本屋では大抵、脳内の金属探知機のようなものをフル稼働させて、直感と魂の感覚を使って、本を選ぶことが多いです。
今必要な書物は何か、と、想念全体、魂全体を用いて探す...(端から見てると挙動不審で気味悪いかも。。。)
ココロのサーチライトで照らしていくと“必要な本”の背表紙がほんとに“光る”感じ。。。 そして、手に取って中をパタパラとめくって、幾つかのキーワードを確認して、確信の元にレジに向かう感じです。
(...そういえば、昔「本屋は恋人 私は消費者じゃない。」とかいう詩を書いたことがありますが。。。)
この前、FRaUのハワイ特集を買った時に、一緒に買った文庫本はこれでした。
いまを生きるちから (角川文庫) | |
クリエーター情報なし | |
角川グループパブリッシング |
五木寛之氏の「いまを生きるちから」 今まで五木氏の本は「大河の一滴」、「他力」の二冊を読んだのですが、これが三冊目...
読み進むと、最後は“寛容と共生の世紀へ”という章で締めくくられている...
まだ読み進んで序章の段階なのですが、“寛容”と“共生”は私の中の最近の(もしかして生涯の?)テーマなので、何かを(足がかりを...)掴むつもりでじっくり読み込んで行きます...
金曜日、ジョンちゃん(最近もすごくがんばっていらっしゃいます...)と久しぶりにメールしたけど(深刻な話で....)
善くも悪くも、結局のところ、生者は亡くなった人を様々な意味で糧として、生きるしかないのではないか...と思った
多少無理してでも(自分を変えてでも)、良い思い出を作っていきたいな...と思った(やさぐれのあまり(自分の中の苦しみのあまり)外罰的になると、せっかく愛した人愛してくれる人に対して、取り返しのつかないことになってしまう...)
最近乗り越えた、もしくはショックを受けつつ同化した、死のことをお話しした日記 亡くなった人が残してくれた尊い宝物 / 詩は温かい石のように
それと、ワンちゃんのカーミングシグナルについて書いた文章にも、自分なりの死生観のことを書きました...(いまだに基本の考えは変わっていません....)
エディ・ホームの第二の人生にシンパシーを受けたことも思い出す
そして、ヒンズー教ではいわゆる善霊に対しても悪霊にたいしても、同じく祭り事を行うことも思い出す....(すべてと共に共生しているイメージ??)バリ島でよく見かけるいつも道に置いてある(あちこち置いてあるのでよくつまづく。。。)新しい(毎日毎日創るから...)花籠のお供え物は、道に住む悪霊たちへのお供え物なのだそうです(悪霊たちへのリスペクトがあるわけです...)
複雑な話だし、私だって今だ旅の途中なわけなので、いまだによく解らない問題なのですが。。。(そして考えすぎると苦しくなることも... 夜になってメランコリーのあまり◯にたくなったり。。。←たいてい朝になると治ってるから大丈夫)
これらの文章は特定の誰かへのメッセージなどではけしてなくて、単なる最近私が時々考え続けてることの反映です。。。
ジョンちゃんに、(言える言葉がなかなか見つからなかったのだけど...) 栄養を摂って愉しく生きてくださいねとお伝えしました