つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

太陽≒希望 / 平和=希求。

2023年01月30日 23時00分00秒 | 日記
                       
きのう(2023/01/29)日曜日は、とあるイベントの運営で仕事に出かけた。
出発時刻は午前7時半。
それまでに家事諸々を済ませようと、起床したのは夜明け前の午前4時。
天気予報を見ると、弱い雪が一日中降る見込みとのこと。
それは、今どきの日常であり珍しいことではない。
「異変」に気が付いたのは、出勤の身支度を整え始めた頃。
--- 「明るい」のだ。
外に出て、僕は驚いてしまった。



何と空は青一色。
光が世界を包んでいた。
一面に垂れこめる鉛色の雲を見慣れた目には、やけに眩しく鮮やかに映り、
まるで世界に「希望」が溢れているかのような錯覚に囚われた。
闇を駆逐する朝日は常に美しいものだが、
昼尚暗い真冬の北陸のそれは、神々しくすら感じる。

『なるほど太陽を拝みたくなるのも無理はないな』
と、妙に納得してしまったのである。

古代、人は人智を超えた自然・自然現象に対し、尊敬や畏怖を抱いてきた。
特に、農耕を営むようになって以降、
五穀の成長を左右し、豊穣をもたらす「太陽」は重要な存在。
日本、ギリシャ、ペルシャ、ケルト、メソポタミア、エジプト等々---。
「太陽神」が登場する神話を持つ国・地域は少なくなく、洋の東西を問わない。



さて、今回を含め最近の投稿を見返してみると、雪景色ばかり。
まあ冬なのだから致し方ないが、タマには違うものをと考え、
イベント会場に飾られていた色紙を撮影。
故「田中角栄」氏の筆による日中国交正常化を記念した一枚。
「一九七ニ年 九月二十六日 北京にて」。



戦後、日本は1949年に成立していた「中華人民共和国」を、
アメリカに追随して承認せず、台湾の「中華民国」を正当な政権としていた。
朝鮮戦争の勃発を受け、アメリカは日本を西側陣営に組み込むため、
サンフランシスコ講和会議を召集。
同時に「日米安全保障条約」を。
翌年、台湾政府との間で「日華平和条約」を締結。
1950年代から政経分離の原則により大陸との民間貿易が始まるも、
東西冷戦下に於いて、政治的に国交のない状態が長く放置された。

歴史が動いたのは1972年9月25日。
時の総理大臣「田中角栄」が「大平正芳」外務大臣らと共に訪中。
「中華人民共和国」の「周恩来」国務院総理、
「姫鵬飛」外交部長らと国交正常化に関する協議を行った。
そして、数度に渡る首脳間の会談を経て「日中共同声明」が署名された。

前掲、当事者が書いた色紙によれば、
その時、秋の気配が深まる北京の空は晴れ渡っていた。
--- 今からほゞ半世紀前の出来事である。
                    
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冬空の下、生じる差異と忍び寄る危険。

2023年01月28日 20時33分33秒 | 自然
                                
本日(2023/01/28)は、強い寒気の影響で全国的に気温が低い。
九州でも5℃に届かない所が多く、東北北部や北海道は軒並み氷点下。
全国のおよそ4割にあたる地域が、最高気温0℃未満の「真冬日」となった。
天気図を見ると典型的な「西高東低」。
関東地方はよく晴れたお陰で乾燥注意報が発表されているという。
同じ冬でも、こちら北陸とは様相が異なる。

わが津幡町の上空は、時折陽が射すものの厚い雪雲に覆われ、
僕らが生きる下界は、雪に覆われている。



午後4時までの最高気温は1℃。
最低気温は-1℃。
この時期の平均最高気温は6℃とされるから、確かに寒い。
しかし気温差が小さいのは「安定している」とも言え、案外過ごし易い。
積雪量もこの位で済めば御の字だ。

よく天気予報で【平野部で30センチ予想】などと耳にするが、
当然一定ではなく局地的には差異が生じる。
上掲画像は近所で撮影したものだが、少し標高が上がると風景も変化。
低い山を切り拓いて通したバイパス沿いなど、雪の量は明らかに多い。



そして、沿道の木々は降り積もった雪の重みにじっと耐えている。
下方へしなり自然と融け落ちるまで、ただ待っている。
振り払ってくれる者など誰一人いない。
やがて春になれば、真下の地面には沢山の細い枝を見かけることだろう。



