金曜日、ジョンちゃん(最近もすごくがんばっていらっしゃいます...
)と久しぶりにメールしたけど(深刻な話で....)
善くも悪くも、結局のところ、生者は亡くなった人を様々な意味で糧として、生きるしかないのではないか...と思った
多少無理してでも(自分を変えてでも)、良い思い出を作っていきたいな...と思った(やさぐれのあまり(自分の中の苦しみのあまり)外罰的になると、せっかく愛した人愛してくれる人に対して、取り返しのつかないことになってしまう...)
最近乗り越えた、もしくはショックを受けつつ同化した、死のことをお話しした日記 亡くなった人が残してくれた尊い宝物 / 詩は温かい石のように
それと、ワンちゃんのカーミングシグナルについて書いた文章にも、自分なりの死生観のことを書きました...(いまだに基本の考えは変わっていません....)
エディ・ホームの第二の人生にシンパシーを受けたことも思い出す
そして、ヒンズー教ではいわゆる善霊に対しても悪霊にたいしても、同じく祭り事を行うことも思い出す....(すべてと共に共生しているイメージ??)バリ島でよく見かけるいつも道に置いてある(あちこち置いてあるのでよくつまづく。。。)新しい(
毎日毎日創るから...)花籠のお供え物
は、道に住む悪霊たちへのお供え物なのだそうです(悪霊たちへのリスペクトがあるわけです...)
複雑な話だし、私だって今だ旅の途中なわけなので、いまだによく解らない問題なのですが。。。
(そして考えすぎると苦しくなることも...
夜になってメランコリーのあまり
◯にたくなったり。。。
←たいてい朝になると治ってるから大丈夫
)
これらの文章は特定の誰かへのメッセージなどではけしてなくて、単なる最近私が時々考え続けてることの反映です。。。
ジョンちゃんに、(言える言葉がなかなか見つからなかったのだけど...) 栄養を摂って愉しく生きてくださいね
とお伝えしました