らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

ソバの語源

2012-12-31 | 雑学

平成24年も今日が大晦日となりました。
今夜は紅白歌合戦や年末特番のテレビを観ながら年越しそばを食べるご家庭が多いと思います。
年越し蕎麦を食べるのは、「健康長寿」「家運長命」などを願って食べるものですが、今日はそのソバの語源を調べることにしました。

「そば」の語源は、畑の傍(そば)に植えることからソバと言われるようになったとか、麦に次いで美味しいから麦のそば近くにいるということで「ソバムギ」と呼んだ、などといわれていますが、最も有力なものは、そばの実に角があるところから「稜(ソバ)」という説で、この「稜」という字は、「とがったもの」、「物のかど」という意味があります。
蕎麦の実の形から【稜(そば)のある麦】を意味する「ソバムギ」になり、略して「そば」というようになったそうです。
一方、ソバを漢字で書くと、「蕎麦」ですが、これは平安時代初期に中国から入ってきた漢字で、現在でもそのまま使われ続けています。

「蕎麦」というと麺の蕎麦を思い浮かべますが、蕎麦を麺として食べることが普及したのは、江戸時代からで、当時は「蕎麦切り」と言っていました。
「蕎麦切り」は、すぐに江戸で大ブームになり江戸中に蕎麦の店ができ、それを「慳貪(けんどん)蕎麦屋」と言っていました。

慳貪(けんどん)には、物を惜しみむさぼることやケチで欲張り、情け心の無いこと、愛想が無いこと等の意味があって、江戸のソバやでは、【一杯盛りきりで、お代わりもない、給仕もない】という意味の言葉だったそうです。

江戸の「慳貪(けんどん)蕎麦屋」には、お客とお店の人が話すというような雰囲気はなく、そういった様子から、「慳貪蕎麦屋は愛想がない」ということになって、そこから「つっけんどん」という言葉が生まれたと云われています。

さて、今年の記事はこれが最終となります。
読者のみなさん今年一年アクセスしていただきありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。

来る年が 皆様方にとって よい年となりますようお祈り申し上げます。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「まめ」の語源

2012-12-30 | 雑学

おせち料理に欠かせない一品に黒豆があります。
この黒豆は、一年中「まめ(まじめ)」に働き「まめ(健康的)」に暮らせるようにという願いが込められていることから、「まめ」の語呂合わせで入っているものです。
今日はこの「まめ」の語源について調べました。

「面倒がらずにあれこれよく動く人」のことを「まめな人」とか「'まめだね」と言います。
この【まめ】は漢字で書くと【忠実】と書き、食べる「豆」とは書きません。

『忠』には、「真心」の意味があり、『実』には、「偽りがない」「誠である」という意味があることから、「まめ(忠実)」は、元々「誠実で真面目であるさま」の意味で使われていました。
この為、平安時代には「一途で堅物な人」「他の女性に心を移さない男性」をいうのに使われていたそうです。

その後、鎌倉時代以降に「面倒がらず物事に励む」「勤勉でよく働くさま」をいう言葉になり、現在では、「気が利く」「行き届く」「苦労をいとわずよく勤め働くこと」の意味で使われています。
他にもこのまめ(忠実)には「身体が丈夫なこと」、「達者」、「息災」や「生活に役立つこと」「実用的」等の意味もあります。

明後日はお正月です。一年中元気に働き、まめに暮らせるように黒豆をたくさん頂きましょう。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ふとん」の由来

2012-12-29 | 雑学

寒い日が続いています。天気予報によれば年末年始も寒くなるそうです。
私は寒い朝には布団から出るのが辛くなりますが、皆さんは如何ですか?
今日は布団の由来について調べました。

現在「ふとん」は漢字で「布団」と書いていますが、これは当て字で、元々は「蒲団」と書きました。
その謂れは、「ふとん」は嘗てガマ(蒲)の葉で編んでつくった座禅用の丸い敷物のことだったからのようです。
この敷物は鎌倉時代に禅宗と一緒に伝わり、蒲団(フトン)という読み方は古い中国語(唐音)の読み方で、「蒲団」の「団」という字は本来「まるい」という意味があるそうです。

室町時代になると、蒲の穂や綿を布で包んだ座布団のような敷物が作られ「蒲のふとん」と同じ用途で使われました。しかしこれは寝具のことではありませんでした。
当時の寝具は【畳(タタミ)】と【衾(フスマ)】というものを使っており、【畳】は今のような畳ではなくゴザのようなもの、【衾】は長方形の夜具で麻や紙でできており、襟や袖が付いたものもあったようです。

