20世紀ウラ・クラシック!<最新版>

このページは、19世紀末から20世紀の末流ロマン派クラシック音楽に焦点を当て、同時代の録音評を中心に紹介しています。

サン・サーンス:ヴァイオリン協奏曲第3番

2017年05月28日 | Weblog
メニューヒン(Vn)ガストン・プーレ指揮LSO(documents他)CD

ブルッフの次に聴くべき、弾くべきロマン派協奏曲として位置づけられており、残念ながら作曲年代が遅すぎたというか、いきなりチャイコフスキーへ飛んでしまう状況にはなってしまったが、サンサンならではの創意(二楽章末尾と三楽章最初の方のフラジオ用法なんて耳の良い作曲家じゃなきゃ思いつかない繊細かつ個性的なもの)は突拍子のないところがなくまるでブルッフの一番の簡素に過ぎるところをしっかりリフレッシュして書き直したかのようで安心して楽しめるし、要求される技巧的にも特に三楽章では名技性を盛り込みしっかり一段上のものに仕立てている。型式にこだわった結果、伝統的な様式をことさらに強調し、演奏家に細部に宿る霊感を隅へ追いやるよう仕向けるところはあって、いかにもフランス的な例えば有名な一楽章第二主題の甘やかなメロディもさらっと現れ埋没してしまい、結果ドイツ的な堅牢さの前に飽きる人は飽きるだろう(私も)。逆に型式にこだわって聴けば何ら問題はない。極めて器用なところがこの多作で、スコアをよく書き込む作曲家(一流のピアニストであったが凡百のピアニスト作曲家のような他楽器への理解不足はまったく感じられ無い)の印象をむしろ薄くして、ただ筆の遊びで書き流した「動物の謝肉祭」組曲が売れてしまい今も代表作扱いというのは本意ではないだろうが、このあたり、ミヨーやオネゲルにも通じるフランスの多作家が受ける評価の一つの傾向でもあると感じる。この頃のメニューインは素晴らしく冴えている。音は強靭で高音でも痩せることは決してなく(終楽章で最高音を一箇所とちっているように聴こえたが極めて珍しい)、後年の柔らかさこそ無い、ただ弾きまくる感もあるにはあるが、復刻状態にもよるものの同時代の演奏家のもつ香気の残り香くらいは漂わせ、僅かにポルタメントも入れて演奏しているところも聴かれる。ただメニューインにしてはかなり初期的というか才能と技巧だけでブレなく正確に弾きまくるスタイルで、当時としてはこのような演奏は斬新だったかもしれない。音色が悪いというわけではないがそこは余り売りにならず原曲の本来持つ色がそのまま現れている。父プーレはピタリとつけて、色彩的で勢力的な演奏スタイルをメニューインと融合させている。
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アンタイル:ジャズ・シンフォニー

2017年05月28日 | Weblog
デ・レーウ指揮オランダ金管アンサンブル他(TELEFUNKEN他/london)1976オランダ音楽祭live・CD

londonよりデ・レーウ75歳記念ボックスでCD化されたが、ヴァイオリン・ソナタを欠いているのと得意としているサティが収録されず完全に前衛音楽集となっているゆえ、その中では古典的な(昭和元年前後)ジャズ風作品であるこれ目当てに購入するのはおすすめできない。6分強の作品で交響曲というよりアーチ構造を持つメタクラシックの小品に近く、当時最先端の騒音主義に立って打楽器を中心とした無造作で派手な音響を志向しながらも、リズムもメロディもしっかりラテン音楽、古典ジャズを一見アイヴズ風に組み入れて、クラシカルな音楽としてしっかり作られており、ガーシュウィンと比較されたのはさもありなん、シンフォニック・ジャズとしてミヨーらヨーロッパの作曲家による異化されたものとは比べ物にならない出来栄えで、無邪気なドン・ギリスというより総体的にヒナステラの先駆と言って差し支えないかもしれない。もっとも素直に楽天的に楽しめるものではある。この演奏は当時放送され評判となりレコード化された。比較的透明感を持って、勢いに隠されがちな曲の構造の巧みさを示してなお熱意が篭り喝采を呼んでいる。
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☆ファリャ:三角帽子第二組曲

