つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

皐月→水無月、雨期前の津幡町。

2023年05月31日 20時00分00秒 | 自然
                         
きのう(2023/05/30)気象庁は九州南部の梅雨入りを発表。
これで沖縄から東海地方までが同様となった。
四国・中国・近畿・東海は平年に比べ6~8日早い。
わが北陸の場合6月7日頃がシーズンインの平均値。
どう推移するかは分からないが、晴天が広がる今のうちにと考え、
「河北潟(かほくがた)」を散策してみた。

拙ブログには度々登場する河北潟。
石川県のほぼ中央に位置し、金沢市、内灘町、かほく市、津幡町、
2市2町にまたがる県内一の大きな水辺である。
しかし、その水面は往時の1/3あまり。
2/3は、戦後、国の干拓事業によっておよそ1,100haの農地になった。
当初は稲作としての利用が主目的だったが、減反政策により方向転換。
米(加工用)、麦、大豆、野菜、果物、畜産物など様々なものが生産されている。







上掲画像、上から順に---
麦秋を迎えた麦畑。
田植え後間もない水田。
蓮根田。
かつて多様な水域を有する水郷地帯が広がり「蓮湖(れんこ)」と呼ばれたほどだから、
きっと水生植物の蓮(はす)も多く自生していただろう。
現在は地域ブランド野菜「加賀れんこん」の産地でもある。



干拓が完工した昭和60年(1985年)、
干拓地のイメージアップを目的に植えられたメタセコイアが立派な並木になっている。
農道の両側、2メートル間隔に並ぶ木の数は270本。
冬になると、枝に降り積もる雪景色。
夏は木陰を涼風が通り抜け、秋には紅葉が楽しめる。



蛇足ながら、メタセコイアは針葉樹だが落葉性。
6,500 万年前~200万年前の地層から変わらぬ姿が出土していて
「生きている化石」とも言われる。



大木の袂には「蕪夜蛾(カブラヤガ)」の捕獲装置。
ちょうど装置内の粘着シートを取り換えにきていた方に話を聞いたところ
河北潟での生息調査用とのこと。
灰褐色の成虫は花の蜜が主な餌だが、
幼虫は様々な植物を食べ、農作物に被害を及ぼすことから重要害虫とされている。
今時は大豆が標的になるそうだ。



干拓地の夏の風物詩「ひまわり村」は、まだ開村前。
毎年7月下旬から8月上旬にかけ咲き誇る35万本は影も形もない。
看板横ではトラクターが土を耕し準備中。



掘り起こした土の中にいる虫やミミズを狙ってか、何羽もの猛禽が飛来。
ノスリやチュウヒだ。
トラクターの進行に合わせて周囲の低空を移動しながら、
時折、舞い降りてきて地面を啄む姿が見受けられた。
ちなみに河北潟は、晩秋から初冬にかけガンやカモ、チドリ、コハクチョウなど、
渡り鳥が羽を休めるためバードウォッチングも盛んなスポットである。

やがて訪れる雨期が過ぎれば、夏。
きっと目にする景色も大きく違っているだろう。
                         
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スターウォーズ最終決戦。<追記>

2023年05月29日 08時00分00秒 | 賭けたり競ったり
                  
※以下本文:5月28日午前11時投稿 末尾に追記アリ

今夕、福岡県 遠賀郡 芦屋町の「芦屋競艇場」に於いて今年2つ目のSG競走、
「第50回 ボートレースオールスター」優勝戦が行われる。
ファン投票で選ばれた者と推薦枠あわせて52名、
綺羅星の如き人気レーサーたちが一堂に会し覇を争ってきた。
5日間の激戦を勝ち抜き、最後のピットへ舳先を進める6戦士は以下の通り。

1号艇:石野 貴之(大阪)
2号艇:濱野谷 憲吾(東京)
3号艇:倉持 莉々(東京)
4号艇:深谷 知博(静岡)
5号艇:山田 康二(佐賀)
6号艇:瓜生 正義(福岡)

--- 正直、こんな組み合わせになるとは思いもしていなかった。
予選トップ3で生き残ったのは「石野」のみ。
つまり準優勝戦は、穏やかではなかったということである。



