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若尾ビル。神奈川県横浜市中区本町4-34。1987(昭和62)年8月9日
本町通りの本町3丁目交差点の角で、現在は富士ソフトのビルに建て替わった。
若尾ビルは川崎鉄三という建築家の設計になるそうで、建築年は1925(大正14)年、昭和2年、昭和4年と資料によってばらばらだ。7階建てという横浜ではかなりの高層ビルで、当時のビルは3・4階建てくらいが普通だから群を抜くといっていいだろう。
『横浜都市発展記念館>横浜絵葉書データベース』に本町通りを写した古絵葉書があって、縦縞に塗ったような若尾ビルが写っている。説明文に『大横浜』1930年第3号の記事が引用されていて「本町通りに聳ゆる摩天楼」は若尾幾太郎が建てたもので大正14年8月の竣工とある。
『有隣>川崎鉄三』には「大正14年の若尾幾太郎商店のビル新築の設計とともに横浜にやって来て、本町工務所主を名乗っている。 これは若尾商店の建築部のような存在であったらしく、事務所も若尾ビル内にあった。 若尾幾太郎(1884-1938)の父親幾造は甲斐出身の生糸王若尾逸平の弟である。」の記述がある。ぼくは甲州財閥とか若尾逸平のことはなにも知らなかった。
『暖頭冷心>横浜生糸産業は若尾ビルを中心に発展した(2007.09.23)』は若尾ビルと横浜若尾という生糸商の関連を考察していて、「幾太郎は横浜若尾の三代目、勉平の家督を相続した養子民造の三女が幾太郎の妻」「逸平の実の弟の幾造が1875(明治8)年に逸平が資金を出して横浜若尾(生糸問屋若尾商店)を創立」とある。幾太郎は後に江ノ電の経営に関与している。
上2枚:1988(昭和63)年8月6日
左:2009(平成21)年7月26日
上左写真の手前は横浜銀行協会の裏側。右奥に若尾ビルが写っているのでここに掲載する。
左写真は現在の富士ソフト横浜オフィス。1階の外壁や入口の円柱などは旧ビルにあったものを流用しているのだろうか。
1枚目の写真の左に協栄生命のビルが写っている。「協栄生命横浜ビル(片倉工業横浜支店)設計=森山松之助?、施工=清水組、竣工=昭和5年」なのだが、ぼくはなぜか撮りそこなった。
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いつもお世話になっています
今日アップの若尾ビルの記事に画像をお借りしました
偶然だったのですが、若尾ビルと若尾幾太郎氏について
検索していて興味深い記事を何点か見つけ
お気に入りにて保存していたのですが
貴ブログにて紹介していた記事と同じで(2~3記事)
驚きました(笑)紹介したのは1記事ですが
私のブログにも訪問し確認していただけたら
嬉しいです~!
実は1991年に若尾ビルで働いておりました。 ビル解体のため会社は移転となり、ここで働いていた期間は数ヶ月と短いですが、とても思い入れのあるビルです。
古いビルでしたが、レトロなエレベーターに石造りの階段。 また階段の手すりもデザインがお洒落だったと記憶しています。
お陰様で懐かしい思い出に浸ることが出来ました。 有り難うございます。