湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

プーランク:二台のピアノのための協奏曲

2017年07月31日 | Weblog
フェヴリエ、作曲家(P)ブリュック指揮ストラスブール放送交響楽団(ina)1960/6/21live(7/24放送)

ina配信とAmazonデジタル配信は同じと思われる。生前はよくこのコンビで演奏された。データとアナウンスと混乱しているが一応こうかな、ということで第一をフェヴリエとして記載しておく。プーランク自身はすでに指がよく回らなくなっていたはずである。じっさい一楽章冒頭では両者混乱しまくりでミスタッチもテンポの乱れも頻発、バックオケがすぐれているために崩壊はしないがこれは一般的な商業ラインにはのらないだろう。しかし3楽章になってくると(主としてフェヴリエだろうが)腕がさえてきて、というか、センスがさえてきて、プーランクは決して縦の音数が多くなく、指を旋律に乗ってならすことが主眼となってくるがゆえテンポが気まぐれに揺れがちなところ、発音の明瞭さでしっかりくさびを打ち、代表作ともいえるこの曲をセッション録音をほうふつとさせるしっかりしたつくりで最後まで聞ききらせる。ここはなかなか。ただ、ミスは残るようだ。拍手は別マイクのようだが盛大ではあるものの、ブラヴォは目立たない。会場が大きいせいかもしれない。この前がルーセルの1番シンフォニー、このあとがダラピッコラのけっこうな曲、そしてニグとボリュームのある演目(すべて放送収録販売されている)。
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ルーセル:交響曲第1番「森の詩」

2017年07月31日 | Weblog
ブリュック指揮ストラスブール放送交響楽団(ina)1960/6/21live(7/24放送)

まだ作風の固まっていない時代の作品だが雑多な要素の詰め合わせは楽しく聴ける。リアルでロマンティックな性向の指揮がルーセルの古い面を浮き彫りにしてしまい、透明感が出ないところが少し気になる(マルティノンの正規盤に慣れすぎたのだろうか)。一楽章「冬の森」は前の時代の描写音楽の影響が色濃く、弦の刻みとブラスのユニゾンなど直近ではロシア国民楽派のようだ。形式的にも堅苦しい。もっと堅苦しいソナタ形式の二楽章はバレエ音楽に転用されるのもさもありなんな、ピエルネのように軽やかな音楽で、「春」にふさわしい。ここにきて和声的な新しさを前に出すようになり、印象派を標榜しても良い気がするが、どうも、グリエールの「イリヤ・ムーロメッツ」を思い起こさせる低音ブラス(一楽章でも重用される)など、展開していくところで雑多散漫な印象は否めない。三楽章「夏の夕べ」は期待させる題名に比してパッとしない。ディーリアスを退化させたような音楽だ。四楽章「牧神と森の精」はなるほど冒頭から野蛮ですらある新鮮な響きで、ここへきて、多少キッチュでダンディふうでもあるがルーセルらしさが聴こえてくる。バレエ音楽ふうで響きの重心が上がり、半音階的な動きに拘泥されず作風に取り込んで、虚仮威し的な太鼓などちょっと邪魔だが、手法の新規性はドビュッシーにはとても及ばないものの、南欧ふうの要素をかなり取り入れたうえストラヴィンスキーに近づけようと(近づいてないが)野蛮さ奇怪さすら少し忍ばせて、総体的にはずっと後のアメリカの音楽に似た効果をあげる曲になっている。ハープとフルートが出てくるとやはりドビュッシー後の典雅さが醸し出されて良いが、長続きせず、こういう場面転換の速さがバレエ音楽に転用された所以でもあろうか。やっぱりドビュッシー後とは思えない古臭さが主としてティンパニの用法と半音階的な旋律にワグナーやリストの孫引きのような書法が、「題名ほどの夢幻的な作品ではないよ」と知らしめる。モノラル。少しノイズは入るが概ね可。ina.frとAmazonデジタルは日付が違うがおそらく同じ音源。
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☆シュレーカー:室内交響曲

