20世紀ウラ・クラシック!<最新版>

このページは、19世紀末から20世紀の末流ロマン派クラシック音楽に焦点を当て、同時代の録音評を中心に紹介しています。

猫の子供たち

2007年08月31日 | Weblog
キャットウォークしながらつら書きしているわけですが、ありていにいって、まぁ質の悪いクラヲタ(クラシックマニア用語で「クラシック音楽おたく」のこと。自虐的に利用され、彼ら(我等)の間でしか通用しない)なら誰でも知ってるあの古参bbs(表向廃止)の思い出である。ネットでは滅多に目にしなくなった名だが、びっくりするようなところで目にすることがあった。うーん、と思い出してしまった。

無知なのは自明な自分であるが特につとめて無知であろうと振舞っていた場である。ネットがまだ強い奇臭をはなっていた時期で、世界が狭かったいっぽう、プロモーションの場として金払いのいいヲタのサークルにリーチしやすく手っ取り早い安価な所とみなされていたこともあり、プロのけっこう有名な人も関係したりしていた。荒れた時期もあったようだがよく覚えていない。既に自分の場を持っていて、常駐が必要だったわけではないので・・・たまにあほな初心者的質問をして、変な議論に曲げられない率直な情報を貰っていたくらいである。

だがまあ、けっきょく「匿名掲示板」なのである。子供の暴言が頻発しだし、ヲタの中でもセグメントが細かく分かれ互いに閉鎖的になり、かなりの常駐者が離れたのち、末期は登録制という「名目」をもっていたが時すでに遅し、内容的には既に枯れていた。そのころ出入りを始めた者は幸いである、誰にも怒られず、そのかわり誰からも情報を貰えない、ただ「独壇場」を作れたのだから。私は滅多に書かなかったが、余りに情報量が減り堂々巡りの惨状を目にして、いっそ吹っ掛け、予定調和にキレて登録抹消してもらった(といってもたんに登録自己紹介と発言を消してもらっただけであるが)。パソ通の時代から覗いていた場所の末裔だし、最後っ屁のつもりだったが、屁の香りも消えぬままbbs自体が消滅するという状況にはいささか驚いた。

その名をほんとに目にしなくなったなあ、という思いがあっただけにちょっと「懐かしくはないが」びっくりしたので、挿話にあげてみた。ベトコン終楽章のフラジオの話は、私のたくさんあるどっかの場に一応情報を挙げているので、まあ、ちょっと調べればわかる話なんだけど、興味のあるかたはキャットウォークしてってみれば見つかるかもね。

情報には信頼関係か、対価が必要である。信頼関係を築かずに且つ対価を支払わない者は無言で自分の労をとるべし。

なんて、ほんとたいしたこと調べたわけじゃないけどねえ。
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ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番

2007年08月31日 | ドイツ・オーストリア
クーレンカンプ(Vn)シューリヒト指揮チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団(archiphon:CD-R)1947

SPからの単純な板起こしらしいが正体不明。継ぎ目があからさまでちょっとどうかという質。演奏自体は部分部分でじつに出来がバラバラで、もともとバラバラつぎはぎ演奏だったのだろうか?冒頭など重々しくいいかんじで始まるものの、3楽章の技巧的なフレーズで思いっきりよたっていたりムラがありすぎる。シューリヒトは「ドイツ臭い」感じでそれはそれでずしりとくる演奏ぶりがこのイタリアンな曲には特異さをおぼえさせ面白いが、いささかデジタルなアーティキュレーション付けが人工的に感じられる。クーレンカンプはいい音を出したものだが戦後は・・・うーん・・・無印。

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レスピーギ:ローマの松

2007年08月30日 | その他ラテン諸国
ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団(DA:CD-R)1969/11/23live

最初からのんべんだらりとした拡散的な演奏で集中力がなくただ明るくて響きだけ派手。表層的と言われても仕方のない印象だが、録音のせいだろう、ストコの広がりのある音響空間を再現するのに昔のステレオエアチェックではこの聞こえ方は仕方ないか(松はバンダまで入れてそもそも音響空間的発想を取り入れてやることが多いわけで)。アッピア街道までわりと遅めのインテンポで進み派手に散漫に終わる(ように聞こえる)のだが、客席はブラヴォ拍手喝采の渦。うーん・・・生きているうちに聞いておきたかった、ストコの松。。


