らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

今年の「中秋の名月」は満月

2023-09-29 | 季節

今夜は「中秋の名月」で満月です。
大阪では未だに真夏日が続いており、一向に秋らしくなりません。
昨年までは、中秋の名月と言えば、日中は清々しい秋の気温となり、夕方には20度前後になって、涼しい気温の下で夜空を眺めて名月を愛でていたのですが、今年は未だに夏の暑さです。
昨日は32度の真夏日となり、最低気温も26度と蒸し暑い熱帯夜でした。

テレビの気象キャスターの話では、大阪の今年の熱帯夜は61日で、観測史上最多となったそうです。
この暑さはいつまで続くのでしょうね。

「中秋の名月」
ところで、「中秋の名月」とは、旧暦の8月15日の夜(十五夜)に見える月のことで、今年は今夜がその名月になります。
この日の月は「十五夜の月」として親しまれ、ススキや団子をお供えして月を愛でる習慣が残っています。
また、この頃に収穫される里芋をお供えすることから、地方によっては「芋名月(いもめいげつ)」とも呼ばれています。
今年の「中秋の名月」は満月ですが、年によっては必ずしも満月になるとは限りません。
何故なのでしょうか?

「中秋の名月は必ずしも満月とは限らない」
今年の「中秋の名月」は今夜の18時58分に満月になりますが、中秋の名月が必ずしも満月になるとは限りません。
理由は、月の公転軌道が楕円形となっていて、新月(朔)から満月(望)までにかかる日数が13.9日から15.6日と変化することが関係しています。
次に「中秋の名月」が満月と一致するのは、7年後の2030年9月12日になります。
詳しくは、国立天文台暦計算室ウェブサイトの「名月必ずしも満月ならず」をご参照ください。(国立天文台より)



「月までの距離」
月の軌道は楕円形であるため、地球から月までの距離は一定ではありません。
平均すると約38万㎞ですが、地球から一番近い時には約35万㎞、遠い時には約40万㎞となり、約5万㎞の差があります。
この距離の変化によって、見かけの大きさとして1割程度変化しますが、肉眼ではほとんど気がつきません。
また、アポロ宇宙船が月面に置いてきた鏡を使って距離を測定すると、毎年約3.8㎝ずつ地球から遠ざかっているのだそうです。

「月までの所要時間」
ところで、もし、身近な乗り物で月まで行ったとしたら、どれくらい時間がかかるのでしょうか?
・徒歩    約11年   (4㎞/h)
・自転車   約3年   (15㎞/h)
・自動車   約6ヶ月  (80㎞/h)
・新幹線   約53日  (300㎞/h)
・飛行機   約16日   (1000㎞/h)

38万㎞と言えば、かなりの時間がかかることが分かりますね。
過去に月面着陸をしたアポロ宇宙船でも2-4日(地球周回も含めての時間)かかりました。
気軽に月旅行ができるようになるといいですね。

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1週間早い「ダンジリ」の試験曳き

2023-09-27 | 地元紹介

今月の16日(土)と17日(日)に岸和田だんじり祭りが催されました。
このだんじり祭りは全国ニュースで報じられるようになったことからご存知の方も多いと思います。

一方、泉州地区の各市町村では、来月の7日(土)と8日(日)に、一斉にだんじり祭りが催されます。
我が町熊取でもこの2日間にダンジリ祭りが開催されて、泉州地方は秋祭り一色に染まります。

だんじり祭りでは本番の1週間前の10月1日に「試験曳き」が行われますが、どういう訳か、朝代地区のダンジリが2週間前の9月24日に試験曳きを行っていたのです。

・9月24日に「試験曳き」していた朝代地区のだんじりです。


「試験曳きとは」
「試験曳き」とは、本番に向けた予行演習のようなもので、だんじりに不具合がないかを実際に曳行して確認するものです。
ダンジリ祭りでは、だんじりが勢いよく、街角を直角に曲がる「やりまわし」という曳行があります。
この「やりまわし」は、ブレーキの働きをする左右の前テコと舵を取る後ろテコのタイミングが難しく、腕の見せどころのひとつでもありますが、危険とも隣り合わせています。
このような事から「試験曳き」には、だんじりを曳く人たちが、それぞれの細かい動きを含めて、練習しておくという意味合いもあります。

