20世紀ウラ・クラシック!<最新版>

このページは、19世紀末から20世紀の末流ロマン派クラシック音楽に焦点を当て、同時代の録音評を中心に紹介しています。

ラヴェル:スペイン狂詩曲

2017年04月30日 | Weblog
コンドラシン指揮ACO(eternities)1971/1/14live

荒い。録音も荒いが演奏も粗があり、もはやロシア流とも言いきれない個性が確立されているのだとは思うが、やはり管楽器の発音がいちいち強く、録音バランスが悪いのもあって抑揚の抑の方が聴こえなくて、吹けていないように聴こえたり、ちょっと推せない。ただ終楽章は凄まじい。ミュンシュの迫力に似ているのだがもっと北方的な脂のない筋肉という感じもする。とにかく指揮者もオケもフランス物において音色で売る感じではないので、ミュンシュとは比べられないが、しかし最後のド迫力と盛大なブラヴォ拍手は、この曲をレパートリーとして録音も多く残るコンドラシンの面目躍如といったところだろう。
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☆リムスキー・コルサコフ:シェヘラザード~Ⅰ抜粋、Ⅲ

2017年04月30日 | リムスキー・コルサコフ
イザイ指揮シンシナティ交響楽団(SYMPOSIUM)CD

しかし変な盤だな。イザイ晩年(昭和初期ね)のアメリカオケの指揮記録だが、粘らずさっさと進むだけの軽い1楽章後半抜粋、テンポは遅くついているが何故か重い響きの(速い場面はなかなかリズミカルだが)3楽章、お世辞にもプロらしさはなく、まあオケのアメリカぽさのせいもあるがシェヘラはこんなんか?というところもある。3楽章は速いとこはいいんだが、ロマンティックな揺れを入れようとして人工的になっちゃってるんだよなあ。コンマスソロが意外とうまいがイザイじゃないだろう。○。
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☆シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第1番

2017年04月30日 | 北欧・東欧
○トーテンベルグ(Vn)モントゥ指揮?(DA:CD-R)1954/2/5live

もう少し録音がクリアなら◎にしていたところで、とくに前半がソリスト・オケともに素晴らしい。モントゥの伴奏指揮は非常に巧くオケの響きの多彩さと演奏の集中度を主張しながらきっちりソリストにつけてくる。ソリストもまた技巧的に安定感がありこの難解な曲をみずみずしく描いている。楽曲的にはシマノフスキの最盛期のものと言ってよい。民族楽派の向こうを見据えた東欧近代作曲家の一人であるが、ここではとくにスクリアビンの非構造的な「響きの音楽」をそのまま受け継ぎ、そこにウィーン楽派の影響を理知的に反映させた最盛期の作風がよくあらわれている。清澄な音響を駆使しながらも半音階的な音線への執着がむんむんとするエロティシズムを露呈しているところはほぼフランス印象派の影響から脱しているような感じがする。寧ろ未だ残る分厚い響きへの指向がツェムリンスキーと非常に近いところに曲を持っていったといったかんじである。オリエンタリズムはやや減退して、晩年の作風となる民族主義回帰がヴァイオリンのフィドル風パセージに現れてきている。だがこのあたりが逆に書法の限界とマンネリズムを呼んでいる感もある。シマノフスキは独自の清澄な作風を持っていたといいながらも様々な作曲家のかなり強い影響を受け続け変化し続けた人であり、その影響が作品中にやや直接的で一種閉塞的な特徴としてすぐに読み取れてしまう形で提示されることがままある。ヴァイオリンの書法にせよ初期の無調的な難解さが薄れるとその雲の向こう側から見えてきたのはかなり単純なものであり、2番で見られる書法と殆ど変わらないものが結構出てきてもいる(順番的には2番が枯渇していると言ったほうが適切かもしれないが)。シマノフスキは作曲技法に走ることにより辛うじてその地位を維持できたが、元来それほど大きな独自性をもった作曲家ではなかったようだ。
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☆ディーリアス:夏の歌

2017年04月29日 | イギリス
◎バルビローリ指揮ロンドン交響楽団(EMI)CD

単純でワグナー的な晩年作、演奏にも粗があるが、それでもバンスタにとってのマーラーのようにこれは、バルビにとって不可分の音楽になりきっており、もうそれほど長くはないこの指揮者が、死を目前とした~その目は既に開かなかったのだが~作曲家の、フェンビーの筆を使って描いた最後の想像の世界に自己を投入し、けして退嬰的ではなく、前向きとすら言える映画的な明るさのある音楽を、内部から再構築したものである。夏というはかない季節にたくした生命の賛歌であり、瞬の永遠性に対する「希望」。この作曲家の、それでも貪欲な生への希望が、この指揮者の、音楽をかなでることこそが生であり希望であるという信念と、まばゆいところで合致した。技術的にはいくらでも越えるものが現われようとも、未だ印象を拭うものがあらわれない名演。
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☆ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ

2017年04月29日 | ラヴェル
◎ジャリ(Vn)プルデルマシェ(P)(EMI)CD

それほど押しの強くないさらっとした表現から始まるが実は非常に高度な技巧の裏づけが双方にうかがえ、とにかく細かい音符が全部粒だってきちんときこえてきて、さらにそのうえでけっこう大きな抑揚をつけていく、そこがまた自然。フランス派きっての手だれ、共に真骨頂である。2楽章からまったく音にジャジーさはないのにさらっとポルタメントをつけまくりブルーノートを一つのドビュッシー的な世界の表現手段として使いこなしている、ラヴェルが聞いたら納得の演奏だったろう。個人的に変な主題の1楽章で違和感をおぼえることの多い曲だが、この演奏は自然に入り、2楽章以降はあっというまに唖然と、聞きとおした。◎。
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☆ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第1番

2017年04月29日 | ショスタコーヴィチ
○ブルガリア弦楽四重奏団(harmonia mundhi)LP

落ち着いた比較的精緻な演奏で硬質な響きを整えた「安心して聞ける演奏」になっている。若い感じがするし決して技術的瑕疵が皆無ではないが、ショスタコの室内楽という、各楽器に独立した高度な技巧を要求する難関の導入口にあたるこの曲においては、やむない部分も多いとも思うのでトータルの聴感で○をつけておく。スケルツォの3楽章がショスタコらしさの最も表われた一つの要になっているがそこは非常に巧くやっており、第二主題のワルツを殊更に煽り立てることなくやっているのが現代風でショスタコぽさを感じさせていい。この曲は伝統的な弦楽四重奏曲の構造や要素を踏襲しながらも、極限まで装飾的な表現・音を削ぎ落とした極めて凝縮されなおかつ「必要な音しかない」曲となっており、ヘタするとたった二本の楽器の「不協和な和声進行」で、しかし確かに「旋律音楽」を進めなければならないような「かなり緊張を要求する」ものだ。そういったことを考えるとこの団体のやや生硬な終楽章などもしょうがないのかもしれない。いや、1、3楽章は素晴らしいし、耽溺しないが旋律の哀愁はほのかに香り続ける2楽章などもうまくできている。
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プロコフィエフ:チェロ協奏曲第1番

2017年04月28日 | Weblog
ジャンドロン(Vc)マッツェラート指揮ヘッセン放送交響楽団(meloclassic)1956/2/23フランクフルト放送スタジオ録音・CD

ジャンドロンが呆れるほどのっており、音は細くてロストロポーヴィチほどグイグイ持っていく力はないが、ミスがほとんど無く、とくにこの難曲を特徴づける高音がまるで名ヴァイオリニストのような美音で仰天させられる。モノラルでややこもってはいるが、ジャンドロンの「そうは感じさせないほど巧緻な」腕前を愉しめる。プロコフィエフらしくないといえばらしくない作品で、三楽章も終盤になるまで(とつとつとリズムを打ってくるところからはプロコフィエフの才気が爆発する)音楽が根無し草のようにふわふわし、甘くも辛くもなく、しかしジャンドロンで聴くとイギリスの曲のようなジェネラルな魅力が出てきて、これは破棄するには惜しい特異な作品で、更に言えば改訂して協奏的交響曲としたものとは全く異なる「小品」であるように感じる。そう、プロコフィエフからは一方的に「借りのある」ウォルトンの協奏曲に似ているかもしれない。いずれジャンドロン向きなのだろう。
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ベン・ハイム:永遠の主題

2017年04月28日 | Weblog
クレツキ指揮イスラエル・フィル(helicorn,IPO)1966/2・CD

打楽器を駆使した派手な組曲で、疑似ステレオ臭い録音だがこの箱(イスラエル・フィル創設80周年)収録の古い録音にしてはしっかり高音まで伸びている。現代的な部分は少なく同時代アメリカ音楽に近く、しかし弦楽合奏による協奏的な部分(この演奏は少しバラける)を含む管弦楽にはヒンデミットを消化して娯楽的要素や民族的要素を取り込み融和させた、独自の音楽表現が光る。クレツキはこのオケとは創設期から録音を残しているが、他のオケにはない主情的な音色を出して聴かせる(ともすると往年のミステリーテレビドラマ音楽に聴こえる曲でもあるがそこは高潔に処理している)。鋭い音響〜冒頭からの高音打楽器など〜にはクレツキらしい硬質なところも出るが、バーンスタインとは言わないまでも、あのような自在な表現が曲の格を一つ上げている。
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☆ラヴェル:フォーレの名による子守唄

2017年04月28日 | ラヴェル
○C.ボナルディ(Vn)ノエル・リー(P)(ACCORD)1987・CD

ほとんどサティのようになってしまうピアノが美しい曲だ。ラヴェルは凝縮された時間の中で最も特質を発揮する作者のように思える。管弦楽法の大家というのはあくまで技術上の姿であるように。ラヴェルにとってはあくまで筆のすさび的な「~風に」に似た「遊び」の範疇にある曲にせよ、抽象的な思考と感傷的な表現を可能とするものだけに、センスが問われる。この演奏はピアノが素晴らしい。○。
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☆プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番(1917-21)

2017年04月28日 | Weblog
◎作曲家(P)コッポラ指揮交響楽団(PEARL他)CD

<日本経由でアメリカに渡ったプロコフィエフがシカゴで自ら初演した曲。終楽章に越後獅子のエコーが響くのは有名な話し。数々の追随者を産み、その中にはガーシュインや晩年のラヴェルも含まれる。乾いた調子の密度の高い集積からひたすら運動的に繰り広げられる音の饗宴だ。この20世紀を代表するピアノ協奏曲は、プロコフィエフの全作品中でも代表格にある。沢山の作品を残しているプロコフィエフではあるが、最も脂ののった若い時期の大半は、所謂前衛性に満ち一般的な支持を受けづらいものである。その本質にロマンティックなものと先鋭なものが不可分に同居してしまったために、他者にはまず書き得ない真の「新」古典的作品~それは独特の跳躍、旋法に彩られたメロディラインと新鮮で美しい和声により特徴づけられる~を産み出す事ができた反面、その実験的犠牲となった作品も数多かった、ということである。オールジャンルに作品を残したが矢張りピアノを使った作品が面白い。叩き付けるリズムに満ちた打楽器的な曲が多いわけは、彼自身ピアニストで、壮年期までは筋肉を誇示するような力強いスタイルを“売り”にしていたことと無関係ではあるまい。ピアノ・ソナタのような独奏曲も良いが、めくるめく色彩的な楽器法と、対位法を駆使し凝りに凝ったオーケストレーションによりラヴェルを思わせる豊穣な管弦楽を後ろ盾として、これまたヴィルトウオーソ的な技巧を散りばめたソロ・ラインがまるで猛獣と格闘しているようなところが、聴きどころなのだ。頭は要らない。>

未だにこれを超える演奏は無いと思う。とにかくそのスピード、プーランクがプロコフィエフからの直言として紹介していた、この曲で唯一つ重要な要素は「スピード」である、という言葉通りの凄まじく且つ完璧な表現を伴うスピード。録音指揮者コッポラも負けずに付けてひるむことがない。古い演奏であろうが、細部にごまかしや綻びがあろうが、そもそもモノラル録音に合わない類の曲であろうが、もはや関係の無い高みに達したレコードである。LP時代から様々なレーベルで再発され続けている。
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☆クレストン:舞踏序曲

2017年04月28日 | Weblog
◎カンテルリ指揮NYP(ASdisc)1956/3/18LIVE・CD

クレストンは生前から、そして今も人気の有るアメリカの作曲家だ。聞く人が聞けばその作風はショスタコーヴィチを予言したとさえ言い切れるらしい(年齢はいっしょ)。私には清々しいがせわしない「アメリカ音形」の上に美しい中欧的な旋律(もしくは映画音楽的な旋律)を載せたもののように聞こえる。和声的には重厚であるもののそう感じさせない楽器法のたくみさと言おうか、シャープで構造に無駄が無く、薄すぎず厚すぎず絶妙だ。もとはイタリア系だそうで、楽天的な曲想はそこからくるのだろう。この曲ではオルガニストだったとは思えない管弦楽法の巧みさを感じる。優等生的管弦楽法と揶揄することもできなくはなかろうが、曲想の美しさはアメリカの心を表現するに十分であり、コープランドですら生臭く感じるほど洗練されている。この曲は題名のとおりリズムの饗宴。最後のまさにコープランド描く西部の田舎踊りのような軽打楽器にのってちょっとジャズ風にリズミカルに演じられるクライマックスではとにかく理屈抜きに肩を揺らさせられる。盛大な拍手。カンテルリの水も切れるような鋭い指揮にも括目。曲がいいし、演奏もいいのだから、◎にしておくべきだろう。録音?こんなもんでしょ。
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ベン・ハイム:ヴァイオリン協奏曲

2017年04月27日 | Weblog
パールマン(Vn)バーンスタイン指揮イスラエル・フィル(IPO,helicorn)1968/5・CD

パールマンの美音、大小ヴィヴラートをかけまくる類のものではなく純粋に深く美しい(少し高音が硬質)、技術的には似た音のフランチェスカッティを凌駕する、世代交代を感じさせる。。素晴らしい演奏ぶりが聴ける。楽曲のこの作曲家にしては前時代的な分厚い響きに対しバンスタの伴奏をつける腕、オケの威力が発揮され、もっとも三楽章あたりは何をやりたいのかわからない逡巡ぶりが楽曲の知名度の低さに繋がっているのがわかるものの、前期ブロッホのお鉢を継いだようなベン・ハイムの、他宗者にとってみればまさに「呪術的な」音線にゾクッとさせられるところが独特に気持ちがいい。一楽章こそ渡米後のブロッホ的というか、ヒンデミットの新古典主義(しかも分かりやすい作風のほう)の影響が非常に強いがニ楽章以降はその感じは薄くなる。ヒンデミットよりウォルトンぽい垢抜けた、アメリカふうの雰囲気も軽く混ざり、本来高音の技巧をひけらかすヴァイオリンを使ったわりに音域が低めで、これはウォルトンのヴィオラ協奏曲のもつ内省的な内容に近い。ベン・ハイムは私もあまり知らないしここにはストコフスキの断片録音の記事のみ載せた記憶があるが、探せば割りと出て来るし、前期ブロッホほど古くはなく、シマノフスキ並にはわかりやすいので、機会があればどうぞ。
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☆マーラー:交響曲第6番<悲劇的>(1903-06)

2017年04月27日 | Weblog
アドラー指揮ウィーン交響楽団(CONIFER/SPA)1952・CD(世界初録音盤)

チャールズ・アドラーは20代の頃にマーラーの8番ミュンヘン初演を手伝い、合唱指揮を行ったことで知られるイギリス出身の指揮者だ。ヒトラー前のベルリンで楽譜出版社を設立し、アメリカ現代音楽(アイヴズやカウエル)をヨーロッパに紹介したこともある。この演奏は決して器用な演奏ではないが、壮大で安定感のある解釈とウィーン響の美質が、ゆっくり感銘をあたえる。録音の難点として、ピッチが高すぎる。この点を乗り越えてきくことがまず第一。1楽章はかなりゆっくりだ。第二主題でのリタルダンドも余りしない。提示部の反復は行っていない。2楽章(アンダンテ)は往年のハリウッド映画音楽のような甘美な音が聴ける。ウィーン響の弦はちょっとばらける場面もあるが、その艶やかな美質をよく聞かせてくれている。クライマックス前の妙なアッチェルとか、他では聞けないものもある。この楽章は特筆もの。3楽章(スケルツォ)は重く引きずるような足取りで始まる。「重々しく」の指示どおり。1楽章と同様緩慢なテンポだ。細部に特徴的な解釈が聞かれるが、テンポ自体は一貫してほとんど変わらない。穏やかな雰囲気の中かなでられるウィーンの音に溺れるべし。マーラーの子供たちが遊ぶ姿が8ミリ映画の画像の中に浮かんできそうな幻影におそわれる。ふたたびスケルツォ主題が戻り重厚な音がかなでられる。このへんの音響、かなり「マーラーっぽい」。終楽章、チェレスタ、ハープの上向音形がいきなり鮮烈に響いて始まる。遅いテンポで丁寧に音響を組み立てている。イマジネーションを刺激する精妙な響きだ。アレグロ主題もやはり重くひきずるように始まるが、徐々にスピード感が増してくる。苦しいホルンなど技術的瑕疵がまま見られるが音楽の総体は損なわれていない。弦セクと管セクのテンポが完全に分離してしまっている箇所もあるが、なぜか最後にはつじつまがあっている。緩徐部での打楽器群の精妙な響きはなかなかイマジネイティブ。カウベルが遠い教会の鐘の音に聞こえてナイス。原譜にはないコンマス・ソロが聞こえたりする(たんにコンマス以外落ちただけかも)のはご愛敬。盛り上がりどころではややオケのパワー(&技術)不足が露呈するところもあるが、敢えてテンポを落として表現される音楽の異様な壮大さには圧倒される。このテンポのせいか旋律楽器以外の中低音の動きがじつに聞き取り易く、マーラーの特殊なオーケストレーションの秘密の一端が聞ける。ペットの音程がかなり怪しくなってくるが気にしないでくれ。後半やや音楽の起伏がなくなり飽きてくるところもある。英雄が打ち倒される衝撃が甘い気もする。

最後の打撃で英雄が打ち倒されたあとの挽歌のコントラストが少し足りない。不満点もままある、というのが終楽章の聴感だ。じつはこのCD買ってからすっかり忘れていた。一寸聞き余りひっかかりがなく、放っておいたのだが、今日なんのきなしにスコア片手に聞いたら、かなり楽しめた。ふだんスコアは見ないで聴くのだが(スコアなんかあると音楽に集中できない!)スコアがあったら逆に楽しめる演奏というのもあるのだなあ、と思った。 
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☆ドビュッシー:夜想曲

2017年04月27日 | ドビュッシー
○アンゲルブレシュト指揮ドビュッシー祝祭大管弦楽団他(ANDANTE)1932-34・CD

復刻が進み過ぎてすっかり有り難みが無くなってしまった指揮者だがかつてはドビュッシーお墨付きの指揮者としてマニア間では珍重されていたものである。フランスでは同時代音楽のスペシャリストとして今もってビッグネームを保っており、確か作曲も手掛けラヴェルらと共に活動していた時期もあったと記憶している。重要な書籍もいくつか出している。

古い音のせいで余計な想像力が働いているせいかもしれないが、意外と情緒的な感じがする。冷たく突き放したような演奏に聞こえる録音も多い中、ライヴ的な雰囲気作りがみられ、なんともいえない香気を放っている。覇気も感じられるが、貧弱な録音ゆえ力感はイマイチ。楽章ごとに録音時期が違うので統一感もあまりない。総じては真ん中くらい、鋭いアンゲルらしさはせめてもうちょっと雑音が減らないと感じとれない。

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マーラー:交響曲第9番

2017年04月27日 | Weblog
バーンスタイン指揮イスラエル・フィル(vibrato)1985/9/12live

これでバンスタ/IPOのマーラー9番来日公演のすべてが出揃ったわけである。前回の「伝説の公演」の酷い状態に比べ、良い座席だったのか声部間のバランスがよく、放送録音かと思えるほど安定しており、数倍聴きやすい。擦れた部分もあるが、依然きわめてノイジーなモノラル録音ではあるが、これなら60年代の放送エアチェック音源と言っても通用するだろう。演奏は均整が取れており過度なデフォルメが目立たない。客観的に見れている感じである。圧倒的に重厚壮大な四楽章はともかく、テンポが早めな印象を与えるのも、録音バランスの(帯域も幅も十分)良いところからくる「聴きやすさ」に起因していると思われる。一楽章など私は一連の記録の中で特記していい「統制が取れバーンスタインの解釈をきちっと具現化した演奏」だと思う。戦闘的な中間楽章も素晴らしい。四楽章は延々と続くような詠嘆の表現には至っていないが、これも均整が取れていて、生演奏はともかく、こうした記録として聴くにはむしろ良い。お約束の沈黙のあと長々と拍手やブラヴォまで入り、翻って各トラックほどよく編集されていることから、もともとはしっかり全公演を録音できている(つまり前回のように心持ち尻切れるような音源ではない)と思われる。邪魔な砂ノイズは何とかできそうだ。情報量はある。80年代中盤なんて放送エアチェックですらまだまだ依然モノラルでテープ録音していたような人は多かった。私は90年代のスヴェトラーノフの放送すらMD録音時間の制約でモノラルで録音していた。況やインホール録音をや。
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