映画『八月の鯨』(原題:The Whales of August)予告篇
「八月の鯨」でのリリアン・ギッシュ(となりは、“ヴァンプ女優”〈今作でも“毒舌”。。。〉ベティ・デイヴィス)
やはり美しいのです・・・・・(がんばります)
八月の鯨 [DVD] | |
クリエーター情報なし | |
パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン |
Madonna's love letter to hydrangeas
マドンナのアジサイ騒動にビックリ(上の動画はサイレント映画風のフィルムにて、“あじさいに”謝罪する、と見せかけて好き嫌いの自由を主張するマドンナ。。。 ここは自由の国よ!!! So fu○k!!! と来たもんだ)
自我をはっきりと主張するキャラクターには(自分にない分。。??←ワガママに気付いてないだけだったり。。)憧れもあるけど、「お姫様はそんなことしちゃだめよ~~。。」とかダンナさんに(謎の)コメントすると、「お姫様じゃなくてマドンナだから」と言われてしまった
(ダンナさんけっこうマドンナ好き 音楽的見解から... 追記:さっき貼ったの間違えた。。一番好きなのこの曲みたい よく聴いてる♪Into the Groove 映画マドンナのスーザンを探しての挿入歌だね)
「でも好きな相手にそんなことされたらヤダーー 傷つく~~~」 って言ったら、「ファンだったらそれも織り込み済みで好きになんなきゃいけないんだよ」とか達観したようなことを言われてしまった。。。(マゾじゃん!!??って返したけど。。。)
皇后美智子さまが、(震災の被害に遭われた方のお庭に咲いた..そしてその方は大切なお花を美智子さまに差し上げた)スイセンの花を大切そうに手に持ち、飛行機のタラップを降りてきたお姿も思い出したり。。。
たしかに、皇后美智子さまは色んなご無理をされているせいで、体調をたびたび崩されているので、(高貴な方の御体のことをこんな風に言うのはよくありませんが...それでもこうやって書けるところが“現代の自由”なんだと思います...)(元々は美智子さまも勝ち気なお方だったそうです...元々の気質はそう でも、だからこそ、その強さで難しいお立場を長らく全うされてるのかも...)、それは、いたるところで自我を抑えていらっしゃるストレスなのかもしれません...(しかし、そのプレゼントが好きかどうかの問題ではなくて、それは下さった方の真心でありそれを快く受け取れるかどうかは感受性の問題だ、とか思うのは、私が日本人だから。。??)←またもぐるぐる考え中。。。
“いろいろあっていい”(性質や性格や好みは...)のかもしれないけど、(今回のことで)往年のヴァンプ女優たち(この記事でも触れてますが...ヴァンプの語源は“ヴァンパイア”から...)のことを思い出してしまいました(その昔、淀川長治先生のご本でいろいろ知りました 実家に帰った時持ってこよう)
1915年のサイレント映画 'A Fool There Was' 「愚者ありき」のセダ・バラ
Clips from 'A Fool There Was'
「Kiss me, my fool!」キスしなさいよ 私のおばかさん
そして、彼女に階段から突き落とされ、彼女を愛した“愚者”は命を落とす・・・
「あら、死んじゃったわ」「これ、あげるわね」(...と持っていた薔薇を彼の上に投げ捨てる... そして、彼をまたいで立ち去る。。。)
他のヴァンプものとのMIXになっちゃってるかもしれないけど、映画の中のヴァンプ、こんな感じです。。。(実際のセダ・バラは気っ風のいい好人物だったらしいけど...&インテリ)
a fool there was
セダ・バラも映画の中で花をムシリ捨ててます(むしってるのマドンナの好きな薔薇だけど...)
