らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

「除夜」の由来について

2010-12-31 | 雑学
平成22年も今日が大晦日となりました。
証券業界には「寅(とら)千里を走る」という格言があって、寅年の今年は景気の回復を期待して新年のスタートを切りましたが、昨日の大納会では1万228円と前年末に比べて3%下落して引けました。
今年もまた世界経済が激動している中、日本の政治・経済はともに停滞した1年だったと思いますが、読者の皆様にはどのような年だったでしょうか?

さて、今日は日頃何んら気に留めることもなく使っている「大晦日」と「除夜」の言葉の由来について調べました。

「大晦日の由来」
大晦日の「みそか」は、本来「三十日(みそか)」と書き、「月の30番目の日」と言う意味だそうです。これが転じて晦日は31日など、実際の日付に関係なく「月の最終日」を意味するようになりました。
また、晦(つごもり)」とは、「ツキゴモリ(月隠)」からきた言葉で、「三十日(みそか)」に晦日の字が当てられるようになったのは、陰暦では15日が満月で、月はその後欠けていき、最後には月が隠れることに由来しているようです。
このようなことから、毎月の末日を「晦日(みそか・つごもり)」と言い、1年の末日を「大晦日(おおみそか・おおつごもり)」と言うようになりました。
なお、大晦日の「大」は一年の最後の月の最終日であることからつけられたもので、「大きい」という意味ではありません。
また、29日で終わる月は「九日晦日(くにちみそか)」とも呼ばれています。

「除夜の由来」
「除夜」とは大晦日の夜のことですが、何故、大晦日の夜を「除夜」と言うのかを調べてみると、元々、大晦日は「旧年」を除き去るという意味から「除日(じょじつ)」とも言われており、その夜なので「除夜」と言われるようになりました。
「旧年」を除くこの夜は、産土神(うぶすながみ:生まれた土地を領有・守護する神)を祀る神社に詣でて、ここで新しい年神様を迎えるために籠り、一晩中起きているということが本来でしたが、それが徐々に簡略化されて現在に至っています。
除夜の夜に神社に詣でるとか、元日の未明に神社に参拝すると言った行為は、夜通し神社に籠った行事の名残のようです。

「除夜の鐘」
除夜に撞く鐘を「除夜の鐘」と言い、その鐘は108の煩悩を除くという意味が込められていると言われています。 
・108回の謂れ
 次に「除夜の鐘」が108回撞かれる説については諸説あるようです。
 (1)(げん)、(に)、(ぜつ)、(しん)、(い)の六根のそれぞれに、(こう: 気持ちがいい)、(あく:気持ちが悪い)、(へい:どうでもよい)、
  があって18類、 この18類のそれぞれに、(じょう)、(せん:きあない)の2類があって36類、この 36類を前世今世、来世の三世に配当して108類となり、
  人間の煩悩の数を表すという説。
 (2)月の数の12、二十四節気の数の24、七十二候の数の72を足した数が108となり、1年間を表すという説。
 (3)四苦八苦を取り払うということで、4×9(四苦)+8×9(八苦)=108をかけたと 言う説などがあります。

・「鐘の撞き方」
 鐘を撞く前に、鐘に向かって合掌します。
 108回のうち107回は旧年(12月31日)のうちに撞き、残りの1回を新年(1月1日)に撞くそうです。

さて、今年のブログは今日が最後となりました。
この1年、当ブログにアクセスしていただきました読者の皆さん誠にありがとうございました。
来たる年が皆様に良い年でありますよう心からお祈り申し上げます。
どうぞ良いお年をお迎えください。

「お詫び」
  なお、誠に勝手ながら、明日1日から3日まで休ませていただきます。
  4日から再度書き出す予定にしていますので、引き続き宜しくお願い致します。

コメント (3)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

師走に咲いた「菜の花」

2010-12-30 | 家庭菜園

1週間ほど前に冬至でしたが、昔から“冬至冬中冬初め”という言葉があります。
これは、冬至は暦の上では“冬という季節”の中間点ですが、“実質的な冬”はこれからで、むしろどんどん寒くなることを言い表した言葉です。
この言葉の通り、今年は寒い年末となり、これからが本格的な冬の到来となります。

