WIND AND SOUND

日々雑感 季節の風と音… by TAKAMI

アーティスト 頑張れ楽しく

2021-06-29 | アーティスト魂


画像は、現在高校で美術を学んでいる私の生徒さんの作品です。
私はこの作品にものすごく感動してます。

他にも数点見せて貰ったんだけど、これ1点のみブログにアップの許可を頂きました。
そのまま掲載するのも個人情報特定に結びついてはと、一部カットして掲載しました。

これはプリンです。
高校生の感性は本当に瑞々しくて、感動します。

瑞保ちゃん(仮名)は、親子で習いに来ています。
お母さんと知り合ったのは、小学校の役員会になったことからで、
当時まだ瑞保ちゃんは紙パンツを穿いている2歳児ぐらいだったので、お母さんについてきて、レッスンの間お絵かきなどして遊んでいました。
3歳になって少し経ってからだったか、、お母さんと一緒に習いましょうってことになりました。
しかしまあ、練習はあまりせず、レッスンに来たときだけはピアノと30分ちゃんと向き合う…という状態。
レッスンで練習をする日々でした。
私は、練習はできてなくても、レッスンには必ず来てねという方針です。
小学生の途中で止めてしまったら、本当にもったいないので。

瑞保ちゃんは小学校の高学年まで、時々レッスン中に突然恐竜の赤ちゃんのような声(つまり高音の大声)で泣き出すのです。
私は全然叱ってないのに、彼女は彼女なりに弾けないことが悔しくて、そういう彼女を私も知らず知らずのうちに追い詰めていたのかも。
そして泣き出すともう手がつけられなくなるので、ダイニングテーブルの椅子に座ってもらおうとするのだけど、
絶対にピアノに齧りついて離れないのです。
「ピアノの椅子に座ったままじゃ、時間がもったいないから、泣くならそっちの椅子で泣いてね。これからお母さんのレッスンだから。」
お母さんと2人がかりで泣き叫ぶ瑞保ちゃんをピアノからもぎとるようにして、ダイニングの椅子に座らせるのだけど、泣き止みません。
彼女が大泣きする中で、お母さんのレッスン。
も~~あまりにも何度も何度もなので、お母さんも私も慣れました。
ついでに息子も慣れました。息子はレッスン中家にいる時は自分の部屋に篭っていたので。

でも彼女はおおむね20分経ったらけろりと泣き止むのです。
そして何事もなかったかのように絵を描いてダイニングテーブルで遊んでいます。
「じゃあ、お母さんのレッスン終わったから、さっきの続きやってみる?」
というと、けろりとして、素直に続きをやります。それでちゃんと一応最後までレッスンして、けろりと挨拶して帰っていくのです。
ですので、私からあれは何だったのかと聞いたことはたぶんないと思います。

彼女が中学生になってからは、親子別々の曜日にレッスンに来ています。
私も買い物がてら、瑞保ちゃんと自転車置き場までいくこともあります。
学校の美術の勉強についていろいろ話すんだけど、あんなによく泣きじゃくっていた子が、今はすごくよく笑う。
自分から話すってことはあまりないけど、私の問いかけや話にはよく乗ってきてくれて、
作品も、ゼヒ画像送ってといったら、こんな素晴らしい作品を見せてくれました。
アクリル絵の具で描いたものだとか。

他にも、水彩と、デッサンを見せて貰ったけど、どれも本当に素敵です。
彼女は、学校で美術の作品の制作やその他、すごく忙しそうだけど、その合い間を縫ってレッスンに来ます。
回数は減ったけど、その分、家で練習するようになりました。レッスンも楽しそうです。
レッスンでの私の指摘や提案を、すごく理解して吸収してくれます。中学生になった頃からかな。

今はようやく、バッハインヴェンションも取り入れています。
私は小学校のとき、バッハインヴェンションが大嫌いだった。ワケわからなかった。
楽しいなと思えるようになったのは、高校生になってからなのです。
テーマがあって、転調しながら展開して、収束いく様式美に目覚めたのです。誰も教えてくれなかったなあ。
でも、瑞保ちゃんはセオリーもマスターしているので、話が通じるのです。

大学受験になったら、もっと美術に時間をとられて通うのも難しくなるかもしれない。
そして、大学は県外になると思うので、そこで終りかなあ…ちょっと寂しい。
でも、ゼヒとも、大人同士で、いろいろ語りたいな。「瑞保ちゃん」と「TAKAMIさん」として。

私は、高松でレッスンを始めてから、生徒さんに「先生」ではなく、「TAKAMIさん」と呼んでもらってます。
まあ、人によっては「TAKAMI先生」ですけど。「教える」のでなく「サポート」をするつもりでレッスンしています。


最近の宅飲みのアテもアップしときます。


油揚げにハムとチーズとサラダセロリをのせて 黒胡椒とマヨをかけて巻き巻きして焼いた



砂肝薄切りを茹でて粗熱と水分をとって、唐辛子、大量のネギ、ラー油(辛いヤツ)ひとびん、醤油につけ込む


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香松にご挨拶にいきました

2021-06-28 | アーティスト魂



もう、たくさん書きたいことがたまっているのですが、時系列にすると、どんどん延び延びになってしまうので、
今日は今日のことをまずは書きます。(といいつつもう昨日)

