つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡町・倶利伽羅へござっさい。

2018年10月28日 16時04分51秒 | 日記
石川と富山の県境近くにある、津幡町・竹橋(たけのはし)
かつて、加賀藩から交通・物資運搬の拠点に指定され、
本陣、旅籠、伝馬問屋などのインフラが整い、宿駅(しゅくえき)として栄えた。
現在は、道の駅「倶利伽羅源平の郷(くりからげんぺいのさと)」が設置されている。
そこで、本日(平成30年10月28日)開催されたのが「くりからござっさい祭り」だ。

名称の「ござっさい」とは、地元の方言で「よく来て下さいました」の意。
竹橋地区で採れた新鮮な農産物の販売を始め、津幡町特産の販売やフリーマーケットが並び、
広場のステージでは、太鼓演奏をはじめとした伝統芸能が披露された。

僕も一杯100円の「マコモ汁」を購入。
サツマイモ、ネギ、蒟蒻、ニンジン、豚肉、「マコモタケ」が入った、
塩味のメッタ汁といったところか。
美味しくいただき、曇天の下、身体が温まった。

「マコモタケ」は、津幡町の特産。
イネ科マコモ属の多年草で、古くから食用にされてきた。
クセがなく、若いタケノコのような食感と仄かな甘みが特徴である。

さて、同所には、宿泊や入浴、レストラン、研修施設などを伴う
「倶利伽羅塾(くりからじゅく)」がある。
お祭りのお陰もあって、人の波が引きも切らない。
お土産の一番人気は「倶利伽羅そば」だそうである。

喉越しが良く、コシの強い「倶利迦羅そば」には、
地元の倶利伽羅山で採れた山ゴボウの葉っぱが練り込まれている。
機会があれば、ご賞味ください。

そして、道の駅の裏手には、
倶利迦羅不動寺(くりからふどうじ)西之坊鳳凰殿(にしのぼうほうおうでん)が控える。
今年「開山1300年」の節目を迎えた「倶利迦羅不動寺」。
名刹にかつてあったとされる「弘法大師」建立物の復興事業として、
平成10年(1998年)に建てられた。
台湾ヒノキを用い、平安時代の寝殿造りの様式を取り入れた、
左右75メートルの壮大な木造建築。
一見の価値ありです。

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再会、タフガイ。

2018年10月27日 10時19分51秒 | 自然
一週間前は「日本晴れ」。
列島上空は高気圧が制し、雲一つない青空が広がっていた。
今日の予報は「雨時々曇り」。
低気圧が日本海をかき回し、遥か南海の台風が太平洋にうねりを起こしている。
一週間前、とある屋外イベントの仕事があった。
『先週で良かった。』・・・と胸を撫で下ろしている。

さて、そのイベントの開催地は、わが津幡町より40キロメートル余り南下した、
南加賀の中核都市・小松市。
白山(はくさん)連峰に源を発し、同市内を流れる梯川(かけはしがわ)の土手で、
懐かしい生き物と再会した。
「アカテガニ」である。

日本国内には、多くの蟹類が生息している。
ズワイガニ、ガザミ(ワタリガニ)、ケガニ、モクズガニ、サワガニなど、
食用として流通するのは、氷山の一角。
およそ800種を数える彼等の生息域は広い。
淡水域~汽水域~潮間帯~浅海から深海までもがテリトリー。
しかし、陸上を主な活動の場にするのは、本州ではコイツくらいかもしれない。

蟹の中でも乾燥に適応した「アカテガニ」は、水辺からある程度離れても大丈夫。
海岸、河口は言うに及ばず、湿地や標高の高い山間の森林でも姿を観止める。
浮力に助けられる水中に比べ、陸の移動は大変。
起伏に富んだ地形を乗り越えるためか?
コイツは「縦歩き」もこなす。
要するに、逞しいのである。

僕が子供だった頃、「アカテガニ」を捕りに連れていってもらった。
目的地は富山県だったと思うが、よく覚えていない。
大人達が『ここは火力発電所の近くで、温排水があるから蟹がいるんだ』などと、
話していた気がする。

朧気な記憶の中で、唯一ハッキリしているのは、
蟹を入れた青いポリバケツの中。
幾匹も折り重なってガサガサと蠢く様子をのぞき込む度、
一斉に真っ赤なハサミを振りかざした。
『囚われの身にはなったが、心まで支配されていないぞ!』
と言わんばかりに。

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幻の戦隊。 ~ 五族協和。

2018年10月24日 22時53分53秒 | 手すさびにて候。
向かって左から蒙・満・朝・漢・日。
ほんの手すさび、手慰み。
不定期イラスト連載・第九十八弾は「五族」の女性たち。

例えば「白浪五人男」、「三銃士」、「美少女戦士セーラームーン」。
そして「秘密戦隊ゴレンジャー」。
それぞれの役割とキャラクターが際立った複数の主役級が核となって織りなす、
涙あり、笑いあり、アクションありの勧善懲悪ストーリーは、人の心を掴んできた。

・・・少々乱暴に言う。
旧日本陸軍(関東軍)が、血と汗と涙と金を費やして
現在の中国東北部に造った「満州国」は、戦前の日本人にとって、
どこか「スーパー戦隊」に似た高揚感があったのかもしれない。

