WIND AND SOUND

日々雑感 季節の風と音… by TAKAMI

授乳教習所

2018-07-20 | しろかねも くがねも玉も何せむに…







息子を産んだ後の「授乳地獄」…について「ソレ知りたい?」と書きましたが、誰も反応して下さいませんでした。
大変残念なのですが。敢えて書きます。
書きたいのです。

ちなみに、盲腸の痛みと陣痛に関する記事も発見しました。


激痛…盲腸 VS 陣痛(前編)


激痛…盲腸 VS 陣痛(後編)



当時は、まだブログを始めたばかりで、内輪で賑わっていて、たくさんのコメントを頂いていました。
なんだかのびのびと書いててすごくよかったな~~~


陣痛ピーク時の「宇宙のミラクルパワー」はほんとにこれまでの人生において一番の感動体験でしたが、
その後の入院の1週間は苦難の授乳教習所のような日々でした。
授乳の訓練だけのための日々。
こんな人あまりいないよね。

私の乳首(失礼)が特に大きいというわけではないと思うのですが、息子の小さい口にはでかすぎで、
大人の口の中に「みかん」かなにかをぼし込む(讃岐弁;むりやり入れる)感じなんだよね。

私がもともと口の中の容積が狭く、普通の人が一口で普通に食べられるような餃子やにぎり寿司なども、大変食べにくいのです。
無言でもぐもぐする時間が普通の人の倍はかかる。

まあそういうことだから、息子にも遺伝したらしい。
そんなワケで息子はうまくおっぱいが吸えない。
お腹がすいたら、必死で口をこれでもかというくらいに開けて吸い付きにくるんだけど、
毎回のお食事タイムは必死で、「ああもうこれくらいでいいや、疲れた」…となっていたのであろうと思われる。

経験者はご存じかと思うけど、あまり上手に吸ってくれないと、母乳もあまり出なくって、バッドスパイラルに陥ります。
なので、その分を自分で搾乳することに、、、、
この作業が超絶痛くて大変で時間はかかるわ、3時間ごとの授乳でただでさえ睡眠が分断されてるのに、
3時間ごとに起きて授乳が終わったあと長い時間かけて絞って、へとへとになって寝て、うとうとしてたら、もうすぐまた次の授乳タイム。
もう私はへろへろなのでした。

同じ部屋で、10代と思われる子がママになったらしく、これまた少年のようなパパや、少年少女のお友達が面会に来るんだけど、
彼女はめっちゃ元気で、面会のお友達にも冗談を言ったり、なんといっても
「私、こんなに元気なのに、ヒマで退屈や~~~」と友達に言ってるのがとっても印象的でした。

え~~~私はこんなへろへろなのに、いや、ヨボヨボともいえる、、、
お友達が会いにきてくれても、元気よく対応なんでできないし、
授乳と自分の食事以外の時間は、とにかく少しでも寝ていたかった。

これが10代と40手前の体力の差なのだと、ひしひしと感じたね。
トイレに行くにも、手すりをつたいながらヨレヨレと歩いていったな~~
やっぱり、出産ってものすごく消耗するんだよね。40手前の出産は消耗激しすぎる。


もぉホント、私は心から、女子はどんな事情があっても子供を産むことをお勧めしますし、
それならなるべく若いうちに…とお勧めします。
産んでからでも、自分のやりたいことは必ず叶う。
こんな時代に後世に子孫を残すことは生んだ子供がかわいそうだと思うご夫婦数多と思われます。
しかし私はそうは思いません。
子供は親の教育によって、必ず親を超えて成長します。そうやって子供が親を超えていくことで世界は良くなっていくのです。



退院してからは、母がまかしときっ!とばかり、張り切って私の食事の世話や、息子の沐浴を手伝ってくれました。
…というより、全部やってくれた。すごく楽しそうだったなあ。

