このべたなタイトルで、しかも、主人公の女子大生の名前が「あおい」で(彼女を演じる鈴木ちひろさんが、どこにでもいそうな「とても普通の女の子」で、そんなところがとても魅力的だ! 本当はその話だけで、済ませたいほどなのだが、ここでは敢えてその話は一切しない。それと、上のチラシの写真は、彼女ではない。間違えないこと。)その同棲中の恋人が「蒼甫」。こういうネーミングを平気でしてしまう潔さが高間響さんのセンスなのだろうか。情けないくらいにそのまんまな設定で、その上、何の工夫もない、臆面もない、安物のギャグ以下のセンス、これは笑える。
しかも、さすがにそれだけではないだろう、という周囲の期待を見事に裏切る。その後もそのまんまな展開だ。これにも唖然とさせられる。これではただのバカと紙一重である。まるで貶しているようだが、そうではない。
昨年、LINX'S03で彼らの短編作品を初めて見せてもらい、大胆で歯に衣着せぬ発言が凄いと、思ったのだが、長編で同じことをやられると、別の意味で凄いと言わざるを得ない。いくらなんでも、もう少し仕掛けを作ってもらいたい。これでは退屈すぎる。最初はそれなりに笑えるのだが、途中から何も新たな展開もないから、だらだら進む話が、まどろっこしくてイライラさせられる。
このたわいもないコメディーは、ただ笑いながら、無邪気に見ていれば、それだけでいいのだろう。安易なパロディーで、全く罪もないが、毒にも薬にもならない。正直言うと、これでは期待はずれの一作である。しかし、お客さんには受けていたし、この単純さは自体は悪くはない。ふつうならここまではやらない。もう少し、途中から、何か考えて、ドラマに奥行きを持たせなければ芝居としても恥ずかしいし、だいたい間が持たない。なのに、ツレがウヨクになってしまって、さぁ大変、と、ただそれだけ。そんなのタイトル見ればわかるし。だが無謀にも、ただそれだけで2時間を見せるのだ。
ネット右翼という存在をバカにするのではない。否定も肯定もしない。思いつきでしかないその題材をもとにして、軽くストーリーの表層をなぞるだけなのだ。せめて、主人公の2人を通して、これが「今という時代の気分」としてでも、受け止められたならいいのだが、ただ無邪気なだけで、これでは腹を立てる気にもならない。うんこ、しっこを連発して、笑いを取ろうとする子供と同レベルの芝居である。ただ、この単純さはある意味凄い。普通なら、思想的な問題に足を踏み入れるとか、この設定を利用して、毒のある恋愛劇に仕立てるとか、やりようならいくらでもあるのだ。なのに、しない。
アフタートークに本物の右翼の大物、鈴木邦男さんを呼んできたり、もと文部科学省の官僚で、ゆとり教育の推進者であった寺脇研さんを呼んだり、と、こちらは芝居以上に過激だ。この怖いもの知らずの所業は、驚きをもって見守るしかない。こちらの方が充分刺激的だ。
もっと攻撃的で暴力的な芝居を期待したのだが、あまりにぬるい。でも、そこが作者の狙いなのかもしれない。あくまでも恋愛もので、思想なんかどうでもよくて、大事なのは恋愛なのか、とそんなふうにも思わせる。あきれながらも、でも、なんか、気になる。これはそんな芝居だ。わざと、無邪気に装っているのかもしれない。最初に「何の工夫もない、臆面もない、安物のギャグ以下のセンス、これは笑える。」と書いたが、それはたぶん確信犯的行為である。さて、本当の高間さんの狙いはどこにあるのだろうか。
しかも、さすがにそれだけではないだろう、という周囲の期待を見事に裏切る。その後もそのまんまな展開だ。これにも唖然とさせられる。これではただのバカと紙一重である。まるで貶しているようだが、そうではない。
昨年、LINX'S03で彼らの短編作品を初めて見せてもらい、大胆で歯に衣着せぬ発言が凄いと、思ったのだが、長編で同じことをやられると、別の意味で凄いと言わざるを得ない。いくらなんでも、もう少し仕掛けを作ってもらいたい。これでは退屈すぎる。最初はそれなりに笑えるのだが、途中から何も新たな展開もないから、だらだら進む話が、まどろっこしくてイライラさせられる。
このたわいもないコメディーは、ただ笑いながら、無邪気に見ていれば、それだけでいいのだろう。安易なパロディーで、全く罪もないが、毒にも薬にもならない。正直言うと、これでは期待はずれの一作である。しかし、お客さんには受けていたし、この単純さは自体は悪くはない。ふつうならここまではやらない。もう少し、途中から、何か考えて、ドラマに奥行きを持たせなければ芝居としても恥ずかしいし、だいたい間が持たない。なのに、ツレがウヨクになってしまって、さぁ大変、と、ただそれだけ。そんなのタイトル見ればわかるし。だが無謀にも、ただそれだけで2時間を見せるのだ。
ネット右翼という存在をバカにするのではない。否定も肯定もしない。思いつきでしかないその題材をもとにして、軽くストーリーの表層をなぞるだけなのだ。せめて、主人公の2人を通して、これが「今という時代の気分」としてでも、受け止められたならいいのだが、ただ無邪気なだけで、これでは腹を立てる気にもならない。うんこ、しっこを連発して、笑いを取ろうとする子供と同レベルの芝居である。ただ、この単純さはある意味凄い。普通なら、思想的な問題に足を踏み入れるとか、この設定を利用して、毒のある恋愛劇に仕立てるとか、やりようならいくらでもあるのだ。なのに、しない。
アフタートークに本物の右翼の大物、鈴木邦男さんを呼んできたり、もと文部科学省の官僚で、ゆとり教育の推進者であった寺脇研さんを呼んだり、と、こちらは芝居以上に過激だ。この怖いもの知らずの所業は、驚きをもって見守るしかない。こちらの方が充分刺激的だ。
もっと攻撃的で暴力的な芝居を期待したのだが、あまりにぬるい。でも、そこが作者の狙いなのかもしれない。あくまでも恋愛もので、思想なんかどうでもよくて、大事なのは恋愛なのか、とそんなふうにも思わせる。あきれながらも、でも、なんか、気になる。これはそんな芝居だ。わざと、無邪気に装っているのかもしれない。最初に「何の工夫もない、臆面もない、安物のギャグ以下のセンス、これは笑える。」と書いたが、それはたぶん確信犯的行為である。さて、本当の高間さんの狙いはどこにあるのだろうか。
笑の内閣さんのワンダーランドレビューから辿り着きました。
とても充実したブログで、思わずあらゆる記事を読んでしまいました。
さて来週、我々の劇団が京都の阪急河原町から徒歩3分の、元・立誠小学校という会場で公演致します。
もし宜しければ、ご来場いただければと願います。
ファンタジー・コメディの要素が中心の会話劇を作っております。
突然の書き込み、失礼致しました。
作道雄