昨日の10Rは2つの波乱が起こった。
一つ目は、3号艇が痛恨のフライング。
スタートを切った直後に戦線離脱が決まる。
更に、この勇み足は二つ目の波乱を演出。
フライングが場内に掲示される前、3号艇が内側を叩く体制でファーストターン。
それを1号艇が捨て身の迎撃ブロック。
1と3が激しくぶつかり、勢い余った1はターンマークに接触。
バランスを失い水面に投げ出されてしまった。
そして、その直後、事故現場をすり抜けた5号艇がトップに躍り出る。
ハンドルを握るのは女子レーサー「倉持莉々」。
モーターパワーと軽量を利して、鮮やかなターンを繰り出し激戦を制した。



昨日の12Rは一発勝負が実った。
スタートスリットは、5号艇がトップ。
ずば抜けて速いわけではなく、1~4号艇が遅いのだ。
特に隣の4号艇はドカ遅れ。
5号艇がその隙を見逃すわけはなく一気に捲りに出た。
他艇の抵抗をものともせず、気合の握りマイが炸裂。
煽りを食った1号艇が、あわや転覆の危ないシーンもあった。



コケかけた1号艇を駆っていたのは個人的なイチ推しレーサー「毒島」。
何とか立て直してゴール。
幸い怪我はなかったようだが着順は6番。
今節は予選トップ通過を果たし優勝最有力と見られていた。
僕もそう思っていた。
だが勝負に絶対はない。
僕も彼もここで涙を呑んだ。



冒頭で記載した通り優勝戦1号艇は“浪速の快男児”石野貴之。
きのうの11Rをキッチリ制し、強敵が次々と脱落して転がり込んできたポールポジション。
流れは最高にいい。
“東都のエース”濱野谷憲吾、“福岡のドン”瓜生正義らに挟まれ、
29歳の女子レーサー“東都のプリンセス”倉持莉々が偉業にチャレンジする。
果たして最後に笑うのは誰か?!
ファンファーレは、本日(2023/05/28)午後4時40分。
ネットでもTVでも生中継アリ
都合と時間が許せば、是非観戦してください!!

※以下追記:5月29日午前8時投稿
                              
<完勝と敢闘と二つ共に在り。>




スターウォーズの勝者となったのは「石野貴之」だった。
速くなり過ぎず、遅きに失しない「負けないスタート」を切り真っ先に逃走を図ると、
ファーストターンで後続をあっという間に振り切ってゴールまで駆け抜けた。
勝つべく人が勝った文字通りの“完勝”である。
--- が、もしもこのレースに「毒島」と「茅原」がいたら、
きのう涙を呑んだツートップがいたら、と考えてしまう。
三強による三つ巴の戦いが観たかった。



スターウォーズの敗者で最も輝きを放った星は「倉持莉々」だった。
石野の牙城を脅かすまではいかなかったが、
他の強豪と抜き抜かれつ火花が散るような真っ向勝負。
観ていて胸が熱くなった。
文字通りの“敢闘”と言っていい。
元水球日本代表、整った容姿。
17歳で患ったがんを克服してプロレーサーに。
何かと話題に事欠かない彼女だが、その実力はとても高い。
今後が楽しみである。

おめでとう、石野!
ありがとう、倉持!

              
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幼気(いたいけ)と歴史を包む情熱のアロマ。

2023年05月27日 10時10分10秒 | 手すさびにて候。
                             
僕は、ほゞ毎日「コーヒー」を飲む。
朝、起きぬけに2~3杯。
午前と午後に、1杯づつ。
一日4~5杯飲むのが常。
苦手な方もいるだろうが、個人的には大のコーヒー好きである。

原体験は、小学校高学年の頃に飲んだモカマタリ。
有体に言って「金持ちの友人」宅へお邪魔した際、
ショートケーキと「奇妙な飲み物」が供された。
彼は、これがコーヒーだと言う。

『ええっ!?コーヒー牛乳もコーヒーガムも茶色やないか。
 えらく黒いコイツは、温めたコーラみたいや』

コーヒー嗜好のない家で育った田舎の子供は、
初めて接する「本物」に戸惑いを禁じ得ない一方、興味もそそられた。
原因はカップから湯気と共に立ち上る匂い。
不思議な薫香に誘われ、ついに口へ運ぶ。

最初に舌が感じたのは、強い苦味。
しかしそれだけではない。
甘味、酸味、ピーナッツやチョコレートに似たコク。
幾つものテイストが一気に押し寄せてきた。
何と複雑で豊かなんだと思い飲み下すと、暫くして身体の変調を覚える。
手足の末端がじいんと痺れ、意識が冴えてくるではないか。
まったく驚いた。
美味しくて得体の知れないパワーを秘めたもの。
そんな印象を抱かせたコーヒーとの出会いは、どことなくこのヒット曲に似ているのである。

ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 第二百二十五弾『コーヒールンバ』。


                    


『コーヒールンバ』は、前掲「西田佐知子(にしだ・さちこ)」氏の他、
「ザ・ピーナッツ」「井上陽水」「福山雅治」「荻野目洋子」ら多くがカバーしてきた。
つまりは、日本で人気のナンバーと言っていいだろう。

原曲のタイトルは『Moliendo café(モリエンド・カフェ)』。 
対訳すると「コーヒーを挽きながら」。
南米・ベネズエラで発表されたオリジナルはエキゾチックな日本語詞と趣きが異なる。
農園で苛酷な労働に従事する若者が、恋に想いを馳せながら、貧しい己の現状を嘆きながら、
夜通しコーヒーミルで豆を挽いている情景を歌ったもので、哀愁漂うブルースに近い。
だが歴史を紐解いてみると、日本版にある「アラブ」の関わりが深いようだ。

コーヒーはアフリカ・エチオピア原産。
現地では、古くから葉や果実を煮たり炒めたりして食べていた。
それがイスラム文化圏にもたらされて以降、
宗教儀式の際の秘薬や、高官貴族の強壮剤として用いられる。
やがて時代が下ると一般でも愛飲されるようになり、世界中へ広まっていった。

--- さて、現在コーヒー豆の生産量世界一はブラジル。
その過程には、こんなエピソードがある。

前述のとおりコーヒーのルーツはアフリカ。
南米大陸に伝わり、フランス領ギアナで栽培が始まった18世紀当初、
隣国・ブラジルにはコーヒーの木は1本もなかった。
何とかギアナに負けない産地にしたいと考えたていたものの、
苗木や種は厳しく管理され、国外への持ち出しは固く禁じられていた。

そんな頃、両国の間に国境問題が持ち上がり、調停使節団を乗せたブラジルの軍艦がギアナに入港。
その船には『コーヒーの苗木を入手しろ!』…と、密命を帯びた海軍中尉が乗り込んでいた。
政治交渉は順調に進んだ。
片や裏工作は思うようにいかない。
困り果てた男は、現地で恋に落ちた相手、ギアナ総領事夫人に自分の使命を打ち明ける。
そして、別れの前夜。
晩餐会の席で、女は男に大きな花束を手渡した。
美しい花の中に数本のコーヒーの苗木を隠して。

2人のロマンスは実ることはなかったが、
秘密のプレゼントはアマゾンの河口で実を結ぶ。
コーヒー大国の起源は「南の国の情熱のアロマ」だった。
という奇譚である。
                           
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越後見聞録~上越・春日山。

2023年05月22日 09時09分09秒 | 旅行
                         
新潟県への1泊2日小旅行記、続篇。
                                  
2日目の行き先は上越市。
ここは、今年・昨年と足を運んでいて三度目の訪問。
<参考リンク:上越高田。~男たちの趨勢と女たちの志。(2022/03)
      :立春、上越にて①。(2023/02)>
過去はいずれも冬季だったため行きそびれていた場所があった。
それは“越後の龍”---「上杉謙信」の居城「春日山城」址。
往く手を雪に阻まれ登る事が叶わなかった城址へ、満を持してアタックである。
                              

                                      
まずは春日山城の概要を知っておきたい。
【複雑な自然の地形を巧みに利用した春日山城の堅固な城塞は、
 難攻不落の天下の名城といわれました。
 現在も、空堀や土塁、大井戸など山城の特徴が残ります。
 屋敷や空堀が展開する山の裾野に、
 延長1.2kmにも及ぶ堀と土塁で総構が築かれている点が大きな特徴です。】
(※【  】内「にいがた観光ナビ」より引用/抜粋)

上掲画像、地図の中ほど、白丸で囲った駐車場から上部星印・本丸天守台まで。
息を切らせて中世の山城を歩いてみた。


山の中腹に立つ上杉謙信公の銅像。
その目線は、上越市街地~日本海を見渡す。
昭和44年(1969年)のNHK大河ドラマ『天と地と』の放映にあたり制作された。
ちなみにドラマで主人公・謙信役を演じたのは「石坂浩二」氏。
大河初のカラー作品で、平均視聴率25%、最高視聴率32.4%を記録した。