私の食事は、炭水化物たっぷり、野菜や水分たっぷりの「しゃびしゃび」系なものばかりで、
母乳が出やすいようにとの配慮満載のものばかりでした。
そして、私が息子の飲む母乳の量にナーバスになっている時に、粉ミルクを買ってきて、
新生児は1回に70~80mlと病院で教わったのに、私に内緒で180mlも飲ませていたらしい、、
あとで聞いた話だけど、その時に知ってたら「絶対やめて!!」と、怒りまくっただろうなあ…
でも、息子は元気に育ったのだし、「赤ちゃんでもお腹いっぱいになったら飲むのやめる」と母は申しておりました。
私が授乳で睡眠不足にならないようにとの配慮だったらしいけど、
おかげで、息子は満腹で寝て、私は夜中に起きずにすんだよ。

授乳に関しては、ほんとにナーバスで近視眼的になっていた私に対して、母も気を使いつつ、
息子にはおおらかに接してくれていたのだなあ…と、
「ばあちゃん」の存在の大きさについて、今こうして書きながらも、改めて感じています。





Comments (2)
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息子を産んだときのこと(加筆修正)

2018-07-17 | しろかねも くがねも玉も何せむに…





このブログを始めたのは、息子が4歳の時。
…ってことは14年。

息子に関するいろんなことを画像とともに記録できてほんとによかった。

しかし、息子を産んだときのこと、書いたことないかも。
いやもしかしたら記憶にないだけで拙ブログのどこかにあるかも…
盲腸の痛みと出産を比較した記事がどこかみあるかもな、、、



ここで、書いておきたくなりました。
私の出産について。

妊娠から…となるともうあまりにもものすごいストーリーで膨大になりそうなので、とりあえず出産についてのみ。


…といっても、やはり妊娠中からの話から始まるんだけど、
私は妊娠中もLIVE活動も仕事も普通にやっていて、ある日、お腹の張りがすごくて、
仕事を休んで病院に行ったら「切迫早産」と診断され、そのまま入院となりました。
予定日まで3ヵ月以上、ももうこのまま出産まで入院ってことに、、、
しかし、私は退院できたのです。
たいした「切迫早産」じゃなく、点滴の効果で、開きかけた子宮口はそれ以上広がることはありませんでした。
そして、臨月に飛行機で実家に帰って予定通り、香川で出産することができました。


高齢妊娠、出産なのでしたが、突発的ではなく、実は私の中では予定妊娠だったのでした。
LIVE活動をどうしても続けたかったけれど、子供も絶対産みたかったのでした。
もうこの歳が子供を産むギリギリの年齢であろう…と、、、

そのように、積極的な妊娠をした私の心構えは、「出産に前向きに挑む」というものでした。
定期的に通っていた産婦人科の出産カウンセラーみたいな方に、あなたの出産のイメージとはどんなものですか?と聞かれ、私はそう答えたと記憶してます。
カウンセラーは、それぞれの妊婦さんの希望する出産のイメージになるべく近いお産ができるように妊婦の心身を陰で支えてくださるという役割のようです。


そして、いろいろはしょって、いよいよ出産当日。
午前中、お腹の張りの感じで「いよいよ来たか!」とわかります。
少し様子をみてから病院へ。そのまま入院となり、陣痛室(だったかなー)で待機。
夫にも連絡していたので、ラッキーにも陣痛が極限に達する前に来てくれました。
取るものもとりあえず東京から駆けつけてくれた夫は、陣痛室で弁当を食べながら、私の腰を力の限り押してくれます。
夫が来るまでは母が付き添ってくれて、腰を押してくれてましたが、夫はめっちゃ力強く心強かった。
「ヒッヒッフ~~」というのは雑誌でお勉強はしていたけれど、そんななまっちょろいものじゃなく、この激痛には、夫の渾身の力をこめた「腰押し」で対応。
これから生まれようとしている子どもとその両親の3人の、超~~~絶な共同作業。
これまでの経験を超越した、あり得ない、ホントにあり得ない痛み、もがき……と書いている今は、全くもう忘れているのですけどね。