・本番では朝代地区のだんじりがこの場所まで来ることはないのですが、「試験曳き」ということで、ここで折り返して帰っていきました。


畑で作業をしていた時、太鼓や笛の音と共に「そうりゃ! そうりゃ!」というかけ声が聞こえたので撮影しました。
本番の曳行では朝代地区のだんじりはこの道路に入ってきませんが、「試験曳き」では、畑のすぐ傍まで来て、折り返していきました。
他の地区より1週間早い朝代地区の「試験曳き」は、きっと、曳き手の人達がだんじりを曳きたくて待ちきれず、辛抱できなかったのでしょう。
それは兎も角、今年は2週間も早くだんじりを見ることができました。

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食べられる雑草「エノコログサ」

2023-09-25 | 情報

「エノコログサ」という雑草をご存じでしょうか?
名前だけではわからないかもしれません。
では「猫じゃらし」と言えばどうですか?

「エノコログサ」
エノコログサはイネ科エノコログサ属の一年草で空き地やあぜ道などに生えている雑草です。
原産地はユーラシア大陸で、日本には縄文時代前期に、アワの栽培に伴って渡来したようです。
草丈は30~70㎝ほど、6~9月に茎の先に長さ3~6㎝ほどの花穂をつけます。
一つの穂には300~800個の実があり、その基部から細長い剛毛がたくさん生えているため、ブラシのような、あるいは犬やキツネの尻尾のようなという印象があります。

エノコログサの中国名は「狗尾草」で、「狗(犬)の尾のような草」という意味です。
中国では「狗(犬)」ですが日本では「猫じゃらし」、更に、英語名は「Fox tail grass」で、キツネの尾のような草となっています。
各国ともに、動物の尾を連想させることは共通していますが、動物名は異なるようですね。

私は日本の「猫じゃらし」が一番可愛らしいように感じます。
子猫の視界内でエノコログサの花穂を揺り動かすと、獲物と思った子猫は我慢できずに飛びかかってきます。
皆さんもご経験があると思いますが、その仕草がとても可愛いですよね。



「食べられるエノコログサ」
猫じゃらしの正式名称は、イネ科のエノコログサ属のエノコログサという植物です。
この雑草は(エノコログサ)は粟(アワ)の原種になります。
「五穀」
粟とは五穀の一種で、五穀とは、米・麦・キビ・アワ・豆の5種類の穀物をいいます。
この五種類は時代や地域よって変ることもあり、
・『古事記』では、米、麦、アワ、大豆、小豆、
・『日本書紀』では米、麦、アワ、ヒエ、豆が五穀とされています。
昔から特に大切なものとされてきた五種類の穀物で、これらの穀物類の総称として「五穀」と呼ばれています。



このようにエノコログサ(猫じゃらし)はアワの原種であり、粟と同じように食べることが出来ます。
ネットによると、猫じゃらしを火で炙ると、ホップコーンのように弾けて、それに醤油を付けて食べる事ができると書いてありました。
他にも食べ方のレシピが載っていたのでリンクしておきます。

「食べ方ページへのリンク先」
文一総合出版さんのページでは、
●エノコログサのクッキー
薄力粉50g、エノコログサの果実大さじ2、メープルシロップ大さじ1、水大さじ1
すべての材料をボウルに入れて混ぜ、手で成形してクッキーの表面に本種の果実をつける。180℃のオーブンで様子を見ながら15分〜20分焼くと完成

自然の中で遊び隊さんのページでは、
・エノコログサを団子にして食べています。

このように雑草ではありますが、粟の原種であることから食べることができるようです。
私は食べたことはありませんが、関心のある方はリンクしておきますのでご参照ください。