この寒さの中、私の畑では早くも菜の花が咲きました。
今日は読者のみなさんにちょっぴり春の暖かさをお届けしたいと思い”師走に咲いた「菜の花」”を掲載しました。

・1株だけ花がついた畑の菜の花です。


一般的に「菜花(なばな)」は春の訪れを告げる野菜と言われています。
菜の花には、春の暖かさと共にミツバチや蝶が飛んできますが、流石にこの時期ではそのような光景は見られません。

・この株だけ茎が伸長して花をつけました。


・この株には蕾も付いていますが他の株には花芽はついていません。。


春先に蕾を食べる「菜花(なばな)」がこのように12月中に花を咲かせるのは極め珍しいことだと思います。




コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「シコンノボタン(紫紺野牡丹)」の花

2010-12-29 | 
庭の片づけをしていたら鉢植の「シコンノボタン(紫紺野牡丹)」の花が咲いていました。
今日は季節外れに咲い紫紺野牡丹の花をご紹介します。

「シコンノボタン(紫紺野牡丹)」はノボタン科ティボウキナ属(和名シコンノボタン属)の常緑低木です。
原産地は南米ブラジル地方で、日本には19世紀頃に渡来したそうです。
鮮やかな紫紺色の花を咲かせることから、庭木、鉢植えとして親しまれている花です。
「シコンノボタン(紫紺野牡丹)」という名前は、花びらが紫色で、ボタン(牡丹)のように美しいことに由来しています。
また、雄蕊とその先の葯の部分が蜘蛛の足のように見えるために、スパイダーフラワー(Spider Flower)の別名もあります。

・シコンノボタン(紫紺野牡丹)の花です。


葉は対生で楕円形をしており、産毛で覆われてビロードのような手触りがします。

・「シコンノボタン(紫紺野牡丹)」の葉です。


「ノボタン(野牡丹)」と「シコンノボタン(紫紺野牡丹)」は混同されやすく、ふつうよく見かけるのは「シコンノボタン(紫紺野牡丹)」です。
両者の見分け方は、 
  ・「ノボタン(野牡丹)」は短いシベが黄色で長いシベは紫色をしており、
 ・「シコンノボタン(紫紺野牡丹)」は
長短のシベが共に紫色です。

・「シコンノボタン(紫紺野牡丹)」の蕾です。


「シコンノボタン(紫紺野牡丹)」の花期は夏と秋ですが、温度さえあれば冬でもわずかながら咲きつづけるそうです。
大阪南部・熊取町では、今年は12月中旬まで気温が高かったので、我が家の「シコンノボタン(紫紺野牡丹)」も季節外れに咲いたのかも分かりません。

・「シコンノボタン(紫紺野牡丹)」の花と蕾です。




コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

正月準備(その2)

2010-12-28 | 雑学

正月準備2回目の今日は「注連飾り(しめかざり)」、「鏡餅の飾り方」、「床の間飾り」についてご紹介します。

●「注連飾り(しめかざり)」
 「しめ縄の由来」
 天の岩戸に隠れた天照大神(あまてらすおおみかみ)を、岩を引き明けて連れ出し、大神のまわりに「しりくめ縄」を引きめぐらした、という神話が、このしめ縄の始めだといわれています。
 しめ縄は、「しりくめ縄」の略したものといわれ、「注連(しめ)縄」、または「標(しめ)縄」とも書き、「しめ飾り」ともいいます。
 
 「注連飾り」

 注連飾りとは、社殿や玄関に注連縄を張って飾るもので、古い年の災いを締め出すのと同時に、新しい災いが家の中に入らないようにする意味が込められています。
 注連縄には、裏白(うらじろ:長寿を表す)、だいだい(家が代々繁栄する)、ゆずり葉(家督を譲って家系を絶やさない)、昆布(皆が喜ぶ幸福)などの縁起物を飾りつけます。
 飾りつけ場所は、玄関の軒下、ドアの正面などに飾り、注連飾りは、一般的には左末右本(向かって左が藁の先で細く、右が太い藁になっているもの)で飾り付けます。
 これは社殿に向かって右を上位とし、藁の綯(な)い始めを右とすることによるようです。
 また、「注連飾り」を簡略化したものに「輪飾り」があります。これは藁の先を輪の形に結び、下を揃えて長く垂らし、それに四手(しで:紙垂)をつけたもので、台所など、家の要所要所に飾り付けます。