と、そこへ「宇宙のミラクルパワー」がやってきた。
私、こんな痛みもうこれ以上耐えられないんですけど、、、どーすんの??ってところで、さらなる痛みが襲ってくるときに、「宇宙のミラクルパワー」としか言いようのない自分の中には絶対持ってるんじゃないのが来たんだよ。
その「ミラクルパワー」は、介添えをして痛みを和らげてくれるのでなく、さらなる痛みを乗り越えるパワーを供給してくれる感じ。
私の自力で、この痛みに耐えられるワケがないのです。これはもぉホントに宇宙のパワー。
私は宇宙と一体となって、宇宙と同化してこの命を生み出すのだ…と、ホント、これは、痛みの極致の中での究極の感覚と究極の感動だった。



女子はみんなこうやって様々なかたちでの出産を乗り越えてくのだなあ、、、


分娩台に乗っかったときには、もう陣痛はおさまって、赤ちゃん出口のソノ部位とかセンセや看護師さんに触られるとなんだかくすぐったくて笑ったりしてたような。
息子の頭が出てきかけてるところを鏡で見せて貰って「頭の毛がくるくるじゃ~~ん!!」と思ったり、かなり冷静だったっけな。
そして、いよいよ出てきた息子のオギャーの第一声は、私からしたらなんだかとてもか弱くて、おいおい、大丈夫なんかい?って思ったっけな。
でも、とにかく「オギャー」と肺呼吸をしてくれて、もぉ~~安堵感ひたひた。

生まれる瞬間は、陣痛の極致のときの「ミラクルパワー」体験からすると、なんだかフツーに生物の「娩出」って感じ。



五体満足、ほんとうに健康体で生まれたことに神さまに感謝しました。


しかし、母には、その後授乳地獄が待っていたのであった。
ソレ知りたい?

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息子帰省の3日間

2018-07-16 | よしなしごと





金曜の夜から月曜まで3連休で息子が戻ってきていました。
夏休みではなく、奨学金の手続きの書類のためで、明日は授業なので慌しく帰って行きました。
私のこの連休は大変慌しく殆ど息子をかまうこともメシ作って食べさせることもできませんでした。






まずは「フラウエンコール」という薦田義明先生率いる合唱団の定期演奏会。
私は、団長(教会関係のお友達)から「モツレク」(モーツァルト レクイエム」の歌詞の日本語訳を本番でステージ背面に流すというのを頼まれ、お引き受けしました。
夕方からはレッスンがあるので、「モツレク」が終わったら、帰らねばならず、本番を聴くことはできませんでしたが、午前中たっぷり2時間余りのリハーサルをじっくりと客席で聴かせていただきました。
大変有意義でした。
薦田先生、めっちゃコワい先生だけど、ものすごく一生懸命で、いやもう必死で、熱意が伝わりまくります。
先生の指摘(殆ど怒鳴り)は、私も共感できることで、「あっ、それはちょっとなぁ」と私が感じるころ、先生はすかさず怒鳴りまくります。
そして、練習の最後に先生が仰った「みんなには一人ひとりが表現者として自立してほしい」という言葉、とっても共感しました。




一杯の姿撮りそびれました もう最高~~~


その後、自宅でのレッスンが終わってから、SYOさんの家の近所の「山活」へ!
(めっちゃ美味しいけど全然気取ってない穴場の割烹串揚げやさん)
息子と3人で行くのは何年ぶりだろう、、、
息子は高校の部活に顔を出し、後輩たちと遊んだあとで現地で合流。
最後に行ったのはたぶん中2だったかな。
あまりにも久しぶりだけど、子どもの頃はほんとによく3人で行って、カウンターごしに魚や貝のこと教えてもらったり、時には閉店後にマスターとコマで遊んだり、
ほんとにほんとにものすごくお世話になりました。




  


5年ぶりぐらいで行った息子は、何もかもがものすごく美味しいと、俺はこんな美味しいものを食べて育ったのかと改めて感動してました。よかった~~\(^o^)/
ホント美味しいんです!!!