防御機能の1つ「塹壕(空堀)」。
野戦の際、敵の進軍を食い止めたり、あえてここを通らせ横矢・横槍を掛けたりする。


同じく敵の侵入を拒む工夫「虎口(こぐち)」。
通路をジグザグに曲げ、すんなり入れなくしておいて飛び道具を使う。
高位置からの攻撃で攻め手が難儀するのは自明の理だ。


上杉謙信が出陣前に戦勝を祈願した「毘沙門堂」。
彼の戦における強さを称え、軍神と呼ばれるようになったのは、
深く信仰していた仏教四天王の1柱、武神「毘沙門天」の化身とされたことに由来する。

ちなみに謙信は生涯妻帯しなかった。
実子(後継ぎ)を作らないのは、当時、極めてレアケース。
その理由の1つに「貴種憂慮」がある。
毘沙門天の血を引く者を世に残すと、将来、幕府や皇室に反旗を翻す勢力に担がれ、
災いの種になりかねないと考えたとか。
また、強さの秘訣としてストイックに徹したとか。
実はゲイだったとか。
実は女性だったとか。
乱世のスーパースターだけに創作の題材にもなりやすく、諸説アリだ。


「天守台」から見た「本丸跡」。
画像では分かりにくいだろうが、山城の規模の大きさに比べ天辺は意外なほどに狭い。
近世の城、例えば大阪城・熊本城・姫路城の天守閣や櫓(やぐら)など、
大きくて重い建物を築くためには、広い敷地と頑丈な土台が必要。
山の地形を利用した石垣のない土づくりの城では、建物は小さくなってしまう。

また、戦国期に於ける大名と家臣の関係は、
絶対君主と従者というより、軍団リーダーと兵員マネージャーに近い。
上意下達の縦組織ではない故に、大名のいる所と有力家臣の屋敷に大差を設けず、
城郭は本丸を中心にしたデザインではなかった。


それにしても、吹き抜ける風が心地よく、眺めもいい。
日本海や頸城平野、それを取り巻く山並みも一望できる。
改めて、戦・統治の拠点に相応しいと実感した。

--- 汗をかきかき歩くこと、およそ1時間半。
遺構を見て回り、歴史の妄想を逞しくしながら楽しい時間を過ごすことができた。
そして、もう1つのハイライト「春日山神社」を見聞する。



【山形県米沢市の上杉神社より分霊され、謙信公を祭神に祀った神社です。
 明治34年(1901年)に、童話作家・小川未明の父である小川澄晴によって創建されました。
 日本近代郵便の父・前島密も援助したといわれています。
 直線的でがっしりとした神明造の社殿は見応えがあり、
 境内に隣接する春日山神社記念館には、謙信公の遺品・資料などが展示されています。
 また、小川未明の「雲のごとく」の詩が刻まれた石碑や、
 童話をモチーフにした石像なども見ることができます。】
(※【  】内「上越観光Navi」より引用/抜粋)

上越生まれの童話作家「小川未明(おがわ・みめい)」氏には、個人的に感慨を抱いている。
<参考リンク:立春、上越にて②~仄暗き淵に佇む文学~(2023/02)
      :仄暗き近代御伽草子。(2023/03)>
春日山神社は、彼が15歳頃~20歳頃まで暮らしたゆかりの地。
未明文学の根幹をなす要素だ。


詩碑「雲の如く」。

雲の如く 高く
くものごとく かがやき
雲のごとく とらわれず

人気(ひとけ)の少ない春日山での少年時代。
遥か日本海を展望する景観の中で彼の目は雲の高みへと引き上げられ、
あらゆる事象を俯瞰する素養が備わった。
一方、辺りの自然と向き合うことで、物言わぬ樹々や地を這う虫に心を寄り添わせた。
前述の大河ドラマではないが、この場所で育まれた「天と地の視点」こそ、
後の童話作家の礎(いしずえ)になった。
--- そんな風に考えるのである。



境内には、作家の父母を弔うモニュメントがある。
「小川澄晴千代之霊碑」の裏には、次の言葉が刻まれていた。

故山長へに父母を埋めて 我が詩魂日本海の波とならん

小川未明は大学進学後、生活と活動の拠点を東京に置き、東京で没した。
だがその志向は、中央ではなく地方。
生涯、心に郷土・上越を抱いていたのだと思う。


                        
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越後見聞録~中越・柏崎。

2023年05月20日 16時30分00秒 | 旅行
                        
先日、新潟県へ1泊2日の小旅行に出かけた。

初日の行き先は中越の西端に位置する「柏崎(かしわざき)市」。
初訪問である。
新潟県の海岸沿いのほぼ中央に位置し、刈羽三山に囲まれた刈羽平野にあって、
新潟県内では6番目の人口(2022年現在)を擁する。
--- という程度の浅い知識しか持たない僕は、まず「柏崎市立博物館」へ。
地域の姿を把握し旅の軸を探したいと考えたのだ。



