つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

威厳に満ちた、恩返し。

2021年08月30日 07時55分00秒 | 賭けたり競ったり
               


愛知県・蒲郡競艇場に於いて開催された「SG 第67回 ボートレース・メモリアル」。
夏の掉尾を飾る艇界ビッグレースで優勝し、勝利の女神から白百合の花を受け取ったのは、
1号艇で乗艇した「原田幸哉(はらだ・ゆきや)」だった。

スタート隊形は、皆、獲得した自分の位置に収まり、
前に動いたり、後ろに引いたりしない穏やかな枠なり3対3。
「原田」は、コンマ04。
トップで鼻を切った。
節イチモーターを駆るレーサーが「完璧だった」と振り返るほどのスタート。
これでは、他は手も足も出ない。
--- と、思った刹那、2号艇の「平本真之」が渾身の差しハンドル!







黒いカポックの意地の一刺し!
確かに内懐へ食込んだ。
僕は、正直「平本」に、この攻めは無理だろうと思っていた。
ここまで切り込むことはできないだろうと考えていただけに、舌を巻いた。
流石!お見事!
が、しかし。
やはり「原田」の機力が一枚も二枚も上だった。



バックストレートで「平本」を突き放し、置き去りにして、堂々の逃走。
真っ先にゴールを駆け抜けた。
強かった。

勝利者インタビューに涙はなかったが、
ようやく恩返しができたと、何度も口にした「原田」。
蒲郡はデビューの地であり、元々、彼のホーム水面だった。
今は、沖縄在住で長崎支部に所属しているが、生まれは愛知県である。

12歳の時、蒲郡でのレースを観戦し憧れを抱いた少年がプロになり、
一番多くの練習を重ね、育ててもらった場所でSGを勝つことができた。
デビューから26年の時を経た、達成。
それは、一つの夢が叶った瞬間だった。

おめでとう!原田!


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賭けたり、競ったり、威厳に満ちたり。

2021年08月29日 14時00分00秒 | 賭けたり競ったり
                    
競艇の監督官庁は「国土交通省」だ。
その関係なのか?僕が足しげく通う「ミニボートピア津幡」は、
津幡町と富山県・小矢部市を結ぶバイパス沿いにある。
投票に勤しんでいたら、時折、こんなアナウンスを聞くことも珍しくない。

『津幡署から近くでクマの目撃情報があったと連絡がありました。
 お帰りの際は、十分にお気を付けください。』



山を切り拓いて開発されたエリアだけに、周囲には多くの自然が残っているのだ。
蝉の声、虫の音、鳥の囀り(さえずり)はよく聞こえ、季節を感じるが、
クマの咆哮は勘弁してもらいたいと思う。

さて、そんな「ミニボートピア津幡」への行き来の際、
最近、目に留まるのが白い花。
ちょうど今、自生の「テッポウユリ」が盛りを迎えている。



日本には15種類のユリの固有種が存在するという。
「テッポウユリ」もそれにあたる。
花の形が、銃口が開いた形状の「ラッパ銃」に似ていることから名が付いたらしい。

複数ある花言葉の1つが「威厳」。
堂々として厳(おごそ)かな様子を指す表現を与える対象は、
どの分野であってもチャンピオンこそ相応しいだろう。
--- 今宵、艇界では、威厳に満ちた夏の王者が決定する。



愛知県・蒲郡競艇場に於いて開催中の「SG 第67回 ボートレース・メモリアル」
5日間に亘る激闘を勝ち抜き、最終決戦に舳先を進めたのは、以下の6名。

1号艇:原田幸哉(長崎/愛知出身)
2号艇:平本真之(愛知)
3号艇:白井英治(山口)
4号艇:池田浩二(愛知)
5号艇:濱野谷憲吾(東京)
6号艇:丸野一樹(滋賀)



ゆうべの準優勝戦3つのレースは、すべてイン逃げ。
配当的には波乱の少ない順当決着だった。
ただ、それぞれドラマはあった。

出足に不安を抱える「白井」は、スタートやや出遅れ。
隣の舟のモーターにもう少し力があって、捲りに行っていたら、
結果は変わっていたかもしれない。

機力に劣る「平本」は、危うく差し切られるところだったが、
地元らしい気合とテクニックで、辛くも乗り切った。

ただ一人「原田」の勝ちっぷりは、他を寄せ付けない文字通りの「圧勝」。
2着入線は‌意外なダークホース。
骨折の大怪我から復帰し、最下位で予選を通過した若武者が勝ち上がった。

僕がエールを送る「毒島 誠」は3着で涙を呑んだ。
前述の「白井を捲れなかった」のが「毒島」。
2着が手に入りそうなシーンはあったものの、やはり機力差が出たと思う。
残念無念だが致し方ない。
このリアルがすべて。
次の奮起を期待したい。



さぁ、決戦だ!
勝利の女神から白百合の花を受け取るのは、一体誰だ!?