●「鏡餅」
 「餅の由来」
 餅は縄文時代後期に稲作の伝来と共に東南アジアから伝わったと考えられています。その当時の米はもち米ではなく、赤米で比較的餅になりやすい米だったようです。
 餅が季節や行事ごとに供えられ、食されるようになったのは「鏡餅」が誕生した平安時代からといわれています。
 この頃から、餅は祭事・仏事の供え物として慶事に欠かせない食べ物となり、正月や節句、季節の変わり目に餅を食べる習慣となって引き継がれ、縁起のよい食べ物として現在に至っています。

 「鏡餅」
 鏡餅は、もともと神饌(しんせん:神様の食べ物)として歳神様にお供えするための餅です。
 そして鏡餅が丸いのは、人の魂(心臓)をかたどったものと言われ、鏡は魂を表す神器でもあることから、歳神様にお供えした餅を食べると新しい生命が授けられると言い伝えられてきました。
 また、大小の餅を二つ重ねるのは、陰(月)と陽(日)を重ねることに通じ、福徳が重なることを願うためだそうです。

 「鏡餅の飾り方」
 鏡餅の飾り方は、三方(さんぼう:白木の箱でも良い)の上に奉書紙(半紙)を四方に垂らして敷き、その上に裏白(長寿の象徴)とゆずり葉(家系が絶えない象徴)を左右に配して、その上に大小二個の丸餅をのせます。
 餅の上から昆布(皆が喜ぶ幸福)を垂らし、その上に串柿(いつもニコニコ仲睦まじく)、葉のついたダイダイ(家が代々繁栄する象徴)やミカン、伊勢海老などを乗せます。家庭によっては、回りに勝ち栗、ごまめ、ヒイラギ
 の葉などの縁起物を飾り付けることもあるようです。
 なお、家庭で鏡餅を作る場合は初臼でついた餅でつくります。  

●「床の間」
 「床の間飾り」
 床の間を正月らしく、めでたく飾ります。
 掛け軸は、絵なら「七福神」「蓬莱」「松竹梅」など、書なら、正月用の書として「福」と「寿」の二幅つい、「松」「竹」「梅」の三幅ついなどですが、いずれもなければ新春らしいもの、めでたい気分を損なわないものであれば
 特にこれらにこだわる必要はありません。

●「神棚」
 歳神様を迎えるために神棚も飾ります。
 注連縄を飾り、榊、酒、お供えの餅を飾って灯明を用意します。

お正月は五穀豊穣や家内安全をもたらしてくれる「年神様」を迎え入れる行事です。
ご家庭に「年神様」が幸運とともに降りてくるよう願い、掃除をして家の中を清めたり、目印として正月飾りをしたり、お祝いをする準備をするのが、昨日と今日の2回にわたってご紹介した正月準備です。
もし、これらの準備が未だの人はできるだけ今日か30日に行うようにしてください。
明日29日は「くまつ」と言って「苦を待つ」に通じることから避ける慣わしがあり、31日も「一夜飾り」と言って、飾り物やお供えなどの準備に向かない日とされています。


コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

正月準備(その1)

2010-12-27 | 雑学

今年も、今日を含めてあと5日となりました。
そこで、今日は新年を迎えるための「正月準備」について調べました。

正月には、昔から家々の祖先にあたる歳徳神(としとくじん)の来臨を仰ぐ風習がありました。この風習と農耕儀礼が結びついて穀物霊とみなされ、年初に五穀豊穣を祈り、家内安全を願うようになりました。
その正月を迎えるための準備が「正月準備」と言われるもので、昔は12月13日から始めました。

