らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

誕生石の由来

2023-02-27 | 情報

昔から、「1月いぬる(往ぬる)、2月逃げる、3月去る」と言われているように、正月から3月までは行事が多く、あっという間に過ぎ去りますが、2月も明日1日を残すのみとなり、この慣用句の通りあっという間に逃げ去ろうとしています。

2月は愚妻の誕生月であり、50数年前の婚約時に誕生石のアメジストの指輪を贈りましたが、この誕生石の由来は何処からなのでしょうか?
今日はその由来について調べました。

「誕生石とは」
先ず、「誕生石」は各月に割り振られた宝石のことを意味し、その歴史は古く紀元前に遡ります。
古くから誕生石にはそれぞれのパワーや効果があるものとして人々に大切にされていました。
現在でも誕生石を身に着けると幸せが訪れると信じられ、人気の高い宝石となっています。

「誕生石の起源」
誕生石の起原には諸説あります。
その一つはバビロニア帝国(現イラク南部)で用いられていた12星座と星座石が現在の誕生石の原型になったという説です。
他には旧約聖書で、ユダヤ教の高僧たちが祭服の胸に付けていた12種類の宝石が由来とする説や、新約聖書の「ヨハネ黙示録」のエルサレム(ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の聖地がある)の城壁の土台に飾られていた12種類の宝石が由来とする説もあります。

このように誕生石の起原には諸説ありますが、誕生石を身につける習慣が広まったのは、18世紀にポーランドに移住したユダヤ人によるものといわれています。
小さくて資産価値の高い宝石は、商売に長けるユダヤ人にとって格好の商材だったそうです。
古くから宝石に関心を持ち続けた彼らは、20世紀に入るとアメリカに渡り、そこでもまた誕生石を広め、現在では各国でなじみの深いものとなりました。

なお、1ヵ月に1つの宝石を割り当てるという考え方については、旧約聖書に掲載されているイスラエルの12の部族や、12の天使たち、または黄道十二宮などが関わっているという説があります。

・各月の誕生石です。


「各月の誕生石の制定」
1912年、アメリカの米国宝石商組合(現在のJewelers of America)によって正式に「誕生石」が制定され、1952年には改訂を経て現在のものになりました。
日本では1958年(昭和33年)に全国宝石卸商協同組合が誕生石を制定しました。
各月の誕生石は、
 1月 ガーネット、    2月 アメシスト、      3月 アクアマリン・珊瑚、 4月 ダイヤモンド、
 5月 エメラルド・翡翠、 6月 真珠・ムーンストーン、 7月 ルビー、       8月 ペリドット、
 9月 サファイヤ、     10月 オパール、       11月 トパーズ、       12月 トルコ石
とし、日本の宝石として、珊瑚と翡翠が追加されました。
イギリスやフランスなど各国でも誕生石が制定され、そして時代を経て、人々の好みや宝石商たちの販売戦略などが加味されて現在の「誕生石」が誕生したということです。

なお、各月の誕生石の石言葉については下記URLをご参照ください。
各月の誕生石と石言葉|色石BANK (iroishi-bank.jp)

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2.26事件の概要

2023-02-25 | 雑学

明日は2月26日です。
2月26日と言えば、87年前のこの日、陸軍の青年将校らが起こしたクーデタ未遂事件がありました。
そうです。「2・26事件」です。

2・26事件とは、昭和11年(1936年)2月26日から2月29日にかけて、日本陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らが1483名の兵を率いて、「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げて起こしたクーデター未遂事件です。
この事件については、子供の時に歴史の授業で習っていますが、その時代背景とか、起因についてはよく覚えていません。
そこで、人生の終盤になった爺が「2・26事件」について改めて調べてみました。

「時代背景」
当時の時代背景の概略は次のように言われています。
事件の起こる6年前、金輸出解禁と世界恐慌により、日本は深刻な不景気(昭和恐慌)に見舞われました。
企業は次々と倒産し、町は失業者であふれ、農村では農作物価格が下落して農民の生活は大変苦しく、自分の娘を女郎屋に身売りする家もたくさん出てきました。

