ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 



太田屋染物店。中央区日本橋人形町2-7
1987(昭和62)年5月31日

当ブログ前回の小林果実店の建物の大門通り側の隣の家。モルタル仕上げの看板建築だが、商売にふさわしい和風の表面のデザインが施されている。モダンなデザインにも見えるが、和風のファサードの看板建築は割と珍しいと思う。軒下の中央のマークは富士山の下に「太長」の字を入れたものらしい。その下の字は、1行目が読めなかったのだが、samatsutei様にコメントでご教示いただき、「美術/染物あらひはり」と判明した。
バイク呉服屋の忙しい日々>洗い張り職人 太田屋・加藤くん(1)(2013.05.19)』に太田屋のことが紹介されていた。甲府市の松木呉服店から発信しているブログである。洗い張りの仕事がどういうものかなんとなく分かるが、同時に着物を着ることが贅沢なものなのだな、ということも分かる。当記事によると「太田屋」という屋号は初代が修行した浜町の店の名前で、明治25年に暖簾分けしての創業である。今は四代目という。需要を見込んで芳町の花街に出店したわけだ。創業時から戦前までは大変な忙しさだったのではないかと想像できる。
太田屋は、今は近くだが甘酒横町の裏手に移っているが健在。マークの文字が「大増」と変わっている。

下の写真は太田屋を中心にした家並み。写真右端が芳町通りとの交差点で、その角に小林果実店、同じ建物の青い日よけは「パーラー桃山」、街路樹で隠れた太田屋の左は「純喫茶Doll」。上の写真ではドールがビルに建て替わっている。



純喫茶Doll。日本橋人形町2-7。1985(昭和60)年4月28日

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コメント
 
 
 
壁の文字 (samatsutei)
2016-08-01 16:01:07
最近よく拝見しております。
私が東京に出て来たのは、地上げの空き地がそこここに見られるバブル崩壊後でしたが、その後も知らぬ間に変化が進んでいることを思い知らされます。

さて、太田屋染物店の壁の文字ですが、「技術」ではなく「美術」のように見えます。――「美」でないとしても「技」でないことは確実と思います。
 
 
 
>samatsutei様 (流一)
2016-08-02 15:16:08
当ブログをご覧いただきありがとうございます。確かにバブル崩壊後も東京の変化は着実に進んでいますね。最近は銀座・日本橋が目立つでしょうか?
壁の文字の解読ですが、技術ではなく、染み抜きのことかと想像して「抜術」としましたが、納得したわけではありません。そんな言葉は聞いたことがありませんし。確かに形を見ると「美術」のほうが適切かもしれません。ただ、表具屋なら美術という言葉を使いそうですが、染物屋ではどうでしょうか?
 
 
 
草書の「美」 (samatsutei)
2016-08-03 15:15:28
草書の「美」ではないかと思います。
「美 草書」で画像検索して比較なさって下さい。
 
 
 
>>samatsutei様 (流一)
2016-08-03 18:18:49
なるほど、納得しました。「模様染のさいは相談に乗りますよ」ということなのでしょうね。
本文の「その下の字は右から書きで「抜術/染物あらひはり」だろうか。」は、
「その下の字は、1行目が読めなかったのだが、samatsutei様にコメントでご教示いただき、「美術/染物あらひはり」と判明した。」と、訂正しました。
 
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