2017年07月28日 | Weblog
◎ヒンデミット指揮シュツットガルト放送交響楽団(SDR,MEDIAPHON)1956/1/14LIVE

後期ロマン派の末裔、爛熟するウィーン世紀末音楽の残照。いいですねー。ツェムリンスキーの透徹した官能性やフランツ・シュミットの構築性を彷彿とする作風。但し1916年作品だからむしろそれら作曲家の同時代人と位置づけられる存在である。この曲は「マーラーの次」を思わせるが、何より溯ってワグナーの確実な刻印がある。スクリャービンの官能性に接近していなくも無い。冒頭、不思議な和音がシェーンベルク的静寂を演出しているが、やがてヴァイオリンを中心にリヒャルト・シュトラウス的なロマン派世界が展開。それでも非常に清浄な感じがするのは何より和声感覚に印象派のそれが盛り込まれているためである。一時期のシェーンベルクに共通する感覚だ。そうした様式混交が特徴的な作風である。歌劇作曲家として知られたが、この11の弦楽器と7つの管楽器、ティンパニ、ハープ、チェレスタで単一楽章といういかにもウィーン楽派的な凝縮された楽曲、なかなかの佳曲である。この盤はその貴重なライヴ録音であり、しかも指揮者はヒンデミット。ヒンデミットとはおよそ掛け離れた作風の曲ではあるが、少しもミスらしきものもなく適度な情のこもった完成度の高い演奏と言える。やや硬質ではあるが綺麗な演奏である。噎せ返るようなウィーンの艶を求めるなら他をあたるべきだが、たぶんこのくらい冷たく演奏した方がバランスがとれるような気がする。この盤、シンフォニア・セレーナとの組み合わせで、かなりリマスタリングが施されていて人工的な感もなくはないが聴き易い音になっており(擬似ステレオふう)、最初に触れるのにも向いていると思う。◎つけときます。この作曲家はむしろ歌劇で知られていた。

※2004年以前の記事です
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☆グリエール:ハープ協奏曲

2017年07月28日 | グリエール
○ツォフ(hrp)ケンペ指揮ライプツィヒ・フィル管弦楽団(URANIA)1950・CD

じつに国民楽派的な協奏曲でドヴォルザークが書きそうな調子になんとも鈍重なハープが太い旋律をきざむ。しかしグラズノフほど個性というマンネリズムに籠囲されておらず、ハープの魅力を引き出すかどうかは別として、聴いていてストレスのない娯楽作品である。この演奏はひときわドヴォルザークを思わせる。オケの音色のせいか、ソリストの奏法のせいか。民族の生臭さがなく、だが、ロマンチシズムを濃厚に漂わせる。○。

※2010/2/24の記事です
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ドビュッシー:三つの交響的エスキース「海」

2017年07月27日 | Weblog
ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(BSO/IMG)1962/3/30放送 live・CD

雑にクリアなステレオなので却って聞き辛い。やかましい。それに、集中力に欠いているように思う。拡散的で落ち着き払ったミュンシュなんて、音だけ大きく派手であっても、ストコフスキーまではいかない、どことなくよそよそしいというか、構成的に弱々しいというか。客席反応も普通。あまり盛り上がらない。
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☆プロコフィエフ:交響曲第5番

2017年07月27日 | プロコフィエフ
◎テンシュテット指揮ニューヨーク・フィル("0""0""0"classics:CD-R)1977/3/1LIVE

これはびっくりするほどしっかりした出来だ。がっしりしたフォルムはドイツ的な重さを感じさせようなものの全くそんなことはなく、熱狂して最後まで聞きとおす系の熱いものではないが、最後まで「飽きずに」聞き入ってしまう演奏である。この飽きないというところがプロコでは重要であり、テンシュテットが巧いのはプロコのスコアに溢れる客席まで伝わらないくらいの「仕掛け」を、嫌味に聞こえない程度にしっかり表現させているところで、重ねた音の響きの充実ぶりからここまで独特の色彩をもった曲だったのかと思わせるところもあれば、マーラーじゃないかと思わせるくらいの内声の意味深な動きまで聞こえてくるところもある。勿論すべてを浮き彫りにして分析的に振るような人ではないからフランス的な透明感は求めるべくもないが、この人なりのプロコの最も自然で忠実な演奏を最後までやり遂げている。またオケが素晴らしい。たぶんこのオケをしてしか成し得なかった完璧な「テンシュテのプロコ」、激しいアゴーギグに1楽章最後で拍手が入ってしまうほどの熱気、終演後のブラヴォーの嵐は言うまでもあるまい。名演。録音も比較的良好。

※2005/5/13の記事です
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☆ムソルグスキー:禿山の一夜(レイボヴィッツ編)

2017年07月27日 | Weblog
○レイボヴィッツ指揮ロイヤル・フィル(QUINTESSENCE)