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「おはぎ」に四季ごとの名前有り

2023-09-23 | 季節

今日は彼岸の中日です。
お彼岸は春と秋の年2回あって、春は3月の春分の日、秋は9月の秋分の日を中心とした前後3日間、合計7日間がお彼岸となります。
春分の日と秋分の日は、1948年(昭和23年)に公布された「国民の祝日に関する法律」によって定められた国民の祝日です。
「国民の祝日に関する法律」によると、
・「春分の日」は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」祝日、
・「秋分の日」は「祖先を敬い、亡くなった人々をしのぶ」祝日と定義されています。
したがって3月の春のお彼岸は、春の到来を喜び、生命の繁栄を願う意味があり、9月の秋のお彼岸は、ご先祖様を敬い供養する行事の日です。

お彼岸に欠かせないお供え物として「おはぎ」がありますが、この「おはぎ」にはご先祖様を敬い、供養する気持ちが込められています。
「おはぎ」も「ぼたもち」も、もち米とうるち米を混ぜたものを蒸したり、あるいは炊いたりして、米粒が残る程度に軽く搗いて丸めたものに餡をまぶした食べ物です。
お彼岸は、ご先祖様との距離がもっとも近くなるといわれている期間です。
普段は忙しくてご先祖様と向き合う時間が取れない人も、お彼岸には「おはぎ」をお供えして、故人をしのんでみてはいかがでしょうか。

「お彼岸に「おはぎ」を供える由来」
お彼岸に「おはぎ」をお供えする由来は、諸説ありますが、その一つは、小豆の赤い色には魔除けの効果があると古くから信じられており、邪気を払う食べ物としてご先祖様にお供えされてきたことです。
また「もち米」と「あんこ」の2つの物を「合わせる」言葉の語呂から、ご先祖様の心と自分たちの心を「合わせる」という意味もあるそうです。
そして最後に、昔は現代のように甘くて美味しいスイ―ツは誰でも食べられる時代ではなく、特に「さとう」が貴重であったため、その「さとう」を使用した食べ物はとても貴重でした。
その貴重な食べ物である「おはぎ」を作ってご先祖様へお供えをして、感謝の気持ちと一緒にいろいろな願いや祈りをしていたことからです。



ところで、お彼岸にお供えする「おはぎ」の名称の由来についてはご存じだと思います。
春は「ぼたもち」、秋は「おはぎ」とする説はよく知られていますが、実は、夏と冬にも正式な呼び名があるのをご存じでしょうか?

「季節毎の「おはぎ」の呼び名とその由来」
「ぼたもち」も「おはぎ」も同じ食べ物なのですが、四季によって正式な呼び名が存在しています。
・春・・・「ぼたもち」
      ボタンの花が咲く季節から春のお彼岸に神仏や先祖への供物とされた小豆餡を牡丹の花に見立てたことから。 
・夏・・・「夜船(よふね)」
      ぼたもちは、もちと作り方が異なるため、「ペッタン、ペッタン」という音を出さずに作ることができ、隣に住む人には、いつ搗いたのか分かりません。
      そこで、「搗き知らず」を「着き知らず」と言葉遊びをして、夜は暗くて船がいつ着いたのか分からないことから。
・秋・・・「おはぎ」 
      牡丹餅と同じく、小豆餡の様を秋の彼岸の時期に咲く萩の花が咲き乱れている様子に見立てたものであるとすることから。
・冬・・・「北窓」
      夜船と同様に、「搗き知らず」を「月知らず」と言葉遊びをして、月を知らない、つまり月が見えないのは「北側の窓」だ、ということから。

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真夏日が続いても「彼岸花」は咲いた

2023-09-21 | 

昨日は秋の彼岸の入りで、26日までの1週間がお彼岸となります。
今年の夏は気象庁が観測史上最も暑い夏(6月~8月)と発表しています。
その暑さが彼岸を迎えた現在も続いており、関西を始め全国各地で真夏日が続いています。
大阪では最低気温も25度以上の熱帯夜となっており、「暑さ寒さも彼岸まで」という慣用句は今年は当てはまらなくなっています。

この夏の暑さが続いている今年の彼岸ですが、その暑さにも拘わらず、この彼岸に合わせたかのように彼岸花が咲きました。
ヒガンバナはどのように季節を感じでいるのでしょうか?