ちなみに、映画の中の狂女(狂女もの)というジャンルもあります(←自分の中で作ったカテゴリー。。)
マドンナのアジサイ騒動にビックリ(上の動画はサイレント映画風のフィルムにて、“あじさいに”謝罪する、と見せかけて好き嫌いの自由を主張するマドンナ。。。 ここは自由の国よ!!! So fu○k!!! と来たもんだ)
自我をはっきりと主張するキャラクターには(自分にない分。。??←ワガママに気付いてないだけだったり。。)憧れもあるけど、「お姫様はそんなことしちゃだめよ~~。。」とかダンナさんに(謎の)コメントすると、「お姫様じゃなくてマドンナだから」と言われてしまった
(ダンナさんけっこうマドンナ好き 音楽的見解から... 追記:さっき貼ったの間違えた。。一番好きなのこの曲みたい よく聴いてる♪Into the Groove 映画マドンナのスーザンを探しての挿入歌だね)
「でも好きな相手にそんなことされたらヤダーー 傷つく~~~」 って言ったら、「ファンだったらそれも織り込み済みで好きになんなきゃいけないんだよ」とか達観したようなことを言われてしまった。。。(マゾじゃん!!??って返したけど。。。)
皇后美智子さまが、(震災の被害に遭われた方のお庭に咲いた..そしてその方は大切なお花を美智子さまに差し上げた)スイセンの花を大切そうに手に持ち、飛行機のタラップを降りてきたお姿も思い出したり。。。
たしかに、皇后美智子さまは色んなご無理をされているせいで、体調をたびたび崩されているので、(高貴な方の御体のことをこんな風に言うのはよくありませんが...それでもこうやって書けるところが“現代の自由”なんだと思います...)(元々は美智子さまも勝ち気なお方だったそうです...元々の気質はそう でも、だからこそ、その強さで難しいお立場を長らく全うされてるのかも...)、それは、いたるところで自我を抑えていらっしゃるストレスなのかもしれません...(しかし、そのプレゼントが好きかどうかの問題ではなくて、それは下さった方の真心でありそれを快く受け取れるかどうかは感受性の問題だ、とか思うのは、私が日本人だから。。??)←またもぐるぐる考え中。。。
“いろいろあっていい”(性質や性格や好みは...)のかもしれないけど、(今回のことで)往年のヴァンプ女優たち(この記事でも触れてますが...ヴァンプの語源は“ヴァンパイア”から...)のことを思い出してしまいました(その昔、淀川長治先生のご本でいろいろ知りました 実家に帰った時持ってこよう)
1915年のサイレント映画 'A Fool There Was' 「愚者ありき」のセダ・バラ
Clips from 'A Fool There Was'
「Kiss me, my fool!」キスしなさいよ 私のおばかさん
そして、彼女に階段から突き落とされ、彼女を愛した“愚者”は命を落とす・・・
「あら、死んじゃったわ」「これ、あげるわね」(...と持っていた薔薇を彼の上に投げ捨てる... そして、彼をまたいで立ち去る。。。)
他のヴァンプものとのMIXになっちゃってるかもしれないけど、映画の中のヴァンプ、こんな感じです。。。(実際のセダ・バラは気っ風のいい好人物だったらしいけど...&インテリ)
a fool there was
セダ・バラも映画の中で花をムシリ捨ててます(むしってるのマドンナの好きな薔薇だけど...)
