ただ建築が好きな走るエンジニア、

日系某メーカーを辞めて外資系に転職。資格、建築デザイン、転職と来て今はひたすらす走ってます。2019別大2:49:13。

親として、子どもの可能性、

2021-02-24 23:35:48 | 家族イベント
共通テストが終わった後、
少し迷った顔で君は相談に来たね。

高校入学当初から行きたかった大学はD判定、
親元から通える地元の大学はA判定。

「本当に自分がやりたいことは何だろう?」
「本当にこの大学に行きたいんだろうか?」

親に何も言われなくても一生懸命に
勉強してきたことはよく知っていた。

でも少しでも安全な道を選んで欲しい、
傷付いた君の顔を見たくない僕は
「地元の大学なら確実だよ」
と言ってしまったね。

他にも私大をいくつか受けるけど、
その中に安パイなんてないことも
知っていた。

でも夢を諦めるのはもっと残念だと思って
親だから、甘いから、

D判定、合格可能性35%の大学も
5つ受けるなら全部不合格の可能性は
0.65^5=0.12、たったの12%だよと
下手な計算をして見せて
背中を押してしまったよ。

君が出願してしまった後、
焦燥感にかられたのは僕だった。

僕は12%も信じられない親だった。

でも今はそんなことを思った自分を
情けない親だなと思っている。

ここまでもよく頑張った。
あとは最後までやり遂げて欲しいと思う。
Comment

備忘録(2/23)

2021-02-23 11:35:25 | 日記


1月下旬に0.6程度だった再生産数が
ここ1週間で1.0付近まで上昇している。

何が因子なのか気になる。

この調子だと宣言解除が見込まれる
3月上旬まで東京1日300人平均が
続くかも知れない。

地域に目を移すと
大磯町は2月1日以来、0更新だが、
隣の平塚は逆に再生産数が暴れている。

神奈川県は横浜と東京の間くらいの値。

何となく地域ごとの傾斜やムラの様子が
分かる。

過去感染ピーク繰り返す毎に基底値が
下がり切らない傾向があったので、
意外とこれ以下には下がらないのかも
知れないと感じる。

それは人々の慣れのせいなのかな。
Comment

花粉との闘い、

2021-02-22 23:22:00 | ラン(~サブ45)



花粉の鎮まる午後10時。
おもむろに走り出す。


キロ4、3キロで力尽きる。
そしてクシャミが止まらない。

昼間は絶対に走らないと悟りました。
いや、思い知りました。

183km/month




Comment

分かれ道(6)

2021-02-20 19:53:00 | 日記
懇親会は9月中旬、期末に差し掛かり、
もう残暑も感じられない、穏やかな
雰囲気だった。

社内募集で異動する前にいた部署の
課長も部長に昇進した後、別の部署に
異動していた。

研究から事業に移行する製品を担当する
事業開発室に移っていた。

まだ具体的な商品が決まらず、
苦労していた。

よくある話だが、
研究から事業に移行するときは
研究者だけでは立ち上げられないし、
勿論商品設計者だけでも無理だ。
バランスとチームワークが
求められる。

そこでは設計者が不足していた。

自分がいれば何とかできるのでは?
という思いが込み上げてきたが、
それは傲慢だった。

その日は近況を交換し、
穏やかな内に解散した。

その後も社内募集で移った部署では
膠着状態が続いていた。

すでに2か月に及んでいた。
人事や色々な人のインタビューを
受けた。

色々な話をして人事の担当者とも
すっかり仲良くなった。

正直に異動希望を伝えた。

社内募集で異動した場合は
2年間は次の社内募集には応募できない
ルールだったが、
私の場合は例外で構わない
という人事の判断が下った。

被害者として認定されていた。

人事の担当者は次の部署で3年頑張れば
先が開けるとアドバイスしてくれた。

正直、救いだった。

この事件が起きてから
私のこの会社でのサラリーマン人生は
終わったも同然、失意のどん底だった。

しかし、アドバイスや時間は
人を救ってくれる。

考え直して
賭けに出ることにした。





Comment

理性と恐怖の狭間で大阪、

2021-02-20 01:06:00 | 日記
年初から3回、しかも自家用車出勤のみ
だったのに今日は大阪日帰り出張でした。

人間は理性で行動するのではなく、
恐怖で行動を抑制するだけだから、
恐怖が麻痺するとその抑制が緩む。

今日、自分自身の変化の中で
そう感じました。






まぁ、外出することは楽しい訳ですよ。
勿論マスクは二重、
何かに触れば手ピカジェル。

でも帰りの御堂筋線はすごい人だし、
HORAI551の行列には並びたくなるし、
新幹線の中で牛タン弁当食べたくなるし、

私は弱い人間です(*´-`)

