○クレンペラー指揮ACO(classical radio vault:CD-R他)1957/2/16、17live
じつは私は一時期、チェリビダッケの8番経験以来異常なブルックナーファンになっており、フルヴェン、クナ、クレンペラー、チェリ、コンヴィチュニーあたりを中心に大量に音源を集めていたことがある。しかしサイト・ブログ上では殆ど触れていないため何か中欧音楽に余り関心がないように思われるらしく(ベートーヴェン、ブラームスもそうだが)、見当違いなことを言われることもある。ここのところは音盤整理(とくにCD処分)のひとつのやり方として余りここでは触れてない三大Bの演奏音盤を意図的に取り上げていきたいと思っている。これは再発か初版か確認してないが、CD-Rとしては新しい海賊盤ではある。5番は両端楽章を同じ主題で統一し非常に安定感のある構造をもって威容を示す曲であり、旋律や展開にはロマンティックなものを孕むものの際立ってはおらず、寧ろ目に付く古典的な構築性は4番からの長足の進歩と後に続く作品とも隔絶した記念碑的性向も示している。大伽藍のようなスケール感のある演奏が求められるところだろう。1楽章途中に示される重量感のあるファンファーレの響きをショスタコが7番(5番だったっけ?忘れた)3楽章で引用している(恐らく)。
この盤は演奏的にはベートーヴェンである。そのように厳しく律せられ凝縮された演奏であるがゆえに比較的こじんまりとまとまった印象もある。録音が極端に貧弱なせいもあると思う。ACOは時期によって出来にムラがあるがこれは非常にまとまった音を出すことに成功しており、崩れのない精緻な演奏振りから機能的にもすぐれたものを持っていることをうかがわせる。クレンペラーの揺るぎない解釈はそのスピードにおいてもテンポ設定においても後年もそれほど変化しなかったが、有名なVPOライヴとはまたちょっと違う、老成しない職人的な演奏のようにも感じられる。この録音状態でも明快でスコアが透けて見えるような演奏ぶりは清清しいが、個性が存分に発揮されているという感じが無い。素晴らしい演奏だとは思うが、厳しく整えられたハーモニーの突き刺すように縦の揃ったさまは(多分に録音のせいかもしれないけど)際立ってはきこえてこなかった。客席反応が穏やかなのは「クレンペラーのブルックナー」の「悠揚たる終演ぶり」というより、ベートーヴェン的な「これでいいのだ!」というきっぱり切り落としたした感じにまとめられているところからきているのかもしれない。○。
じつは私は一時期、チェリビダッケの8番経験以来異常なブルックナーファンになっており、フルヴェン、クナ、クレンペラー、チェリ、コンヴィチュニーあたりを中心に大量に音源を集めていたことがある。しかしサイト・ブログ上では殆ど触れていないため何か中欧音楽に余り関心がないように思われるらしく(ベートーヴェン、ブラームスもそうだが)、見当違いなことを言われることもある。ここのところは音盤整理(とくにCD処分)のひとつのやり方として余りここでは触れてない三大Bの演奏音盤を意図的に取り上げていきたいと思っている。これは再発か初版か確認してないが、CD-Rとしては新しい海賊盤ではある。5番は両端楽章を同じ主題で統一し非常に安定感のある構造をもって威容を示す曲であり、旋律や展開にはロマンティックなものを孕むものの際立ってはおらず、寧ろ目に付く古典的な構築性は4番からの長足の進歩と後に続く作品とも隔絶した記念碑的性向も示している。大伽藍のようなスケール感のある演奏が求められるところだろう。1楽章途中に示される重量感のあるファンファーレの響きをショスタコが7番(5番だったっけ?忘れた)3楽章で引用している(恐らく)。
この盤は演奏的にはベートーヴェンである。そのように厳しく律せられ凝縮された演奏であるがゆえに比較的こじんまりとまとまった印象もある。録音が極端に貧弱なせいもあると思う。ACOは時期によって出来にムラがあるがこれは非常にまとまった音を出すことに成功しており、崩れのない精緻な演奏振りから機能的にもすぐれたものを持っていることをうかがわせる。クレンペラーの揺るぎない解釈はそのスピードにおいてもテンポ設定においても後年もそれほど変化しなかったが、有名なVPOライヴとはまたちょっと違う、老成しない職人的な演奏のようにも感じられる。この録音状態でも明快でスコアが透けて見えるような演奏ぶりは清清しいが、個性が存分に発揮されているという感じが無い。素晴らしい演奏だとは思うが、厳しく整えられたハーモニーの突き刺すように縦の揃ったさまは(多分に録音のせいかもしれないけど)際立ってはきこえてこなかった。客席反応が穏やかなのは「クレンペラーのブルックナー」の「悠揚たる終演ぶり」というより、ベートーヴェン的な「これでいいのだ!」というきっぱり切り落としたした感じにまとめられているところからきているのかもしれない。○。
全く当を得た評価と同感します。
しかし、1週間も出張していると、もう、テンシュテットが大量に攻めてきて大変です。
個人的には今はなぜかケーゲルと同じような位置に位置づけられています。どこがどうというわけではないのですが、オケに対する強権的な雰囲気というか・・・
ケーゲルとの人間関係は知らないのですが、確かにモーツアルト、ハイドンの思いの外軽快な演奏、スタジオレコーディングでのこちこちぶりは、似ていますね、ご指摘は慧眼です。
ただし、ライブの方が却ってひんやりとした、抑制の強い演奏が印象的なケーゲル(そこがまた好きなところ)と、ライブでは(今まで猛練習を課して縛っていた)手綱をはなし、熱を帯びた演奏が成功するときもあるテンシュテットではマーラー、ショスターコーヴィッチでは大きく異なると思います。
そういえばそうですね。。ケーゲルのあの独特のカロリーの低さ純度の高さにくらべ、テンシュテットはもっと前の時代の演奏様式に近いものを感じます。