こうしたなか、当時の政党内閣は適切な対応をとらず、財閥と結託して汚職事件が続発しました。
そして、不景気のなか巨大な資本を用いて、財閥だけが肥え太る状況が生まれたのです。
このため、人びとは政党に失望し、財閥を憎み、満州事変などによって大陸に勢力を広げる軍部(陸軍)に期待するようになりました。
こうした国民の支持を背景に、軍部や軍に所属する青年将校たちが力をもち、右翼と協力して国家の革新を目指すようになったのです。

「対立する陸軍の2派閥」
当時の陸軍には「統制派」と「皇道派」という2つの派閥がありました。
・「統制派」は、陸軍の中枢の高官が中心になった派閥で、政府や経済に介入して、軍部寄りに政府を変えていこうと考えていました。
これに対して
・「皇道派」は、天皇親政を目指し、そのためには武力行使などを辞さないとする一派です。

両派の対立は、「統制派」が勝利しましたが、1935年、「皇道派」を締め出した「統制派」のリーダーである永田鉄山軍務局長を、「皇道派」の相沢三郎中佐が斬殺する『相沢事件』が起きました。
これに、「皇道派」は大いに力を得て翌年、クーデターを決行したのです。



「2.26事件の概要」
彼らは1936年(昭和11年)2月26日未明に決起し、近衛歩兵第3連隊、歩兵第1連隊、歩兵第3連隊、野戦重砲兵第7連隊らの部隊を指揮して、岡田啓介内閣総理大臣や高橋是清大蔵大臣などの殺害を図りました。
斎藤内大臣、高橋大蔵大臣、および渡辺教育総監を殺害し、岡田啓介総理大臣も殺害したと発表しましたが、総理大臣については誤認だったそうです。

事件が起きた後、陸軍の首脳部は迷走します。
当初、陸軍の首脳部は青年将校たちの行動を容認する態度をとっていましたが、海軍が鎮圧を要求し、天皇も同様の立場をとったので、軍と政府は彼らを「反乱軍」として武力鎮圧を決意し29日に鎮圧を開始しました。
そして飛行機やラジオで投降を呼びかけたのです。

一方、重臣が惨殺されたことから、当然のこととして天皇は激怒しました。
もし軍がすぐに鎮圧しないのなら、自分が近衛師団を率いて自ら鎮圧に当たるという意思を即座に明らかにしたのです。
反乱軍からすると、天皇陛下の大御心に回帰しようと思ってとった行動が、天皇陛下自身によって鎮圧されることになりました。

そして、青年将校たちは悲劇的な結末を迎えます。
形勢が不利になったと判断した反乱将校たちは下士官・兵を原隊に復帰させ、2名が自決しましたが、大半の将校は自首して、その日のうちに鎮圧されました。
首謀者は非公開の軍法会議にかけられて、処刑されました。
事件後に「皇道派」の抑え込みに成功した「統制派」が総力戦体制を築き、日本は太平洋戦争になだれ込むことになります。

歴史の授業で習った筈なのですが、その経緯などは全く覚えていません。
「2.26事件」から87年経った現在の日本は、戦後から一貫して平和の大切さを学んできました。
この平和がいつまでも続くことを願いたいものです。

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奈良時代の花見は梅

2023-02-23 | 季節

梅の花が満開となってきました。
「梅は百花の魁(さきがけ)」とも言って、その年のどの花よりも早く咲くだけでなく匂いも素晴らしい花です。
別名の「春告草(はるつげぐさ)」、「匂草(においぐさ)」はそこからついた名前と言われています。

「奈良時代の花見」
今では花見と言えば「さくら」ですが、花見の起源を調べると奈良時代に遡り、当時は梅の花を貴族が好んで鑑賞したということです。
何故、梅なのか?
当時、遣唐使が中国・唐から技術や制度、仏教文化などを学び取り日本に持ち帰っていましたが、梅もまた唐から伝来したということで一大ブームとなったようです。
これは、決して桜が好まれていなかったわけではなく、当時の日本人にとって桜は神聖な木として扱われていたことによります。

・紅梅、白梅ともに、今が丁度見ごろとなっています


「サクラの花見の始まり」
しかし、平安時代に入ると、貴族たちは次第に桜を春の花の代表格として愛でるようになりました。
これは、894年の遣唐使の廃止を機に日本人は、中国から伝来した梅ではなく、日本古来の桜に対してより親しみを感じるようになり、桜が「春を象徴する花」になったと考えられています。

