丸の内野村ビル・西面と西南角の下部。千代田区大手町2-1。1989(平成1)年10月15日
ビルの最上階に「永楽倶楽部」という社交クラブがあった。昭和初期までの町名、永楽町からの命名である。永楽倶楽部によると、早稲田大学の創立者、大隈重信が1915(大正4)年に創立した社交クラブ「早稲田倶楽部」が起源。大正6年11月、麹町区永楽町2-10に新築された日清生命保険会社の木造3階のビルにクラブハウスを移して「永楽倶楽部」と改称した。野村ビルはそのビルが関東大震災で壊れた後に建てられたもので、竣工時には日清生命館といった。
1994(平成6)年4月、現在の「大手町野村ビル」が竣工したときは19階に移転したが、現在は永田町の「山王興和ビル」に移った。現在は早稲田に限定しない財界人を中心とした社交クラブであるらしい。慶応大の交詢社は銀座のビルを紹介した本などで名前は知っていたが早大にもあったのだ。
丸の内野村ビル・南面の玄関。左:1989(平成1)年10月15日、右:1986(昭和61)年6月1日
野村ビル第3号館。大手町2-1。1986(昭和61)12月30日
産経会館前交差点の南東角に建っていた。左写真の交差点側の玄関がある方が正面で、右写真は後ろにあたる。隣接するビルがなくて、角を丸くしているので小判型の平面である。戦後の建設だろうが、形がおもしろいし懐かしいと思う人もありそうなのでとり上げてみた。
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k-kaiと申します。
貴ブログは以前から拝読しておりました。
実に貴重な写真が満載で、毎回感嘆の声をあげております。
野村ビル3号館、面白い形のビルでしたね。
この地味な物件がWeb上で取り上げられたのはおそらくこれが初めてでしょう。
戦後の建築だと思うのですが、終戦直後に米軍が撮影した航空写真にこのビルらしきものが写っているので、もしかしたら戦前の建築なのかも知れません。
もちろん増改築がなされている事でしょうが。
これからもよろしくお願いします。
野村ビル3号館は公開した2枚の写真しかなく、またなにも情報がないので記事の書きようもなくてどう扱おうか困っていましたが、ビルの名称が同じなので「野村ビル」の記事に割り込ませました。関心を持っていただいて幸いです。どうにも気になるビルですね。
航空写真 こちらをご覧下さい。
丸の内電話局も写っています。
http://mapbrowse.gsi.go.jp/cgi-bin/airphoto/photo.cgi?index=533946&group=USA10kKT&course=M871&num=60&size=normal
その時、戦前のビルとして紹介されて、外観のわりに凝った内装なども映されていた記憶があるので、やはり戦前のビルだったのかもしれません。
http://azabu-tano9.jimdo.com/
というサイト(古い映画のロケ地を調べて現況と比べるなどの論評をしています。『東宝娯楽映画ロケ地巡礼大作戦!』の後継サイト)に『はりきり社長(1956年東宝)』という映画をネタにした『産経会館』がアップされました。そこで増築される前の野村ビル3号館が見られます。貴重な映像かもしれません。
只今、昭和30、40年頃の大手町「産経会館」とその北側にありました「農協ビル」の写真を探しております。
お持ちの方お見えでしたら、当サイト「お問い合わせ」より、是非ご一報ください。
よろしくお願いいたします<(_ _)>
管理人殿
この度は当サイトのご紹介を頂き誠にありがとうございます。
また本日はこの場をお借りしましたこと、お許しください。