『やっぱ「原田」かな~。
 「白井」が突っかけてグシャグシャにならないかな~。
 「丸野」に頑張って欲しいな~』

 (※りくすけ、心の声)


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2021、夏。

2021年08月28日 15時05分05秒 | 日記
                
僕の傍らには、いつもラジオが置いてある。
こうして作文する時など、聞きながら過す。

今朝、まだ夜明け前。
ラジオの電源を入れ、パソコンを立ち上げ、
キーボードを叩き始め、珈琲を一口含んだ。
少し空気を入替えようと思い、窓を開けた。
途端に押し寄せるエンマコオロギの大合唱。
ラジオが聴き取りにくくなるほどの音量だ。
否応なく秋が近づいていることを実感した。

さて、季節が過ぎようとしている本日は、夏に撮影した画像をまとめてみよう。
今年の夏は、新型コロナ感染拡大を憂慮し、どこへも出かけなかった。
紹介するのは、すべて町内の散歩中にシャッターを切ったものばかり。
これもまた、2021年の夏らしいと言えるかもしれない。



まずは、個人的“夏の象徴”の感ある「入道雲」。
大きく発達した濃密な雲は、地表と上空の温度差から起こる上昇気流で生じる。
太陽から降り注ぐ熱量が多い季節、夏に現れやすい。
雲頂までの高さ、雲の厚さ共に1キロメートルオーバーも珍しくない。
いやはやビッグサイズである。
--- そして、その下では黄色く大きな花が咲く。



向日葵の ゆさりともせぬ 重たさよ - 北原白秋

向日葵の花は堂々として重量感がある。
そよ風程度では揺らがず、逞しい。
夏の花の主役に相応しい。







この夏の散歩中、たくさんの生き物に出合った。
上から順に簡潔に記す。
「ノコギリカミキリ」→ 触角がノコギリの歯のような「鋸歯状」。
「雨蛙」→ 言わずと知れたカエルの代表種。ブロック塀と似た保護色。
「シオカラトンボ」→ まだ若い雄。体色の青が薄い。
--- そして、夏昆虫の王様はやはりコレだ。



ひつぱれる 糸まつすぐや 甲虫 - 高野素十

子供のころ、オスの大きな角に糸をつけ、
反対側の糸の端を固定して引っ張らせて遊んだ。
力持ちのカブトムシが引く力はなかなか強い。
ピンと張った糸の様子からは、緊張感も伝わる。
この歌は、昭和の夏休みのワンシーンを思い起こさせてくれるのだ。



蝉の抜け殻を意味する「空蝉(うつせみ)」。
「源氏物語」第三帖の巻名にもなっていて、多くの俳句に季語として詠み込まれている。
僕が好きな歌は、次の一句だ。

ぬけがらの 君うつせみの うつつなや - 正岡子規

「うつつなや」は儚げなことを深く感じている様子。
蝉の抜け殻をみた「子規」は、成虫の短い命へ思いを馳せ、
有限の時と、現実世界の無常を詠んだ。



わが津幡町にとって、夏のビッグニュースは「姉妹ゴールドメダリスト」だろう。
コロナ禍でなければ、いろいろ行事ごともあっただろうに。
快挙を祝う張り紙と、ワクチン集団接種案内が同居。
ある意味「劇的」ではある。

折しもきのう(2021/08/27)、姉「梨紗子」選手が結婚を発表。
スポーツ紙の記事は
『3年後のパリは、人生の伴侶とともに目指す』と‏結ばれている。
決断するのはご本人だが、競技引退後の人生は長い。
無理はしないように願っている。