「花見の目的」
貴族たちは桜を鑑賞して楽しむ目的で花見をおこなっていましたが、農民は異なる目的で花見をしていたといわれています。
農民にとって春の到来は田畑を育てる始まりの季節であり、春の訪れを告げる花が咲くと、厄を祓う宗教的意味とともに花が愛でられていたのです。
そのなかに桜の木もあり、その下で楽しむことで、神と過ごし五穀豊穣を願ったようです。
現代のような、純粋な楽しみとしての花見が庶民に広まったのは、江戸時代以降だといわれています。

・清楚な白梅は五分咲き程度です。


「サクラの花見の定着」
お花見が民衆の間に文化として定着するのは、江戸時代になってからです。
東京の桜の人気スポット「上野公園」は、3代将軍徳川家光が奈良の吉野山の桜を移植させたことから、桜の有名なスポットとなりました。
その後も徳川政権は民衆が桜を楽しめるように各地に桜を植樹していきました。

昨日の天気予報では今月末からの最高気温は、平年並みか平年を上回る日が続きそうだという事です。
このため、サクラの開花は3月20日前後からと予想されており、あと1か月ほどでお花見が始まりそうです。
お花見が始まれば本格的な春の到来です。
待ち遠しいですね。

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関西の方言「じゅんさい」とは

2023-02-21 | 地元紹介

ジュンサイという植物をご存じでしょうか?
「ジュンサイ」
広辞苑によれば、ジュンサイはスイレン科の多年生水草で、日本各地の池沼に自生し、中部以北に多い。地下茎は泥中に伸び、節ごとに根を下ろす。葉は楕円状楯形、長い葉柄で水面に浮かぶ。茎と葉の背面には寒天様の粘液を分泌し新葉には殊に多い。夏、水面に紫紅色の花を開き、のち卵形の果実を結ぶ。若芽・若葉は食用として珍重。
と説明しています。

「名前の由来」
和名のジュンサイは漢名の「蓴(チュン)」がなまった「ジュン」に、食用草本を意味する「菜(サイ)」をつけたものに由来するとされています。
ジュンサイには、ヌナワ、ミズドコロなどの別名があり、ヌナワとは「沼の縄」の意で、沼に生える葉柄が細長く、あたかも縄に似ていることに由来し、 ミズドコロは、茎がトコロ(ヤマイモ科)の蔓に似ていることに由来しています。

・これがジュンサイです。


「大阪方言の由来」
このジュンサイという言葉は、実は関西地方の方言で、「いいかげん」とか「でたらめ」の意味で使用されます。
現在では若い人が使用することは少ないかも知れませんが、年配の人は今でもよく使用します。

この言葉の由来は、吸い物や酢の物にして食す「ジュンサイ」という植物がヌメヌメしており、箸で掴もうとするとツルッと滑って掴みにくいところから、「ぬらりくらりしていること、どっちつかずであること」に例えられ、そこから転じて「いい加減な事、でたらめな事」をも言い表わすようになったという事です。

「使用例」
①「まだ決められへんの? ケーキ2つ決めるのにもう10分以上悩んでるわぁ!? 相変わらずほんまに優柔不断ちゅうか、じゅんさいやな、あんた」
 (まだ決められないの? ケーキ2つ決めるのにもう10分以上悩んでるわよ!? 相変わらず本当に優柔不断というか、いい加減よね、あんた)

②「じゅんさいなことばっかしゆーとったら、あかんで。」
 (いい加減なことばかり言ってたらだめだよ)

③「じゅんさいなこと言いないな」
 (いい加減なことを言うな)

単刀直入に「いいかげんな事を言うなよ」と言えば、角が立つかもしれませんが、「じゅんさいなこと言いないな」と言えば、言われた人は素直に聞いてくれそうな気がします。
関西弁って柔らかくていい言葉ですね。