12月13日と言う早い時期の謂れは、江戸時代中期まで使用されていた宣明暦で、旧暦の12月13日は必ず「鬼の日」になり、この日は婚礼以外は全てに吉とされていることから、正月の神様を迎える準備をするのに良い日とされ、「正月事始」と言われていること。
更に、昔は門松や雑煮を炊くための薪(たきぎ)など、正月に必要な木を山に取りに行く習慣があり、注連飾り(しめかざり)や門松なども全て自分で作っていたことから、早くから準備しないと間に合わなかったことなどによります。

「正月準備」とは
「正月準備」とは、神棚の煤払(すすはら)いや家庭内の大掃除、門松作り、注連飾り(しめかざり)、神様に供える餅つき、おせち料理などの準備をすることが含まれますが、ブログでは「門松」と「注連飾り(しめかざり)」、「鏡餅の飾りつけ」について、今日と明日の2回に分けてご紹介します。

・我が家の門松です。 この門松は、先日、山の手台フラワーの会での「門松作り講習」に家内が参加して作ったものです。


「門松」 
門松は「松飾り」とも言われ、古くは木の梢に「神が宿る」と考えられていたことから、年神様を家に迎え入れるための「依代(よりしろ)」、即ち、神が招き寄せられて乗り移る物として考えられました。
(依代(よりしろ)とは、神が依り憑く対象物のことです。)
もともとは松、杉、椎、榊、などの常緑樹が使用されていましたが、いつしか松、竹、梅などが用いられるようになったようです。

「門松の飾り方」
門松は、正月に、家々の門前に立てるもので「松飾り」、「飾り松」、「立て松」などとも呼ばれており、関西では、松の枝または小さな若松を用いたりしますが、関東では、丈の高い太い竹に松を添えたりするようです。
鎌倉時代以降になって、松に竹を加えて門松とされるようになったとされています。
正式な門松は、竹を三本束ねて周りに松をあしらい、むしろで包んで、荒縄で三か所を七五三(下から七、五、三巻と筋目を見せる)に結び、雄松、雌松と対に立てます。
戦中・戦後には、森林資源の保護や濫伐による水害防止といったことから、門松の廃止論がささやかれ門松作りが減少しました。
このため現在では、あまりに豪華な門松を立てる家は少なくなってきました。
最近では、白紙を巻いた根松や松の小枝などを門柱やドアの脇の柱に取り付けたり、門松の写真を印刷したものを玄関ドアの両脇の柱に貼りつけたものなどで代用されているようです。

「門松を立てておく期間」
門松を立てておく期間を「松の内」と言い、一般的には1月7日の大正月までを指すことが多いようですが、関西では1月15日の小正月までを松の内としています。
元々は小正月までを松の内としていたようですが、1662年1月6日、江戸幕府により、1月7日を以って飾り納めを指示する最初の通達が江戸の城下にお触れとして発せられ、それに倣った風習が関東を中心に広まったと考えられ、松の内の短縮が行われたようです。

なお、門松や注連飾り(しめかざり)、鏡餅の飾りつけ、煤払い(すすはらい)、大掃除などは、出来るだけ明日の12月28日までに行うようにしましょう。
もし作業が残ったとしても、29日は避けて30日にしてください。
29日は「くまつ」と言って「苦を待つ」に通じることから、避ける慣わしがあり、12月31日も「一夜飾り」と言って、飾り物やお供えなどの準備に向かない日とされています。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋ジャガイモの収穫

2010-12-26 | 家庭菜園

今日は「秋植えジャガイモ」の収穫をご紹介します。

大阪南部・熊取では、「秋植えジャガ芋」の植付け時期は盆明け頃といわれていますが、私は少し遅れて9月上旬に植えつけました。
植え付けが半月余り遅れましたが、今年は12月中旬まで気温が高かったため収穫時期を遅らせることができ、栽培には好都合でした。
種芋には、春に収穫したものの中から、小さなものや芽が出始めた芋14~15個を植え付けしました。そのジャガイモを先日収穫したものです。