この夏は、一度も本場へ行かず仕舞い。
「ミニボートピア津幡」での投票に終始した。
何とも寂しい限りだが、致し方ない。

8月初旬、静岡県・浜名湖競艇場を舞台にした真夏の女王決定戦
「PG1 レディース・チャンピオンシップ」は「遠藤エミ」が涙の初戴冠。
僕の舟券も的中した。

現在、愛知県・蒲郡競艇場に於いて、
「SG 第67回 ボートレース・メモリアル」が行われている。
夏の掉尾を飾る艇界のビッグレース、今夜はその準優勝戦だ。
幸い「毒島」が生き残っている。
何とかここを突破して、明日の優勝戦へ舳先を進めて欲しい。
心からそう願い、銭を張るつもりだ。
コメント (4)
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津幡町・倶利伽羅奇譚。

2021年08月22日 16時58分58秒 | 日記
             
わが津幡町には「倶利伽羅(くりから)」と呼ばれる地区がある。
「角川日本地名大辞典」によれば、越中(えっちゅう/富山県)と境を分ける峠に、
倶利迦羅竜王を本尊とする「倶利迦羅堂(不動尊)」があったためその名が付いた。
「倶利伽羅」とは、インドの古典サンスクリット語に由来。
「龍」や「黒龍」を指し、不動明王の化身とされた。



およそ1週間前、同地を訪れてみた。
上掲画像は、山深い一帯に拓かれた棚田。
よく晴れた日の景色もいいだろうが、高い湿度は別の趣を与える。
濡れた緑 。
木々の間から立ち上る水煙 。
全体が薄い水のベールで覆われたような質感は雨中ならではだ。

さて、今日は、倶利伽羅・北横根区に伝わる2つの伝説を紹介したい。



道路際から少し高くなった向こうには「御手洗(みたらし)の池」がある。

『「聖徳太子像」お隠れ伝説の池
 この池にはかつて聖徳太子の像が石棺に入れて水中に沈められていた時期があった。
 像は現在、富山県 砺波市 宮村の景完教寺(けいかんきょうじ)に奉(たてまつ)られ、
 年に1度御開帳される秘像です。
 木造で高さ約50センチの孝養像(こうようぞう※)です。
 (※太子が16歳の時、父・用明天皇の病気平癒を祈った説話を元にした姿)

 1300年頃に同寺を開いた僧「了通(りょうつう?/原文フリガナなし)」が、
 太子像を奉持し横根村(現在の北横根)に隠住していました。
 戦国時代に戦乱を避けて、この像を越中の同寺からゆかりの北横根へ運びましたが、
 追っ手が迫り、やむを得ず石棺に入れて池の底に隠したと伝えられています。
 その後、天正年間(1573〜1592年)に太子像は池から引き上げられ、
 14代明法が油田中村(砺波市)に移った後の慶長年間に移奉したといわれています』

                  (津幡町観光ガイドより抜粋引用/加筆)



「聖徳太子」は言わずと知れた古代日本史のスーパースター。
長らく1万円札の肖像デザインとしても使われていたからご存じだろう。
ここ北陸で信仰者が多い「浄土真宗」開祖「親鸞(しんらん)」が、
「聖徳太子」を“日本の釈迦”と仰いだからか、各地に残された太子像は多い。
津幡町にも、他に伝説をまとった太子像が安置されている。



代わっては、津幡町の特産「おまんあずき」にまつわる悲しい伝説。

『藩政期に西砺波郡 埴生村のため池「埴生の大池」の堤防が崩れて、
 付近の田んぼが水没し、家まで流される大災害が相次ぎました。
 当時、埴生村 大字 綾子村の村役だった八十嶋家のお手伝いとして働いていた
 「おまん」という娘が、この決壊を食い止めようと、
 堤防工事で人柱(ひとばしら※)となりました。
 (※工事の無事を祈り、神に供える生贄として土中や水底に埋められる人)
 以来、決壊はなくなり、無事に米が収穫できるようになりました。

 おまんが生前に腰にぶら下げていた籠からあずき豆が落ち、
 大池の縁に自生したいわれ、農民たちはこのあずきに娘の姿を重ね合わせ、
 感謝を込めて「おまんあずき」と呼ぶようになったといわれています。
 倶利迦羅不動寺境内には、おまんを偲ぶ地蔵が安置されています。』

                  (津幡町観光ガイドより抜粋引用/加筆)