他にも【褥(シトネ)】というものがありました。
【褥】は、タタミやムシロの上に敷いた綿入りの敷物のことをいいましたが、これらを使用していたのはごく一部の限られた人だけで、庶民が寝具として「蒲団」を使うようになるのは江戸時代以降となります。

江戸時代以降、綿作りが広がるとともに大型の綿入れの「蒲団」が作られ、寝具として用いられるようになったようです。
やがて、寝具の「ふとん」と敷物の「ふとん」は区別され、寝具を「蒲団」、敷物は「座蒲団」となり、蒲の意味が薄れ、「布」が当てられて「布団」や「座布団」の表記になったそうです。


コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

殻付き牡蠣

2012-12-28 | 地元紹介

家内の実家から殻付き牡蠣が届きました。
牡蠣は広島が有名ですが、岡山でも品質の良い牡蠣が獲れるようです。

・これが実家から届いた牡蠣です。


先月、北九州で行われた“B1グランプリ”では岡山県の東部海岸線に位置する備前市日生の”カキオコ(牡蠣お使ったお好み焼き)”が5位に入賞し、昨年も9位に入るなど、その美味しさは実証済みとなっています。

・これがそのカキオコです(日生カキオコHPより)


実家から届いた牡蠣は岡山県の西部海岸線に位置する浅口市寄島町で獲れたもので、身は大きくてぷりぷりした立派なものでした。
早速、ガスグリルで焼きました。

・焼く前に殻付き牡蠣を水洗いします。その後ガスグリルで15分ほど両面焼きます。


・殻を開きいてポン酢、レモンで食べましたが、そのままでも塩味が効いて美味しかったです。


殻付き牡蠣は、スーパーで売られている剥(む)き身牡蠣とは比較にならないほど美味しく感じましたが、ひいき目でしょうか?
しかし注意しなければいけないことは、牡蠣は加熱が不足すると食中毒の原因になるそうです。
生産者のHPに加熱の時間が書かれていたのでご紹介します。

「加熱の目安」
食中毒を引き起こす原因とされる菌は、次の条件で死滅するそうです。
・大腸菌      75度以上1分間の加熱
・ノロウイルス   85度以上 1分以上の加熱
・腸炎ビブリオ  70度以上1分間の加熱

加熱さえしっかりしていれば食中毒を引き起こすことはないそうなので、調理される時は十分加熱してください。

コメント (3)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「山をはる」の語源

2012-12-27 | 雑学

私が懇意にしている地元の農家のKさんは元 山師で、若い頃は全国の山を廻っていたそうです。
今は引退して息子に譲り、自身は農業をしています。
諺に「山師山で果てる」がありますが、この方は果てるどころか堅実な商いで多忙を極めていたようです。

山と言えば「山を張る」と言う言葉があります。
昔、学生の頃、勉強のできない小生はよく試験問題の山を張っていたものです。
これがなかなか当たらず、結局劣等生で現在に至っていますが、今日は「山を張る」の語源について調べました。

「山を張る」とは、【勘に頼って万が一の幸運や成功を狙うこと】、【そうなるであろうと予想して準備すること】を言い、この「山」とは、本来【金銀銅を掘り出す鉱山】のことです。
鉱脈のありそうな山の見当をつけ、うまく掘り当てると一獲千金も夢ではない代わりに失敗すれば大損することもあります。
鉱山採掘の仕事は事の成否が不確実で場当たり的だったことから、「山」だけで【思いがけない幸運を狙うこと】を山を張ると言うようになりました。

学生さんには年が明ければ受験が待っています。
山をはったり、あてずっぽうに答えることなく実力で勝負できるようによく勉強してくださいね。

コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「べっぴん」の語源

2012-12-26 | 雑学

「美人に年なし」と言う諺があります。
これは、美人はいくつになっても若く美しく見えると云う事を言っているのですが、近年、日本の女性は若い人は勿論、老いも素敵なご婦人もあまたいらっしゃいます。
美人の事は「べっぴん」とも言いますが、今日はこの「べっぴん」の語源を調べました。

べっぴんとは美人や美女を意味し、古く江戸時代から使われている言葉でですが、その表記・意味合いは現在とは共に異なっていました。

まず、現代の「べっぴん」は漢字で書くと別嬪と書きますが、当時は別品と書いていたそうです。
漢字からも分かりますが、当時は別格な品物、即ち特別によい品というように、物に対して使用していました。
後に人に対しても使うようになりますが、当初は男女に関係なく、優れた人という意味合いで使っていました。

それが次第に女性の容姿のみをさすようになり、それに伴って高貴な女性を意味する「嬪」が当てられて「別嬪」と書かれるようになったそうです。
現在は「別嬪」の方を使うのが一般的です。
昔は男の別品も大勢いたのですね。


コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クリスマスの由来

2012-12-25 | 時事

昨日がクリスマスイブ、そして今日はクリスマスです。
昨日はクリスマス寒波に見舞われた日本列島ですが、クリスマスムード一色に染まった全国各地のイブをTVが報じていました。
景気回復のためにもGDP(国内総生産)の6割を占める個人消費の拡大が欠かせません。
クリスマスの賑わいが日本の景気の沈滞ムードを吹っ飛ばして回復してくれればいいのですが・・・。

さて、昨日の読売新聞のコラム、編集手帳に次のような記事がありました。
『明治維新のさなか、江戸引き渡しを実現したのは勝海舟だ。官軍と戦うことは「時勢が許さない」と判断した海舟を、徹底抗戦派の幕臣は「腰抜け」「大逆賊」と罵倒した。
徳川300年の終わりは相当混乱したのだろう。
3年余りで民主党政権が首相官邸を明け渡す。衆議院選の惨敗で党内には無力感が漂う。自らの失政の報いとは言え、権力の交代は無常だ。
(中略)
政権最後のクリスマスの25日、民主党は新代表を選出する。クリスマスはもともと古代ローマの冬至の祭りだったと言う。一日ずつ長くなる日を祝う祭りだ。どん底からの再出発にふさわしい。
(後略)』

今日はこの記事に因み、クリスマスの由来を調べることにしました。
クリスマス(Christmas ;Xmas)とは、イエス・キリストの降誕(誕生)を祝うキリスト教の記念日・祭日ですが、その語源はラテン語の「クリストゥス・ミサ」の略で、Christ(キリスト)+mas(礼拝)を意味しています。
そして、Xmasはギリシャ語で「Xristos」の頭文字「X」+「mas(礼拝)」のことで、「Xristos(クリストス)」は「油を注がれた者」で、「救世主」「キリスト」を意味しているそうです。

クリスマスの由来は諸説ありますが、古代ローマで冬至の日に行われていた「太陽神の誕生祭」や「農耕神への収穫祭」が、イエス・キリストの生誕祭と結びついたと言われています。
当時のローマでは、太陽神を崇拝する異教が大きな力を持ち、12月25日を太陽神を祭る祝祭日としていました。
そこで初代キリスト教の指導者達が異教徒との対立や摩擦を生むことなく異教徒にキリスト教を広めるために、12月25日をクリスマスとしたと言うことです。

クリスマスが古代ローマの冬至の祭りだったと言うことは、認識を新たにするものでした。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

注連縄作り

2012-12-24 | 地元紹介

昨日、地元のNPO法人“グリーンパーク熊取”が主催する注連縄作り講習会に行ってきました。
今日はその模様をご紹介します。

「注連縄の由来」
講習に先立ち世話人から注連縄の由来や意味を説明してくれました。
それによれば、注連縄とは、神事の神聖な場所と下界を区別するため張る縄のことで、新年に悪気が入らないように家の出入口や神棚などに張ります。
注連縄(しめなわ)の注連(ちゅうれん)は、中国で死霊が入り込まないよう水を注いで清め連ね張った縄を意味し、一定の間隔で藁を三・五・七本と垂らすことから「七五三縄」とも表記されるようです。

私がこの講習会には参加するのは昨年に続きい2年連続となります。
講習会は45名ほどが参加していましたが、参加者全員が確実に作れるようにと、受講者3人のテーブルに対して2人の指導員がつくと云う親切なものでした。
費用は材料代だけの負担で、藁を始めとする材料は全てNPOの人が揃えてくれました。

「準備するもの」
材料は左から、もち米の藁(うるち米より柔らかいそうです)、中央の紙袋の上が細い針金、その下が少し太い針金、緑色が仮止め用のビニール針金、右側のビニール袋の上が水引とその下がユズリハ、ビニール袋は作った注連縄の持ち帰り用です。
この他に橙、裏白、紙垂(かみしで)の用紙も用意してくれました。

・これが注連縄作りの材料一式です。


「作業開始」
・先ず、稲わらの根元部にある皮(袴)をきれいに取り除きます。
・取り除いた藁の皮で、注連縄の中心部を太くするための心棒(アンと云っていました)を3本作ります。
 太さは親指大、長さ約10㎝位のものです。太過ぎや長過ぎは藁からはみ出すので注意します。

・皮を取り除いた稲わらとその皮で作った「アン」です


・稲わらの先端から50㎝くらいまでを木槌で叩いて柔らかくします。
・次に、稲わらの先端から60㎝位のところを、やや太い銅線を3回まわして縛ります。
・銅線から先端部の藁を太さが同じ位になるように3等分します。