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「雨水」に雛を飾って良縁を

2023-02-19 | 季節

一昨日、一昨昨日は全国的に冷え込んだと思いますが、比較的温暖な当地でも真冬並みの冷え込みとなりました。
当地の一昨昨日の最低気温はマイナス0.8度、最高気温も6.5度止まりでした。
しかし、立春の後、春のような陽気の日もあり、三寒四温を繰り返しながら確実に春が近づいてきています。

暦の上では、今日2月19日は二十四節気の春の2番目の節気である「雨水」です。
雨水とは、「降る雪が雨に変わり、雪解けが始まる時期」という意味で、今日から3月5日までの期間をいいます。

「雨水に雛を飾って良縁を」
昔から「雨水に雛人形を飾ると良縁に恵まれる」という言い伝えがあり、この日は雛人形を飾るのにおすすめの日となっています。
お嬢様がいらっしゃるご家庭の皆様、桃の節句には少し早いかも知れませんが、先人の言い伝えを信じて飾られては如何でしょうか?
でも何故、この日にひな人形を飾ると良縁に恵まれるのでしょうか?



「理由」
「雨水」にひな人形を飾るのがよい理由には諸説あるようですが、その一つは日本の神話からと言われています。
雨水の頃は、暖かくなって雪が溶け、農耕の準備を始める目安の日とされています。
雪解け水が流れる川は、昔、女性たちが、炊事や洗濯で集まる場所でした。
その水は、生命を支え育てるということから、命の源であるとされ、水は母神と考えられていました。

古事記に出てくる弥都波能売神(みづはのめのかみ)は子授けや安産の神として崇められており、日本における代表的な水の神(水神)で、美しい乙女の姿をしているとされています。
そのため、この日に雛人形を飾ると良縁に恵まれ、ご利益があると信じられ、雨水に飾られるようになったという事です。

「雛飾りの片づけ」
なお、ひな人形を片付けるのは、「啓蟄(けいちつ)」の3月6日頃が良いと言われています。
何故なら、ひな人形は、女の子の厄を引き受ける役目を持っており、災いを遠ざけるという意味でも、ひな人形はできるだけ早く片付けた方が良いそうです。
また、行事が終わったらいつまでも出しっ放しにせず、きちんと片付けさせるという躾の意味もあります。
そして、そのようによく躾けられた娘が早く結婚できる(片付く)ように、との願いも込められているということです。

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インフルエンザ予防にヨーグルト?

2023-02-17 | 雑学

先日、厚生労働省は2023年第5週(1月30日~2月5日)のインフルエンザ発生状況を発表しました。
それによると、定点あたり患者報告数は12.66人と、大きな流行に拡大するおそれのある「注意報レベル(10人)」を上回っていました。
特に沖縄では47.18人と「警報レベル(30人)」を超え、一層の感染予防に注意を払う必要があるとしています。

「定点当たりとは」
定点当たり報告数とは、対象となる感染症について、すべての定点医療機関(全国で約5000の医療機関)からの報告数を定点数で割った値のことで、言いかえると1医療機関当たりの平均報告数のことです。

「ヨーグルトと免疫力」
インフルエンザを可能なかぎり予防するには、普段から免疫力を高めることが大切です。
免疫力を高めるにはバランスのよい食生活、質のよい睡眠を意識することが大切で、免疫機能を高める食材を積極的に摂取することが推奨されています。
そのための一つにヨーグルトがあります。
ヨーグルトは免疫細胞の多い腸内の環境を整えることから、免疫力が高められてインフルエンザの予防に効果的なのだそうです。

ヨーグルトは、ご存じのように乳酸菌やビフィズス菌など、代表的な善玉菌を多く含む食材で、ヨーグルトを食べることで免疫力が上がり、細菌などの侵入を抑えることができると言われています。
また、善玉菌が優勢になれば腸の活動が活発になり、お通じがスムーズになります。
便秘にならないこともまた腸内環境をよくするので、免疫力が相乗的にアップすることが期待できるという事です。



「腸内環境と免疫力」
免疫力が上下する要因のひとつが、腸内環境です。
腸内環境が悪いと便秘になりやすくなることはよく知られていますが、それによって免疫力も低下するといわれています。
免疫力が低いとインフルエンザウイルスをうまく攻撃できず、感染しやすくなってしまいます。
腸内環境の良し悪しを左右するのは善玉菌・悪玉菌・中間菌のバランスで、悪玉菌が優勢な状態にあるとさまざまなトラブルにつながりますが、善玉菌が優勢な状態を保てれば、免疫力を高く保てるようになるという事です。

「インフルエンザ予防の王道」
とは言え、専門家の一人はテレビを観て、医学的に確定していない情報をあたかも定説であるかのような誤解を与える報道があるとも言っており、毎年流行するインフルエンザを予防するには、
・予防注射をする。     ・栄養と休憩を十分にとる。
・流行期は人ごみを避ける。 ・手洗いとうがいをする。
・マスクの活用。      ・室内の温度と湿度を適切に保つ。
等々を組み合わせておこなうことが、インフルエンザ予防の王道だと言っていました。

コロナの第7波は落ち着いてきましたが、インフルエンザは注意レベルを超えて患者数が増加しています。
コロナ、インフルエンザには引き続き注意をして頂きたいと思います。

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トマトの健康効果

2023-02-15 | 家庭菜園

ヨーロッパには「トマトが赤くなると医者が青くなる」という諺があります。
この諺は日本でもよく知られているところですが、日本にも「トマトのある家に胃病なし」という同じような諺があります。
どちらの諺も、トマトはとても健康に良いことから、トマトが実る季節は病気になる人が少なく、医者にとっては患者がいなくて青ざめるということを言っています。

「その理由」
トマトにはビタミンCやリコピンなどの成分を多く含んでおり、ビタミンCには抗酸化作用や免疫賦活化(免疫を活発にする事)作用があり、赤い色素のリコピンには高い活性酸素除去能力があります。
更に、最近、リコピンに血液中の脂肪増加を抑える新成分が含まれていることが発見されたことから、メタボリック対策も期待されているということです。

「トマトの原産地」
トマトはナス科トマト属の野菜で、名前の由来は、古代メキシコ語で「膨らむ果実」という意味の「トマトゥル(tomatl)」からきています。
原産地はペルーやエクアドル、ボリビアにまたがるアンデス山地で、古くからラテンアメリカの先住民が食用にしていました。

15世紀のコロンブスの新大陸発見によりヨーロッパ各地へ伝わりましたが、食用とされるようになったのは18世紀になってからと言われています。
日本へは江戸時代初期に観賞用としてもたらされ、昭和に入ってから野菜として普及し、食べられるようになりました。
 


「トマトの健康効果」
トマトに含まれるリコピンの抗酸化作用は、ニンジンやカボチャ、ブロッコリーなどに含まれるβカロテンよりも作用が強いという報告があります。

・高血圧予防効果
また、トマトをはじめとする野菜にはカリウムが多く含まれており、カリウムは体内の余分なナトリウムの排泄を促し、血圧を下げる効果があって、高血圧の予防に役立つと言われています。

・心不全のリスクを低下
米国のケンタッキー大学が心不全患者212人を対象に行った研究で、トマトのリコピン摂取量が多いほど生存率が向上することが明らかになったそうです。

・脳卒中のリスクを低下
更に、フィンランドの46~65歳の1,031人の男性を12.1年追跡した研究で、トマトからのリコピンの摂取量が多い男性では、少ない男性に比べ、脳卒中のリスクが最大で55%した。

海外の研究でトマトのリコピンが健康に良い事が実証されていますが、京都大学の研究でも「トマトから脂肪肝、血中中性脂肪改善に有効な健康成分を発見」されたページがありましたのでリンクしておきます。

家庭菜園ではトマトの収穫はまだ4~5カ月先になりますが、スーパーには一年中並んでいます。
日頃から、出来るだけトマトやトマトジュースを摂取するよう心掛けては如何でしょうか?

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話しの「さわりの部分」とは?

