らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

大江神社

2015-07-28 | 地元紹介

昨日ご紹介した「勝鬘院愛染堂(しょうまんいんあいぜんどう)」のすぐ傍には四天王寺七宮の一つ、「大江神社」が鎮座しています。
四天王寺七宮は、聖徳太子が四天王寺を創建した際に、その外護として造営された神社群です。

「大江神社」
大江神社は四天王寺の乾(いぬい=戌亥=西北)に位置していたことから、江戸時代では「乾社」と呼ばれ、更に、毘沙門天を祀っていたので、「毘沙門堂」とも言われています。
聖徳太子によって建立され、上之宮・小儀・土塔・河堀・堀越・久保、そして当社・乾と共に四天王寺七宮のうちのひとつです。



「拝殿」
御由緒によれば、当神社は、上之宮、小儀、土塔、河堀、堀越、久保の各社と共に天王寺七宮と云われ、四天王寺の鎮守として聖徳太子が祀られたものと伝えられています。
当社は、天王寺北村の産土神(うぶすながみ)で豊受大神(とようけのおおかみ)を祭祀としています。
社名は大江岸(おおえのきし)に続いた社地であったところから大江神社となりました。
先の戦争にて絵馬堂と神器庫を残しすべて焼失しましたが、昭和38年、氏子崇敬者により本殿、拝殿が復興されました



 「本殿」
祭神は豊受大神(とようけのおおかみ)、素盞嗚尊(すさのおのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと:大国主命)、少彦名命(すくなびこなのみこと)、欽明天皇(きんめいてんのう)です。
当社の御祭神である豊受大神は五穀豊穣の祖神であることから、開運厄除、衣食住守護、諸業繁栄を司られ、水の徳顕著で生命を守られます。
素戔嗚尊は天照大御神の御弟神で、八俣大蛇を退治した勇敢な神様で、「スサ」には「荒・清浄」の意味があり、罪・穢・災・厄など身に降りかかる悪しきこと諸々を、荒々しい程の強い力で祓い清める災厄除けの神様です。




「狛虎」
境内奥に鎮座する狛虎は江戸時代に祀られていた毘沙門天の守護で、明治の神仏分離で「吽形」が滋賀に移され、残った「阿形」も大阪大空襲で焼夷弾を受け、耳がとれ歯も欠けてしまいました。
そこで平成15年(2003年)8月、地元有志が「狛虎を一対にしたら優勝するのでは」と「吽形」の狛虎をつくったところ、その年に阪神タイガースは18年ぶりの優勝を果たしました。
マスコミにも大きく取り上げられ、今ではタイガースの守り神として、多くのファンが参拝しているのだそうです。

・阿形の狛虎(300年以上前の作) (ネットより)             ・吽形の狛虎(2003年に再建)(ネットより)
  

「夕陽丘の碑」
夕陽丘は上町台地に位置しており、かつてはこの下まで海でした。
5代の天皇に仕えた歌人藤原家隆は1236年79歳の時この地に庵をつくって隠棲し、翌80歳の春の彼岸にこの地より西の海へ入る夕日を眺めて、「契りあればなにはの里に宿りきて、波の入日を拝みつるかな」と詠い、この歌の「波の入日」の意から夕陽丘の名称が生まれたといわれています。
大江神社のこの辺りからの夕焼けは今も美しいようです。

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1 コメント

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上町台地 (iina)
2015-07-28 08:58:56
大昔の大阪は、難波と呼ばれるくらいに難しい波が立ち、半島状の砂嘴だった上町台地だけが地上で、その東は海であったようです。
その上町台地に、四天王寺が建ち難波宮等の主要な建物があったとは、いにしえの神社群で偲ばれます。

狛虎は、気づかなかったですが阪神タイガースの優勝に好縁になったようでした。

新宿駅の京王線や小田急線の上にデパートが建っているのは、九州から上京したiinaにはとても刺激的な街でした。

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