・暦通りに咲いたあぜ道の彼岸花です。


「彼岸花は何故彼岸に咲くのか?」
彼岸花は毎年同じように秋の彼岸、すなわち9月20日前後に花を咲かせますが、何故彼岸の時期に咲くのでしょうか?
ヒガンバナの生長サイクルは、秋に花が咲いた後に葉が出てきて、冬の間は青々としており、晩春には枯れてしまいます。
彼岸花は球根植物なので、夏の間に地下の球根は秋に花を咲かせる準備をして秋の来るのを待っています。
その準備は8月の中頃には完了し、最低気温(地温)が20℃前後にまで下がってくると、一斉に球根内部から花茎が伸び始め、地上30~50cmまで伸びて開花します。

関西では、最低気温が20度前後にまで下がってくるのがちょうど秋の彼岸の頃なので、彼岸花がこの時期に開花するということです。
従って、年によって9月上旬に急に涼しくなれば早く咲いたり、反対に彼岸を過ぎても暑い日が続くと、10月になってから咲くこともあるようです。



「暑い今年は地温が20度になったのか?」
しかし、今年は未だに熱帯夜が続いています。
果たして地温が20度くらいまで下がったことがあったのでしょうか?

朝、畑に行くとほとんど毎日、あぜ道の雑草は、雨の後のように露で濡れています。
畦道ではこの露によって地温が下がっているのかも知れません。
もし、そうであるならば、ヒガンバナって僅かな地温の変化を敏感に感じ取る能力を持っている植物のようですね。

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ご存知ですか?「エルトゥールル号遭難事件」

2023-09-19 | 雑学

先日、9月16日はトルコ(当時はオスマン帝国)のフリゲート艦「エルトゥールル号遭難事件」から133年でした。
「エルトゥールル号の遭難事件」と言ってもご存じない方が多いかも知れません。
この事件は1890年(明治23年)9月16日夜半に、親善訪日を終えて帰路に着いたエルトゥールル号が折からの台風による強風にあおられて、和歌山県串本沖の樫野崎に連なる岩礁に激突し、水蒸気爆発を起こして沈没した事件です。

私は全く知らなかったのですが、10数年前にトルコ旅行に行った時、現地ガイドさんから詳しく聞いて初めて知ったものです。
トルコと言えば親日国家としてよく知られているところですが、実はトルコが親日国になったきっかけがこの遭難事件なのです。
トルコではこの事件のことを学校で教えていることから、子供から大人に至るまでよく知っており、国民の皆さんは至って親日的です。

関西では毎年9月16日の地方ニュースで、追悼式典の模様が報じられるので大阪や和歌山の人はある程度知っていると思いますが、全国ニュースでは報じていないと思うので、多くの国民の方はご存じないと思います。
そこで今日は「エルトゥールル号遭難事件」とはどのような事件だったのかご紹介したいと思います。

 ・和歌山県串本町にあるトルコ軍艦遭難慰霊碑です。 (2015年10月撮影)


エルトゥールル号遭難事件とは、1890年(明治23年)9月16日夜半、オスマン帝国(現在のトルコ)のフリゲート艦エルトゥールル号が和歌山県串本町大島の樫野崎灯台沖で遭難した事件です。

「エルトゥールル号遭難事件の概略」
オスマン帝国(現在トルコ)の木造フリゲート艦エルトゥールル号は日本の皇族、小松宮夫妻のイスタンブール訪問に応えるためと、両国の友好関係の発展と相互理解を期待して派遣された艦船で、1889年(明治22年)7月、イスタンブールから11ケ月をかけ、1890年(明治23年)6月に日本に到着しました。
一行は皇帝親書を明治天皇に奉呈し、オスマン帝国最初の親善訪日使節団として歓迎を受けました。

そして3ヶ月余後の1890年(明治23年)9月16日夜半、帰路に着いたエルトゥールル号は折からの台風による強風にあおられ、和歌山県串本沖、大島の樫野崎に連なる岩礁に激突しました。
座礁したエルトゥールル号は機関部に浸水して水蒸気爆発を起こして沈没、司令官オスマン・パシャを始めとする乗組員587名が死亡または行方不明となる大惨事となりました。

