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法務省本館。千代田区霞が関1-1。1986(昭和61)年8月17日(1~4枚目)
5枚目の写真を除いて、法務省本館として使われていた時代の写真である。戦災で内部を焼失し、1951年に修復された時の姿だ。
1886(明治19)年、第1次伊藤博文内閣の外務大臣井上馨は官庁集計画を内閣に臨時建設局を設置して実行に移す。外交の課題である不平等条約改正のためには、外国に文明国であることを示す必要があると考えたからだ。鹿鳴館の第2弾といっていいかもしれない。ドイツからヘルマン・エンデとヴィルヘルム・ベックマンを招致して都市計画と主な建物の設計を依頼する。二人は共同で設計事務所を持つドイツ建築界の大物だ。ところが井上の条約改正案は政府の一部や国民から猛反発を受けて、井上は辞任し計画も頓挫する。1890年には臨時建設局は廃止され、エンデとベックマンは首に。工事中だった大審院(最高裁判所)と司法省(法務省)は1895(明治28)年に完成する。
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ドイツ・ネオバロック様式とされている。エンデとベックマンが帰国した後は河合浩蔵という司法省の技師が中心になって工事が進められたらしい。河合は官庁集計画に伴って、妻木頼黄、渡辺譲とともにドイツに留学している。
「昭和の改修」による変更点は、1)建物の外壁の高さを2m低くし、2)二面のバルコニーの石造りの列柱を撤去し、3)屋根の勾配をゆるくして瓦葺きにする、となっている。
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法務省赤レンガ棟。2007(平成19)年9月11日
1988(平成3)年から明治の竣工時の姿に復元する工事が始められ、1994(平成6)年に完成した。図面が残っていたのかと思っていたが、関東大震災でほとんど失っていて、写真などから復元されたらしい。
屋根が改修されたのが目立つが、建物中央部の2階前面の窓が取り外されてベランダに直されている。
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初めてお邪魔します。
貴重な写真の数々・・・
興味深く拝見しました。
法務省赤レンガ・・・圧巻ですね。
修復保存されて何よりです。
「圧巻」とは恐れ入ります。昭和の改修の姿などは現在の復元された姿があればあまり意味がないのかもしれませんが、「昭和の記憶」のようなものです。
貴ブログ「窓の図鑑」の「旧司法庁」の写真はすばらしいと思います。ただ「法務省」の字がないと検索にかからないのでもったいないのでは? 余計なことを言ったかも。