・3等分した藁の各々の、銅線から10㎝くらいの個所に心棒(アン)を入れ、各々の藁を右回しに固く巻き、右から左に捻りながら三つ編みに編んでいきます。
・編み終わると、先端部分をビニール針金で仮止めしておきます。
・その後、はみ出している藁や屑をハサミで綺麗に取り除きます。(散髪の要領です)
・仮止めした個所を細い針金を3回まわして縛り、仮止めのビニール針金と差し替えます。



・皮を取り除いた綺麗な藁を15本用意し、5本ずつに分けて、半分に折り曲げ、折り曲げた個所をビニール針金で縛ります。
 これは注連縄の中心に垂らす3個の藁です。


・竹へらのお尻を割った小道具(右端の竹)で上記の藁を注連縄の中央3か所に差し込みます。
・差し込まれた藁は20㎝くらいの長さに切りそろえます。
・藁の根本部の銅線から13㎝くらいのところを切り落として揃えます。(下の画像の右端です)



次は紙垂(かみしで)を作ります。
・半紙を縦に半分に折り、折った紙の背を上にして8等分になるように右から折ります。



・折った紙を開き、中央の折り筋を残し、その左右の奇数の折り筋(1本目.3本目)は上から、偶数の折り筋(2本目)は下から、それぞれ3分の2程をハサミで切ります。
・次に、左右共に切った個所を上から下に手前に折り曲げ、最後に中央部を切り離します。



・切り離した紙垂(かみしで)は左右を入れ替えて、少し開くように上部を重ね、重ねた個所を手前に折り曲げます。
・折り曲げたところにユズリハ2枚を左右にセットし、落ちないようにホッチキスで止めます。(蝶ネクタイのような感じに仕上げます)



・注連縄に取り付ける為の橙を針金で十文字に結わえます。



いよいよ注連縄に取り付けます。
・注連縄の中央に裏白、紙垂(かみしで)、橙をセットし、橙に睦び付けた針金で注連縄に結びつけます。



・最後に紅白の水引を橙の上に蝶結びに結んで出来上がりです。
 これが完成した注連縄です。


昨年講習を受けましたが、1年後には完全に忘れていました。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天皇誕生日

2012-12-23 | 時事

天皇陛下は今日79歳の誕生日を迎えられました。
私たち日本国民は天皇陛下の御誕生日を心よりお祝い申し上げ、陛下の弥栄(いやさか)をお祈り申し上げます。

・読売新聞より


ニュースを観ていていつも思うことですが、天皇陛下は本当にお優しい方だとつくづく思います。

記者会見において、発生から1年9か月がたった東日本大震災の被災者のことを案じて、「被災地に再び厳しい冬が巡ってきています。放射能汚染によりかつて住んでいた所に戻れない人々、雪の積もる仮設住宅で2度目の冬を過ごさなければならない人々など、被災者のことが深く案じられます」と述べられていました。

更に、復興作業に携わる人々の健康を心配されて、「被災地の復興には放射能汚染の除去や、人体に有害な影響を与える石綿が含まれるがれきの撤去など、危険と向き合った作業が行われなければならず、作業に携わる人々の健康が心配です。安全に作業が進められるよう切に願っています」と話されていました。

また、今年2月に受けられた心臓の冠動脈のバイパス手術については、検査で心筋こうそくのおそれを指摘されていたことから、「東日本大震災1周年追悼式に出席したいという希望をお話しし、それに間に合うように手術を行っていただきました。手術が成功したことを聞いたときは本当にうれしく感じました」と語られていました。

天皇・皇后両陛下の温かいお言葉は私たち国民に勇気と希望を与えてくれます。
いつまでもお健やかにあらせられまして、私たち国民を見守っていただきたいと思います。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワビスケ(侘助)

2012-12-22 | 

散歩の途中にワビスケの花を見つけました。
ワビスケは椿の一種で、椿と茶の木の雑種の園芸種だそうです。
花も葉も椿より小ぶりで白、紅、絞りなどの一重の花が8分程度しか開かず、ヒッソリと控えめに咲くのが特徴です。

名前の由来は、「侘数奇(わびすき)」が転じたとする説や、文禄・慶長の役の際、侘助という人物が朝鮮半島から持ち帰ったからという説がありますが、他にも利休と同じ時代に侘助という茶人がいて、この茶人がひどくこの花を愛玩したところからと言う説もあるようです。

なお茶のわび(侘)とさび(寂)についてはこちらをご参照ください。



「参考」
文禄・慶長の役とは、1592年(文禄元年)から1598年(慶長3年)にかけて朝鮮半島で行われた戦争です。
日本の豊臣秀吉が主導する遠征軍と明および李氏朝鮮の軍との間で交渉を交えながら戦われたものです。この国際戦争は16世紀東アジア最大の戦争と言われています。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする