ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 



邦栄堂書店。神奈川県鎌倉市雪ノ下1-8。左:1989(平成1)年6月5日、右:2001(平成13)年11月4日

現在は「邦栄堂書店」が入っている若宮大路に面している建物だが、撮影時はなんだった分からない。看板も写っていないから空家なのかもしれない。
変わった意匠の看板建築である。角にある柱を立てたような装飾は洋風の看板建築として他にもありそうだが、正面の壁はボール紙をカッターで窓を切り抜いて貼り付けたようで、かなり斬新な感じがする。今は窓を白いボードで塞いでしまったので余計に紙細工に見えてしまう。いったい竣工時からこのデザインだったのだろうか。
1989年の写真ではまだ窓を塞いでないので窓枠が見えている。昔は大きな窓ガラスの製造が難しかったのだろう、たいてい桟で小さく区切っているのだが、この家の窓も戦前のデザインの桟である。この窓と平面を切り取ったような壁面とはけっこう似合っている。
左の写真は角の造作が電柱に隠れてしまった。今は、電線は地下に埋設したらしく若宮大路では電柱は見当たらない。写ってしまった2本の電柱と煩い電線も「記録」ということで……。

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コメント
 
 
 
たくみや? (小ノ電)
2010-07-06 22:28:35
ご無沙汰しております。鎌倉長谷の建物紹介の時に、コメントさせていただいた小ノ電でございます。若宮大路編も、大変興味深く拝見させていただきました。
邦栄堂書店ですが、1961年の鎌倉明細地図でも同名の書店になっております。ただ、たしかに1984年の神奈川縣教育委員会『神奈川県文化財調査報告集 第44集』には同じ番地に「たくみや、S8、木3」との記載があります。ところが同番地には現在も邦栄堂書店と並んで「たくみや民芸店」があります。写真では書店の左隣、レンガ色のビルの中です。
関係者の方に伺わないと真相はわかりませんが、調査上の間違いか、あるいは移転の経緯があるのか、真相は謎ですね。
 
 
 
>小ノ電様 (流一)
2010-07-07 16:23:16
御指摘ありがとうございます。鎌倉の本屋を紹介したサイトに「08年2月、若宮大路の八幡宮寄りに移転」とあったので、それ以前は別の店かと思っていました。建物の名称を「現邦栄堂書店」としようかと考えたのですが、それも変だし。
以下のように訂正しました。
タイトル及びキャプション:旧たくみや→邦栄堂書店
本文:『神奈川県の近代建築探訪>鎌倉の看板建築>若宮大路沿い』に「旧たくみや(?) 昭和8年(?)」とあるので、建物の名称として頂戴した。→削除
 
 
 
引用のお願い (小ノ電)
2010-07-11 14:13:57
なにか差し出がましいことをしたようで、恐縮です。古い地図を年代別に見ていると、近隣同士で結構入れ替わっており、曳き家による敷地交換や、隣り同士での引越しと思われるものなどがあって、戸惑います。もちろん調査上や、記載ミスというものもあるのでしょうけれど。
さて、今回は厚かましくもお願いがございまして、ご連絡差し上げました。前にもお話ししましたか、当方鎌倉市街のジオラマ制作を進めておりますが、いよいよ長谷の「石橋歯科」、「宮わき」、「おざわ」を模型化することとなりました。
それにあたり、制作記(ブログ)において資料引用の形で、流一さまの当該ページへのリンクをご許可いただけませんか。当該ブログはこちらになります。
http://ono-den.at.webry.info/
ご検討のほど、何卒よろしくお願いいたします。
 
 
 
>小ノ電様 (流一)
2010-07-11 16:10:06
リンクの件はよろしくお願いします。
いよいよ石崎歯科医院にかかりますか? しかも「宮わき」と「おざわ」を並べるのでしょうか? 正面の写真しかないのにどう構成するのだろう、と興味を引かれます。小ノ電さんにとっては慣れた作業なのかもしれませんが。作業の過程、そしてできあがりが楽しみです。
 
 
 
ありがとうございます。 (小ノ電)
2010-07-11 22:19:45
早速のご返事、痛み入ります。
そしてリンクのご許可、ありがとうございました。
今週から作業に取り掛かります。機会がございましたら、ご笑覧戴ければ幸いです。
 
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