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ドビュッシー:三つの交響的エスキース「海」

2007年08月29日 | ドビュッシー
○ミュンシュ指揮シンフォニー・オブ・ジ・エア(NBC交響楽団)(M&A)トスカニーニ追悼1957/2/3live・CD

M&Aが何とトスカニーニ追悼演奏会の全プログラムCD化という快挙だったが、やはりM&A、音質はイマイチ。DA並み。しかしまあ、いつものミュンシュというか、いつもの外様オケを振るミュンシュと言ったらいいのか、荒い。どうにも彫刻が粗雑で、オケの堅い響きを取りまとめずにただ力で押し切った感じが「いつものミュンシュ」の範疇を出ていない。追悼色があるとすれば、あのうねるような感じ、異様なクライマックスのルバートがやや抑え気味で、トスカニーニの単刀直入指揮を意識したような感じがしないでもない。だからだろういつもの異常なブラヴォ拍手喝采もない。○にはしておくが、ミュンシュの海は別にこれでなくてもいいだろう。
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ホルスト:組曲「惑星」、冥王星(マシューズ作)付

2007年08月29日 | イギリス
○ロイド・ジョーンズ指揮ロイヤル・スコティッシュ管弦楽団(NAXOS)2001/2・CD

無難な演奏。しかし悪くはない。スコティッシュ管らしいちょっと硬質でささくれだったような音も録音のやわらかさによっていかにもイギリスらしい柔軟な音にきこえる。しっかりした指揮ぶりではあるもののいささか無個性さがあって、個々の楽章のコントラストもいまひとつ。演奏レベルは高いと思うけど。。ちなみに蛇足の冥王星は作曲されてまもなくあっというまに太陽系の惑星から除名されてしまったが、アイヴズをリゲティふうに仕上げたような変な曲。スクリアビンのプロメテあたりに近い合唱が奇異さを煽る。もっと小さい星でしょ、だから除名されたのに。

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ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第2番(ロンドン交響曲)

2007年08月28日 | ヴォーン・ウィリアムズ
○ヘンリー・ウッド指揮クイーンズホール管弦楽団(DECCA,DUTTON)1936/4/21-22・CD

ドラティのような職人的指揮者の演奏にきこえる、さすがウッド卿といった颯爽とした演奏振りだが、どうも叙情的な場面になると表現がリアルで音も硬く、録音が旧くて仕方ないとはいえやや入り込めない。序奏の終わりを告げるビッグ・ベンの響き(これを「学校のチャイム」と表現するやからは日本にしかいません)もハープの金属質な音が近くて幻想味を失っている。しかしそこからの「オペラ座の怪人」にパクられた劇的な主題からの展開は素晴らしくリズミカルで力強い。この時代の指揮者そのもの、クーセヴィツキーやトスカニーニなどを彷彿とさせるスピードとテンションに、イギリスオケならではの適度な規律正しさがまたかっこいい。異様なハイスピードぶりは他の楽章でも聞かれるがSP録音特有の事情によるものかもともとそうだったのか、多分後者だろう。レント楽章が精彩に欠けるのはRVWを本質的に理解していなかったのか録音のせいかはたまた職人的処理の対象としてしか扱っていなかったのか、ボールトとは違ったブラームス臭さを感じさせる中低弦も特徴的である。エピローグの最後、一日の終わりを告げるビッグ・ベン、こちらのほうは冒頭よりやや遠く幻想味を醸しているが、後奏は何かよくわかっていないようなブラームスっぽい感じでいただけない。ラヴェル要素を抜き去りブルッフだけにされたようなRVW、といったら言い過ぎだが(1楽章の現代的なスペクタクルなど素晴らしいし)、この時代にはまだ、こういう表現しか受けなかったのか。○。
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ヴォーン・ウィリアムズ:グリーンスリーヴス幻想曲

