ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




竹河岸ビル。中央区京橋3-5。1985(昭和60)年9月8日

このビルの裏手は京橋川で、「竹河岸」というのは京橋(橋)と白魚橋までの北側の河岸地の名称だった。川の対岸は白魚河岸。もちろん大震災前のことで、町名は炭町といった。京橋川を埋め立てる以前には京橋と白魚橋の間に、炭谷橋が架かっていた。戦前土木絵葉書ライブラリ>橋梁で昭和6年3月の炭谷橋開通記念絵葉書を見ることが出来る。その中央に写っているビルが竹河岸ビルと京橋警察署に違いない。
写真右の塀は警察博物館を取り壊した跡。旧京橋警察署だった古いビルは撮影しそこねた。
京橋川の埋立ては昭和34年からで、昭和37年頃では渡辺橋(外堀通り)-紺屋橋と新京橋(昭和通り)-桜橋間は埋立てられている。京橋(橋)の撤去は昭和41年2月10日。



竹河岸ビル上部。1986(昭和61)年12月30日

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コメント
 
 
 
Unknown (暗渠好き)
2020-09-16 15:11:22
こんにちは。
文中の「京橋(橋)の撤去は昭和41年2月10日」というのは、どんな資料に記載されているのでしょうか? 調べてみたいので、お教え頂けたら幸いです。
 
 
 
>暗渠好き様 (流一)
2020-09-18 09:35:39
京橋撤去の日付をどこから持ってきたのか分かりません。典拠をしっかり書いておけばよかったのですが、自分の記憶力を過信していたようです。
『中央区>広報誌「区のお知らせ」>平成29年3月』
https://www.city.chuo.lg.jp/kusei/kohokotyo/koho/h28/290301/01_01/index.html
に、「昭和41年1月|「京橋」撤去」とありますから、そのへんなのは確かのようです。
工事が1日で完了するわけはないので、いつのことを言っているのかも問題ですね。
 
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