2017年05月27日 | その他ラテン諸国
○ドラティ指揮ミネアポリス管弦楽団(mercury)LIVE・CD

わかりやすくて胸がスカっとするファリャ、と言われて真っ先に思いつくのがこの三角帽子である。スカッといってもいろいろあって、本国ふうのからっと晴れた透明感のあるものもあるけど、これはまさにアメリカのオケが楽天的というより物凄い形相で直進し叩きつけてくるような演奏で、ああ、三角帽子はこうだよ、と思わせる。ムーティもいいがしゃれっ気より私は力感とスピード感をとる。ハデハデに鳴らされる各声部、最後の踊りなどスコアどうなってんのというくらい分厚く力みなぎる響きが頭をガツンとやる。この曲好きだし弾いたこともあるけど、面白いと思った演奏というのは数少ない。これはその一つだ。古きよきアメリカの剛速球芸を久しぶりに聞けた。モノラルゆえ、○。名演ではないが、とにかく、凄まじい。

※2005/10の記事です
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チャイコフスキー:交響曲第5番

2017年05月27日 | Weblog
モントゥ指揮ボストン交響楽団(WHRA)1959/7/19live・CD

同日録音(牧神、ダンディ)同様この時期のライヴとしては素晴らしい安定したステレオ録音で、篭った感じはおそらく高音域のノイズを削ったためだろう。左右の幅の広さと比して上への開放感がないのが逆に音の凝縮力を高めているのか、いや恐らくもともと一層いつにもましてこのチャイコフスキーはスピードと力感、その滑らかな融合ぶりを楽しめるものとなっており、トスカニーニよりも細やかにこなれ、ムラヴィンスキーよりも柔らかく情緒的で、チャイ5でこれだけやれればもう十分だ。速いながらも緩徐部でのアーティキュレーション付けはしっかりなされ、欠けたところがない。アメリカのコンサート特有のマエストーソ前の拍手はもう慣れるしかないが、そのあとの大ブラヴォは頷ける。とにかく納得づくの「誰にも楽しめる」チャイコフスキーです。私のボックスのこのCDは少し質が悪くデジ化失敗率が高い。
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☆ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲

2017年05月26日 | Weblog
○ピエルネ指揮コンセール・コロンヌ管弦楽団(CASCAVELLE/ODEON他)1930/2/10・CD

止揚する音楽。なんという自在さだろう。弛緩せず速めの解釈だが、表現のひとつひとつに心が篭っており、この淡い音楽をその淡さを損なうことなくしなやかに纏め上げている。この時代とは思えないオケの巧さにも傾聴。とくに木管陣のソリスティックな技巧には舌を巻くことしばしば。ピエルネの力量を感じる。作曲家としては凡庸だったがその棒は創意に満ちている。幻想は少ないがリアルな音楽の面白さだけで十分だ。録音状態はかなり悪いが上手くリマスタリングしており感情移入に支障は無い。録音マイナスで○ひとつ。

※2004年以前の記事です。
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☆ラヴェル:ヴァイオリンとチェロのためのソナタ(1920ー22)

2017年05月26日 | Weblog
○カガン(Vn)グートマン(Vc)(MELODIYA)

<ドビュッシーの想い出に捧げられた二重奏。いくつかの企画と同時進行し中仲進まず、 1楽章だけ先に雑誌発表されている。4つの性格分けされた楽章を持つが、どれもラヴェルらしい哀しく儚げな旋律に彩られており魅力的だ。しかしかつての「甘み」はそこにない(もう二度と無い)。ストラヴィンスキーよりミヨーを思わせる複調性が特徴で、独立した2本の旋律線が動きの上でだけ対位的に組み合わされ、剥き出しの尖鋭な響を獲得している。「ラヴェルの前衛」の或る意味最も先端に近い作品のひとつである。本人は同曲について言い訳めいた言葉を残しているが、量で比較されたミヨーの作品とは本質的に異なる性質のものであり(前衛としてのミヨーを意識していたことは間違いないものの)、同作の価値は言葉通りには低くはない。2楽章スケルツオのピチカートは弦楽四重奏以来の定番だが、比較的分かりやすい形でブルースが盛り込まれており、ジャズには聞こえないが、面白く聞ける。ここで噴出したリズム性は終楽章の「機械仕掛けの兎」で爆発するが、ヴァイオリン・ソナタより取り付きやすい。ロシア的終楽章の趣がどことなく感じられる。モランジュとマレシャルが初演した。>