息子が思春期になってから、3人で行動を共にしなくなってしまったけど、
こうやってまた3人で食事に行くことができて素直にとっても嬉しい。
3ヵ月ぶりに会う息子は、少しの間に大人になったなあと感じました。
限られた仕送りで、自活して、無遅刻無欠席で学校に通ってるって、本当に偉いなと思います。
息子の通う専門学校からは、定期的に出席状況についての通知が来るのです。

私はゆる~~い大学生活の前半2年、一般教養なんてサボりまくってたもんね。



2度目の出席状況通知。これを見ると、よし、母も頑張って働かねば!ってすごく思う。




2日目は、息子は昼は友達と遊び、夜は祖父母の実家に行きました。









私は生醤油中華そばをいただきました 昨日は山田家さんのうどんだったもんね♪



3日目の今日は、ランチに「竜雲」(うどん)に行き、その後、建築家macotoさんの会社に遊びにいきました。
macotoさんは、以前にも何度もご紹介した建築家で、SYOさんのスタジオの設計、施工者であり、あるときCIDPという難病に罹り、今でも病気と闘っていらっしゃいます。
完治することのないこの病気になって、健常者と変わらないほどまでに回復するのは4%なのだとか。
私はひたすらにmacotoさんの仕事やご家族に対する熱意や愛によってここまで回復されていらっしゃるのだと、本当にいつも尊敬しています。
そのmacotoさんとの出会いも奇跡なんだけど、息子が建築家を志し、macotoさんのご出身の専門学校の後輩になる…というのも奇跡…というより、
これは神さまのご計画であります。きっぱり。

macotoさんの体調にも波があり、今回は息子がmacotoさんにお会いできるのか微妙というところでしたが、叶いました。


こうして、息子は、短い高松帰省の3日間、濃い日々で、きっと満足で帰っていったと思う。
だけど、私は息子になんにも作って食べさせられなかったよ。


さて。冒頭の画像は我が家のLDK兼レッスン室なのですが、息子は自室にベッドがあるにもかかわらずここで寝るヽ(`Δ´)ノ






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「ダシアン・ライス」

2018-07-09 | 美味礼讃






このところ「だし」暴走の記事が続きまくっていましたが、
ついに、先日、教会の「ワカモノ夕食会」(若者夕食会)というイベントで、17名分の「だし」を作ることになりました。
先月の「ワカモノ夕食会」では、「フランゴ・コン・キアーボ」というブラジル料理を作ったのですが、
「暴走だし」は、もぉここまできたら私のオリジナルといっても過言ではなく、それだけに料理名がなく、
「耕造さん」という高校音楽部時代の先輩(この方こそ私を「だし」に導き?ここまでハマらせた張本人)が、連日のような私のFB投稿記事と画像を見て、不憫に思い?命名して下さったのが、「ダシアン」=「dashi + asian」


おおおぉぉ~~~!!
さすがプロ!!!(詳細は割愛、、めっちゃレジェンドな広告代理店の方)

他にも、TAKAMIの名前入りのかわいいネーミングを考えて下さった方などもいらしたのですけど、
さすがに自分の名前を料理名に入れて名乗る?のはこっぱずかしくてね~~~
ホントに、みなさま、却下でごめんなさいです。


…しかし、本番の画像はナシです。
当日はそれどころではなく、、、、

でも、数日前の試作品はあります。(冒頭の画像)

豚バラ肉をカリカリベーコンのように焼いて、それをご飯(本番は雑穀米)の上に敷き詰めて(本番は経費節減のためぱらぱらと乗せる)
たっぷりと「ダシアン」をかけ、ご飯と混ぜ混ぜして食します。
胡瓜のカリカリ感、茄子のしんなり食感、トマトのジューシーな味…
そこにパクチー、大葉、そして唐辛子。
いろんな味や香りが混ざりあって、えもいわれぬハーモニーを醸し出します。

