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映画・演劇のレビュー

犯罪友の会『ひまわりとブルース』

2015-10-25 20:53:09 | 演劇

犯友恒例の秋の野外興業が、今年は行われない。その代わり、秋もウイングで、室内劇を上演する。武田さんの新作だ。もう10年以上にわたり、年に2回、確実に上演を重ね、今日に至る。そんな現在のスタイルが確立してからどれだけの歳月が経つのだろうか。もちろん、調べればすぐにわかることだが、それはしない。いつも僕は記憶だけを頼りにして、書いている。事実なんかより、実感のほうを大切に思うからだ。

初めて大阪駅のコンテナヤードで犯罪友の会を見たときの衝撃は生涯忘れない。唐十郎の赤テントや、寺山修司の野外劇を初めて見たとき以上の衝撃だった。日本維新派(と、当時は呼んでいた)を初めて見た時の、ショックに匹敵する。ようするに、最大級、ということだ。そして、もうそれ以上はない。

スペクタクルとは、こういうものなのだ、と胸に刻みつけられた。あれから30年どころではない。でも、犯友は今年40年を迎える、らしいから、あれからまだ、35年くらいしか、経ってないのだろう。あの時、武田さんもまだ若かったのだ。(僕なんか、まだ大学生だった)

ずっと、犯友を見てきて、(途中、何年か、見逃しているけど)今、思うのは、武田さんの描く小世界(あんな、スペクタクルをしてきたのに)こそは、彼にとって最高のスペクタクルなのだ、という当然の事実だ。今回の新作はもともと、野外劇用に書かれたものなのではないか。この秋、これをいつのも丸太劇場で上演したのかも、しれない。そして、それはそれでおもしろい作品になったはずだ。しかし、いつものウイングでこれを上演したことによって、この作品のスペクタクルは極まる。

昭和39年、大阪。下町のさびれた商店街の一角。12年ぶりに男が帰ってくる。まるでフーテンの寅さんのように。ホルモンそば屋の店先に、顔を出し、ふらっと入ったように装い訪れた。派手なジャケットを着て、怪しいひげをした男。高校2年の少女は、そんな彼の親しみを感じる。だって、彼は5歳の時に別れたままの父親なのだから。

壮大なスケールにはならない、せせこましいいじけたお話だ。だが、このロマンスの顛末が語るものを、武田さんは愛おしく見つめる、これぞ、「人生最大のスペクタクル」と。どうしようのない男とそんな男を待ち続ける女の恋の行方。にんげんってバカ。だから、愛しい。


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