ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 





木村湯。中央区日本橋蛎殻町1-19
上:1985(昭和60)年2月17日
左: 2004(平成16)年1月1日

新大橋通りの銀杏八幡の向かい側の横丁を入ったところにあった銭湯。2007(平成19)年9月30日で閉店、その後、「ガーラレジデンス日本橋水天宮」というマンションが建った。
目隠しの波板で見にくいが、正面は出桁造りの本体家屋(たぶん二階が住居)が敷地いっぱいに延びていて、その前面中央に入り口が突出し、その左右を中庭にしている。入り口の屋根に破風をつける場合が多いが、木村湯はあっさりしたものだ。
木村湯は湯の温度が高かったらしい。 『入浴情報>木村湯』には「なんと45.5℃もあった」とある。東京の銭湯は伝統的に熱いのが普通だったようだ。ぼくは1960年頃、まだ中高生だったが、木村湯には何回か入っている。熱いのを我慢してのぼせていたのだろうか。湯をうめていて怒られた経験は何度かある。



マルイシ。日本橋蛎殻町1-4。1987(昭和62)年頃

写真右奥のビルは「三貴ビル(三貴商事株式会社)」(現在は取り壊されて駐車場)で、木村湯はこのビルの左の並びにある。古い家が並んでいるが、今も、写真中央から右側の家3軒が残っている。写真左端は「双葉陶器ビル」で、その右の民家と共に、現在は「日本橋FKビル」に建て替わった。

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コメント
 
 
 
ご無沙汰しておりました (とおる。)
2013-03-01 00:19:27
以前、何度かコメントを書き込みさせていただいていたとおる。です。
かなりの頻度で更新状況を楽しみに、確認させてもらってますが、書き込みするタイミングを逸していました。

蛎殻町の木村湯、懐かしいです。

蛎殻町のワンルームマンションに初めての一人暮らしをした初日、ガスがまだ開通しておらず、水天宮の交番で銭湯の場所を聞き、いったのが木村湯でした。2005年のことです。世界湯も紹介されたんですが、木村湯の門構えがいかにも銭湯って感じで木村湯に行ったんですよ。

たしか「コムギ」って名前のウサギが脱衣所で飼われていて、ムニャムニャと餌を食む姿が愛おしかったです。

その後、隅田川を渡った森下付近にマンションを買ってすんだのですが、いまは結婚し、去年の夏に横浜に引っ越しました。

まだまだコレクションがあるんですね。
楽しみにしております。
 
 
 
>とおる。様 (流一)
2013-03-02 09:12:54
どうも、しばらくでした。当ブログを開始して以来、変わらずご覧いただきありがとうございます。
とおる。さんが蛎殻町に居住していた頃の思い出が木村湯というのは、昔の下町の暮らしの一端を経験できた、ということになるでしょうか。日本橋の隅田川に沿った辺りは、古い家屋をまとめてはマンションを建てていますから、銭湯を必要とする人も激減していると思います。そんなかで木村湯はぎりぎりまで営業を続けていたといえると思います。
 
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