実は私、この試作品のときに、初めてご飯に「ダシアン」を乗せて食べてみた。
いんや~~~もう素敵すぎます。

ゼヒともみなさま一度お試しください\(^o^)/

味付けは、ナンプラー、レモン汁、スイートチリソース。
そんなんないよ…って??
いんや~~これだけのために入手する価値ありますって。




ラスクに乗せて食す、、、♪



いずれ、「カオ・クルク・カピ」というタイの混ぜご飯もやりたいな。

チャーハンや、炊き込みご飯の常識を超えたワンプレート混ぜ混ぜごはん。
私も「ダシアン」からさらに発展させたいな~~




ついでに…ってことでもないんですけど、美味しく幸せなランチタイムなどなどの画像もせっかくなのでアップしとく。


先日、豪雨の日に行った「瀬戸きぼう恵美屋」さん







豪雨の土曜日にもかかわらず、ランチタイムのお店はほとんど満席。
「お造り定食」もぉ~~美味しすぎ。
私、正直申しまして、ちょっと明日は休みでよく飲んだ…って時の翌日午前中はあまり食欲ないのです。
しかしここではそんなときにも絶対に完食。



お刺身だけじゃなく、これは鯛のカマ。しゃぶり尽くしましたヽ(^o^)丿



たんごぶ後、酒は控えていたので、久々の昼酒。オーナーのお心遣いなのだかわかんないけど、めっちゃ濃くて美味しかったよ(*^_^*)






こちらは「山田家」さんの「ひやかけ」









大葉、梅干、大根おろし…などが食欲そそりまくり、よく飲んだ翌日に(またソレ!?)

つまりは、身体が歓んで受け入れる感が良きかな~~~!!

しかも、デザートに抹茶ラテとわらび餅もいただいてしまった。

このお店のメインのお座敷での、平日ならではのゆるゆるまったり感… 超いいっす、、、

   




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私がクリスチャンになった訳

2018-07-02 | キリスト教のこと


深い群青の「ガリラヤ湖」



「求道者ドキュメント」のカテゴリーを読み返したら、結構私、いろいろキリスト教について書いてるじゃ~~ん。
でも、洗礼を受けることとなった過程については書いてなかったよ。
なんでこのズボラでチャランポランなTAKAMIがクリスチャンになったのか…
しかも、いきなりどぼ~~ん!とお風呂のようなところに入れられるのが洗礼。(教派にもよる)
私もある友人から突然クリスチャンになったと言われたときものすごくびっくりして、経緯を詳しく語ってもらったこともあったので、この際だから語らせていただきます。
先日の勢いです。



オリーヴ山から見た神殿跡



私は物心ついた頃から「世界は神さまによって創られた」と信じていたのでありました。
洗礼を受けるに至ったのは、その「神さま」というのは、キリスト教でいうところの神さまだと思ったからなのですが、まあもう少し詳しく語ります。

家は仏教だったけど、「仏様」というのがよくわからないので、子供の頃から、お祈りは、私が信じている世界を創造した神さまにしていました。
お祈りはほんとうによくしていました。
フツーの日常でも私によくないことが襲いかかりそうなときもです。
たとえば、吐きそうなとき。
私は子どもの頃、よく吐いていました。
「吐きませんように」
コレ、めっちゃ子供の私にはシビアだったよ。
お祈りしても吐く時は、神さまがそのほうがいいんだよと言ってくれたんだ…と、、、そんな心も養われたような気がする、、、


中学生のある日、たまたま、イエス・キリストの生涯についての映画をTVで観ました。
私はその頃、宗教にとても興味があり、、この映画にめっちゃ感動してイエス様が大好きになり、カトリックの桜町教会に行ってイエス様の絵葉書や、お祈りの本などなど買って、デスクにイエス様の絵葉書を飾りました。
礼拝に行く勇気はなかったけど、桜町教会のイタリア人のシスターとお友達になり、ある時期、文通もしていまました。
教会学校用のテキストも貰って、聖書を読みながら問題を解いたりもしていました。