これが庭の木になると、待遇が違う。
人間が拵えた「雪吊り」に護られ枝を伸ばす様子は、意気揚々。
同じ「樹木」でも、根を張った場所・立場により生じた差異は大きい。

--- さて、雪による多少の暮らし難さは感じるが、
前述したとおり、今のところわが津幡町の日常に目立った被害はない。
一方、同じ石川県内で大変な苦労をしているところもある。
およそ一週間前から続く寒波により水道管の破裂や漏水が多発。
お隣のかほく市、能登・輪島市、羽咋市、宝達志水町など、
9000世帯あまりで「断水」が発生。
現在も復旧の見通しは立っていない。

日本の水道普及率98%は、世界最高水準。
だが多くは、前回の東京五輪を中心とした高度経済成長期に整備されたもの。
それから半世紀が経過し、耐用限界を超えた水道管は少なくない。
「断水」の危険は他人ごとではないのだ。
                         
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氷点下に広がる美。

2023年01月24日 21時38分38秒 | 自然
                        
“今季最強”の呼び声に違わぬ寒波の影響により、
本日(2023/01/24)から明日にかけ、日本列島の最低気温は軒並み氷点下。
その範囲は、沖縄を除く46都道府県に及ぶらしい。
                       
気象庁によると---
北日本から東日本に-42度以下、西日本には-36度以下の寒気が流入。
報道によれば---
普段、北極域上空に存在する大規模な冷たい空気の渦が分裂し、
一部が東アジアに南下したのが原因とか。
背景には「地球温暖化」に伴う偏西風の蛇行があり、
これによって日本付近に、北からの寒気が入りやすくなっているという。



ここ北陸はと言えば、何しろ「寒い」。
今のところ積雪量が、昨年クリスマス寒波に比べ劣るのは幸いながら、
低温がもたらす影響は小さくない。
車のフロントウインドーが氷結。
地吹雪が吹き抜けるため視界はホワイトアウト。
路面はカチコチのアイスバーンと化す。



そんな不便を強いる代償に、風景はある種の「美」を醸し出す。
色調が減り世界はモノトーンに変化。
まるで水墨山水のようだ。

拙ブログをご覧の皆さまの地域はいかがだろうか?
ともかく、安全と無事を祈っている。
                   
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寒中見舞い。

2023年01月22日 19時19分19秒 | 日記
                          
寒中お見舞い申し上げます。

2月3日までは二十四節気の最終節「大寒(だいかん)」。
本日(2023/01/22)の北陸は割合穏やかな気候ながら、
明後日からは、列島上空に今季最強の寒波襲来!と盛んに耳にします。
日本海側、太平洋側でも大雪に警戒が必要で、寒さも厳しくなる見込み。
どうかお気を付けくださいませ。

さて、江戸時代の浮世絵に描かれた冬の描写を観ますと、
お江戸・日本橋には雪が積もり、富士山も真っ白。
当時、積雪量は多かったようです。
14世紀半ばから19世紀半ばにかけては、いわゆる「小氷期」。
特に江戸時代中期頃は非常に寒かったんだとか。
記録によれば、冬に隅田川が凍結したそうですから、相当なものです。

--- 先人はどうやって寒さを凌いだのか?
気になった僕は、ちょうど「津幡ふるさと歴史館 れきしる」で始まった、
冬の民俗資料展示「暖房器具のいろいろ」へ足を運んでみました。



『家のつくりやうは、夏をむねとすべし。冬はいかなる所にも住まる。
 暑き頃わろき(悪き)住居は、堪へがたき事なり。』

「吉田兼好」が著した『徒然草』の一節にあるように、
満足な冷暖房装置のなかった頃、家は“夏の住みやすさ”を優先。
風通しのよい建物にしないと、暑さや湿気で健康を害する恐れアリ。
冬は厚着や採暖、そして「気合い」で乗り切るのだ!
そんな感じでしょうか?



エアコン、ストーブ、床暖房など夢のまた夢。
空間を暖めるテクノロジーはなく、機密性の低いお家は隙間風がぴゅーぴゅー。
寒さに震える体を温めたい時に使ったのが「火鉢」でした。
その歴史は古く「清少納言」の随筆『枕草子』に「火桶(ひおけ)」が登場します。
燃料は燃焼時間が長く、火力が安定し、煙の出ない木炭。
炭火には輻射効果があるので、小さくても体の芯まで温まり、
火事の危険性も低いという訳です。



また火鉢は、多機能アイテムでした。
暖房器具としてはもちろん、湯を沸かしたり、鍋を煮たり、お餅を焼いたり。
「長火鉢」の本体には引き出しが付いていて、
湿気を嫌う海苔や茶葉、煙草などを収納していました。
なるほど、生活の知恵ですね。

