つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

光が強ければ、影もまた濃くなる。

2021年07月31日 21時21分21秒 | 日記
                  
今朝、僕はある「言葉」を胸に散歩へ出かけ、
日中、同じ「言葉」を胸にスマホカメラを構えた。
撮影場所は、ご近所の桜並木前の歩道だ。

<210731朝05:22撮影>


<210731昼11:58撮影>


時間を違え、同地点でシャッターを切ってみると、
太陽の位置によって光と影が創る風景は異なる。
敢えてこんな比較をしてみようと考えたのは、
最近よく頭を過ぎる「言葉」がキッカケだった。

『光が強ければ、影もまた濃くなる。』

18~19世紀にかけ生きた多才なドイツ人、
「ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ」が遺した「言葉」だ。
詩人であり小説家、法律家。
さらに、哲学者にして政治家。
地理や考古学、色彩など自然科学にも造詣が深い。

人は、明るく照らされているところだけを見てしまいがちだが、
その裏に、同じ濃度の影があることを忘れてはならない。
光だけを追い求めて影の存在をないがしろにすれば、やがて光明は失せる。
光と影は、いつも表裏一体。
物事は多角的に捉え、本質を見落さない、見誤らないよう注意せよ。

--- そんな意が込められているのだが、
最近、僕は違う意でよくこの「言葉」を思い浮かべてしまう。

連日、長時間に亘って報道されているとおり、
東京オリンピックでは日本のメダルラッシュが続いている。
その合間に差し挟まれる「新型コロナ感染爆発」のニュース。
「医療体制崩壊」「緊急事態宣言延長」「まん延防止適用」--- 。
日本人選手たちが奮闘・活躍・躍動し放つ輝きが眩しくなるほど、
心に落ちる影の色は濃くなってゆく。
(強調しておきたいが、あくまでも個人的な心象風景のハナシである)

東京都で過去最多4058人の感染確認 初の4000人超え
新たに110人感染 時短要請、繰り上げへ 石川


この現実を招いた元凶は五輪なのだろうか。
デルタ株という新たな脅威のせいだろうか。
よく耳にするように政治が悪いのだろうか。
どうやらワクチンは切り札ではなさそうだ。
我々はより自らを律する必要がありそうだ。

今投稿は、やはり「ゲーテ」が遺した「別の言葉」で結びとしよう。

『楽しめるときは楽しめ。
 耐えなければならないときは耐えろ。』

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賭けたり、競ったり、泣き笑いしたり。

2021年07月25日 20時14分00秒 | 賭けたり競ったり
               
今夕、競艇SGレース「第26回 オーシャンカップ」が優勝戦を終えた。
舞台は福岡県・芦屋町の「芦屋競艇場」である。

芦屋町の人口は1万3千人強。
令和2年度の年間歳入、82億円強。
ちなみに、僕が暮らす津幡町の人口は3万7千人あまり。
令和2年度の年間歳入、155億円程度。
両町の人口はおよそ3倍の開きがあるが、予算規模の差は倍以下。
事情は様々あるだろうが、
芦屋町にとって町施工・運営の競艇事業が果たす役割は小さくない。
今年度は7億円の収益事業収入を見込んでいるらしい。

ちょいと生臭い話題だが、我々ファンの投票は競艇場を持つ行政に貢献しているのだ。
--- という書き出しをしてみた次第である(笑)。
(ミニボートピア津幡の運営は津幡町ではないが、少し実入りがある)



さて「オーシャンカップ」。
最終日に至るまでには数々のドラマがあった。

優勝候補がフライングに散った。
“王者”の異名を持つレーサーが、違反判定に涙を呑んだ。
個人的にエールを送る“ポイズンキラー”は、転覆から立ち直れなかった。
また、予選を突破し準優勝戦まで辿り着いた女子レーサー2名に注目が集まったが、
優勝戦進出はならず。
夢は次回以降に持ち越しとなった。

そして、5日間に亘る激闘を勝ち抜き最後のピットに舳先を進めたのは、以下の6戦士。

1号艇:浜野谷憲吾(はまのや・けんご/東京)
2号艇:馬場貴也(ばば・よしや/滋賀)
3号艇:瓜生正義(うりゅう・まさよし/福岡)
4号艇:篠崎元志(しのざき・もとし/福岡)
5号艇:峰 竜太(みね・りゅうた/佐賀)
6号艇:平本真之(ひらもと・まさゆき/愛知)