2007年08月28日 | ヴォーン・ウィリアムズ
○ヘンリー・ウッド指揮クイーンズホール管弦楽団(DECCA,DUTTON)1936/4/22・CD

グリーンスリーヴズといえばRVWの編曲によるこの抜粋曲をさす、しかしウッド卿による演奏はグリーンスリーヴス「ではない」中間部主題を異常に強くスピーディに扱ってコントラストをつけており、SP録音特有の金属質の響きとあいまってやや、情緒的に足りない感じも受ける。もともとトスカニーニやビーチャムのやり方に近いものを持っている指揮者なだけに、RVWのしっとりした抒情とは本質的に相容れないものがあるのかもしれない。中間部が引き立った特異な演奏として○にはしておく。
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ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲

2007年08月27日 | ヴォーン・ウィリアムズ
○シルヴェストリ指揮ORTF(vibrato,SUNJAY:CD-R)1966(/1/15)

20世紀に生み出された最も素直に情緒深く、優しい優しい曲・・・それにしても何という彫りの深さ!冒頭より陳腐なまでに引き伸ばされる音符、しかしいずれの楽器も明るくリアルな硬質の音、それと指揮のルバーティッシモな伸縮・デュナーミク変化の慟哭、アーティキュレーション付けの極端さのミスマッチ、いずれも「シルヴェストリ!」という強烈な存在感を示している。曲が室内楽的な部分を多分にのこし鄙びたひびきで決して踏み外したロマン性を発露させないものであるために、可笑しさは余り感じないのだが、この曲をよく知る者には奇演と聞こえるかもしれない。兎に角ダイナミックすぎる。・・・でも、知らない者は、これ以外聞けなくなる恐れもあるのだ。こんなに哀しく美しい曲をこの前衛の時代に何故書けたのか、と思わせる名曲、しかもRVWにとっても特異なくらいの深みを示している名曲、それをこうもデフォルメされるとまた違った側面も見えてくる。原典主義など何のその、そもそもが主題流用の擬古典を目した曲じゃないか、というシルヴェストリの声が聞こえてきそうだ。どうもドイツ臭い太筆描きの表現が気になるところもあるが、RVWファンでも一聴の価値はある。ただ、初心者が最初に聞くのはどうかなあ。○。こんなにフレーズの一個一個にあからさまに意味を持たせた演奏は初めて聴く。バルビもたしかにそういう方法をとっているが、もっと滑らかで自然だ。RVWの曲が映画音楽と揶揄されるのもこういう演奏なら納得いくなあ。それにしてもほんとに、こんなに引き伸ばされた音符で始め、また締められる演奏初めて聴きます。vibrato盤と同じと思われる。


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モーツァルト:フリーメイソンのための葬送音楽

2007年08月26日 | ドイツ・オーストリア
○クレンペラー指揮ハンガリー放送管弦楽団(archiphon:CD-R)1948/11/2ブダペストlive

重くロマンティックなくぐもりの感じられる演奏ぶりでこの曲を幾度となく演奏してきたクレンペラーの他録と余り違いは感じられない。オケもしめやかに比較的押しは弱いがはっきりした表現で、指揮者に任せているのがわかる。○。
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ガリベン!の問題

2007年08月26日 | Weblog
勉強になるなあ。骨伝動で音を聞いたベトの話は改めて身につまされるわー。


つかあのフラブラ偽通の小芝居だけはゆるせん。ルーのイタリア語版みたいなアホ丸出しな。。まー、狙いだろうけど。


品川まじですげえ。
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モーツァルト:セレナーデ第13番「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」~Ⅳ

2007年08月25日 | ドイツ・オーストリア
○フリード指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団(arbiter)1927・CD

ロンドだけの録音で、フリートとは関係の深いベルリン歌劇場オケとのものである。フリートの古典指揮は速くて揺れない。古典は古典としてそういう客観的なやり方をしたのか、SPの録音時間を意識したのかわからないが、厳しい律しぶりが聴いて取れる。音は悪くても演奏は新しい様式なのでなかなか聴ける。○。
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モーツァルト:交響曲第40番

