つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡短信vol.44

2018年04月30日 12時08分21秒 | 津幡短信。
津幡町に関するよしなしごとを簡潔にお届けする不定期通信。
今回は、コチラの3本。

【ガレージセール的。】
アメリカでよく見かける「ガレージセール」。
自宅の庭先に、要らなくなった家具や食器、洋服などを広げて、
通りすがりの人に買ってもらうリサイクル習慣で、アメリカでは盛んと聞く。
先日「津幡銀座中央商店街」にて、こんな所を発見した。

「ベンリー津幡店」の隣、旧「宗田デンキ」店舗ガラス面に貼り紙各種。
リサイクル品激安販売。
電化製品・DIY用品・フィギュア。
CD・DVD・アクセサリ・ブランド品。…などとある。

なるほど…。
偽りはない。

【草野球。】
定番の散歩コース、ご近所の「住吉公園」できのう草野球が行われていた。

辺りに掛声・打球音が木霊し、歓声を上げながら白球を追うオジサン達。
試合の合間のミーティングも笑顔が絶えない。
実に平和で、のどかである。

【田植え、始まる。】
田起こし、代掻きが終わった田んぼは、大きな水鏡だ。

その風景を眺めながら歩を進めていると、
ゆっくりと農道を往く田植え機とすれ違う。

早苗を運ぶ様子は夏の始まりを告げている。

<津幡短信vol.44>
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津幡の昭和三景。

2018年04月29日 14時57分41秒 | これは昭和と言えるだろう。
幕が開けて間もなく、世界恐慌。
米英・連合国と戦端を開き、敗戦。
荒廃のどん底から這い上がった、高度経済成長。
「昭和」は、よく“激動の時代”と言われる。
振り返ってみると、世界大戦を筆頭に歴史に残る事件や出来事が多く
確かに相応しい形容だと思う。

昭和天皇が没し、平成を迎え30年が経った。
来春には、平成が終わる。
そう考えると、いわゆる「昭和元禄」期に生まれたオッサンとしては、
一抹の寂しさを禁じ得ない。
…という事で「昭和の日」の今日は、
散歩中に発見した「昭和なモノ」を投稿してみよう。

まずは「クリーム・ソーダ」のステッカー。
半世紀以上前に誕生した、50'sファッションの伝説的ショップが発信元のブランド。
中高生だった頃、流行っていたと記憶している。
僕はこの分野に明るくないため詳細は他に譲りたい。
今も健在のようだが、個人的な印象は「昭和の産物」だ。

次は「族仕様」のバイク。
…昭和時分のそれは、もっとハンドルが鋭角で色目も派手。
二輪車そのものが少なった昨今では、見かける機会は少なった絶滅危惧種だ。
♪走り出したら止まらないぜ 土曜の夜の天使さ
 唸る直管 闇を裂き 朝まで全開アクセルオン♪

ラストは、旧・電電公社前の「電話BOX」。
自分自身が公衆電話の受話器を握ったのは、いつだっただろう。
明確に思い出せないほどご無沙汰している。
平成生まれの子たちは、使った事があるのだろうか?
♪人影も見えない午前0時 電話BOXの外は雨
 かけなれたダイアル回しかけて ふと指を止める♪
…という歌の情景が浮かばなくても不思議ではない。

(※2011年6月1日に関連記載アリ)
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大樹を観察、長寿に納得。

2018年04月28日 15時04分30秒 | 自然
植物は、字のごとく「植わった物」だ。
動物のように「動き回る物」ではない。
種が落ちた場所で根を張って、枝葉を伸ばして生きる。
糧は、空気と、水と、土の養分と、太陽光。
それらを自らの力でエネルギーに変えて成長する。
実に「辛抱強い命」だ。
植物の中でも「樹木」は、動物を遥かに凌駕する寿命とサイズを誇るものが珍しくない。
例えばコレ。

おやど橋を覆うかのように、根元から数本に枝分かれし、
 青々と繁っているタブノキは、樹齢700年以上と伝えられています。
 高さ10メートル、幹周り6.3メートルを誇るこのタブノキの巨木は、
 脇本陣の角屋(金子家)の庭に植えられていました。
 おやど橋は度々の水害で架け替えられてきましたが、
 このタブノキは1877(明治10)年の大火の時にも、奇跡的に火災を免れました。
 1921(大正10)年と1962〜1969(昭和37〜44)年の津幡川拡幅の時には、
 対岸のスギやエノキなどは伐採されましたが、
 このタブノキだけは切るに忍びず残されました。
 (※津幡町観光ガイドHPより抜粋、原文ママ)

拙ブログには、度々登場してもらっている「タブノキ」。
今年の冬は、北陸の「重い雪」によってダメージを受けた。
(※過去投稿/2018年3月11日参照)
散歩中、近くを通りかかったので、少々時間をかけて観察してみたところ、
長寿を誇る理由の一端が窺えた気がする。

折れた枝を見限り、枯渇させ、切り捨てようとしている。
あるいは折れた枝が、自らの命運を察して本体からの補給を拒否したのか?