2023-02-13 | 雑学

話しの「さわり」といったらどの部分を想像するでしょうか?
多くの人が物事の“冒頭部分”と解釈しているようですが、これは間違いです。

「国語に関する世論調査の結果」
文化庁が実施している平成28年度の「国語に関する世論調査」によると、半数以上の人が間違って理解していることがわかりました。
調査結果は下記の通りです。

「質問」
調査では次のような例文を挙げて質問しました。
例文:「話のさわりだけ聞かせる」とはどの部分か?
                    平成28年度  平成19年度  平成15年度
(ア):話などの要点のこと         36.1%     35.1 %    31.1%  (本来の意味)
(イ):話などの最初の部分のこと      53.3      55.0      59.3
(ウ):(ア)と(イ)の両方         4.5       2.7       3.9
(エ):(ア),(イ)とは,全く別の意味   1.8       0.2        0.8
    分からない              4.3       7.0        4.8

調査結果は、本来の意味とされる(ア)の「話などの要点」と答えた人は平成28年度、平成19年度、平成15年度の3回とも3割台にとどまっています。
逆に本来の意味ではない(イ)の「話などの最初の部分」と答えた人は3回とも半数以上を占めています。

「年齢別の結果」
これを年齢別に見ると,70歳代以上では本来の意味とされる「話などの要点のこと」と答えた人が45.8%で、(イ)の「話などの最初の部分のこと」を上回っていますが、その他の年代では全ての年代で(イ)と回答した人が50%以上であり、50歳代以下では60%以上の人が誤用していました。

・赤が本来の意味です。


「誤解の原因」
「さわり」を漢字で書くと「触り」の字になります。
触れるという語感から「深く突っ込むのではなく、最初の部分だけさらっと触れる」と捉えられる人が多いのではないかと考えられるということです。

「さわり(触り)」は元々浄瑠璃用語で、曲節の優れた部分を義太夫節に取り入れているものです。
音楽でいえば曲のイントロではなく、サビの部分が「さわり」になります。

広辞苑には、ア.義太夫節の中に他の恩曲の旋律を取り入れた個所。曲中で目立つ個所になる。
      イ.転じて、方角の各曲中の最大の聞かせ所。「くどき」の部分を指すことが多い。
      ウ.更に転じて、一般的に話や物語などの要点、又は最も興味を引く部分。「-だけ聞かせる」と説明しています。

以上のように、「さわり」とは、話の聞かせどころ、映画演劇では名場面の見どころという意味であり、要点や最も興味をひく部分を指す言葉です。
誤用しないように気をつけたいですね。

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建国から2683年の日

2023-02-11 | 時事

令和元年(2019年)5月1日に即位された今上天皇は第126代になります。
初代天皇は皆様よくご存じの神武天皇ですが、即位されたのは何年かご存じでしょうか?
実は、日本の建国は神武天皇が即位された日とされています。
そこで今日は日本の建国について調べました。

「日本の建国」
日本の建国は今から2683年前の紀元前660年2月11日になります。
『日本書紀』によれば、初代神武天皇は大和の橿原宮(かしはらのみや)で即位しました。
日本書紀の「神武天皇元年正月朔の条」には「辛酉年春正月庚辰朔 天皇即帝位於橿原宮 是歲為天皇元年」とあって、その訓読みは
「辛酉(かのととり)の年の春正月(はるむつき)、庚辰(かのえたつ)の朔(ついたち)、天皇(すめらみこと)橿原宮に於いて即帝位(あまつひつぎしろしめす)。是の歳(このとし)を天皇(すめらみこと)の元年(はじめのとし)と為す。
と記されています。
この日はグレゴリオ暦(現行の太陽暦)では紀元前660年2月11日に当たり、この日を「建国記念の日」としています。

・神武天皇です。


「建国記念の日」の由来
初代神武天皇が即位した日が「建国記念の日」と定められたのは昭和41年(1966年)のことです。
古事記や日本書紀では、神武天皇の即位は紀元前660年1月1日と記述されています。
この日付はグレゴリオ暦に換算すると、現在の2月11日になり、この日を「建国記念の日」としたのです。
「建国記念日」ではないのでご注意ください。

「建国記念の日と建国記念日の違い」
「建国記念日」と「建国記念の日」にはどのような違いがあるのでしょうか?
・「記念日」とは、歴史的事実として日付が確定している日を記念するという意味があります。
・一方、「の」が入る「記念の日」とは、日付は確定していないけれど、そのことを記念する日と言う意味があります。