長火鉢を見ていると、置屋の女将が木枠に肘をつき、
煙管を吹かしながら小言を言う時代劇のワンシーンを思い出してしまいました。



時代は下って、昭和。
個人的にノスタルジーを感じるのは「湯たんぽ」、
そして「電気行火(あんか)」でしょうか。
寒い冬の夜、お湯を注ぎタオルでくるんだ湯たんぽが寝床の足元あると安心しましたが、
暖かさが朝までもたないのが玉にキズ。
いつしか役割を担うのが家電に変わり末端の冷たさから解放された時は、
そりゃあ嬉しかったのを覚えています。



掘り炬燵。
置ごたつ。
携帯懐炉。
館内には見かける機会が少なくなった暖房器具が並んでいます。

この民俗資料展示を観覧するといつも同じモノを感じます。
それは「息遣い」。
殆どすべてが「誰かが使った物」ばかり。
人の温もり封じ込めた陳列に、心を動かされてしまうのです。

冬の民俗資料展示「暖房器具のいろいろ」は、3月26日(日)まで開催。
機会と都合が許せば、足元にお気を付けてお出かけになってはいかがでしょうか。

最後に繰り返しになりますが、
拙ブログをご覧の皆さま、どうか寒さに負けずお身体ご自愛くださいませ。
では、また。

令和五年 大寒
りくすけ
                            
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初春まづ 酒に歴史の 匂ひかな

2023年01月21日 23時23分23秒 | 大西山の丘辺に立てば。
                      
今年(2023年)わが母校「津幡小学校」が、創立150年を迎える。

同校では「150周年記念事業」の計画が進行中。
昨年、その節目を側面からサポートしようと卒業生有志による応援団が発足。
僕「りくすけ」も末席に加わり、何度か会合を重ねてきた。
(※今投稿カテゴリー「大西山の丘辺に立てば。」に分類)
年が変わり、いよいよ実務が本格始動。
詳細は次回に譲るが、本日(2023/01/21)応援団長が経営するお店、
お酒とサラダ館の「岩井屋」にお邪魔して打ち合わせをした。





こちらは町の中心部「四ツ角」にあるギフト専門店。
御中元、お歳暮・手土産・出産や結婚の内祝など、各種贈答品を取り扱っているが、
昭和53年頃までは造り酒屋を営んでいて、
今訪問の機会に、往時の面影を垣間見ることができた。


↑酒を硝子瓶に詰める以前、量り売り用の一升・五合徳利。
 背後には酒造りの様子を撮った写真パネル。


↑木の板を円筒状に組み合わせ、竹の箍(たが)をはめた結樽(ゆいだる)。
 一升瓶100本分≒一石はありそうな大きさ。
 輪島塗の漆器を展示するショーケースに転用。





↑造り酒屋営業当時、店先に掲げてあった暖簾。
 「清酒 兼六」には、個人的に少々思い入れがある。
 幼い頃のお使いで、生家近くの酒販店で「兼六」を買い求めた。
 その店は「角打ち」を楽しむ赤ら顔のオジサンたちがたむろしていて、
 顔を出すとよくからかわれたものだ。
 未成年への酒類販売が御法度の今と比べれば隔世の感アリ。

 また「兼六」のロゴを貼ったラベルを見かけなくなり久しいと思っていたが、
 昭和36年~60年まで岩井屋酒造をはじめ、
 6つの蔵が共同で製造販売していた銘柄と伺い納得した。



↑岩井屋酒造のヒット商品「桒酒」(桑酒)の看板。
 桑の樹皮や根を濃く煎じ、その汁を加えて醸造した薬酒は、
 黄金色でハーブのような香りが立ち、甘みがあったという。
 呑んでみたかった。





↑「兼六」以前、岩井屋酒造の主銘柄「喜久鑑(きくかがみ)」のラベルと袋。
 ラベルに描かれた赤い髪のキャラクターは、
 酒を好んだ中国の伝説上の霊獣「猩々(しょうじょう)」。
 日本では酒の精霊として知られる。
 能楽では、酒売りを営む孝行者と出会った猩々が、
 ともに酒を飲み交わしながら舞踊り、酒が湧き出る壺を与えたところ、
 その家は末長く栄えたという演目が有名だ。
 
--- 結びに「松尾芭蕉」の句を掲載。
初春まづ 酒に梅売る 匂ひかな
(しょしゅんまず さけにうめうる においかな)
 初春の梅とお酒の匂いが交じり合い馥郁(ふくいく)と漂うこの里で、
 私は今なんともいえない豊かな気分になっています。
「芭蕉」さん、酒の句が少なくない。
案外、呑兵衛だったのかもしれない。

梅には早い寒中ながら、酒造りのエピソードを拝聴し、
津幡の歴史が香る豊かで充実したひと時を過ごせた。
                
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