戦前、僕は、1と2と6が頭一つ抜けていると見ていた。
だが、競艇はいついかなる時も1は最も有利な位置で6は最も不利。
1か2の争いになるだろうと予想していた。
だが、本番前のお披露目走行で、6号艇「チルト2度設定」を見て軽く震えた。

『平本、やる気なんや!』

詳しい説明は割愛するが、それは勝負手を選んだという事。
サッカーなら、ゴールを空にしてキーパーも参加する全員攻撃。
野球なら、三振かホームランかのフルスイング。
陸上競技なら、後半失速上等の大逃げスタートダッシュ。
---大成功か大失敗か。そんな「覚悟」の表れである。

結局、投票したのは3種類。
126三連単BOX(126の3つで上位3着以内独占)。
12-12-3456(一着二着は1か2、三着はそれ以外)。
6頭の二連単流し(6だけが一着、二着はどれでもいい)。

ファンファーレが鳴った。
スタート直後、まず6の仕掛けが失敗した。
伸びて他艇を捲り潰そうとしたが、5の捨て身のブロックに止められ万事休す。
5と6は戦線を離脱した。
最初のターンでは、1が真っ先に回る。
2が、3と4をけん制しつつその内懐を実に鋭く差し込む。
バックストレートは1と2の競合いになるも、1が抜け出し勝負あり。

『どうやら配当は低いが、的中だな』

---と胸を撫で下ろした直後、2つ目のターンで2が流れて大回り。
その間に3と4が先んじて、1-3-4でゴール。

僕の舟券は紙屑になった。
期待のレーサーも破れ残念無念である。
しかし、この47歳の笑顔を見て嬉しくなった。



「浜野谷」は、14年ぶりのSG制覇。
彼が所属する東京支部としても、時を同じくする久々の戴冠。
東都のエースがグランプリ戦線に帰ってきた。

おめでとう!
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刹那の眩しい季節。~ 一葉と美登里。

2021年07月24日 14時00分00秒 | 手すさびにて候。
               
普段よく目にする5千円札に描かれた肖像画---「樋口一葉」。
近代日本女流作家のパイオニアの代表作が「たけくらべ」だ。
その書き出しは以下のとおり。

【廻れば大門の見返り柳 いと長けれど
 お歯ぐろ溝に燈火うつる三階の騒ぎも手に取る如く
 明けくれなしの車の行来に はかり知られぬ全盛をうらなひて】

古文に近い雅文体(がぶんたい)のため、現代人には分かり難い。
僕なりの意訳と注釈を加えて紹介するならこんな感じだろうか。

<迂回して行けば、大門(おおもん※1)外の見返り柳(※2)までは、それなりに遠い。
 お歯ぐろ溝(おはぐろどぶ※3)を照らす妓楼から聞こえる騒ぎは、
 手に取るほどに近く感じる。
 四六時中行き交う人力車を見ても、その全盛ぶりが窺える。>

※1:吉原遊郭唯一の出入り口に設けられた門。
※2:大門傍に生えた柳の木。吉原を出た客が後ろ髪を引かれながら振り返った。
※3:遊郭を囲む堀。汚水が流れ遊女の逃亡防止にも一役買った。

「たけくらべ」とは「丈比べ」。
幼馴染みが互いの背の高さを比べ合い、競い合いながら育つ様子を表している。
即ち、吉原界隈に暮らす早熟な少年少女たちの青春ストーリーという訳だ。

ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 第百七十八弾は「一葉と美登里」。



「樋口一葉」は、明治5年(1872年)樋口家の次女として東京に生まれた。
「一葉」はペンネーム。本名は「奈津」という。
父は東京府庁に勤務する傍ら、不動産売買などの副業もこなすやり手。
裕福な家に育った少女は、小学生の頃から読書好きで進学を望んでいたが、
母から「女は学問不要」と強く反対される。
一方、父は味方になり、通信教育で和歌を学ばせてくれた。
早くから文才の片りんを見せていたという。

運命が大きく転換したのは彼女が17歳の時。
事業に失敗した父が、多額の負債を残し他界。
大黒柱がいなくなり「一葉」は火の車の樋口家を背負う羽目に。
現代の感覚で言えば、まだ高校生に過ぎない若年である。
母と妹と3人で針仕事などの内職に従事するも、生活費をまかなうには不十分。
吉原遊郭近くで生活道具と駄菓子を売る雑貨店を開いたが、
借金は減るどころか増える一方。