「おまんあずき」は1粒の大きさが4ミリ程度。
通常のあずき豆に比べ小粒で、表面は黒く中身が乳白色。
古代あずきの一種と考えられるらしい。
菓子・製菓材料の大手メーカー「井村屋グループ」HPによれば、
日本のあずきは中国からの渡来と信じられてきたが、
ごく最近のDNA研究では、遺伝的に別系統で進化したようだと報告されているんだとか。
「おまんあずき」も、そうした日本固有種なのかもしれない。



倶利伽羅の山間で栽培される様子は、霧の演出も手伝って「雰囲気」がある。
「おまん」がなぜ人柱に選ばれてしまったのかは明らかではない。
上記紹介文からは「志願」した節も伺える。
もしそうだとしたら、何とも凄まじい。
非科学的で怖ろしい人身御供の風習は、古来より世界中で行われてきた。
「命がけでやりとげる」「命を張る覚悟で臨む」などと人は時々口にするが、
彼女がホントに命を捧げた土木工事は、
村(コミュニティ)の命運がかかった戦のようなものだったのかもしれない。
果たしてどんなドラマが繰り広げられたのだろうか?!
今とは常識・思考の違う時代の話だ。



その「おまんあずき」、町内で味わうことができる。
住吉公園の近くに建つ「おまん茶屋」が2013年にオープン。
2018年、自家焙煎珈琲「MOCHA STAND」を併設し現在に至る。



僕の家から近く、きのう、コーヒーと餡団子をいただきに訪れた。
「おまんさん、大変美味しゅうございました」
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津幡短信vol.92 ~ 令和参年 処暑目前。

2021年08月21日 14時29分29秒 | 津幡短信。
            
津幡町で見聞した、よしなしごとを簡潔にお届けする不定期通信。
今回の話題は以下の4本。

【サマーカットしました。】

明後日(2021/08/23)は「処暑(しょしょ)」。
陽気とどまりて、初めて退きやまむとすればなり。
残暑厳しい反面、太陽の勢いが徐々に鎮まり朝晩過ごし易くなる時期にあたる。
しかし、今年は様子がおかしい。
8月前半から長雨が続き、日本各地で被害が頻発した。
北陸の空は雲量多く降ったり止んだり。
日中はやや蒸し暑い昨今である。



そんな陽気もあり、わが愛犬「りくすけ」夏恒例のサマーカットしました。
--- 可愛らしくはあるのだが、寄る年波のせいかジジイ顔。
まあ、致し方ない。
大切な散歩パートナーだ、元気で長生きしてくれ。

【休館しています。】



津幡ふるさ歴史館 れきしる」は、休館中。
先回の同カテゴリーでは今月22日までとご案内したが、
石川県のまん延防止延長に伴い、31日⇒9月12日と期間が長くなった。
企画展「津幡町のオリンピック」も観覧できず残念至極。
当初予定期間(~10/17)からの変更はあるのだろうか?
気になるところである。

【静かなお宮。】



コロナ禍でなければ、秋祭りの準備が始まっている頃。
毎年9月中旬に、かつて津幡宿として栄えた津幡四町---
清水、庄、津幡、加賀爪、各々の地域の家々を回り、獅子舞競演が披露される。
旧盆を過ぎたあたりから、毎夜、
笛・太鼓や棒振り(獅子に立ち向かう舞い手)の練習が行われるのが通例。
撮影した「白鳥(しらとり)神社」は、加賀爪白鳥会の鎮守・拠点である。
しかし、今年も祭りは中止。
境内に活気や賑わいの痕跡はなにもない。

【スガイ書店の窓。】

スガイ書店」は、長い歴史を誇る“まちの本屋さん”。
僕も子供時代から足しげく通ってきた。
そのウインドーには、大きく「101周年記念祭」案内が張り出されている。



昨年の100周年祭の時は、現地にお邪魔した。
あれから早や1年、光陰矢の如しである。
お店にとっては新たな1歩となる節目、都合と時間が許せば顔を出そうと思う。



もう一つ「津幡町商工会 女性部」からの知らせが目に留まる。
9月6日(月)~10日(金)にかけ「フードドライブ」を行うそうだ。
家庭で余った食料品を集約し、これをフードバンクや慈善団体などに寄付する活動。
受付場所は「商工会館」、問い合わせ番号から察するに町商工会だろう。
町民の方々は検討してみてはいかがだろうか。

<津幡短信 vol.92>
コメント (2)
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