新聞は何日連続で500人以下とか
いかにもわかりやすそうに書いてるけど、
最近300人前後なのは予測の範囲内に
入っているだけなので。

むしろ再生産数が微増に転じていることを
報道すべきだと思う。






Comment

分かれ道(5)

2021-02-16 00:17:00 | 回想
社内募集で異動する前にいた部署で
シンガポール国費研究生のチューターを
担当したことがあった。

私自身も中途入社1、2年だったので
どちらかと言うと同級生のような
感じでくだけた関係だった。

彼らは国立大学を優秀な成績で
卒業したエリートだった。

しかし、シンガポールに限らず
アジアの他の国でもそうだが、
すでに在学中に兵役を終えていて
一人前の成人だった。

その懇親会は、2年の期間満了で
帰国する彼らの送別会だった。

異動して一年になるのに
彼の意向で私も呼んでくれたのだった。

部長、以前の課長と話すのも
1年ぶりだった。

1年前、なんで一言も相談せずに
異動を決めたのか?と問う部長に
私はすみませんでしたとしか
言えなかった。

まさか、そこまで気にかけてくれて
いるとは想像していなかったからだ。

周りの人のことを考えられない、
想像できない自分の愚かさを
再び知り、後悔する出来事だった。

前の会社でも似たようなことがあり、
結局転職したのだった。

課長にはすごい無茶振り、厳しいことも
たくさん言われたが、確かにいつも
骨は拾ってくれた。

そんな以前の課長は何も含むことなく
昔通り接してくれた。




Comment

分かれ道(4)

2021-02-12 10:29:00 | 回想
その前の部署の部長との出会いは
30歳で転職、入社した時だった。

当時は課長で、まだ30台だった。
バイクが趣味で、ヨット部にも
いたらしい。

メンバーも新人や転職組が多く、
皆20台か、30台前半だった。

服装もくだけていて、一つ間違えると
大学のサッカー部か、バスケ部の
ようだった。

そして頭が良くて積極的だった。
入社前に描いていた理想工場が
そこにはあった。

入社して3か月くらいした頃、
その当時課長から海外顧客向け
設計のリードを任された。

正直、分野を跨いで転職したので
分からないことばかりだったが、
半分は前職の知識も役立って
ちょっと毛色の違う設計ができた。

シンガポールや台湾、中国、北米、
毎週のように課長と同行して
顧客を訪問し、設計の折衝をした。

このお客様に対しては君がうちの
顔だから、お客様のためにも担当は
変えない。と言われた時は嬉しかった。

気付くと事業部で最大の販売台数を
稼ぐ製品の設計を担当していた。

色々なアイデアで低価格も含めた
ほぼ全ての顧客の希望を実現した
結果だった。

でも生産の初期段階でいくつかの
トラブルに見舞われた。
経験不足が露呈した。

愛知にあった生産現場と
神奈川、台湾の間を週に何度も行き来し、
昼夜問わず対応して問題は解決した。

その後、課長は別の部の部長に昇格し、
私も事業部の功績賞を受けた。

しかし、組織変更で私は別の課に異動し、
自社向け別製品の担当に変わった。

ちょうど転職して2年が経過していた。

自社向け製品の設計は
正直言って地味で新しいアイデアを
試す必要がなかった。

何となく罰を受けているよう、
理解されてないように感じた。

次第に意欲が薄れる頃、
社内募集で新規デバイス開発の募集を
見つけて応募した。

しかし、
その部長に昇格した前の課長は、
私の異動が決まったことを知ると
なぜ事前に相談しなかった?と
怒っていた。





Comment

2月11日、

2021-02-12 01:52:00 | 日記









平和な一日。
昼間は家族と高田山公園から
この街を眺める。

夜は一人でEペースで16キロ。




Comment

分かれ道(3)