~参考記録として○ひとつをつけておいた。こんなハチャメチャな禿山もないだろう。ムソルグスキーの原形がないのはリムスキー版で既にそうだから仕方有るまい。問題はそのリムスキー版の編曲をさらにレイボヴィッツ自身が行っているところである。指揮者としてはそのエキセントリックな解釈で知られるが、それ以上に新ウィーン楽派やラヴェルの研鑚を受けたフランスの作曲家として知られるところにある人だ。とりわけ表現主義的といおうか、強奏部にブラスや打楽器を追加したり意味もなく派手珍妙なダイナミクスをつけたりして、独特の緩急の激しいクラクラするような音世界を繰り広げる。最後に夜明けがきたと思ったらいきなりワルプルギスの夜のテーマが回想されて仰天。その夜明けも過剰と言うほどに長々と歌い継がれ、違和感しきり。とにかく面白いのでお勧めだが、マジメな方や初心者の方は避けるべきである。原曲が聞けなくなる。CDでたぶん何種類か出ている。比較的鮮やかなステレオ録音なのでその面での不安は無い。

※2004年以前の記事です
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ドビュッシー:管弦楽のための映像〜Ⅱ.イベリア

2017年07月27日 | Weblog
ミュンシュ指揮ORTF(ina)1959/9/15モントルー音楽祭live(20放送)

篭ったモノラル録音。直前のピアノ協奏曲などキンキンノイズで非常に悪い。Amazon配信とina.frのものは同じ。ルーセルの前に演奏されているので中盤ということだが、冒頭疲れがみえる。オケは鈍くさく感じ、足どりも重く前に向かわない。ミュンシュは整えにかかっているようだ。音響の迫力はあるが、録音状態からもベストとは言えない。とはいえ第一部最後の再現部はミュンシュらしい勢いが出る。第二部は木管をはじめとしてオケの長所が出る。機能性がイマイチなだけで、このオケは音(響き)は良い。リアルな押しが強く音が中心に固まるのは録音のせいだと思う。そして後半から第三部は地響きのするような凄まじさ。ミュンシュここにありだ。
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オネゲル:交響曲第5番「3つのレ」

2017年07月27日 | Weblog
マルケヴィッチ指揮ORTF(ina)1955/6/8(9放送)live

モノラルだが環境雑音を拾うほどクリアな録音。Amazon配信はina配信と同じもの(ina配信は放送日を記載)。演目もハスキルのモーツァルトなど同じ。この曲はアナウンスが誤っているので注意。ミュンシュからリリシズムを取り去り骨皮にして力強く突き進ませるような演奏で意外と精緻志向ではない。僅かにオケミスも聴かれるのは曲のせいか。オネゲルの映画音楽的な効果をあげる構成を活かさず、純音楽的に、なおかつ「力づく」で叩きつけてくる、それは他の慣れた指揮者のものと比較して個性的には感じないし、魅力を殺す部分もあるが、音楽の活動的な面はリズムとスピードと捌きに特別の力を発揮するマルケヴィッチの腕が、慣れない曲でも、やれるんだという感慨をあたえる。四楽章の凄まじさは聞きもの。最後はあっさり終わる。
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☆ワグナー:ローエングリン三幕への前奏曲

2017年07月27日 | その他古典等
○A.ヤンソンス指揮レニングラード・フィル(ALTUS)1970年7月1日LIVE、大阪フェスティバルホール・CD

アンコール曲。は、早い・・・。ヤンソンスはレパートリー幅が大きく、ワグナーは他にもマイナーレーベルから出ているものがある。しかしこのブラス陣をもって破裂的な演奏をやられたらもうハハーと頭下げるしかない。無茶面白い。これが正当かどうかだって?そんなの学者にまかせとけ。中間部の木管と弦のアンサンブルも歌いまわしというか、ニュアンス表現がじつに面白い。ただ押せ押せの指揮者ではないということがわかる。これは凄まじい拍手も当然。個人的に◎にしたいが、速さに流れてしまっているところもあるので○。このあたりはムラヴィンスキーに軍配。

※2005/3/13の記事です
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☆ワグナー:ニュールンベルクのマイスタージンガー序曲

2017年07月26日 | Weblog
ピエルネ指揮コンセール・コロンヌ管弦楽団(odeon)

端正な指揮ぶり(颯爽とリズムよくテンポも揺れず)終始明るい色調のオケの響きも好ましく、構造的な作品の見通しを非常によくしていて、ワグナーがコルトーなどにどう熱狂的に受け容れられたのかがわかる演奏。序曲全曲であることにも意味がある、、、ワグナー楽曲の完璧な構成をきちんと伝えたいのだ。最初少しテンポが前に流れそうになるがほぼ一貫してきちんと組み上がった演奏というふうで、むしろ中欧の演奏の方がデリカシーも楽曲分析もろくにされていないただ主情的で濁ったものに思えてくる。曲が近代音楽史に燦然と輝く完璧な管弦楽小品であることもあるが、とても気持ちがよく、聴いている間はこれこそマイスタだと思ってしまった。SPによくある性急なところも全くない。これはきちんと現代の耳で聴けるものだ。
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☆リャトシンスキー:交響曲第3番