2007年08月25日 | ドイツ・オーストリア
○フリード指揮ソヴィエト国立放送管弦楽団(arbiter)1937・CD

これはマーラーの大地の歌と共に新発見のものでやはりライブラリーから発掘された晩年の指揮記録である。音質はいいとは言い難いが時代を考えるとよくここまでしっかりした音の全楽章の記録が残されたものだと言うべきだろう。演奏はとにかく速い。揺れない。あっさりした(でも音は強靭な)新即物主義的な、いわゆるトスカニーニ的な表現をとっており、それがロシアオケにしては極めて厳しく統制され、真剣な精緻な演奏となっている。潤いというか、個人的に感傷的なものも含めて欲しい楽章はあるが、モーツァルトとしては立派にモーツァルトになっており、フリートの手だれぶりが発揮された佳演。○。
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コダーイ:ハーリ・ヤーノシュ組曲

2007年08月24日 | 北欧・東欧
○テンシュテット指揮フィラデルフィア管弦楽団(memories他)1982/11/12、13live・CD

ツィンバロンのような新しい音響要素(民族的には古いものなのだが)が加わってはいるものの、ヤナーチェクあたりと大して変わらない世界でむしろ旋律性をはじめとするわかりやすさからいうとかなり古風なものを備えている。音楽的にはテンシュテットらしいしっかりした作りで力強くフォルムを崩さない骨太の演奏に仕上げている。ブラスが完璧なオケならお手の物だろう。ライヴなりの感興はあるがプラスアルファはない。○。
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プロコフィエフ:弦楽四重奏曲第1番

2007年08月23日 | プロコフィエフ
○スメタナ四重奏団(SUPRAPHON)1961・CD

アナログで聴いていたときにはずいぶんと客観的に整えすぎの印象があったが、確かに整えすぎではあるが、プロコの「仕掛け」はここまで縦をあわせ数学的に組み合わせないと効果を発揮しない側面もあり、盛り上がりどころでは「ドイツ式」の盛り上げ方、すなわち決してルバートによるのではなく縦をきっちり揃えたまま音の強さと太さで人工的な大きさを形づくっていく。それがわかるとなかなか熱のこもった演奏に聞こえてくるから面白い。ろくに曲を知らずにいきなり譜面から入った私はこういう「学術的な1楽章」にはどうしても違和感を感じてしまう。旋律が強すぎる、すなわち熱気があって当たり前の楽章、逆にそこを制御できることこそがプロなのだろう(でもやっぱりひたすら丁々発止にライヴ的にやる1楽章が好きだけど)。2楽章が肝の曲で、三つの楽章の中で飛びぬけて細かく難度も上だが、スメタナにかかるとそこがいちばんの聴き所となる。終楽章の暗さ重みはじつはこの曲の要でもあるのだが、そこはちょっと透明感がありすぎ、純音楽的すぎるようにもおもう。
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シベリウス:交響曲第5番

2007年08月23日 | シベリウス
○チェリビダッケ指揮トリノ放送交響楽団(WME:CD-R)1970/5/1live

シベリウスの傑作交響曲であり、1,2番の知名度に比べて落ちるが緻密な設計、流麗な筆致と壮麗な盛り上がりは何の欠点もない紛れも無くロマン派の最後に輝く金字塔である。余りに流麗がゆえに音楽的にこじんまりと聞こえてしまうというか、モノラル録音だと更にその点が強調され印象に残らない場合もあるのが難点だが、チェリまだまだ壮年の覇気が爽快な勢いある音楽を突き通し、晩年のガチガチさも若い頃の暴虐さもないバランスのとれた演奏振りが、すっかり馴染みのイタリアオケと組み合いラテンなノリさえ感じさせる。シベリウスを聞くとやはりどうしても自然を想起する。蒼みがかった氷壁を吹き抜ける風、北斎じゃないが凱風快晴、といった清々しさがある。けっこう複雑なアンサンブルや現代的な音響を駆使しているのにそこには非常に素直な自然への賛美が聞こえる。チェリはいささか人間臭いがそれでも旧いシベリウス指揮者たちに比べればずいぶんと透明度はある。チェリのシベリウスはいい。悪い録音のライヴばっかりだが、それでも。○。
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