2021-02-09 23:55:00 | 回想
水曜日の午前中、大学時代の友人と
サーフィンをしていた。

30半ば、せっかく海辺に住んでいるの
だから、経験しておきたかった。

2時間ほどロングボードで
穏やかな波乗りで過ごし、
そこで友人とは別れを告げて
会社に向かう。

2か月前にはこんな平和な日が
再び訪れるとは想像できなかった。

カリスマを追い出しに掛かったところで
意外な事件が起こった。

カリスマと行動を共にしていた
女史が部長をセクハラで訴えた。

課長も任を解かれて
隣の課長が兼任になった。

そして私たちの業務は停止になった。

人事からは個別にインタビューが
行われた。

ポイントはセクハラと業務上の
服務規程違反だった。

部長は否定したが、
利害当事者の人事異動は
出来なかった。

約2か月の間に度重なるインタビューや
双方からの懐柔工作が行われた。

正直もう沢山だったが、
先行き見えずに不安だった。

私は双方から見て中立に映った。
自分でも外れたことはしていないと
思った。

ブラックボックスの調査も
背景は別としてオープンに
行動していたからだと思う。

そんなある日、社内募集の前にいた
職場の部長から懇親会の誘いを受けて
出向いた。

Comment

オリオン座と冬の大三角形

2021-02-07 10:13:00 | ラン(~サブ45)



何が写っているか分からないと思います
が、オリオン座と冬の大三角形です。

夜、茅ヶ崎の海岸にたどり着くと
明るい夜空に少し驚きました。

が、iPhone7のカメラには
何も写らない(笑)。

着の身着のまま、
脚なりEペースで20キロ。

(2/6)
OISO 9C
Nike Zoom Pegasus36(624km)
[E]20km 4'36/km 156bpm 189spm 115cm
VO2max=57
Total: 54km/month


Comment

分かれ道(2)

2021-02-06 12:41:00 | 回想
その分かれ道の約1年前、
私は少し困った状況だった。

さらにその1年前のこと、
社内募集である先端デバイスの
開発部署に異動したのだが、
そこでトラブルに巻き込まれた。

40半ばの課長と同格のリーダーの間に
確執があり、気付いたら
その真ん中にいた。

リーダーはアイデアと関係者を巻き込む
カリスマだった。

課長は企画上がりの将来を嘱望された
存在だった。

リーダーの独善を危惧した課長は
新参の私にリーダーを追い出すことを
前提とした調査を命じた。

確かにほとんどのアイデアは
カリスマであるリーダーから出ていたが、
余りにもブラックボックス化していた。

協力会社との関係もカリスマが
繋いでいたが、詳細は誰も
知らされていなかった。

大きい会社でもこう言う状態が
容易に生まれることが不思議だった。

その天才に畏怖しつつ
私も振り回されていた。

どれもアイデアは奇抜だが、
実際やってみると大変だった。

毎日のように横浜と青梅と鹿児島を
昼夜問わず行き交った。

クリーンルームの床で寝たことも
朝の4時に鹿児島空港で
始発の飛行機を待つことも
ざらだった。

それでも次第に自分のアイデアも
採用され、具現化に喜びを
感じ始めた頃、問題も顕在化した。

それを知った課長は部長と一緒に
カリスマの追い出しに取り掛かったが、
すぐにバレた。

Comment

外を走る、

2021-02-04 23:16:00 | ラン(~サブ45)


(2/4)
OISO 11C
ZF3(586km)
[J]2km 5’03/km
[M]12km/49:57 4’10/km 194spm 124cm
4’13-4’11-4’14-4’07
4’14-4’09-4’12-4’06
4’07-4’11-4’15-3’59
[J]6km 5’05/km
VO2max=57
Total: 33km/month

今週はずっと在宅。

気付けば3日間、
一歩も外に出てなかった。

トレミがなかったら
かなりやばい状態でしょうね。

さすがにこれは病むなと思い
外を走ってきました。

恐る恐る、丁寧に調節しながら
サブ3巡行。

とりあえず12km走れれば
ハーフまでは行けるでしょう。

とりあえず安心して帰る。





Comment

分かれ道(1)

2021-02-03 22:21:00 | 回想
会議室には部長と全ての部員、
向かい側にはシンガポール帰りの室長

部員の半分は20台、自分も30半ば、
みんな若くてキラキラしていた。

ようやく一つのものを世の中に
送り出してこれからと言う時だった。

ここで止めてしまえばもう、
ライバルとの差も取り返しの付かない
ものになることは皆分かっていた。

上からの決定事項を伝える室長、
その理由を問い質し、
正論をぶつける若手。

私は事業化に伴い一年前に部長に
拾われて加わったベテランだった。

皆が研究上りの中で
本格的な商品設計のリードを任された。

儲けになる設計をして
百万台という単位でモノを
世の中に送り出した。

それを覆して
メンツにすがる分かれ道だった。





Comment

海に浮かぶ月、

2021-02-01 00:44:00 | ラン(~サブ45)



とりあえず13キロ、キロ5分41秒。
1月は計210キロ。

海に浮かぶ月が幻想的でした。




Comment