このとき、樫野崎灯台下に流れ着いた生存者は、十数メートルの断崖を這い登って灯台守に遭難を知らせました。
灯台守から通報を受けた大島村(現串本町)樫野の住民たちは総出で救助と生存者の介抱にあたりました。

漁業で生計をたてている村人たちは貧しい生活をしており、台風で出漁できず、食料の蓄えも僅かでしたが、それにもかかわらず、住民は浴衣などの衣類、卵やサツマイモ、それに非常用のニワトリにいたるまで供給するなどして、献身的に生存者たちの回復に努めました。
この結果、収容された69名が救出され生還することが出来ました。

遭難の翌朝、事件は樫野の区長から大島町長に伝えられ、町長は神戸港の外国領事館に救助を求めて、生存者を神戸の病院に搬送させるよう手配すると共に、県を通じて日本政府に通報しました。
知らせを聞いた明治天皇はこの遭難に大いに心を痛め、政府として可能な限りの援助を行うよう指示したと伝えられています。

こうして遭難者に対する支援が政府をあげて行われ、10月5日に品川港から出航した日本海軍の「比叡」「金剛」の2隻により、生存者たちは翌1891年(明治24年)1月2日にオスマン帝国の首都イスタンブールに送り届けられました。

エルトゥールル号遭難事故はオスマン帝国に大きな衝撃を呼びましたが、新聞を通じて大島島民による救助活動や日本政府の尽力が伝えられ、当時のトルコの人々は、遠い異国の日本と日本人に対して好印象を抱いたといわれています。

以上がフリゲート艦「エルトゥールル号の遭難事件」の概要です。
トルコではこの事件のことを学校で教えていることから、国民の皆さんが親日的であり、日本人旅行者に対しても非常に好意的でした。

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ローゼル(紅葵)の花

2023-09-17 | 

家内が実家の姉からもらった「紅葵」がやっと花を咲かせました。
紅葵の茎は、8月中の暑い間にもどんどん伸びていたのですが、花が咲く気配は全くありませんでした。
9月に入ると葉っぱの間に花芽が出てきて、先日から開花し始めたのです。

現在は2mほどに伸びており、毎日たくさんの花を咲かせています。
紅葵についてネットを調べると、「紅葵」という名称は日本名であり、正式名称は「ローゼル」というようです。
そこで今日は初めて咲いた「ローゼル」について調べました。

「ローゼル(紅葵)」
ローゼルはアオイ科フヨウ属の多年草ですが、日本では寒さに弱いので一年草として扱われています。
草丈は鉢植えではそれほど大きくなりませんが、庭に植えると1.5~2mほどになります。
我が家の紅葵も草丈は2mくらいになっています。



短日植物で、日が短くなるにつれて花芽が形成されていきます。
花期は9〜11月で、花径は5~6㎝ほどのクリームの花が一般的ですが、ピンクの花が咲くものもあります。
花は朝早く咲き、午後にはしぼむ一日花です。



赤く膨らんだ部分は、ガクと呼ばれる部分で、学名:Hibiscus subdariffaの通りハイビスカスの仲間です。
花が咲いた後に、中に実を包んだ赤いガクがつきます。

ハイビスカスのようにお花を楽しめるほか、ガクを観賞用に飾ったり、ホウとガクを使ってお茶など食用で楽しむこともできるようです。
また、果実には心地よい酸味があり、ハイビスカスティーやジャムなどの原料として利用されています。
そのため、世界中の熱帯、亜熱帯地域で広く栽培されているということです。
しかし、我が家では食用にするつもりはなく、見て楽しむだけです。
初めてのものを口にする勇気がありません。



ローゼルは植物の分類においてはアオイ科・フヨウ属で、ハイビスカスやオクラと同じ仲間になります。
下の画像がオクラの花ですが、見ての通り、非常によく似ています。

・これはオクラの花です。


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グランド・ゴルフの発祥地は泊村

2023-09-15 | 趣味

私はゴルフをやめて久しいですが、いま、高齢者の間でグランド・ゴルフが流行っているようです。
私の家内も2年前から始めており、昨日も練習に出かけました。
家内の場合は自治会の同好会に入っているので、2週間に1回の暇つぶし程度の参加ですが、それでも年に1~2度、町内の同好会の方々が集まって競技会を行っているようです。
今日はその競技会に出場するため、いつもの練習メンバーと共に出かけました。

