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映画・演劇のレビュー

『野のなななのか』

2014-05-19 19:09:26 | 映画
このタイトルは読みにくい。どこで区切るといいのか、ちょっと悩む。「なななのか」が「四十九日」のことであるということは、映画を見たならすぐにわかる。ある老人の死を描く。彼の四十九日までのお話だ。そして、彼の92年の人生のお話でもある。どんなふうにして生きたのか。死んだあと、彼の死を家族はどう受け止めるのか。死は終わりではない。永遠に続く人間の営みの一部でしかない。誰かの死は、誰かの生へと受け継がれていく。死は終わりなんかではない。

大林宣彦監督は『この空の花』に続いて生と死についての壮大なドラマをここに紡ぐ。戦争や震災をテーマに据えて、この2部作が描くのは人生の終焉を迎えようとする大林さん自身の感慨であると同時に、今、自分に何ができるのかという決意表明でもある。だから、これは彼の映画人生の総決算ではなく、現在である。いくつになっても現役の映画監督として、今の自分にできる最大限の挑戦に挑む。だからこれはまだ通過点でしかない。

盟友である高林陽一監督を喪い、自分もまた、いつどうなるか、わからない(というか、人はみんな等しくいつどうなるかなんかわからない!)という想いを新たにした彼が、渾身の作品を、放つ。でも、これはいつもの大林映画と同じだ。『転校生』の時代から変わらない。少女趣味で、センチメンタル。ちゃんと、昔ながらのオプチカル処理のなされた映像は、驚きではなく、懐かしさを醸し出す。2時間51分は大作を示すのではなく、ずっと終わって欲しくない、という子供じみた悪戯だ。

命は連続する。誰かの命は誰かへと引き継がれていく。テオ・アンゲロプロスの遺作になった『エレニの帰郷』を思わせる映画だ、なんて思うのは僕一人だろう。でも、この映画を見ながら、大林さんの次回作が、どういう展開を見せるのか、とても気になった。まだまだ人生は続く。もちろん、映画もまた、続く。久々に映画を見て、うれしくなった。

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