そこで日本の建国については、初代神武天皇が即位された日となっていますが、神武天皇は神話上の人物であり、実在しなかったと考えている人もいることから、建国の日の歴史的事実としての日付としては明確ではなく、記念日にはなり得ません。
「建国記念日」ではなく「建国記念の日」と呼ぶのは、史実にもとづいて建国した日そのものを記念するのではなく、日本が建国されたことを祝う日だからです。

(参考)
「神武天皇」
神武天皇(紀元前711年?~紀元前585年4月9日?)は、日本の初代天皇とされ、『古事記』『日本書紀』に登場しますが、現在の歴史学上は神話・伝説上の人物とされています。
「日本書紀」によれば、天皇としての在位は神武天皇元年1月1日(紀元前660年2月11日)~神武天皇76年3月11日(紀元前585年4月9日)の76年間とされています。
これによれば、亡くなった年齢は127歳だったことになります。

現在でも127歳まで生き続けるという事は考えられず、矢張り、神話・伝説上の人物のようです。

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虞美人伝説

2023-02-09 | 雑学

立春が過ぎ、暦の上では春になりましたが、まだまだ寒い日が続いています。
しかし、当地では今週から最高気温が平年を上回る日が出始め、春を思わせるような温かさを感じることもあります。
春になればいろいろな草花が咲き乱れ、生命の息吹を感じますが、そんな花の中に「ひなげし」があります。

「ひなげし」と言えば、1972年(昭和47年)11月にリリースしてヒットした曲にアグネス・チャンの「ひなげしの花」がありました。
♪丘の上ひなげしの花で
 うらなうあのひとの心

と歌い出すこの歌はどなたもご記憶にあることと思います。
でも、歌謡曲はご存じでも、植物の「ひなげし」の花は如何でしょうか?

「ひなげしの花」
ひなげしは、ケシ科ケシ属の秋まき一年草です。
原産地はヨーロッパ中部で、日本へは桃山時代に中国を経由して渡来しました。
秋に種を播いて発芽させ、幼苗の状態で冬を越して春の生育期を迎えると、ぐんぐん茎葉を伸ばして5〜6月に開花します。
開花期になるとまっすぐに立ち上げて先端に花径5〜8cmの白、赤、ピンクなどの花を咲かせます。
ひなげしは寒さには強いものの暑さに弱く、日本の暑い夏を乗りきることができずに枯死してしまいます。

「別名:虞美人草」
「ひなげし」は別名を虞美人草(グビジンソウ)といいますが、 これは中国で絶世の美女とされた虞美人に例えたものです。
その虞美人には伝説がありますのでご紹介します。

・ひなげしの花です


「虞美人伝説」
紀元前202年、楚軍の項羽と漢軍の劉邦が長期間戦った、「垓下(がいか)の戦い」があります。
この戦いで敗れた楚軍の項羽は防塁に篭り、漢軍はこれを幾重にも包囲しました。
形勢利あらずと悟った項羽は、別れの宴席を設けました。

項羽はこの戦に虞妃(ぐき)という生涯愛した美しい姫を連れ添ってきており、彼女や愛馬との別れを惜み、宴の席で次のように歌い、自らの悲憤を詠みました。

『力は山を抜き 気は世を覆う          訳:我が力は山をも引き抜き、気は世をも蓋うというのに
 時に利あらずして 騅(すい:愛馬)逝かず     時勢は不利で、騅も進もうとしない。
 騅逝かざるを奈何(いかに)すべき         騅が進まぬことを、我はどうすることもできない。
 虞や虞や若(なんじ)を奈何(いかに)せん』    虞や、虞や、我はそなたをどうすればよいのだろうか。

項羽の歌が終わると、虞姫は剣をとって舞い、舞いつつ項羽の即興詩を繰り返し歌って応えました。
そして、舞いおさめると虞姫は自刃して殉じ、項羽は一陣のつむじ風となって敵軍の中に突っ込みました。
彼女を葬った墓には翌年赤いヒナゲシの美しい花が咲き、人々はこの花を彼女の生まれ変わりと考え、その生涯をはかなんで虞美人草と名づけました。

夏目漱石の小説「虞美人草」でも美貌の女性が毒をあおって自殺します。
花の虞美人草(ひなげし)も暑さに弱く、日本では夏に枯死します。
虞美人は悲しい運命(さだめ)を背負った名称なのですね。

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