2017年07月26日 | Weblog
ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(RUSSIAN DISC)1955/12/29LIVE・CD


な、なんじゃこりゃあ。。フレンニコフ風かと思ったらドロドロの世紀末節じゃん(一部モダニズム)。奇矯な音響の不格好な配列。オーケストレーションもやたらブラスが鳴ってなんだかワンパターンというか、下手というか・・・でもこれって作曲家56歳の作品なんですよね(しかも3年後に改訂している)。よかったのは2楽章アンダンテ・コン・モート。もともとしーんと静まり返った所に鉄琴が響くような「惑星」的な音楽が好きな私はけっこう気に入った。でも12分は長いな。。4楽章は1楽章の「一休さん」音形(聞けば分かる)が復活して、祝祭的気分に脱皮するのかと思いきや、旋律がよくわからない繰り言を繰り返しだす始末。リヒャルトの影響を受けているのは明白だが、ソヴィエトの作曲家によくあるカンチガイモードに入ってしまったふう。オケの艶な音色に救われている。第二次大戦が影を落としていると言われれば思いっきり落としているように聞こえる。40分近くもの不格好な交響曲、機会があればお試しを。保証はしません。演奏は立派だけど、無印。

※2004年以前の記事です
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ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲

2017年07月26日 | Weblog
ミュンシュ指揮ボストン交響楽団他(DA)1962/2/2live放送

こもっているが解像度のあるステレオ。僅かに針音のような音が入る(三楽章)。二楽章途中でデジタルノイズが入るのは惜しい(盤劣化かもしれない)。よく歌い響かせ、リアリスティックな(録音のよさゆえかもしれない)一楽章は純管弦楽的な魅力がある。はっきりしている。二楽章は落ち着いているがリズムは明確で変に即興的なふうに流れず力強くテンポを維持している。こちらもはっきりした演奏だ。構成がしっかりしていて、シレーヌへの繋がりも上手い。響きの変化がよくとらえられ、内声の細かな装飾音まで聴こえてきて、ドビュッシーはここまで聴こえないと本来の独創性は満喫できないとも思う。時期的なものもあるだろうがミュンシュは力づく、というイメージは当てはまらない。ファンタジーよりやはりリアル、波濤まで描き出した「海」のような演奏と言えると思う。ここまでやっての管弦楽のための夜想曲だよな、と思った。合唱が管弦楽の部品としてハマっていてよい。そのぶん管弦楽は抑え気味で抑揚を弁えている半面、ちょっと手を抜いたか、という粗さも少し聴こえる。シレーヌはリアルにやってしまうアンゲルブレシュトのような人もいるが、ミュンシュは幻想味が最後の輝かしい和音まで続く。拍手は普通。
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☆ワインベルク:交響曲第7番