『もうコツコツ働くだけでは挽回できそうにない。何かいい方法はないだろうか』

悩んだ末に思い至ったのが小説だった。
ヒット作をものにできれば、人生を逆転できるかもしれない。
題材に選んだのは、吉原付近に住む人々。
裕福な文学少女のままでは気付きもしなかったであろう市井の息遣い、
日常を綴ってみようと筆を執り、わずか一年余りの間に11もの作品を書き上げた。
後に“奇跡の14ヶ月”と呼ばれる創作爆発の中で燦然と輝きを放つのが
「たけくらべ」といえる。

主人公は14歳の美少女「美登利(みどり)」。
売れっ子遊女の姉のおかげで暮らし向きは豊か。
「美登里」も姉の馴染み客から小遣いをもらい懐は温かい。
友達に大盤振る舞いしたり、気風が良くて勝気な言動が目に付いた。
まだ年端もいかない子供であることを思えばいい傾向ではなかったが、
誰も咎める者はいなかった。
そう遠くない将来、姉と同じ職に就き、
死ぬまで大門の外に出られないことを知っているからだ。

苦界に生きる定めを背負う少女が、オンナになるまでの短い青春を描き、
その悲哀、心に秘めた強さやプライドも鮮やかに切り取った「たけくらべ」は絶賛を集める。
「樋口一葉」の名は一気に広まり、執筆依頼が殺到。
ついに報われる時が来た---かと思われた。
しかし、彼女の肉体には悪魔が巣食っていた。
当時は不治の病、肺結核の末期だった。

明治29年(1896年)「樋口一葉」没。
24歳の若さだった。
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あを(青)き夏。

2021年07月23日 21時43分43秒 | 日記
              
『 一点の 偽りもなく 青田あり 』

作者「山口 誓子(やまぐち・せいし)」は、京都出身の俳人。
季語は「青田」。
イネの葉先が風に揺れ、見渡す限り広がる青々とした水田。
その草原のような美しさに感動して詠んだ歌だという。



今朝、散歩中に青田を眺めていると、稲の花が咲いていることに気付く。
籾の中から出ているのが雄しべ。
雌しべは籾の中にあり、外からは見えない。
咲いている時間はわずか1時間ほど。
この短時間に受粉を終える。
雌しべに付いた花粉は、すぐに花粉管を伸ばし受精を行い、
終わるとすぐに閉じてしまう。
だから稲の花に出会えたのは、ある意味ラッキーだったかもしれない。

--- さて、根元の水が見えないほど葉を伸ばした稲田を、
「緑田」ではなく「青田」とするのは、奇妙な気もする。
歩を進めるうち、他の似た好例を見かけた。



熟す前のまだ固い柿の実は「緑柿」ではなく「青柿」。
夏の季語でもある。

色の名前は単体でも使い、「~い」で終わる形容詞としても使う。
考えてみると、それに相応しい色は「4つ」しかない。
即ち「赤」「青」「黒」「白」。
「赤い帯」「青い帯」「黒い帯」「白い帯」とは言うが、
「緑い帯」「黄い帯」とは言わない。
対になる表現、重複する表現(副詞)に当て嵌まるのも「4大色」。
紅白、白黒、赤々と、青々と、白々(しらじら)と、黒々と--- 。

こうした特別性から、古い日本語における色の表現は、
「4大色に限られていたのではないか」と推測されるそうだ。
平安期以前、和歌においては「あを」が青いものにも、緑のものにも用いられている。
つまり「青は緑を含む広範囲をカバーしていた」のだ。
ちなみに紫色や灰色も「あを」の一部だったという。

その長い歴史的な背景から、僕らの生活の中にも混用は少なくない。
進めを示す緑の信号は「青信号」。
緑色の葉のことを「青葉」。
緑色の野菜を「青菜」。
緑色の虫は「青虫」。

正しいか間違っているかと問われれば、間違いだ。
しかし、日本人の歴史的な色彩感覚の名残と考えれば愛しい。
鷹揚さも心地いいと感じるのは、僕が古い人間だからだろうか。

--- などと思いを巡らせて振り返った空は、
青々として実に美しかった。


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津幡町のオリンピック+夏相撲。

2021年07月22日 21時17分17秒 | 日記
           


今夏の「東京2020オリンピック競技大会」開幕に歩調を合わせ、
津幡町ふるさと歴史館 れきしる」にて企画展「津幡町のオリンピック」がスタート。
お誘いをいただき本日お邪魔してきた。

館内の企画展示室に入ると、まず目が行くのは、わが町ゆかりのオリンピアンに関する品々。
正直、僕が知る該当選手は、前回「リオ大会」の女子レスリング金メダリストのみ。
この観覧を機に初めて「齊藤 和夫(さいとう・かずお)」氏の功績に接する。