「満州国」には、2つのスローガンが掲げられた。
@一つは「王道楽土」。
 徳による統治、「王道」が築く安楽な大地。
 日本の3倍以上の面積を持つ広大なユートピア。
 という宣伝文句を掲げた国策によって、多くの邦人が入植した。
@もう一つは「五族協和」。
 清朝最後の皇帝「愛新覚羅溥儀」いわゆるラスト・エンペラーを御輿に担ぎ、
 五族・・・漢民族・満州民族・蒙古民族・朝鮮民族・日本民族が、
 共に手を取り合って生きるという訳だ。

“満州は新天地であり理想郷”。
先達たちがそう考えたとしても無理はない。
今の尺度で計ってはいけない。
帝国主義の時代だったのだ。
様々な思いと、夢と、事情を抱えながらも、大陸に活路を見出し、ロマンを抱いて、
「満州戦隊ゴゾクレンジャー」の一員となるべく海を渡ったケースは、
少なくなかったと想像する。

国際連盟は認めなかったが、
日本、ドイツ、イタリア、タイ、ビルマなど、およそ20の国と地域が承認した満州国。
しかし、建国を宣言してから僅か13年あまり後、
大日本帝国の崩壊を以て、地図の上から姿を消す。
やはり早急に過ぎた。
余りにも強引すぎた。
無理があったのだ。

彼の地に於ける混乱と悲劇は、ご存知の通り。
日本の敗戦後、引き揚げの際に20万人以上の日本人が命を落とし、
数多の残留孤児を生んだ。
ソ連によって60万人以上がシベリアに抑留され、
極寒の地に於ける死者は6万人を超えた。
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津幡短信vol.52

2018年10月20日 11時43分03秒 | 津幡短信。
津幡町に関するよしなしごとを簡潔にお届けする不定期通信。
今回はコチラの3本。

【本日、どまんなかフェスタ。】
本日(10/20)午後2時より、津幡町のど真ん中「四ツ角交差点」~「おやど橋」周辺にて
「どまんなかフェスタ2018」が開催される。
今朝、現地を通りかかってみると、準備の真っ最中。

津幡町中心商店街を盛り上げようと始まった「どまんなかフェスタ」。
環境に配慮した間伐材活用の石川高専建築学科のベンチコンテスト。
ふれあいテント市や大抽選会、バンド演奏、ダンス。
町内と近隣グルメ屋台も出る。
また、町ゼミよろしく、ドライフラワー・和菓子作り・カクテル教室などの
各種体験プランも用意してあるそうだ。
お時間と都合が許せば、是非、お出掛けを。


【アルプラザ津幡店お色直し。】
少し以前から「アルプラザ津幡」がキレイになっている。

食品売り場はより明るく、よりメニューが豊富に。
同じ1階フロアのファッション店舗も充実。
2階は、まだ改装の途上である。

過去投稿に詳しい「スーパーマーケット激戦区」の津幡町。
皆、頑張っているのだ。

【大将、間もなくリ・オープン。】
同じ「アルプラ」駐車場の一角にある「カルビ大将」も現在工事中。
10/26の新装開店に向けて、準備が進んでいる。
昔に比べ、わが町の外食店も随分と増えた。
より良い充実を願っている。


<津幡短信vol.52>
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看板娘は、古希目前。 ~ 不二家のペコちゃん。

2018年10月18日 08時14分20秒 | 手すさびにて候。
実は、ここのところ不定期イラスト連載は、連作になっている。
いずれも“企業キャラクター”の擬人化。
前々回は、キユーピー株式会社の「キューピー」。
前回は、スガキコシステムズ株式会社の「スーちゃん」。
ほんの手すさび、手慰み。
第九十七弾は、株式会社不二家から「ペコちゃん」。

@失恋を連想しほんの少し割るのをためらった「ハートチョコレート」。
@斬新な形状、尖った先から食べたい「パラソルチョコレート」。
@往時はジャム入り、特にバナナが好きだった「LOOKチョコレート」
@アーリーアメリカンの雰囲気も美味しい「カントリーマアム」。
@トロミが食感の妙「ネクター」。

いつも身近で、心躍った「不二家」の味は、多くがロングセラーとなっているが、
やはり、外せないのは「ミルキー」である。

白いミルキーは、昭和26年(1951年)、「ママの味」をコンセプトに誕生した。
ベースは、水あめ・練乳・砂糖。
口中で転がすと、舌の上で広がるミルクの風味。
より強い甘味を求めて噛みしだくと、歯にくっつくのもご愛敬。
今や、日本のスタンダードとなった飴菓子にとって「ペコちゃん」の存在は大きい。

彼女は、元々「ミルキー専属」の発想から生まれた。
時代が巡っても、パッケージから「ペコちゃん」が消える事はない。
まさに“看板娘”である。
そのプロフィールは「不二家」HPによると以下の通り。

@位置づけ:お菓子が大好きな女の子。
@年齢:永遠の6歳。
@身長:100センチ。
@体重:15キロ。
@名前の由来:“子牛”の愛称「べこ」を西洋風にアレンジしたもの。。
@性格:明るく元気。
@誕生した年:昭和25年(1950年)、不二家の店頭人形としてデビュー。
@チャームポイント:ほっぺに出している舌。
(※不二家HPより抜粋、一部割愛)

なかなか可愛らしい女の子。
大人になったら、さぞかし美人だろうと考え、今拙作を思いついた次第である。
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