![]( http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/ad/c2c9616b9339d227503e46a739556366.jpg )
にしみや商店。中央区新富1-10。1984(昭和59)年頃
新大橋通りと平成通りの間を平行する裏通り。左端にちょっと写っているのが「かどや」で、看板建築が「にしみや(西宮)商店」。おにぎり・おでんとたい焼きの店で、ネット上では紹介しているサイトがかなりある。繁盛していた店らしいが2015年4月末で閉店した。建物はまだ残っている。
下見板の壁の家は玄関が2か所あるから2軒長屋式の住居だろうか。現在はヤマト運輸と陶磁器制作用品の「駱駝」が入った4階建てのビルに替わった。
入母屋根の日本家屋は「㈲タカシ産業」の看板がある。昭和25年頃の火保図では「みやこ」という料理屋。昭和10年頃の火保図では「待合鈴川」である。ちゃんと撮っておかなかったのだが、『東京 DOWNTOWN STREET 1980's>中央区新富町~その一』に、1981年に撮影された写真が載っている。現在は「ディ・レジデンセス銀座東」(2007年6月築、10階建19戸)というマンションに替わった。
その先は路地が入っていて、大きな柳の木は料亭の「躍金楼(てっきんろう)」。明治6年創業というから新富町が花街として成長し、また衰退してきた過程にすべて付き合ってきた店といえる。今も料理屋として頑張っている。
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にしみや商店。新富1-10。1987(昭和62)年4月29日
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。うさぎやのはすむかいのお稲荷さんは、現在マンションの一角にあるお稲荷さんかしら?
新富町の大野屋を背景に設定しているので、現実との対応を考えるのは楽しいのですが、残念ながらドラマではそこまでは考えていないようです。
大野屋のはす向かいのお稲荷さんは「復興稲荷」(当ブログ『竹田ビル』参照)だと思います。ドラマの神社は玉垣があるので、大野屋からは電車通り(平成通り)を越えた「新富稲荷」(当ブログ『日刊スポーツ印刷社』参照)がモデルとしては近いでしょうか。