繊細だがしっかりした音。しかも両者殆ど同じ音色で絡み合うのが面白い。さすが夫婦である。ただ、弓 圧のかけかたや音量に差はあるものの、最初から最後まで二人とも音色が変わらないから、けっこう飽き てくる。2楽章など力強く正確だが求道的すぎる。もっと軽音楽風に遊ぶべき楽章だ。終楽章もいささか 生真面目すぎる。折角の愉悦的な舞曲がバロック時代の頭でっかちな音楽になってしまったような感じす らする。この室内楽はラヴェルの実験的作品としてどちらかというとマイナー扱いされてきた曲だが、単 旋律に剥いてみるととても美しくラヴェルらしい抒情味たっぷりの名旋律だらけ。それが二本の楽器各々 にバラバラに振り分けられ、和声的な調和をほとんど考慮せずに単に律動の絡み合い(1楽章の後半など 二本が少しずつズレていくさまが気持ち悪い!!)だけで表現していこうとするから、結局譜面を見なが らでないとわけがわからない晦渋な曲という印象を残してしまう。ひたすらマニアックな、パズルのよう なアンサンブル(これをアンサンブルと呼べるのであれば)であるがゆえにここまでしっかり弾かないと 曲にならないと感じたのだろう、と邪推する。カンペキなんですけどね。。。技術的な面のみ、○。ステレオ。

※2004年以前の記事です。
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☆レスピーギ:グレゴリオ聖歌風協奏曲

2017年05月26日 | その他ラテン諸国
○スティーラー(Vn)ボルサムスキー指揮ライプツィヒ放送交響楽団(fr:CD-R/urania)1953

「噴水」を彷彿とさせる鮮やかな出だしに身を乗り出すが、ロマンティックなくぐもりを内包した音楽に流れてゆき、その重ったるさに胃もたれ30分強(ヴァイオリンという楽器の性質上しょうがないのだが)。ただ、演奏によるところも大きいし、グレゴリオ聖歌よりも民謡を思わせる親しみやすいフレーズが聴かれるところ、あきらかにRVWの作品に近似したものを持っていて清々しい。演奏技術はそう高いものは求められていないが、このソリストはいかにもドイツ風でギリギリ弦に弓を押し付けて単調な音をひたすら聴かせるオケプレイヤータイプ、音色での楽しみはほとんどない。ボルサムスキーは割りと幅広いレパートリー、とくに近現代を録音していた指揮者でここでも重苦しさはあるもののしっかりと音楽を届けさせてはいる。今これを聴く価値があるかどうかは疑問だが、私のようなボルサムスキーファンは持っていても良いか。ボルサムスキーファンが世界に何人いるのか知らないが。
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☆バッハ:管弦楽組曲第1番

2017年05月26日 | その他古典等

○ジョリヴェ指揮ウーブラドゥ・コンサート管弦楽団(LYRINX/INA)1970/11/8live・LP


音楽は数学である。非人間的であればあるほど純粋な音楽に近づいていく。数式の普遍的な美しさに人は心惹かれ胸打たれる。感傷を覚えるとすれば誤解の産物に他ならない。いかに素敵に騙すかが芸術家の使命である。バッハは極めて理知的な作曲家だが作品には艶かしさが漂う。そう作られている。だからロマン派スタイルの長く続いた演奏史においても忘れられることなく時代のスタイルに従ってより感情の大きな起伏を盛り込まれた方法で表現されてきた。ジョリヴェは派閥と時代のわりに生き方が実に人間的で、好きな作曲家だが、晩年は穏健な作風に落ち着き指揮活動も多く行った。これは没後10周年記念に出たボックス収録のものだが、晩年、もうそろそろ考証派のスタイルが台頭していそうな時期に大編成のオケをかなり大っぴらに鳴らしアゴーギグをつける往年スタイルで演奏している。前衛楽派が最小限編成で最大の効果を生もうとした時期を歩んだにもかかわらずあけすけに感情を煽る前時代的な迫力である。ハープシコードすら派手だ。赤道の作曲家らしく依然楽器数を絞るなんて意識もなかったのだろう。ただ、冒頭で少し縦が乱れるもののしっかりした演奏で、カラヤンとか想起してしまった。派手ゆえの単調に落ちる部分もあるが、変に緩急をつける必要もない曲か。○。



(参考)ジョリヴェの音楽。「のだめ」で一瞬有名になりました。

多作家ですが、自作自演をどうぞ。

※2008/6の記事です。

Jolivet: Les enregistrements Erato
Various
Warner Classics

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自作自演を含むAdesの室内楽等の名演集も二枚組みで集成復刻されています。ラスキーヌの弾いている曲がいい。曲目はこちら参照。有名な「マナ」や宗教性を帯びて丸くなった「クリスマスのパストラル」が聴けます。二枚目は典礼組曲、フルート独奏のための「呪文」二曲。
Jolivet Andre Morceaux Choisis/Var (Fra) (Dig)
Jean Brizard
Accord

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自作自演は山ほどあります。。
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ドビュッシー:バレエ音楽「遊戯」

2017年05月25日 | Weblog
ロザンタール指揮パリ国立歌劇場管弦楽団(Ades,universal他)1957-59・CD

ロザンタールは師ラヴェルのそれとともにドビュッシーの曲もかなり網羅的に精緻なステレオで正規セッション録音しており、その明るくリアルな音作りが、ドビュッシーの最初に掲げた感覚的な幻想表現から、後期においては同時代的な先鋭性により結果としてフォルムを明確なものにしていったことにマッチしていて、この筋らしい筋のない男女がテニスをするだけの描写音楽に、未完のポー劇に付けた音楽のようなグロテスクさをも加えた独特の暗い幻覚のような、シュールレアリスム絵画のような不可思議さばかり汲んでしまって、曖昧模糊として煙に巻くことでドビュッシーのプロフェッショナルな技巧的工夫を聴かせることができなくなってしまうことを避け、「そっちへ行ってしまうな!」とばかりにあくまで舞台上で踊らせ(リズムはイマイチ前に行かないが)、客席に聴かせる音楽として成立させている。不可思議なものとして感覚的に処理した、あるいはバレエ音楽としてリズム感のみを打ち出したモントゥーなどのほうが評価が高いだろうが、ラヴェル式にドビュッシー後期をさばくと、感情が無いので(それがフランス式でもある)平板ではあるものの、色々わからなかったものが聴こえてくるのだ、と奥深さに気付かされる。勉強用音源?とでも言おうか。
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☆メシアン:昇天(アセンション~4つの交響的瞑想)

2017年05月25日 | フランス
○ストコフスキ指揮ロンドン交響楽団、合唱団(M&A)ロイヤル・フェスティバル・ホール1970/6/18live

冒頭より強いペットがやや外し気味なのが気になるが、まるでメシアンじゃないようにすら聞こえるロマンティックな演奏。限られた音からなる音線は確かにメシアンなのだが、取り出し方というか強調の仕方がどこかアメリカっぽい。というかコープランドのスカスカな音響に似ている。アイヴズの第二組曲(DA盤の評価として別項で既に記述;M&Aのほうが格段に音がいいステレオ)といっしょにやったようだが、内容的統一性に興味はないようである。従って宗教的意味もない。キリストの昇天というよりアメリカ・アカデミズムの手法によるメシアンの再構築だろう。白孔雀の音風景とか、なんとなくそのへんを思わせる清新さが、録音がいいから気持ちいいのだが、ちょっとメシアンというには違う気がする。2楽章の特徴的なタラリラリというフレーズはオネゲルの交響曲を思わせる響きがある。トゥーランガリラをこの人がやっていたら面白かったろうな。色彩的には独自の鮮やかなものを持っているから、素晴らしいものが生まれたろうにと3楽章なんかきくと思う。しかしどこがアサンションなんだ。神秘主義ではあるが、どっちかというとツェムリンスキーの抒情交響曲なんかの音世界だ。生々しくて強すぎる、音楽が。1楽章などオルガン的でさほど印象に残らないが、このへんになってくるとけたたましい弦と常套的な動きをみせる管楽器の絡み合いに独自の構造があらわれて面白い。神々の遊びといったかんじだが、メシアンてカトリックだよね。少なくともこんな重低音で派手に世俗的に交響曲(のスケルツォ)してしまってもいいのだろうか。オリエンタリズムは完全に横の音線にしかあらわれず、音楽自体はまったくアメリカ・アカデミズムぽく表現されている。ストコ、これでいいのか?で、レントの終楽章は美しく昇天してほしい・・・しかし重い響きだなあ・・・バランスがドイツ・ロマン派なんですけど・・・しかし、弦楽合奏の扱いはいつもながら感心する。巧い。きっぱり切り落とされた終結部の思索性に辛うじてメシアンの前衛性が残っている。力強く神の国に昇天してったんだね。まあ、○にしときます。神秘主義というならこのあとにやったアイヴズの「われら祖先へのエレジー」のほうが金属打楽器と怜悧芳醇な音響のかもす雰囲気がよほど神秘的なんですが。

※2007/2の記事です。
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☆ストラヴィンスキー:春の祭典

2017年05月25日 | ストラヴィンスキー
○ベイヌム指揮ACO(LYS)1946/9/11・CD

トラック分けが細かいとHDDプレイヤーのたぐいは細切れになって聞きづらいなあ。わいいとして懐かしのLYS盤からのピック。怒涛の板起こしでマイナー復刻を行いマニアには受けた。未だコレでしかCDになってないものもあるが何しろ音が悪い。アナログ原盤とはいえ篭り気味で雑音もコンスタントに入りヘッドフォンだとややきついかも。ベイヌムは集中力の高いハッキリした輪郭の(ともすると小さく凝縮してしまう)演奏を行うゆえ、解釈的に聞きとりやすくはある。非常にわかりやすく突き進む。ハリばかりでメリがわかりにくいきらいもあるがまあ、凶悪な曲を檻の中でのたうちまわさせる猛獣使いの風情は下手な搦手がないぶん胸がすく。何を振ってもベイヌムな人だが新しい曲も平気で古典同様にならしてしまえる剛腕に納得。○。

※2006/9の記事です。
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☆ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲

2017年05月25日 | ドビュッシー
○ストララム指揮コンセール・ストララム管弦楽団(VAI,ANDANTE)1930/2/24シャンゼリゼ劇場・CD

モイーズが1番フルートで在籍していたことでも有名な楽団。当然冒頭のソロもモイーズということになろう。微妙なニュアンスで歌うというより太く確実な発音で安心して聞かせるという側面が感じられるが、オケプレイヤーとしてはこれでいいのだろう。2枚のCDでたいした音質の差はなく、総じて悪い。SP原盤の宿命だろう。だが十分柔らかい抒情があり、雰囲気は明らかに印象派。作曲後既に数十年がたっているのだから、時代的にこのくらい意図に沿ったこなれた演奏が出てきていても不思議は無いわけだ。佳演。

※2005/3の記事です。
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☆マーラー:交響曲第6番「悲劇的」

2017年05月24日 | マーラー
○プレートル指揮ウィーン交響楽団(WEITBLICK)1991/10/10放送live・CD

こんな中途半端な時期の稀曲演奏を復活させるよりもEMIのチャイ5などまっとうな、というかこの特異ゆえに評の長らく安定しなかった指揮者の盛年期の姿を伝える正規録音を復活させてほしいと思うのは私だけだろうか。恐らく2008年WPニューイヤーコンサート起因の人気沸騰を見込んでの発売だと思うが、正直それほど名演とは思えない。後半シェルヒェン張りの極端なディジタル・ルバートがテンポにかかるところは熱が入るが、とくに1楽章の凡演ぶりといったらなく、ああ80年代はこういうマーラーが多かったなあと思わせる。提示部の繰り返しが尚更冗長感を増す(この盤は80分超の収録時間を1枚に収めるという近年珍しいコストパフォーマンス重視の制作になっている)。非情緒的な(ショルティを思い出した)音色にインテンポ演奏、ただゆっくりする場面においては極端にテンポダウンして音響を確かめるのがいかにもこの人らしくVSOには珍しい純度の高い響きが聞かれるものの、基本的に音が篭りがちで(盤質か録音かホール起因か)開放感のないイマイチな盤であるから、少なくともファーストチョイスで推薦する気にはならない。著しく攻撃的なスケルツォは特筆ものだし、誰がやっても感動する4楽章にいたってはやっと表現主義的な極端なテンポ設定の解釈が板についてきて楽しめるが、それも一流のマーラー指揮者のものというより、現代音楽を得意とする指揮者の余技という感が否めない。個人的にマルティノンのマーラーを想定しながら聞いたが、プレートルは構造性よりも純粋に響きを重視した作り方をしているため、立体的とか色彩的とかいう感想は浮かばなかった、純粋な音響を指向しているという感じのみである。そこが面白みがないという感想につながっている。ウィーン交響楽団のシェフとしてならしたころの録音だと思うが、このオケの特質をいい意味で殺して違う魅力を引き出した、それはあのニューイヤーコンサートでの非ウィーン的ワルツと同じ性向のものである。面白いと捉えるか、受け付けないか、そこは聴く貴方次第。4楽章を買って○にしておく。
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グラズノフ:バレエ音楽「四季」

2017年05月24日 | Weblog
アルベール・ヴォルフ指揮パリ国立音楽院管弦楽団(london)CD

近代バレエ音楽を確立したのがチャイコフスキーで、現代バレエ音楽を確立したのがストラヴィンスキーとして、その間に位置するロシアの作曲家が何もしていなかったかというとそうではない。チャイコフスキーの跡目を継いだタネーエフからラフマニノフといった作曲家はいずれもピアノという楽器から離れることがなく、作品も舞台音楽についてはほとんど冒険的なものは手掛けていない。対して本来別の流れ(リムスキー・コルサコフらペテルブルクの「クーチカ」)にあったグラズノフは、モスクワのチャイコフスキーとも親しく接し、その音楽に魅了されていた。天才少年だった頃からリストらに同行して世界の音楽に触れていたこともあり特定の流派に固執することなく、節操なく良いものを消化しては作品に反映した。殆どの楽器を演奏することができ、ピアノに頼ることもなかった。チャイコフスキーの作風も躊躇なく消化し、交響曲のスケルツォにはチャイコフスキーのバレエ音楽風の舞曲を導入している。さらにここにある「四季」はグラズノフがチャイコフスキーの延長上からさらに分かり易いローカル色を排し、「特定の物語に依拠しない」初の「抽象的なバレエ音楽」として仕上げたものなのである。この作品には筋がない。四季に沿って四つの場面(楽章)があるだけである。雰囲気と流れ、ブロック状の楽想の組み立て、それだけで成り立っている。意図は舞踏を際立たせるためのバックグラウンドミュージックなのであり、「音楽だけでは成立しない」危険性も孕んではいるのだが、スッキリとまとまった四曲に、癖のない旋律〜冬から始まるが楽章間の楽想の変化はさほど強く付けられず明るく進み、とくに終楽章「秋」の晴れやかな名旋律はご存知の方もいるかもしれない〜を散りばめ、管弦楽に無理を強いることも、ダンサーに不可能を強いることもないよう配慮の行き届いた簡潔な書法で仕上げられている。

それにしても擬似ステレオと思われるヴォルフの録音は明るくきれいなだけで、原曲が簡潔なだけに引っかかりがなさすぎるので、平板で飽きる方もいるかもしれないが、これはおそらく舞踏を載せると巧くいく演奏なのだ。難しく見せかけてわりとすんなり出来てしまうグラズノフの木管ソロへの要求も、フランスオケのそれほど機能的でないところを目立たせず、むしろこれはロシアでコテコテやるのではなくフランスでやる曲なんじゃないかとも思わせる、じつに品の良い雰囲気である。じっさい古い録音にフランスのものも複数ある。
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ドビュッシー:チェロ・ソナタ

2017年05月24日 | Weblog
シャフラン(Vc)ボーレ(P)(meloclssic)1959/11/6live南ドイツ放送・CD

録音がメロウなモノラルのこともありガツンとはこないが、冒頭の縮緬ヴィヴラートからしてセンスに溢れている。技巧的には素晴らしいが制御しきれていない、流される部分も無きにしもあらずそれはライヴ的な精度にはなっているが、音楽の「作り」をドビュッシーではなくこちらに引き寄せて、聴きやすい起伏をつけて弾きこなしている。良い。
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