展示を通じ、柏崎の象徴が“米山(よねやま)”だと知る。
刈羽と頚城の境にそびえ立つ標高993mの美しい山は、
地元では「米山さん」と呼ばれて親しまれているらしい。
古くから病除け、五穀豊穣、海上安全など、山岳信仰の対象となり、
子供たち(かつては男児だけ)が大人への通過儀礼として登った。
今も米山登山が定番の学校行事との事。
僕もチャレンジしたい気はしたが、時間、装備、心構え共に不足。
あっさり断念した。



次に目を引いたのが“地下資源”。
館内では「軽井川南遺跡群総まくり ―古代の鉄づくりを知る」と題し、
かつて盛んに行われた鉄づくりの様子を紹介していた。
この周辺からは8世紀~12世紀(奈良~鎌倉時代)の製鉄遺跡が30以上も出土。
柏崎は、まさに古代日本の製鉄コンビナートだったのである。



また近代の柏崎は“大産油地”だった。
市街近郊で噴油した「西山油田」は、新潟市の新津、秋田の八橋と並ぶ日本三大油田の1つ。
明治32年(1889年)当時最大の規模を誇る製油所が建設された。
大小企業の製油所が乱立、一時は40数社を数え、
大正末期までオイルラッシュに沸く。
--- 余談ながら上記画像赤丸で囲ったロゴマークは、日本石油(現ENEOSの前身)のそれ。
デザインの由来は「コウモリ」。
長岡で開かれた創立パーティに1匹のコウモリが舞い込んだのがキッカケだとか。

西山における石油の歴史は古い。
「日本書紀」に『越の国より「燃える水、燃える土」を献上した』と記されていて、
何と、その時分の採取地が現存しているという。
俄然、興味を掻き立てられた僕は博物館を後にし、一路山間を目指した。



ハンドルを握りおよそ40分。
幹線道を外れて入った脇道はどんどん先細り。
自動車一台が通るのがやっと。
道端にとても小さな案内看板はあるものの、進むほどに不安は募る。
『ホントにこの道でいいのかよ?!』
『どこまでクルマで行けるんだ??』
そんな事を考えながら、ゆっくり慎重に走っていると--- あった!



看板前に駐車し、歩道を奥へ進む。
辺りに漂うオイル臭が次第に強くなる。
やがて、地底から滲み出た原油で土壌が黒く変色した一角に辿り着いた。





その匂いのため「臭水」「臭生水」「草生水」(くそうず)などと呼ばれた燃える液体は、
灯火として、水をはじく性質が防腐剤として、
また皮膚疾患の薬としても利用された。
江戸時代、石油の湧出量に応じ農地なみの税金がかけられたと聞く。
それだけ珍しいモノだったのである。

古代の製鉄コンビナート。
近代は石油コンビナートとして機能した柏崎は、
現代のエネルギー基地を目指した。
原子炉に火が入ってから、もう40年近くが経つ。



821万kW強の発電出力を誇る「柏崎刈羽原発」は、世界最大規模の原子力発電所。
敷地面積は420万㎡。
早苗が風に揺れる水田地帯を抜けた先の海岸線に鉄条網で覆われたフェンスが続いていた。
2021年にテロ対策上の重大な問題が相次いで明らかになり、
2023年5月現在も運転を禁止されている。

おいそれと捨てられない巨大な坩堝の今後はどうなるのだろうか?



--- さて今投稿最後は、中越B級グルメの話題。
“スパゲッティ風焼きそば”「イタリアン」である。
下越・新潟市近辺では「みかづき」。
中越・長岡市などでは「フレンド」。
いずれもチェーン店のメニューで知られるイタリアンは、
昭和30年代半ばソース焼きそばを参考に考案され、
スパゲッティナポリタンに対抗してネーミングされたという。

甘めの薄味ソースをまとった肉なし焼きそばの上に、
たっぷりのトマトケチャップミートソース。
ギョーザは、ニンニク抜きで皮がもっちり。
どちらも決して上品とは言い難いが、二度、三度と食べたくなる味わい。
ボリュームもあって旨いっス!
ごちそうさまでした!

越後見聞録、次回へ続く。
                       
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