平沢理髪店。日本橋蛎殻町1-29。1987(昭和62)年5月31日
新大橋通りから日本橋特別出張所のほうへ入ってすぐのところ。写真左奥の建設中のビルは新大橋通りの交差店角の堀内商店(食品)があったところで、共和園(茶)や戦前はミルクホールで戦後は喫茶店だった店などの家があった。平沢理髪店は戦前からあるようだ。
カースル産業。日本橋蛎殻町1-30。1987(昭和62)年5月
平沢理髪店のある四つ角の別の角である。写真右へ行くと日本橋特別出張所。銅板貼りの家は磯島畳店。
四軒長屋(高橋菓子店)。中央区日本橋蛎殻町1-33。1985(昭和60)年10月10日
これも新大橋通りから日本橋特別出張所のほうへ入って、出張所からさらに箱崎町のほうへ行ったところ。看板に「コーヒー」とあるから喫茶店もやっているのかもしれない。
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4軒並んだ中で極端に狭い角店、仕舞た屋になっていますが、店舗付き住宅です。ときわやさんは、もともと下駄職人で歯入れなどの修理が本業でしたが、戦後はおかみさんが息子さん(養子)と二人暮らしで、販売を続けていました。息子さんが職を得て他所にいった後もおかみさんが一人で営業をしていましたが、1970年頃? 亡くなられました。
1階角の部分は陳列、正面(西側)は狭い入り口、陳列の左(北側)も入り口になっていて、中は狭いながらも下駄やの店構えでした。地図を見るとわかりますが、この角は直角ではなく鋭角になっています。他の3軒は長方形の間取りですが、角店は奥に行くほど狭くなり、どんづまりが狭いトイレになっていました。奥の勝手口から入ったところが台所。店との間に狭い茶の間があって、その辺から急角度の梯子段があって2階へ。2階は2畳1室だったようです。
ときわや履物店とは商売上のお付き合いがあったわけですね。建物も人もなくなって、世間一般にはどうでもいいのかもしれませんが、kzs様のコメントの内容は私にはたいへん興味深いものです。昭和30年頃の地図に「田中ハキモノ」の記載がありました。
で、お菓子の シベリア がガラスケースの中に鎮座していました。
私より年上でしたが、時々家に来て勉強を教えてもらいました