ちなみに、映画の中の狂女(狂女もの)というジャンルもあります(←自分の中で作ったカテゴリー。。)
去年の12月あたりに“不寛容”ということについて記事を書いたのですが、ここ最近に至って気付いたのは・・、私こそが不寛容の最たるものだなぁ..ということ。(私の脳内システムが不寛容であることで自分自身もだいぶ辛いです・・。)
もっと愛と慈悲に満ちた寛容な人間になりたい・・。
映画作家D・W・グリフィスは1916年に、映画による表現を制限しようとする映画界(世間の風潮?)への風刺をこめて長編映画「イントレランス」を撮りました。
以前の記事でも書きましたが、イントレランスとは日本語で“不寛容”という意味だそうです。
彼は「人類の不寛容」の歴史を描くことで“寛容と愛”を説こうとしたのだそうですが・・。
私はこの映画の主演女優、リリアン・ギッシュがほんとうに大好きです・・・。
私の不寛容がどうか直るように、柔らかくなるようにと、祈るようにリリアン・ギッシュの画像を探していました。(女優さんの画像を探している時はほんとうに楽しい・・。最近一番好きないっときだなぁ。)
彼女の柔和な美しい表情を見ていくうちになんかケアル(←FF語)でもかけられたように、私の心がほだされてすごく優しくリラックスした気持ちになれましたよ。不思議です・・。
リリアン・ギッシュは生涯独身のまま女優活動を続け、99年(!)の人生を全うしました。その部分も私の憧れでありました。
晩年には「八月の鯨」で同時代の映画人であり、清純なイメージで売っていたリリアンとは対極的な往年のヴァンプ女優(←このジャンルも人によってはグッと来るジャンルだそうですね・・。)ベティ・デイヴィスと老姉妹役で競演しましたよね。この映画もそうとう好きな映画です・・・。
〈リリアン・ギッシュ写真館〉
このすべてを見透かしてしまうような清廉な瞳・・!
そういえば、ウィノナ・ライダーのことを“90年代のリリアン・ギッシュ”と評した文を読んだことがあります・・・。
妹、ドロシー・ギッシュも女優であり、女の子2人というシチュエーションに弱い私はその部分もグッときてしまったところです・・。いいなぁ。(うっとり)
左は百合を抱える若き日のリリアン。右は老いてなお気品ただようリリアン。(・・花を手放し栄光〈GLORIA〉を手にした・・?・・なんて大好きな人に対して意地悪を言うのはやめます。。)
もっと愛と慈悲に満ちた寛容な人間になりたい・・。
映画作家D・W・グリフィスは1916年に、映画による表現を制限しようとする映画界(世間の風潮?)への風刺をこめて長編映画「イントレランス」を撮りました。
イントレランスアイ・ヴィー・シーこのアイテムの詳細を見る |
以前の記事でも書きましたが、イントレランスとは日本語で“不寛容”という意味だそうです。
彼は「人類の不寛容」の歴史を描くことで“寛容と愛”を説こうとしたのだそうですが・・。
私はこの映画の主演女優、リリアン・ギッシュがほんとうに大好きです・・・。
私の不寛容がどうか直るように、柔らかくなるようにと、祈るようにリリアン・ギッシュの画像を探していました。(女優さんの画像を探している時はほんとうに楽しい・・。最近一番好きないっときだなぁ。)
彼女の柔和な美しい表情を見ていくうちになんかケアル(←FF語)でもかけられたように、私の心がほだされてすごく優しくリラックスした気持ちになれましたよ。不思議です・・。
リリアン・ギッシュは生涯独身のまま女優活動を続け、99年(!)の人生を全うしました。その部分も私の憧れでありました。
晩年には「八月の鯨」で同時代の映画人であり、清純なイメージで売っていたリリアンとは対極的な往年のヴァンプ女優(←このジャンルも人によってはグッと来るジャンルだそうですね・・。)ベティ・デイヴィスと老姉妹役で競演しましたよね。この映画もそうとう好きな映画です・・・。
〈リリアン・ギッシュ写真館〉
このすべてを見透かしてしまうような清廉な瞳・・!
そういえば、ウィノナ・ライダーのことを“90年代のリリアン・ギッシュ”と評した文を読んだことがあります・・・。
妹、ドロシー・ギッシュも女優であり、女の子2人というシチュエーションに弱い私はその部分もグッときてしまったところです・・。いいなぁ。(うっとり)
左は百合を抱える若き日のリリアン。右は老いてなお気品ただようリリアン。(・・花を手放し栄光〈GLORIA〉を手にした・・?・・なんて大好きな人に対して意地悪を言うのはやめます。。)