ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




フクイ洋服店。中央区日本橋蛎殻町1-27。1991(平成3)年

中央区役所日本橋支所(日本橋公会堂)のはす向かいで、写真右へいくと新大橋通り。家並みは左から、フクイ洋服店、海老司法書士事務所および東京中央旅行社、山繁、清量堂印商および弁当のたきたて、民家。
フクイは看板に「美術骨董」ともあり、電柱にも「古美術・福井」の看板を出している。いわゆるテーラーで、ぼくの父はここで背広をあつらえていたので、ぼくも最初の1着はここで作った。我が家にはいまだに「フクイ」の文字が入ったハンガーがある。「会社および不動産登記」の看板があるのは、昭和30年頃の火保図に「海老代書」とあるので、その代書屋さんが続いているのだろう。「海老司法書士事務所」としたのは推測である。山繁は写真からはなんの商売だか判らないが、同火保図では「山繁陶器」。弁当屋は以前はパン屋だったように思う。
看板建築が並んでいるわけだが、関東大震災後の復興期のものには見えない。戦後、空襲の焼け跡から復興した商店のような感じで、4軒とも同時期に建てたように見える。この辺りは空襲の被害を免れていて、一斉に建て直すような状況ではなかったはずだが、ひとつ考えられるのは強制疎開である。道路の幅を広げるため戦中に写真の一角が取り壊されたのかもしれない。昭和22年の航空写真からではなんともいえない。
現在はフクイの建物が残っているだけで、その右に2棟のマンションが建った。




左上:紀京家。日本橋蛎殻町1-26
1986(昭和61)年6月8日
右上:紀京家横の民家
1987(昭和62)年5月31日
左:清香園。2004(平成16)年1月1日

1枚目の写真のフクイの横を入ったところ。角の「焼肉・清香園」の建物は今も残っている。以前は「紀京家」という店で、やはり焼肉屋だったのかもしれな。その後ろには木造の民家が2軒あった。紀京家の隣の家は1階の屋根に「洗張」の看板をあげているが、岡崎洗張店だ。
『東京DOWNTOWN STREET 1980’s>日本橋蛎殻町1丁目(4)』は、この辺りをきめ細かく歩いて、最近の状態をレポートしているので、併せてご覧いただきたい。

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