2017年07月25日 | Weblog
○バルシャイ指揮モスクワ室内管弦楽団(OLYMPIA)1967・CD

ちょっと録音が悪いが緊密なアンサンブルと研ぎ澄まされた音色は出色。だがそれ以上にこの曲自体のはなつ香気に魅了された。ワインベルグは1919年生まれ(まだ健在?)だがゲンダイオンガクではなくバルトーク以前の野趣に富んだ旋律的な音楽を描き一部ソ連作曲家ファンには人気のあった作曲家である。ショスタコーヴィチと仲がよく、12番シンフォニーはその追悼曲として書かれている。この曲は3年前に作曲されたばかりのものとしても多分に古臭いネオ・ロマンチシズムのシンフォニーだが、寧ろ遅れてきた新古典主義の作品として認識すべきものだろう。弦楽オケとハープシコードのための、と銘打ってあるとおり、冒頭からハープシコードの古雅な旋律がかなりの長時間独奏される。この旋律がいい。近現代曲でハープシコードを導入した曲は少なくないが、その古楽器の新奇なひびきに作曲家たちが魅了されたのにはランドウスカ夫人の演奏活動の影響がある。ランドウスカは古楽の再発見だけでなく新しい作品の委属も頻繁に行って自らのレパートリーとした。ファリャやプーランクの楽曲はその中でも特に有名な作品といえよう。だが、それらはかなり擬古典を意識した作品である。典雅な時代の空気を今に蘇らせようとしたようなところがあり、意外と古臭く、また単純で無邪気すぎるところがある。それらの作品が作られた時代からかなり下ったこのソヴィエト出身の作品は、まったくその音色の感傷性だけを取り出し、ワインベルク流の語法に組み込んだような作品であり、印象はかなり面白い。と同時に深く染みるものがある。冒頭の独奏旋律だけで私は強く掴まれてしまった。こんなに孤独な音楽があっただろうか。こんなに感傷的なハープシコード曲があっただろうか。それはちょっとサティを思わせるし、金属的なひびきを放つオルゴールを思わせる。ショスタコよりよほど旋律的で古いスタイルなのにけっこう新鮮に聞けるのはひとえにこのハープシコードの音色のせいである。5楽章制でハープシコードはわりと弦楽と乖離して使用されているが、ハープシコードが途切れて弦楽が旋律を奏で出すと、とつとつとしたオルゴール音楽が急にゴージャスなオーケストラサウンドに変化したような妙な感覚をおぼえる。このあたりで作品としての一貫性がやや損なわれている気もしないでもない。だがどの楽章もせいぜい5分前後(けっこう派手な5楽章だけは10分)だから、組曲として認識すればそうおかしな感じではない。ここまで書いてきて詰まる所私が感銘を受けたのは1楽章冒頭のハープシコードだけ、ということに気が付いた。まあ、でも冒頭のソロ旋律を聞いてみてください。この部分だけでも価値がある、真情の篭った佳作である(フィナーレ結部で回想)。○ひとつ。

※2004年以前の記事です
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☆ラヴェル:「マ・メール・ロア」組曲(7曲)

2017年07月25日 | Weblog
◎アンゲルブレシュト指揮フランス国立放送管弦楽団(TESTAMENT/DUCRET-THOMSON/LONDON/WING他)1955/2/24・CD

かつてオケをシャンゼリゼ劇場管としているものがあったが、テスタメントで正式復刻リリースされるにあたってフランス国立放送管と表記されるようになった。契約関係の模様。あえて避けてきたのだがこの曲には少々複雑な事情がある。まず、ラヴェルの多くの管弦楽作品がそうであるように、原曲はピアノ連弾曲で、1910年にかかれている。「眠りの森の美女のパヴァーヌ」「親指小僧」「パゴダの女王レドロネット」「美女と野獣の対話」「妖精の園」の5曲である。管弦楽版のマ・メール・ロアはその翌年に編まれたものだが、曲数・曲順は同じである。一般的
にはこれがマ・メール・ロア組曲と呼ばれるものである。しかしさらにこれを本人がバレエ組曲として再編したものが存在する。曲数は7曲に増え各楽章間に5つの間奏曲が加えられ、さらに順番も変えられている。「前奏曲」~「紡ぎ車のダンス」、間奏曲、「眠りの森の美女のパヴァーヌ」、間奏曲、「美女と野獣の対話」、「親指小僧」、間奏曲、「パゴダの女王レドロネット」、間奏曲、「妖精の園」というもの。バレエとしては12年に初演されている。マ・メール・ロア全曲というとこれをさすと言っていいだろう。個人的には「パヴァーヌ」からいきなり始まる原曲版は馴染めない。全曲で慣れ親しんできたからであり、むしろ邪道なのだが、それでも序奏なしで本編に突入するような感じは否めない。さらに間奏曲を全てカットした版も存在する。これはアンセルメが編んだもので、アンゲルブレシュトなどはそれに倣っている(但しアンセルメは5曲版の録音しか遺していない)。私はあまり違和感なく聴ける。さて、この盤(ダフニス全曲とのカップリング)はかねてよりマニアの間で超名演として語り継がれてきたもので、モノラルではあるがしゃきしゃきした歯ごたえで結構構築性のある半面夢見ごこちな雰囲気にも欠けず、非常に充実している。ただ、テスタメントで復刻されたものを聴くと、ロンドン盤のような少々篭もった重心の低い音に聞こえる。いかにもドイツ・ロマン派ふうの復刻音なのだ。デュクレテ・トムソン盤のシャンシャンいうような硝子のような何ともいえないまばゆい明るさと幻想的な雰囲気がそうとう抜けている。ま、舞台上の雑音まで拾う良好な録音ではあるのだが、もっと抜けのいい明るい音にしてほしかった。デュクレテの印象を含め、◎としておくが、テスタメントでは○程度。もっと浸らせてくれい。ウィングのCDは板起こしのままの音で、比較的デュクレテの音に近い解像度であるものの雑音がかなり耳障りである。もっともLPに比べればマシか。

※2004年以前の記事です
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