ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




海老屋美術店。中央区日本橋室町3-1。1985(昭和60)年4月14日

中央通りの三井本館のあるところのひとつ北のブロック。海老屋美術店(骨董)、玉貞人形店、内藤ビルと並んでいる。
海老屋はそのHPによると1673(延宝1)年、京都で開業している。御所の御用職だったので明治維新に天皇の上京と共に現在の地に移ったそうだ。写真の建物は洋風のファサードを持つ戦前の看板建築のようにも見えるがどうなのだろう。戦前の火保図では海老屋ではなく「アサヒバー」となっていて、その建物とも決められない。同じ地図で近所に海老屋を探すと、中央通りの向かいに「海老屋」とある家がある。戦後に建てられたものだろうか。
人形店が集中していたという十軒店は、内藤ビルあるいはその北の協和銀行があった辺りで、中央通りの両側にまたがっていた。ごく小さい町域である。大正元年地籍図には「永徳齊人形店、光月人形店、久月人形店」の記載がある。玉貞人形店は昭和30年頃の火保図にあるが、写真のビルの斜向かいになっている。玉貞は十軒店の歴史を伝える唯一の店としてここでがんばってきたが、数年前に閉店したという。


内藤ビル。1985(昭和60)年8月4日

『日本近代建築総覧』によると、「竣工:大正12年、設計:内藤正一」。関東大震災の年に完成したらしいが、大震災の前なのか後なのか気になる。
内藤ビルの右側の空地は協和銀行日本橋支店を取り壊した跡である。協和銀行のビルは清水組の設計施工で昭和5年の完成、オーダーを並べたいかにも銀行らしいビルだったようだ。また、海老屋の角を西に入ったところに小西六の古いビルがあったはずだが、どちらも撮り損ねた。

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