オリーヴ山のオリーヴ



中学生のある日私は両親に「洗礼を受けてクリスチャンになりたい」と言いました。
しかし母に、「それはもっとじっくり考えてからにしたほうがいい。」と言われました。
何故なら、クリスチャンになったことによって、人生でいろいろ悩んだり、壁にぶち当ることがあるかもしれないからと、母は頭ごなしではなく、丁寧に言ってくれたので、
こんなに真剣に言う母に従おうと思ったのでした。
それはきっと「結婚」に関することなのだと、中学生の私にもわかりました。




異邦人伝道の基点「皮なめしシモンの家」




でっ。
月日は流れ…
私は、息子に「神さま」のことを伝えたかったのです。
私はどの宗教の信者にもならなかったけれど「神さま」を信じて過ごしてきました。
このことを息子に伝えたかったのです。
学校の「道徳教育」ではなく、私が、神さまを信じてきたことを伝えたいし、
息子にも「神さま」を心の根幹に持ってほしいと願いました。
それには、教会学校に通わせることが良いであろう…と思いました。
私が信じている「神さま」とはキリスト教における「神さま」なのだと思えたのです。




ゲッセネマの園からカヤバ官邸へと続く石段





クリスチャンでない私が、何故息子を教会学校に…??

初代夫が教会学校に通っていたという話を、結婚披露宴の時に、新郎側の、お父さまの仕事関係の方からのスピーチで聞きました。
初代夫は、小学生の時、雨の日も風の日も、自転車で教会に通ったのだとか。
へぇ~~~そんなこと全然知らなかったよ。
初代夫とそんな話をしたことも全くありませんでした。
だけど、この人はそんな素地があるから、こんないい人なんだ…と、私は素直に感じたのでした。
さらに教会というところは、出入り自由で、教会学校に通っても「洗礼」を受けなくてはいけない…などというところではないのだとも。
なので、安心して息子を託せる…と思いました。
息子は毎週楽しみに教会に通うようになりました。
私と息子が所属している教会は偶然にも初代夫が通っていたところで、披露宴でスピーチをして下さった方は今でもそこの教会員なのです。




ナザレのハートのクローバー




私といえば、息子の月謝を払うようなつもりで、礼拝にも時々参加し、献金していました。

私が音楽活動をしていることを話すと、牧師先生は、私を教会のいろんなイベントに用いて下さるようになり、賛美(神を讃えて歌う)の根幹に深くかかわることになっていきました。
そして、どの歌も、歌えば神さまと繋がり、水道の蛇口を開けるように流れ出てくる…と感じました。
自分が生きている今と、イエス・キリストの時代が折り紙を折って角と角が重なるように一瞬にして重なる。
こんなミラクルな経験を音楽を通して幾度もしました。
私が大学時代に歌った宗教音楽はなんだったのだろう…全く「聖書」という文言はなかったな。

それでも洗礼を受けたいとは思いませんでした。
私は、今でもこれでじゅうぶんイエス・キリストを信じているし、このままでいいと思っていました。

でも、教会員の方たちも、牧師先生も、私と息子が受洗することを待ち望んでいて、それを拒む理由はなにもありませんでした。
このような経緯で、私は音楽からキリスト教と繋がりました。




エルサレムの奇跡の夕暮れ




前回も書いたように、洗礼を受ければクリスチャンになる…のではないのです。
私は、いったいいつからクリスチャンだったのだろうか…
中学の頃、イエス・キリストの映画を観て、イエス様が大好きになったあの時から、私は救われていたのだ…と思います。
キリスト教でいう「救われる」とは「福音の3要素」を信じることです。
一度救われたら、それを失うことは絶対にありません。








洗礼を受けるに至るまで、実に40年という年月がかかりましたが、
その間、神さまはずっと私のことを見守って辛抱強く待ってくださったのだ…と思います。
とうちゃん(神さまね)、ホントにありがとう…です。

洗礼を受けるということは、クリスチャンになるための儀式ではなく、福音を信じたので、これからは神さまの法則に従って歩みます(なるべく)とまあ、そんな感じ。



…とまあ、時々こんな感じで、キリスト教関連の記事も書きたいと思います。
お付き合いくださいね。



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