画像向かって右端、赤いブレザーと白いパンツ・紅白キャップが、
「齊藤」氏より町に寄贈されたオリンピック公式ユニフォーム。
その足元のパネルには経歴、活躍の様子が記されている。 一部抜粋要約して紹介したい。

【津幡町 字 潟端(かたばた)出身
 齊藤和夫氏は、オリンピックに昭和39年(1964)東京大会、
 昭和43年(1968)メキシコ大会に2大会連続50km競歩
 五輪代表として出場。 東京大会では土砂降りの雨に体力を奪われながらも、
 自己ベストに9分遅れ4時間43分1秒、25位でゴール。
 続くメキシコでは暑さと高地の悪条件の中、17位と健闘した。】




代わっては「東京2020」の代表選手「川井姉妹」に関する展示の数々。
57キロ級「川井 梨紗子(かわい・りさこ)」選手(姉)。
62キロ級「川井 友香子(かわい・ゆかこ)」選手(妹)。
ご両名は津幡町・緑が丘出身である。
ご本人の望みでもあると思うが、メダルに手が届けば嬉しい限り。
しかし、体重管理がつきまとう階級制競技は維持管理も大変だろう。
加えて、新型コロナ感染拡大(爆発の方が正しいか)のさ中であり、
運営面も人事で何やらバタバタしていて不穏な雰囲気が漂っている。
まずは、ケガなく、罹患なくを最優先して欲しいと思う。



「れきしる」では、入場者各位に特製缶バッジを進呈している。
一人1個でお願いします。

---さて、今回の企画展では「東京大会1964」にまつわる資料も少なくない。
僕にとっては生まれる前年の事であり、リアルタイムではないが、
だからこそ「歴史的イベント」として、それを味わうのはなかなか楽しい。


昭和38年(1963年)リリース「東京五輪音頭」 のドーナツ盤。
作詞「宮田隆」。作曲「古賀政男」。
公式テーマソングで、多くの競演作(三橋美智也、橋幸夫、坂本九など)だが、
知名度の高さは「三波春夫」版に軍配が上がるのではないだろうか。




昭和39年10月10日発行の「公民官報つばた」には聖火が駆け抜けた模様を掲載。
一部抜粋、こちらは原文ママ紹介したい。

【ギリシャのオリンピアを出発した聖火は、十月一日、午前九時四十分三十秒、
 絶好の秋晴れの日和に恵まれ、金沢市から本町第一中継地点、
 八幡バス停留所手前十メートルのところで、久世町長、酒井議長ら、本町有志数百名。
 更に“この日のために”をかなでる津幡中学校ブラスバンドに迎えられて、
 上杉正走者(輪島出身)に引き継がれた。<中略>
 小中学生、高校生、一般合わせて約八千人、
 すき間なく埋められた歓迎の小旗に迎えられ<中略> 県境の天田峠で無事引き継がれた。
 この聖火に、斉藤君ガンバレの願をこめた人も何人かあっただろう。】

「この日のために」は、国主導で制作された東京オリンピック国民歌。
斉藤君は、前述の競歩代表「齊藤選手」のこと。

いやはや、熱烈歓迎とはこの事だ。
聖火到着時間を秒単位まで計測するあたり、前のめりの意気込みが窺える。
時代が違うからとも言えるが、やはり時代が「健全」じゃないとこうはいかない。
果たして聖火リレーを封印せざるを得なかった「2020」の行方は?
大会後の日本があらぬ方向へ向かわないことを願うばかりである。

もちろん企画展はそんな憂慮とは無関係だ。
他にも色んな展示がある。
都合と時間が許す方は「れきしる」へ出かけてみてはいかがだろうか。



もう一つ「れきしる」ロビー受付前のスペースでは、
津幡町の夏の風物詩についての展示も行われている。
「全国選抜社会人相撲選手権大会」は、日本相撲連盟公認のタイトル戦で、
安土・桃山時代に起源を持つ「八朔(はっさく)大相撲」を
昭和45年(1970年)に改めたとされる。
令和元年・五十回記念大会以降、去年、今年と2年続けてコロナ禍の影響で中止になった。





撮影角度を変えて上掲した2枚の画像は、
昭和29年(1954年)の「八朔大相撲」の様子。
最後列まで鈴なりの人だかりが分かるだろうか。
目の前で写真をじっくり眺めて欲しい。
土俵を囲む熱気や現場の空気、観客の風体などから時代を読み解き追体験するのは、
大いに価値ありとお伝えしておきたい。
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