や仕事帰りに小さな路地を通っていく中で昔の銀座に出会ったという不思議な感じがしました。それがきっかけで昭和の東京に関心を抱くようになりました。古本屋で当時の絵葉書を探したり、当時の文献を調べたりしています。また、当時の写真を集められた写真集も興味深く見ていますが、そういうものに巡り合うのがなかなか難しいので、こちらのギャラリーを見つけました時の嬉しさと感動は文章で表現できません。一枚一枚の写真は非常に貴重で、写真に写っている一つ一つの建物やディテールをじっくり見させていただきました。
わたしは今の東京の町並みや建築を撮影しています。今の写真は何十年か立ったら「平成時代の東京」になるでしょう。その写真を誰かが見て「あー、昔の東京はこんなんだったんだ。素敵だな」と思ってくれたら嬉しい限りです。
現在は東京お住いでしょうか。
差し支えではなければお持ちの写真の現物を見させていただければなんて思ったりします。
次の投稿も楽しみにしております。
ありがとうございます!
ルタ
当ブログへのビジターは、今はない建物の写真を発見して懐かしむ、という人が多いのだろうな、と想像していました。実際にその建物を見たことがある人ですね。ルタさんが銀座の路地裏で昔の銀座を体験した、というのもそれに近いのでしょうね。
そこから昭和の建物そのものに関心が発展していったのでしょうか。当ブログがお役にたつのなら嬉しいです。ところで、ルタさんが銀座で働いていたのはいつ頃のことでしょうか? ルタさんはいつの時代の建物を見ていたのだろう、ということを考えてしまうのです。