ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




七軒長屋。日本橋蛎殻町1-38。1984(昭和59)年5月5日

水天宮の境内から撮った向かい側の長屋。毎月5日は水天宮の縁日で、特に子供の日の5月5日が最も賑わう。安産祈願の神社ということになっているからだろう。昭和50年頃までは、毎月、新大橋通りの歩道に植木の露店が何十軒も並んだ。撮影日には植木屋は数軒、菓子や玩具の一般的な露店がかなり出ていたと思う。
写真の長屋は七軒長屋で、写真からは「大野屋(用品・足袋)」、喫茶店の「まりも」「古代煎餅」が認められるが、他の4軒は閉店したようである。その4軒の店名は分からないが、昭和30年頃の火保図では、左から「大谷セトモノ、戸田自転車、のみやカシマヤ、大野堂洋服、ロッカ(食堂)、堀田家具、菓子店」という記載。昭和8年の火保図に「足袋ヤ」と「カブキセンベイ」の記載があるので、大野屋と古代煎餅は戦前からの店なのだろう。
昭和40年頃には、前の通りには水天宮前電停があり、長屋の前にはいつも21番の北千住行や13番の新宿行の都電が待機していた。
1986年の住宅地図では長屋のところは「有馬ビル」(水天宮との関連でつけた名称だろう)になっていて、撮影後じきに取り壊されたようだ。現在の地図では「宮前ビル」となっていて、1986年9月の竣工。

写真右のマンションは「ハイツ水天宮前」で、戦前、マンションの通りの側には「安藤井筒堂」の店があった。『読んで歩いて日本橋――街と人のドラマ――』(白石孝著、2009.11.21、慶應義塾大学出版2009年、2000円)には、「むかし水天宮のはすむかいに安藤井筒堂という化粧品の店があった。明治30代から大正に、 久留米絣の呉服店があり、その隣に井筒堂があり、周りには菓子屋などが並んでいた。水天宮の一・五・十五日の縁日には万国旗や色提灯を飾りつけ、音楽隊が店頭をにぎわして、「象印歯磨」を景品にして、黒山の人だかり。」とある。井筒堂を引き継いだ「オリジナル」のHPには大正初期に建てた社屋の写真が載っている。レンガ造らしい3階建ての立派なビルだ。

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