・家内が使用しているグランドゴルフの用具です。


「グランドゴルフの誕生は泊村」
さて、そのグランド・ゴルフですが、誕生したのは40年ほど前の昭和57年(1982年)と、比較的新しいスポーツです。
考案したのは鳥取県泊村(現湯梨浜町)の教育委員会の方々です。

当時、泊村では高齢化が進み、健康づくりを重要課題としていました。
そのため、文部省(現:文部科学省)の補助事業採決に向けて、宮脇村長が国や県へ奔走し、昭和57年に泊村は指定を受けました。
そして、教育委員会を中心に、高齢者にふさわしい新しいスポーツの開発に取り組むことになったのです。

泊村教育委員会を中心に新競技を考えました。
企画や原案作成の際は鳥取県内外の14名の学識経験者による専門委員会が、実践活動には村内の老人クラブ連合と体育指導委員の皆さんが積極的に協力したそうです。
そうした中、大学を訪ねた際に学生がゴルフクラブで打ったボールを地面に描いた円に止めて遊ぶ姿がヒントになり、高齢者が気軽に楽しめるようにと考案されたのがグランド・ゴルフでした。

「名前の由来」
名前の由来は、身近にある広場や公園、学校のグラウンドなどで楽しめる、というところからグランド・ゴルフとなりました。
高齢者スポーツの代表的なスポーツとして、グラウンド・ゴルフは、その気軽さやルールの簡易性で会員数や愛好者を増やしてきており、現時点の会員の年齢構成比をみると、男女ともに60歳以上が9割という構成比になっています。

「グランドゴルフの概要」
グラウンド・ゴルフは、クラブでボールを打ち、ボールがホールポストに入るまでの打数の少なさを競うゲームで、スタートマットとホールポストを置くだけでどんな場所でもすぐにコースになります。
このように、どこでも簡単に競技を始めることができるスポーツであり、そして複雑なルールがないので、初心者でも楽しくプレーすることが可能となります。

また、審判員を必要とせず、自分の責任でプレーし、自分自身が審判します。
判定が困難な場合は、同伴プレーヤーに同意を求めるのも、特徴の一つとなっています。
技術の点でいうと、他のスポーツと同じようにトレーニングにより向上し、競技性も高くなりますが、ゲームを楽しむためには必ずしも高度な技術を必要としません。
このような事から、子どもから高齢者まですべての人が、楽しくプレーすることができるファミリースポーツとしての条件をすべて備えたスポーツとなっています。

「ルールに残る泊村」
グランド・ゴルフでホールポストの中にボールが静止した状態を「トマリ」といいます。
これは公式のルールとして明記されており、「トマリ」は泊村が発祥の地ということを後世に残すためルールに明記したそうです。

・ホールポストです。この中にボールを入れるまでの打数の少なさを競います。
ホールポスト   

なお、グランド・ゴルフは、2027年に関西を中心に開催される生涯スポーツの国際大会で公式協議として初めて採用されました。

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ナシの花も狂い咲き?

2023-09-13 | 家庭果樹

9月1日に、気象庁は6月~8月の平均気温が1898年の観測開始以降で、もっとも高かったと発表しました。
地域の平年差も1946年の統計開始以降で最も高く、北日本は+3.0℃、東日本では+1.7℃で共に過去最高、西日本は+0.9℃で、1位タイの高温ということです。
9月から11月の「3か月予報」でも、全国的に平年より高くなると予想されています。
高温傾向はまだまだ続きそうです。

この気温の影響でしょうか?
我が家の梨の木が季節外れの花を咲かせました。
梨の木も気温が高くて狂い咲きをしたのかも知れません。

・狂い咲きのナシの花です。


「梨の木が狂い咲き?」
花が咲いた梨の品種は「二十世紀」で、まだ収獲が終わっていない木です。
先日、枝の数か所に白い花が咲いているのを発見したのですが、この木は花と果実が共存している珍しい現象となっています。
珍しいので、狂い咲きかどうか、梨に聞きましたが、返答はナシでした。
秋に梨の花が咲くのは非常に珍しい事のようです。