・一部茎が枯れ始めたジャガイモの畝です。左の緑の葉の畝は大根で、右の藁を置いているところはサトイモの畝です。


11月中は気温が高かったため、12月になっても茎は青々としていました。中旬になって気温の低下とともに枯れ始めたところです。

・寒さで枯れ始めたジャガイモの茎です。


・ジャガイモの茎が枯れ、株元の土が盛り上がって割れてくると収穫の時期となります。


・14~15個植え付けた芋からこれだけ収穫できました。
 左から「キタアカリ」、「赤いも」、「メークイン」です。上にある少し黒い芋は種イモです。



コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「クリスマス(Xマス)」の語源

2010-12-25 | 雑学

今日は「クリスマス(Christmas ;Xmas)」です。
「クリスマス」はしばしば「Xマス」、英語でも「Xmas」と書かれます。
そこで、今日は「Xマス:Xmas」の語源について調べました。

新約聖書はその時代の標準ギリシャ語で書かれており、その中で、救いの主の意で用いていたヘブライ語の「メシヤ」を「キリスト(ギリシャ語でⅩPIΣTOΣ)」と翻訳し、略記としてギリシャ語の第一文字の「Ⅹ]だけでキリストを指すものとなったそうです。
このことから、略して書くときには「Xmas」、「Xマス」と書くようになったそうです。なお、「X’mas」「X’マス」とアポストロフィ入れるのは間違っているのでご注意ください。
また、クリスマスの「マス」は「ミサ」のことで、「ミサ」とは、ローマ・カトリック教会で聖体と聖血の拝領を中心に、神に感謝し共同体的一致を深める儀式で、他の教会の聖餐式にあたるそうです。(広辞苑より)



「日本におけるクリスマス」
「日本におけるクリスマス」は、1552年(天文21年)に周防の国山口(現在の山口県山口市)において宣教師コメス・デ・トルレスたちが日本人信徒を招いて降誕祭のミサを行ったのが初めてのクリスマスだそうです。
しかし、その後、江戸時代に幕府がキリスト教を徹底的に弾圧したことから、明治の初めまで全く受け入れられることはなかったようです。
日本でクリスマスが受け入れられるようになったのは、1900年(明治33年)に明治屋が銀座に進出し、その頃からクリスマス商戦が始まったことが大きな契機だそうです。
1928年(昭和3年)頃には日本の年中行事となって普及し、現在では宗教に関係なく、お祭り的歳末商戦として個人消費が最高に盛り上がる年末の一大行事となっています。

松下幸之助氏はかつてテレビ対談で「不景気の時こそ、我々余裕のある者が積極的に消費すべきである」という主旨の話をされていたことを記憶しています。
デフレ経済下で景気低迷が続く中、景気回復には個人消費の拡大が欠かせません。
クリスマス商戦を契機として、松下氏のお話のように金銭的に余裕のある方は大いに消費をしていただき、景気回復に寄与してほしいものですね。


コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イルミネーション

2010-12-24 | 地元紹介

今夜は楽しいクリスマスイブですね。
今月に入り、各地でクリスマスムードを盛り上げるべく、華やかなイルミネーションが輝いています。
私の記憶では、現在のようにイルミネーションが普及したのは1995年(平成7年)の阪神淡路大震災の年におこなわれた神戸の「ルミナリエ」からではないかと思っています。
その後、以前、私が勤めていた大阪の堂島地区でも、大阪市役所の周辺から御堂筋に掛けて年々華やかなイルミネーションが見られるようになり、更に、市内の他の区域でも華やかなイルミネーションが飾られるようになりました。

・今年の御堂筋のイルミネーションです。


イルミネーションは近年個人宅にも波及し、時折、TVニュースで素晴らしい作品が紹介されています。
今日は私が住まいしている大阪府熊取町の山の手台住宅のご家庭が飾りつけている「イルミネーション」をご紹介します。

・このお宅は塀の内側、庭の低木を中心に飾っていました。


・こちらのお宅はフェンスと庭をイルミネートしていました。
 

・こちらの家では、毎年電飾数が増え、華やかになってきているように感じます。


・こちらのお宅もフェンスと玄関周りを飾っていました。


山の手台住宅地では、今年、イルミネーションを飾り付けたご家庭は昨年より少なくなったような気がします。
これだけの飾り付けをするのは手間がかかって大変なのでしょうね。
他にも飾り付けをしているご家庭がありましたが、今日はこの四軒のご家庭のイルミネーションご紹介しました。
華やかなイルミネーションを拝見させていただきありがとうございました。

コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天皇陛下、喜寿の誕生日

2010-12-23 | 時事

今日は天皇陛下の77歳のお誕生日です。
1933年(昭和8年)12月23日に皇太子・継宮明仁親王(つぐのみやあきひとしんのう)として誕生された天皇陛下は今日喜寿のお誕生日を迎えられました。
今日は天皇誕生日をお祝いする国民の祝日なので、国民の一人としてお喜びを申し上げたいと思います。

     

さて、新聞報道によれば、天皇陛下は皇居・宮殿での記者会見で、次のように述べられたようです。
・約70年前に絶滅したといわれたクニマスの生息が、山梨県の西湖で確認されたことに触れ「本当に奇跡の魚(うお)と言ってもよいように思います」と喜ばれ、その上で「今後絶滅することがないよう危険分散を図ることは
 ぜひ必要です」と話されました。
・陛下はこの1年を振り返り、高齢者の所在不明問題を「非常に残念なことでした」とし、日本人2人のノーベル賞受賞については「誠にうれしい気持ちを覚えました」と述べられました。
 
・また、ご自身の加齢をめぐる質問に対し、陛下は「耳がやや遠くなり、周囲の人には私に話をするときには少し大きな声で話してくれるように頼んでいます」と語り、テレビのニュースなどで字幕に頼っていることを明かされ
 ました。
・ご家族の問題では、皇太子ご夫妻の長女愛子さまについて「登校が難しくなるという思いがけない問題が起こり、心配しています。皇太子、皇太子妃の心配も大きいことと案じています」と話され、さらに「愛子と会う機会も
 限られ、残念ですが、交流としてお話しできるようなことはまだありません」と述べた。
・療養中の皇太子妃雅子さまについては「公務のことがよく言われますが、何よりも健康の回復に心掛けるよう願っています」と気遣われました。

天皇については、日本国憲法第1条に「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統治の象徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意に基づく」と規定されています。
日本国の象徴である天皇陛下ならびに皇室の方々の和やかなニュースは、私たち国民を明るくし、希望と勇気を与えてくれます。
天皇陛下にはいつまでもお健やかにあらせられまして、私たち国民を見守っていただきたいと思います。


コメント (3)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「キウイフルーツ」の収穫

2010-12-22 | 家庭果樹
今日は我が家のキウイの収穫と「完熟の目安」についてご紹介します。

キウイの収穫時期は11月から12月頃で、霜が降りる前といわれています。
今年は12月に入っても気温が高かったため収穫をためらっていましたが、先日、漸く収穫したところです。

・今年は相当摘果して果実の肥大を図りましたが、水不足のため乾燥が激しく、思ったほど大きくなりませんでした。


キウイは果実を握って付け根を親指で押すと簡単に木から取れます。

・均一に大きくなってくれません。中には小さな果実も散見されます。


・これが今年収穫したキウイで、大小含めて35個あります。


「追熟の方法」
キウイは収穫してもすぐには食べられません。収穫後、追熟して柔らかくなった頃に食べます。
追熟にはエチレンガスを使用しますが、このガスはリンゴやバナナから発生しますので、家庭ではこれらの果物と一緒に保管して追熟させるのが一般的です。
この時、密閉せずにガス抜きの穴を開けておきます。
追熟は室内温度15℃~20℃くらいで行うとよいようです。温度が低いと追熟の進行が遅く、糖度が上がりにくいといわれています。

我が家では、買い物でもらうビニール袋にりんごと一緒に入れて結んでおきます。 結び目のところに隙間が出来るので、袋に穴を開けなくても大丈夫です。

・キウイとリンゴを買い物袋に入れて追熟させるところです。


「完熟の目安」
「完熟の目安」は、指で押して耳たぶくらいに柔らかくなった頃と言われています。日数では、10日~2週間くらいで完熟すると思います。

・下の画像は1週間くらい経過して少し柔らかくなった(耳たぶより固い)程度のキウイです。まだ果肉のグリーンの色が薄く未熟の状態です。


・適熟果したキウイです。過熟果すると、果肉の色が黄色く変色して味が落ちてきます。





コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする