20世紀ウラ・クラシック!<最新版>

このページは、19世紀末から20世紀の末流ロマン派クラシック音楽に焦点を当て、同時代の録音評を中心に紹介しています。

☆アイヴズ:交響曲第4番~Ⅲ、Ⅳ、Ⅰリハーサル

2018年01月14日 | アイヴズ
○ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団(DA:CD-R)1970/11/14リンカーンセンター放送live

リハではあるが最晩年の非常に緩慢なテンポの上に展開される拡散的な世界が垣間見られる演奏。3楽章の途中からリハは始まる。このリハでは3、4楽章通してストコフスキがいかに弦楽器の表現、とくに高弦のアーティキュレーションに細心を払っていたかがわかる。ストコの弦楽アンサンブルはとにかく、どんな曲でも美しい。3楽章は初期の弦楽四重奏曲を原型とした弦楽アンサンブルが主体ゆえ、旧来のロマン的な音楽を表現するように、基本的にはゆっくり美しく、アタックは強め、といった感じで普通のリハである。4楽章はアイヴズが得意とした、長大なクレッシェンドと収束のディミヌエンドだけで成り立っている音楽だが、初演盤に聴かれるのと同様、音量的な変化がそれほど聞き取れないものになっている。そのせいかストコは音量指示をかなり多く出しており、カオス的な音の奔流の中に変化をつけようとしているが、基本的にかなり慣れた様子もあり、リハゆえ大人しくなってしまっている可能性もあるが、基本解釈は初演から余り変わっていないのだなあと思わせるところもある。部分を除いて音は比較的良好なので、後半執拗に繰り返される結部でのヴァイオリンソロの下降音形(ソロではなく合奏?)がそれまでの流れの延長上で非常にゆっくりレガートで表現するように指示されていることがわかる。アイヴズの弦楽器の書法が、ここまできちんと美しく表現しようと努力されないと効果的に響かないようにできているのか、とも思った(盤や演奏によっては弦にまったくやる気のないものもままある、そうなるとどうも締まらない)。緩慢なインテンポで音量変化(音質変化)も結局それほど感じられないのが気になったが、実演では違うのかもしれない。最後に1楽章の合唱を少し齧って終わる。○。

※2008-01-10 21:43:50の記事です
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☆アイヴズ:夕闇のセントラルパーク

2017年12月28日 | アイヴズ
○ドラティ指揮フィラデルフィア管弦楽団(DA:CD-R)1976live

新しい録音で一応ステレオだがホワイトノイズが激しく音量も安定しない。またよくあることだが音響の真ん中がすっぽり抜けており、中盤での盛り上がりどころのブラスの饗宴などまったく聞こえてこない。まるで遠い池の向こうの出来事だ。しかし録音の悪さを置いておけば、ドラティらしい聞きやすい整え方のなされた演奏であり、それは主として緩まないテンポに厳格な複リズムとして各声部をあてはめていくやり方に起因していて、面白かったろうなあ、と推定することはできる。ティルソン・トーマスのような分析的なやり方ではないためライヴ感溢れる音楽として聞ける。そもそもこのような抽象化作業のなされない「音響」を「音楽」と呼ぶべきなのか異論はあろうが、少なくともドラティで聴くと音楽に聞こえる。とくに弦楽器の瞑想的なコラールが美しい。とても心象的だが決して幻想に流されないきちっとした流れが保たれている。ブラスがいかにもアメリカンでアイヴズにはとても向いているが前記のとおり聞かせどころでまったく聞こえてこないのでここはメリットとはできないか。いずれスケールは落ちるもののアイヴズ入門としては面白いので、機会があれば。これの拡張版ともいえる4番交響曲をドラティで聴いてみたかった。

※2007-06-06 16:01:37の記事です
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☆アイヴズ:ラールゴ・カンタービレ

2017年12月17日 | アイヴズ
○ストコフスキ指揮CBS放送管弦楽団(SCC:CD-R)1954/2/7放送LIVE

バーンスタインの名演で知られるアイヴズの秀作小品である。現代の精緻な演奏様式よりいくぶんロマンチックな感情を込めた演奏に合う。だからストコフスキにも似合う。いくつかの楽想のほんの破片をポリフォニックに重ねていくコラール、無機質なアルペジオを背景に浮いては消える賛美歌旋律、生温いのに、とても透明感ある夢想。この作曲家が哲学に傾倒していたことをはっきり伺わせる思索性は三番交響曲の終楽章に近似しており、四番交響曲の終楽章の構成の基礎となる要素を示している・・・つまりは作曲家自分自身の評価も含めて最高傑作といわれる作品群の「要約」のような二分半だ。力強くやや硬質のコロムビアオケの音でバンスタほど過度の歌謡性は持ち込まず、調和を意識することなくアイヴズらしい乱暴なやり方をあるていど残している。ストコフスキはそのやりかたで交響曲第4番初演盤では半端な前衛性をだらだらと示してしまい聞きづらさもあったのだが、ここでは曲の短さと、元来のロマンチシズムがそれでも首尾一貫したように聞かせている。で、結局面白い。薄く精緻にやると粗さが目立つ、このくらいがいいのだ。ノイズがひどいが力強い録音。これ、学生時分に譜面に落としたなあ。いずれパートも見開きくらいしかないけど、単独パートでもわりと曲になっていた。なつかし。

※2010-04-09 22:20:34の記事です
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☆アイヴズ:ヴァイオリン・ソナタ第4番

2017年12月10日 | アイヴズ
○ラレド(Vn)シェイン(P)(PEERLESS)LP

10分前後の小曲にもかかわらずアメリカの近現代ヴァイオリン・ソナタとしては文句なしに最高傑作であり、本人のはすに構えた発言とは関係ない。性格も形式も違う(しかも剽窃主題しかない)三曲を、ただ抱き合わせてソナタと称したものではあるが、それはアイヴズの特徴的な「方法」だと個人的には思う。グラズノフのソナタ形式におけるスケルツォ楽章の扱い方に似ている・・・とにかく理知的にではなく「性格」を「極端に」変えた楽章を組み合わせればそれがソナタだみたいな。必ずしも出版事情とか演奏されるようにおもねったマーケティング結果とかいったものだけではないことは「交響曲第4番」「祝祭交響曲」を聴いてもわかる。あれらは纏め方の強引さも一流の鮮やかな方法に聞える。立派な交響曲だ。本人の他愛無い個人的なものという言とは裏腹にけっこう演奏されることが多い。前衛性を(3番のように)皮肉としてではなく子供が演奏しやすいように削ぎ落とし、サン・サーンスの動物の謝肉祭のようにはからずも生まれた速筆のシンプルな作品ではあるが、ここに漂う素直さ、幼いころキャンプで経験した昔への憧憬は、子供向けとして書かれた導入部としての1楽章(これはしかしコノ曲の中では前衛的書法も僅かに盛り込まれ一番完成度が高い)、メインである2楽章の、ラジオなどない自然の中に生音しか存在しない素朴な時代へのノスタルジーが静かに綴られ、よぎる「運命の主題」をも乗り越え極めて美しい散音的な一抹のフレーズから対位法的にからみあう二曲の静かな賛美歌・・・アーメン終止、更にここがアメリカ人らしい、さっぱり抜け出す3楽章は「たんたんたぬき」の楽しいジャジーな賛美歌で締める・・・「音楽の生まれいずる場所」を三部で描ききったことで極めて完成度の高いものに仕上がった。この演奏にはその感傷性を過剰に煽ることなく(フルカーソン・シャノン組はこの線で素晴らしい録音を生み出したけど)アイヴズ的な極端な起伏を余り際立たせずに聞きやすくやっており、たぶんそれほど巧い人たちではないとは思うが、たんたんたぬきにも違和感なく浸ることができた。○。

※2006/11/18の記事です
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☆アイヴズ:祝日交響曲〜Ⅱ.デコレーション・デイ

2017年11月29日 | アイヴズ
○コープランド指揮ハンガリー国立管弦楽団(DA:CD-R)ブダペスト音楽祭1973/9/28日本での放送音源

トンデモ作曲家・作品名といったらこの人が挙げられて然るべきなのになんで取り上げなかったんだろ某沢さん。はいいとしてステレオの良録音であるせいかリアルで硬質な音が幻想味をやや損なっている。もののコープランドの同曲の演奏としては意外と力が入っており、東欧オケの特性もあいまって特徴的な響きをもつ音楽世界を築いている。アイヴズをそのまま混沌として描けてしまっているのは「整理する指揮者」コープランドとしては不本意かもしれないが、こっちのがアイヴズらしいかも。○。

※2008/10/7の記事です
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☆アイヴズ:ウィリアム・ブース将軍の天国入り

2017年06月23日 | アイヴズ
○ドレーク(B)グレッグ・スミス指揮コロンビア室内管弦楽団、グレッグ・スミス・シンガース(COLUMBIA)1966/5/4・LP

前衛手法がかなり露骨に使われている人気曲である。昇天の皮肉な情景に見えなくも無いがちゃがちゃした内容だが、弦の驚異的なグリッサンドや微分音(だと思うんですけど譜面見てません)の繊細な「ざわざわ感」や叫び風の合唱など、交響曲第四番二楽章にも使われた素材のカオスはこれはベリオかと思わせるような感じだ。部分的にはストラヴィンスキーの初期作品の構造的なバーバリズムを想起させたりと、アメリカ住まいのストラヴィンスキーも私的演奏会に通ったという(しかし微妙な)精神的近似性もさもありなんと思わせるところだ。表出力に優れかっこいい演奏であり、まずはこれでも十分楽しめるだろう。室内楽的で、なかなか緊密だがしかし自由さもありよい。歌唱はろうろうときをてらわないものだ。(救世軍のブース将軍のこと)

※2006/3/23の記事です
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☆アイヴズ:弦楽四重奏曲第2番

2017年06月14日 | アイヴズ
○ジュリアード弦楽四重奏団(COLUMBIA)

アイヴズの作品でもこのあたりになるとかなり洗練されてきており、とくに一、二楽章にかんしては最小限の編成でここまでできるという無調作品の極致(アイヴズに無調というレッテルは余りにざっくりしすぎだが)を示した緻密なもので、しかし意匠の類似から大規模作品をただ四人編成に落としたということではなく、「四人の男が繰り広げる一夜の情景をうつした」まさにカルテットでしかできないものを作り上げている。よくカルテットを大編成に書き換えて演奏する室内楽団がいるがこの作品ではそれはできない。作者の意図からも外れるし、これはそもそも五人以上では単純すぎる箇所が出てくるし三人以下では音楽を作れない。よく練られている、思い付きで雑然と音を積み上げたように聞こえるのはアイヴズに言わせれば「耳が脆弱」なのである。しょっちゅう聞ける曲ではないし、三楽章はいささか冗長で書法もオルガン的に和声(不協和だが)を割り振っただけの単純な部分が多く聞きごたえは前二楽章にくらべ落ちるが、無益な議論を止め自然の静かな呼び声に従い山に登る、その朝の偉大な情景に響く鐘の音に目を覚まされ超越的な感銘のうちに和解をみる(交響曲第4番の四楽章の構成に似ている)、といった意図であり無意味な書き方ではない。この曲はジョーク的に捉えられる二楽章「議論」が最も取り付きやすく、かつ引用に満ちた素晴らしいアイヴズのスケルツォになっているので、バルトーク好きなど、聞いてみてほしい。ジュリアードの整理された演奏できくと精緻な構造をも部品として組み込んでゆくポストモダンなアイヴズを理解できるだろう。アマチュアなんかではない。ジュリアードは上手いから譜面を正しく音で聞けるメリットはあるもののいささか手堅くまとめてしまうので二楽章で必要な勢いや噛み合わない議論を象徴する「四本のバラバラ感」がない、三楽章がのっぺりとして飽きてしまう点はマイナスか。○。分析マニアはアナライズしてみて下さい、スコアは見えやすい演奏。

※2006/7/18の記事です
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☆アイヴズ:答えのない質問

2017年06月13日 | アイヴズ
○バーンスタイン指揮NYP(CBS)CD

まさにバンスタ自身の有名な講義の題名にもなったアイヴズの名作である。しかしバンスタは叙情的すぎる。律せられた無秩序ほど無残なものはない。これはペットソロが投げかける「質問」に対し木管群が無用な議論を繰り広げ、最後には投げ出してしまうというかなり具象的な意匠を持った作品である。「無用な議論」をシェーンベルク的に律してしまったがゆえに、「ちゃんとした無調作品」に聴こえてしまう。しかもバンスタなりの「無調」である、そこには確かに「旋律」も「ハーモニー」も聴こえてしまう。これでは宇宙的背景を永遠に描き続ける弦楽合奏のコラールとの対照がはっきりせず、そのコントラストこそがアイヴズの粗忽であるのに、渾然としてしまうのである。それでもある程度の魅力がある演奏ではあり、○にはしておくが、この曲を意匠通りに描いている演奏とは言えない。

※2007/11/8の記事です
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☆アイヴズ:弦楽四重奏曲第1番「信仰復興伝道会」

2017年06月07日 | アイヴズ
○ジュリアード弦楽四重奏団(CBS)

これだけアメリカ民謡だけで固められた室内楽は史上無いだろう。習作的雰囲気はないこともないが交響曲で言えば2番くらいの感じであり伝統のないアメリカでこれほど先人の影響を感じさせずに、ドヴォルザークショックさえ皆無の「アメリカ国民楽派」とでも言うべきナショナリズムを声高にうたった曲は無い。孤高の曲だ。アイヴズの前衛的個性も弾けば一目瞭然、論理的展開を拒否してみたりまるで西部の田舎街に突然シェーンベルクが降り立ったかのような都会的な不協和音が颯爽と顕れたり意外なほど計算された明確なポリリズムが構築的なアンサンブルの中に組み込まれていたり、なかなか手強い一面もあるが素材的に共通点の多いヴァイオリン・ソナタより高い完成度が感じられる。引用旋律以外にも極めて美しい抒情旋律がきかれる。アイヴズには確かに「一般的な」才能もあった。書こうとしなかっただけで。ジュリアードはわかりやすく纏めている。現代曲演奏団体にありがちな平坦さが終楽章クライマックスあたりでは気になるが、アイヴズを人好きする顔に作り上げる手腕には脱帽だ。もっとロマンティックに力ずくでイレ込んだ演奏も聞いてみたいものだが。曲的には有名な2番より好き。○。

※2006/6/23の記事です。
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☆アイヴズ:賛美歌(ラールゴ・カンタービレ)

2017年04月22日 | アイヴズ
○ニューヨーク弦楽四重奏団、ブラーム(Cb)(COLUMBIA)1970/5/25NY・LP

この曲はなかなかいいバランスの演奏がなくて困っている。思索的だがわかりにくくはなく、解体された賛美歌旋律がシェーンベルク張りの伴奏音形の上に元の姿へ組みあがっていくさまは密やかだが鮮やかで、短くすっきりしているところもアイヴズらしくないまでに完璧でいいのだが(3番交響曲の終楽章を短くもう少し現代的にしたような感じ)、全く透明で金属的に演奏してしまうと何か「物足りない」。アイヴズはドビュッシー同様「プラスアルファを要求する」。それが過度であってもならないということも含め。なかなかに難しい。バンスタ以外で納得いく演奏、しかも本来の弦楽五重奏型式で、となるとないのかなあ、と思っていたが、これは非常に注意深く、過度にロマンティックにも、過度に透明にもならずに最後までもっていっており、うまいとこだけ印象に遺すようにしている。かなり弱音で貫いているのでともすると聞き流しかねないものだが、「押し」ではなく「引き」で演じたところに成功の秘訣があるように感じた。○。最後は協和音で終わるのが通例だがこの演奏では不安な不協和音で終わらせている。非常に注意深く演奏されているので違和感がなく、却って曲の哲学性を深める良い出来になっている。
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☆アイヴズ:祝日交響曲~Ⅱ.デコレーション・デイ

2017年04月19日 | アイヴズ
○コープランド指揮BBC交響楽団(DA:CD-R)1975/9/16live

オールアメリカプログラムでかなり盛り上がった日のようだ。とにかくBBCの鋭敏で現代曲向きの機能性がコープランドの硬質で高精度な音響演奏への指向と合致して、そこに一種逆ベクトルとも言える「熱気」が生まれている。コープランドはアイヴズを技法的には認めずとも私的には愛好していたらしい。ここではあくまでアメリカ前衛音楽のパノラマの一部として使われているけれども、叙情的でロマンティックな側面に重きを置き、極めて整理された音楽を聞かせている。ドラティのような元来ロマン派音楽の延長上にあるものとしてやるやり方ではなく、冷静にスコアを分析し、そのうえでコープランド自身の平易な作品を仕上げるように組みなおしたようだ。「歯応えあるハーモニー」がバランスを整えられ過ぎ減退して聴こえ、アイヴズ慣れしているとむしろなんだか物足りない。尻切れ音楽にされてしまっている感もあるが、強いて言えばティルソン・トーマスのもののような説得力ある「整理」が売りになっているとは言えそうだ。○。
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☆アイヴズ:池

2017年04月12日 | アイヴズ
○シューラー指揮室内管弦楽団(COLUMBIA)1969/3/31BOSTON・LP

サウンドスケープの表現に極めて優れた手腕を発揮するアイヴズの管弦楽作品集の中の一曲で、池ポチャの音楽といったら元も子もないが、水を打ったような静けさ、それだけの極めて美しい「音風景」である。金属打楽器が時折水の撥ねる音を「そのまま描写」するところが何とも言えない情緒をかもす。前衛の先駆として最近注目が深まっている父君へのオマージュだそうだが、叙情的な雰囲気はそこに起因しているのだろう。この演奏は現代音楽として現代も十分通用する内容を伴っている、と確信させるに足る静かな演奏だ。○。
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☆アイヴズ:ロバート・ブラウニング序曲

2017年02月12日 | アイヴズ
○マゼール指揮クリーヴランド管弦楽団(DA:CD-R)1976live

アメリカで常任を振る人は必ず通るアメリカ音楽の道、その(生前の大半はそう扱われていなかったのに)要にでんと座る雑然音楽の元祖アイヴズであるが、ちょっと前まではポストモダンな作曲家としてわざと雑然と「書かれたまま」やるのが常道とされたがゆえに一般の理解を遠ざけてしまったきらいがある。アイヴズの未整理の煩雑な音楽は思想的には確かに新しいものを目指していたが素材は素朴で非常にわかりやすい、多くは(プロテスタントの賛美歌の孕む程度の)ロマンチシズムを湛えたものなのであり、演奏側が整理して響きを整えれば前衛音楽の祖としてもアメリカ民族主義音楽の祖としても立派に通用する音楽たりえるものを作っていた。

晩年俄かに巻き起こったリヴァイヴァルブームは後者の見地に立った演奏家主体のスタイルであり、本人は余り好まなかったようだが(かれの歪んでいるとはいえ異様に明晰な頭脳には(ストラヴィンスキーもそうであったように)この異様なスコアがありのまま全く簡素で当たり前のものとして見えていたのであるから、一部ならともかく全体の趣意すら曲げるような改変は好まなかった)、音盤や、世界のほとんどのコンサートホール(の座席)において彼の望んだような自在で立体的な響きの再現は土台不可能なのであり、後半生コンサートに行くことをやめ自宅のピアノでしか音楽を想像しなかったかれの机上論的な部分を何とか「まともに」修正しようというのであれば、アイヴズ協会考証版の正規スコアにかぎらず手書き譜や使徒の見解を入れて、もしくは「入れずに趣意を汲み取って」適度に拡散的・騒音主義的で適度にアカデミックかつロマンティックな一貫性も維持しつつバランスよくやるのが常道であろう。ドイツやロシアよりもフランス近代音楽の影響を受けているとは一時期よく指摘された。特に旋律構造へのドビュッシーからの影響は分析的に見出すことが容易と言われる(宗教性の裏付けのうえ主要素材に旋法的なものをもちいることを好んだだけの感もあるが)。

極端にどちらかに振れない穏当な演奏はなかなかない。アイヴズは無秩序ではなく在る程度理論的な音響実験を投入しているが、それも実演主義的では全く無かったから、はなから無かったものと考えるのも妥当かもしれない。話がそれまくったが、まずアイヴズの座標を何となく示したところでその基点よりマゼール闘士時代の演奏がどこに位置するかというと、やや拡散的なところ、即ちとっちらかったスコアをとっちらかったままに、しかし一応時間軸は意識しておく・・・ただ、音量変化が滑らかではなくデジタルなニュアンス変化が、シェーンベルク程度には前時代の作曲家であるアイヴズをやるうえでは少し「騒音主義過ぎる」ように思った。奇矯な「びっくり」をやらかすのが目的ではない、音塊の密度が濃くなり薄くなりを繰り返すのがアイヴズ・・・アナログな波形を形作る無数の音素材の堆積を一個一個に拘泥せず全体として認識させる・・・というのはライヴのノイズだらけの非正規音材では無理だな。

アイヴズは音盤を音盤芸術として作る「ポストモダン的クラシック音盤職人」がもうちょっと出てくると面白いリヴァイヴァルを呼ぶかも。ぜんぜん違う音楽だけどナンカロウみたいに、演奏家は最初のパンチ穴の打ち込みだけでいいのだ。その再現を如何にアイヴズの趣意に沿って整形するか・・・カラヤンに象徴される録音職人兼演奏家が、かつて演奏家兼作曲家がそうなったように、今や録音技術者と演奏家に完全分化しているだけに、ここは時代を気長に待ちたい。ってこの音盤についてぜんぜん語ってない・・・技術は素晴らしいです。
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☆アイヴズ:祝日交響曲(リハーサル)

2016年11月03日 | アイヴズ
○ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団(DA:CD-R)1971/12/11放送live

じつに1時間近く聴け、殆ど全曲聴いたも同然だが(無い部分もある)、録音はまずまずなものの、やはり補助指揮者を使っているのか拡散的で、また遅くて構成が大きすぎるというか、「壮大すぎる」。4番正規録音(初演記録)もそうだったがために起伏がなくわかりづらかったが、実演を聞けばわかるとおりある程度これは作曲家意図である(小澤の4番は敢えてここを録音操作で整えて名演に仕上げている)。もちろんフルパワーの演奏ではないことは確かでアンバランスさや声部間の音の強弱など、録音も捉え切れていない部分は多いと思うが、テンポを遅くとり、アイヴズの主張に忠実に(せっかく「まとまった」演奏も可能な旋律的な流れのある曲集なのに)やろうとしているところは強く感じられる。4番のCBS(sony)から出ている初演ライヴ録音などもそうだったが、デジタル化などの「中間作業」がコノ曲にかんしては特に重要で、今はどうだか知らないがクリアさに欠け間延びしたような感じもしてわけがわからなかったCBSのCDに比べてこれを聴くと、ストコがただ遅くしてまとめようとするだけの手探りではなくかなり研究して何とか前衛作曲家と世俗聴衆の間を「情熱をもって」つなぎたいという意識を持っていたことが聞き取れる。それほど発言しない人なので瑣末な指示くらいしかわからないが、音作りはティルソン・トーマスの記念碑的な全集に納められた分析的な分解様式に近いかもしれない。ジョーズ・ハープまで明確に聞き取れるティルソン・トーマスの切れ味鋭い演奏が、余り好きではない他曲の演奏と比べなぜか私はかなり好きで、ストラヴィンスキーのポリリズムの先駆と言われる箇所も「ほんとにそうじゃん・・・」と絶句するくらい素晴らしくリズミカルで、巧く組み立てられていて元々の作曲意図でもある祝祭的な盛り上がりを煽られる。私はしかしドラティのように主情的に操作整理された演奏のほうがこの曲にかんしては好きだが(アイヴズは根からの前衛でなかったらショスタコに迫るくらいの名作曲家として表舞台に出た可能性もある、ほんとに何でも描ける秀才であったからこそ、全ての音楽をつぎこんだ完璧なカオスが描けたのだ)、その点はぶよぶよした失敗録音に聞えるバンスタよりも(バンスタに金属質な演奏が求められる前衛は無理がある)ティルソン・トーマス側の演奏として捉えられるか。曲について言うとあくまで時期も違う4曲を出版都合でまとめて交響曲としたアイヴズ特有の「交響曲の名を騙る組曲」なのだが、4番同様、いや4番よりも一貫して聞きやすいのは全体的に作風(アメリカの祝日という主題)の点でまとまっており作風変遷の点ではさほど離れていない位置のものをまとめたというところからきているのだろう。もちろん、組曲であるが、私は全曲通して聴くのが好きだ。だから、リハとして聴きとおすのはちょっとしんどかったけど、ストコとバンスタの違いがよくわかるし、ストコが如何に頭がよく、新作に慣れているか、バンスタが如何に曲を選ぶ人でロマン派向きであるかを感じさせる対極的なものとして聞けた。○。
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☆アイヴズ:ヴァイオリン・ソナタ第3番

2016年10月28日 | アイヴズ

◎フルカーソン(Vn)シャノン(P)(bridge)CD

アイヴズの一見無秩序な書法の中に通底する叙情性に対し細心を払い、構造の整理とともにこの上なく感傷的に描くこのコンビの全集はアイヴズのソナタ最高の演奏と言うべきレベルに達している。この曲はアイヴズにしては長大だが全般が賛美歌や俗謡にもとづく旋律により貫かれ、とくにフランクなどのフランス・ロマン派ソナタを(皮肉たっぷりに)意識したヴァイオリンが平易な印象をあたえ聞きやすくしている。だがアイヴズの意匠はピアノにより明確に暗示されている。あからさまな東洋音律(当時世俗に人気のあった)等の底には常に現代的な不協和音や無調的パセージがまるでバルトークのように硬派に怜悧な輝きを放っている。ピアノだけを聴けばそこにピアノソナタの残響を聞き取ることができるだろう。アイヴズは書法的にけして下手なわけではないが弦楽器による音楽にそれほど重きを置いていなかった節がある。それはストラヴィンスキー同様弦楽器がアナログなロマンチシズムを体言する楽器であったがために何か別の意図がない限り「本気で書く」気がしなかったということなのだと思う。げんに大規模作品の部品として弦楽器が使われる例は多々あるのに弦楽四重奏曲以外に弦楽器だけに焦点をあてた楽曲は余り多くは無い。その弦楽四重奏曲も2番は「本気の作品」であったがそれほど完成度が高いわけではない。ヴァイオリンソナタは特例的な作品群で、アイヴズが「まっとうな作曲家であったら」旋律と創意の魅力溢れる作品群になった筈なのに、結果として1番2番は実験の寄せ集め、3番は「ひ弱な妹」、4番は「無害な小品」そしてそれ以外は未完成か編曲作品なのである。つまりは「本気ではない」。だからこそアイヴズ自身がのめりこみ演奏し自身で確かめながら譜面に落とすことができたピアノのほうにより本質的なものが篭められていても不思議はない。ヴァイオリンはピアノの二段の五線の上に書かれている旋律線を抜き出したものにすぎないと言ってもいい曲である。2楽章だけは少し特別で、プロテスタントの陽気な賛美歌(日本では俗謡だが)をジャジーな書法を駆使して編曲した見事なアレグロ楽章となっており、個人的には全ソナタの中で一番成功したもの、「アメリカ様式のアレグロ」としては史上最高の作品と思う。2番でカントリーふうの書法を実験したときにはまだ未整理の様相をていしていたものの、完成度の高い結晶と思う。このコンビで聞けば、この作品の独創性以上に素直な魅力に魅了されるだろう。最後の田舎風ギャロップまで天才の発想が溢れている。譜面も自由度が高く録音によって多少の差異はある。そういったところも含め「まったくクラシカルではない」と言いはなつことは可能だが、いかにもヴァイオリン曲そのものの記譜ぶりでもあり、これはやはりソナタの中間楽章なのである。いろいろ書いたが、この曲は速筆で仕上げられたものであり、だから3楽章など長すぎる感もある。ロマンティックな旋律の臭気にウンザリさせるのが目的な側面もあるとはいえ、時間がなければ2楽章だけを聴いてもいい。◎。
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