病気か?
虫害か?
事故か?
何らかの原因によって勢いをなくした幹も、同様だ。

一方、新しい芽吹きも絶えない。
長い間、連綿と繰り返されてきたであろう営みを目撃し、
改めて、その逞しさに舌を巻く。
大樹、美樹、老樹の類には、畏敬の念を禁じ得ない。
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The Stranger。 ~ ヤッターマン2号。

2018年04月25日 08時29分21秒 | 手すさびにて候。
ほんの手すさび、手慰み。
不定期イラスト連載・第七十九弾は「ヤッターマン2号」。

1970年代末、フジテレビ系列の毎週土曜日午後6時半から30分枠で、
計108話が放映された勧善懲悪、SFアクションギャグアニメ「ヤッターマン」。
およそ2年に亘り、「ドクロストーン」をめぐって、
「ドロンボー」一味との間で繰り広げられたドタバタ劇の平均視聴率は、20.1%。
その後も、何度かリメイク、実写化が行われている。
人気作の主人公の1人が「ヤッターマン2号」だ。

本名「上成 愛(かみなり・あい)」。 「上成電気店」の一人娘。
身長161cm、12歳という設定だが、やや大人びた印象。
取り分け、黄色のツナギを空に投げ、裏返しに着装し直す変身シーンは、
なかなか色っぽい。
そして、セクシー度は、変身前よりも変身後の方が増す。
素顔よりも「仮面」の方が、ミステリアスだからだ。

主題歌によれば、仮面に隠されているのは「正義の心」だが、
実は、それだけではないように思える。
「ヤッターマン」のオンエア開始と同じタイミング、
昭和52年(1977年)のヒット曲になぞらえてみたい。

静かなピアノに口笛を重ねた59秒のイントロ。
転調してギターリフが始まり、ボーカルが仮面に隠された心の裏側を紡ぎ出す。
Well, we all have a face that we hide away forever
 きっと皆、誰にも見せたことのない素顔を持っている。
 And we take them out and show ourselves when everyone has gone.
 それが現れるのは、独りきりになってから。
 Some are satin, some are steel,
 例えばサテン、あるいは鋼。
 Some are silk and some are leather.
 絹織りや、革製。
 They're the faces of a stranger, But we'd love to try them on.
 どれも見知らぬ仮面ばかりだけど、僕らはそれを付けたがる。』
 (※The Stranger:作詞:Billy Joel / 意訳:りくすけ)

「ビリー・ジョエル」の名曲「ストレンジャー」は、聞き手の胸に刺さり、
「サイモン&ガーファンクル」の「明日に架ける橋」を追い越した。
ヒットメイクの要因は様々だろうが、歌詞の魅力が寄与している事は、
衆目の一致するところだろう。
喜怒哀楽。
妬み恨み。
羞恥失意。
ドロドロと渦巻く感情を仮面に包み隠して、彼女は悪と戦ったのだ。

(※関連記載アリ 2016年10月19日投稿)
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束の間、過去を覗き見る。

2018年04月22日 13時01分21秒 | 日記
視・聴・嗅・味・触。
五感の刺激で、意識が過去へ遡る事がある。
すると、感情が沸き上がる。
戸惑い、恥じらい、哀しみ、興奮。
思い出すシーンによって違いはあるが、
どれも共通しているのは「懐かしさ」だ。

また、主観的な懐かしさではなく、客観的な面白さを伴って、
実体験じゃない過去を想起する事がある。
この場合のキッカケは「視覚」が主。

営業前の「津幡ふるさと歴史館 れきしる」。
正面玄関に掲示されたポスター類は、僕を過去へと誘ってくれた。

GWに向けて館独自の催しや町内イベントも案内されているが、
心に刺さったのは「明治150年」。
アップにしてみよう。

【平成30年(2018年)は、明治元年(1868年)から起算して
 満150年に当たる年です。
 明治以降、近代国民国家への第一歩を踏み出した日本は、
 多岐にわたる近代化への取組を行い、
 国の基本的な形を築き上げていきました。
 また、多くの若者や女性等が海外に留学して知識を吸収し、
 外国人から学んだ知識を活かしつつ、単なる西洋の真似ではない、
 日本の良さや伝統を活かした技術や文化も生み出されました。
 一方で、昨今に目を向ければ、
 人口減少社会の到来や世界経済の不透明感の高まりなど激動の時代を迎え、
 近代化に向けた困難に直面していた明治期と重なっており、
 「明治150年」を節目として、改めて明治期を振り返り、
 将来につなげていくことを目的として、
 政府一体となって関連施策を推進しているところです。】
(※政府広報HPより引用)
…という事らしい。

260年余り続いた江戸から明治へ。
徳川から薩長主導へ。
当時の大転換について考えると眩暈がする。
きっと驚きに満ちていたであろう事は想像に難くない。
勿論、僕は生まれていないが、追体験はできる。

しばし様々な空想に耽ってから歩み始めると、足元に目が留まった。
「…あ、ここは変わってないな。」

このアスファルト面だけは、旧「津幡小学校校舎」が建っていた時のまま。
かつては、鉄筋コンクリートの学び舎の影になり、もっと薄暗かったはず。
そして、先を見遣って、ある映像が脳裏に甦った。

隣接する「清水八幡宮」へ続く小径。
そこを歩く「昔の僕」が見えた気がした。

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