・これが二十世紀の花です。


「開花のメカニズム」
開花するまでのメカニズムをネットで調べると次のようになっていました。
7月ごろ花芽ができた後に、各葉に「成長抑制ホルモン」が作られ、これが花芽に移動します。そして葉は役目を終えると落葉します。
花芽は例え季節外れの暖かさがやってきても「成長抑制ホルモン」の効果からそのまま冬を越します。
この「成長抑制ホルモン」は冬の寒さによって壊されます。
そして、春を迎えて暖かくなるとぐんぐん成長し、丁度よい時期に開花するのが通常の姿だそうです。

ところが、各葉で作られた「成長抑制ホルモン」が花芽に移動する前に台風などによって大事な葉をちぎり取られると「成長抑制ホルモン」が花芽に届きません。
そこに異常な暖かさがやってくれば、もう春が来たのかと勘違いして開花するそうです。



大まかな開花の仕組みは分かりました。
開花するためには葉が落ちて、寒さによって成長抑制ホルモンが壊されなければなりません。
しかし、我が家の花が咲いている梨の枝には葉がついており、数日前まで熱帯夜(25度以上)が続いていました。
この状態では、成長抑制ホルモンによって成長が抑えられて花が咲かないはずです。
にも拘らず咲いたという事は、矢張り、暑すぎて狂い咲きしたのではないでしょうか。

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大根役者「馬脚を露す」

2023-09-11 | 雑学

最近のドラマでは若手の俳優や女優、歌などで有名になった人など、凡そ俳優のプロとは言い難い人たちが多く起用されています。
この人たちの演技力はお世辞にも上手いとは言えませんが、それでもいろいろなドラマに出ているということは演劇の世界でも人材不足という事なのでしょうか?
昔は、このような役者のことを「大根役者」と呼んでいましたが、現在は死語となったのか、あまり聞くことがありません。
今日は大根役者について調べました。

「大根役者」
大根役者とは、ご存じのように、芝居の下手な俳優をあざけって言う言葉で、その始まりは、江戸時代に歌舞伎で舞台上の俳優に対するヤジや悪態として使われたようです。
初めの頃は「大根」とだけ呼んでいましたが、野菜の大根と区別が付きにくいため、徐々に「大根役者」と呼ぶことが浸透していったということです。

「大根役者の語源」
下手な役者を「大根」と呼ぶようになった由来には諸説あります。
・大根は白いことから「素人」とかけたとする説、
・大根の白さから下手な役者ほど白粉(おしろい)を塗りたくることとかけたとする説、
・大根は滅多に食あたりしないことから、「当たらない役者」の意からとする説、
等があります。



「何故大根なのか」

でも何故「大根」なのでしょうか?
①大根は食あたりしないからとする説。
大根は消化がよく食あたりしない食材として有名です。そのため「食あたりしない」を「当たらない=役者としてヒットしない」という意味にかけたこと。

②大根おろし説。
配役を変えられる際に「おろす(降ろす)」と表現しますが、この「降ろす」と大根おろしの「おろし」をかけて、共に「おろされる」ような、下手な役者、役をおろされてしまうほど演技が下手な役者だということ。

③大根の白と素人を書けた説
大根の色が白いので、「白(シロ)」と演技をたしなんでいない「素人(シロウト)」とをかけたとする説。
更に、下手な役者が場を「しらけさせる」の「しら」にかけたとする説や、演技の下手な役者ほど白粉(おしろい)をたくさん塗ってごまかそうとするイメージから、大根のように白い顔をした役者=下手な役者と捉えられたという説。

演技が下手なために人の役まで至らず、馬の前足・後ろ足を演じ、馬の脚が大根を連想させたとする説。
芝居の中で馬の脚を演じる役者のことを指して「大根」になったのではないかと言われています。



「馬脚を露す」
「馬脚」とは、芝居で馬の足を演じる役者のことです。
そして「馬脚を露わす」は芝居で馬の足の役者が見せてはいけない姿をうっかり見せてしまう意からで、つつみ隠していた事があらわれる、ばけの皮がはがれるという意味になりました。

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