ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 



館野商店。中央区日本橋小網町19。左:1986(昭和61)年4月6日、右:1985(昭和60)年4月21日

館野商店は1884(明治17)年創業の石油製品・小麦・大豆などを扱う卸商。現在の社名は「株式会社タテノコーポレーション」。創業者の栄吉は栃木県の豪商館野商店の次男として生まれ、明治17年日本橋小網町に妻菊の実家の援助もあり「伊藤芳次郎館野商店」の名で店を構えた。大正年間に「館野栄吉商店」となる。またこの会社は町会や小網神社の役員として、その活動に熱心であるらしい。(日本橋OLクラブ>議事録および東京油問屋史を参照)
館野商店の裏はすぐ日本橋川で、かつて西堀留川と東堀留川が日本橋川に河口を開けていたが、その二つの堀の間になる。大震災前までは「末広河岸」といった場所だ。昭和10年頃でも倉庫や共同荷揚場があった。



日清製粉小網町ビル。日本橋小網町19。1987 (昭和62)年5月24日

昭和20年代の建築かもしれない。後で建った後ろのビルが律儀に古いビルと同じファサードを継承している。
写真左が空き地で日本橋川に開けている。資材置き場になっているのでトラックが出入りしている。ここが東堀留川が日本橋川に出る河口だった。戦後の昭和24年に埋め立てられ、道路に架かっていた思案橋とともに姿を消した。
思案橋というと、明治9年10月に思案橋事件というのがあった。綱淵謙譲の小説「苔」に詳しい。旧会津藩士の永岡久茂らが神風連の乱のように挙兵して千葉県庁を襲う狙いで思案橋から船を出そうとしたところを駆けつけた警官と斬り合い、警官2名が殺されたが決起した14名はほとんどが捕縛されたという。


1922年、清水組の設計・施工か?(2009.07.26追記)

清水建設200年作品集」のサイトはこのブログをご覧頂いている方にはおなじみだろうと思う。最近なにげなく眺めていたのだが、左の写真を発見した。『日清製粉本社、1922(大正11)年11月、発注:日清製粉、設計:当社(小笹徳蔵)』というキャプションのビルである。これはもう上の写真のビルに違いない。
皇后美智子さまの実父、正田英三郎は、ビルが竣工した当時は20歳位でまだ日清製粉には入社していないが落成式には出席したのではないだろうか。

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )



« 台東区―浅草■... 新川会館ビル... »
 
コメント
 
 
 
追記 (流一)
2009-07-26 21:55:36
「清水建設200年作品集」からの写真を追加し、それに関した文章を追記しました。
 
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。