松山真理さんの個展のこと、私の生徒さんの作品のことなどなど、書きたいこと満載。悪しからず。

前日からお泊り宅飲み会をしていた、高校時代の同級生SJこさんと、翌日はレストラン「香松」でランチしました。
もちろんSYOさんとのいろんな思い出の場所でもありますが、
12月にSYOさんのトリオが地上生涯最後のクリスマスディナーライヴとなったところで、
シェフや奥さま、お店の方がたには長年にわたり大変お世話になったので、いちどご挨拶に伺わなくてはと思っていました。
しかし1人で行くのもなーと思い、SJこさんにお付き合いいただいて、やっと叶いました。

妻としてご挨拶に伺うのって、なんか不思議。
私にとってSYOさんはいつまでも音楽パートナーSYOさん。でも「夫が長い間お世話になりました」って、、、ここは妻として。

冒頭の窓際の画像はよくランチにご案内いただいた席。



そしてこれはSYOさんが10年以上年以上クリスマスライヴで弾いたピアノと椅子。
撮ってるときは全然平気だったのに、あとで見て、久々に激泣きモードになってしまった。


ここからは本日のランチですが、いきなりオードブルからもう美味しすぎて、ワインを頼んで、結局車を置いてタクシーで帰ることに。
(代行を呼ぼうとしたら日曜の日中は休みとのこと。)
母が作ったお惣菜を届けにきてくれた父の車で送って貰って車を取りにいった。










オーナーシェフから帰り際に、SYOさんのライヴ暴走話とかいっぱい聞かせていただいて、楽しかったなあ、、、
SYO Michael TRIO のクリスマスライヴを楽しみに来てくださっているリピーターが大勢いらして、毎回ものすごく盛り上がっていたそうです。
盛り上がったというのは本人からいつもいつも聞いてたけど、お店側からのお話を聞けたのは凄く嬉しかった。
シェフも、ミュージシャンにも食事の時間(ディナー前)にお酒も提供して、
いい感じで盛り上がってもらえるよう、毎回ミュージシャン特別メニューを組み立てて下さっていたとか。シェフはそれも楽しみだったとか。
そうやって、ディナーライヴ全体の雰囲気をつくるのが、シェフのつとめであり、楽しみなんだというお話し、すごく感動しました。
香松のクリスマスは、3夜、ときには4夜のこともあったかも…
「まかない」などではなく、これもまたゴージャズで、トリオのみなさま、毎年ものすごく楽しみになさってました。
ドラムはかの一高の地理の稲生田先生。
彼は皿までナメていたとか。真偽はもはや不明。
ベースは「なかちゃん」
私はお山に連れてってもらったことあります。
お城とお山の達人です。

お2人は、今はどなたと演奏しているのだろう…
私はSYOさんと一緒のところしか知りません。
JAZZのミュージシャンは、その時々で、いろんなメンバーでライヴをされるのです。
「香松」さんも、当たり前のように続いていた最強のトリオなのに、寂しくなるだろうなあ…
 

でも、SYO Michael の時代は終わったのだ。まる。


これからは後進の方たちに新しい時代をしっかりと繋いで紡いでいってほしいと心から願います。


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まだまだいろいろある…

2021-06-10 | アーティスト魂


あっという間に6月も半ば。

ダシアンの季節が弾けまくっています。
秋は深まる…夏はなんていう??



SYOさん逝去の件について、書類上の私のやるべきことは一応やっと終わった、一段落した…と思います。
こういう経験をされた方がたは、本当に大変な思いをされてきたのだろうな。
最初は、妹や弟が本当に親身になって手伝ってくれました。当時は私は何がなんだか気持ちの整理もまだついてないし、頭の中もぐちゃぐちゃで、
地に足がついてない状態だったので、ものすごくありがたかった。
しかし、最後は自分でやらなきゃいけない。
そして、今でもSYOさん宛のDMがまだ届く。まあ、かなり減ってはきました。私は毎日ポストを開けるのが今でもかなりストレスです。
SYOさんが亡くなったことをあちこちに連絡して、私が引き継ぐという報告。名義を私に変えて銀行口座を変える…とかその他、どれだけやったことか。
すぐにDMはデスクに山積みになる。今でもまだ10通ぐらいはある。それでもまあ、だいぶ整理されてきました。

それで、次はSYOさんの遺品整理。箪笥の引き出しやクローゼットの中から、これは私がいただきたいもの(スーツケースとか、電気ストーヴとか)
ご長男長女に差し上げたらよいのではと思われるもの…などなどの仕分けをする。
SYOさんの衣類はあまりにも多く、殆どがカジュアルでかっこいいんだけど、なんといっても一昔前風で、ズボンが太い。これはリサイクルにも出せないな…とか、
もういちいちそんなこと考えていたら、だんだんどんよりしてきた。これ、いったいいつまでかかるんだ。いつまでこのことに時間を費やすのだ…

そんな中でアルバムも発見。
SYOさん高校生の頃や、20~40代と思われるもの。
特に高校生の頃のアルバムは直筆のコメント付き。音楽部の写真とかいっぱいあった。
これはお嬢さんに送るとしよう。
「たたみ」のシャツはご長男に。
…って、今弁護士が間に入っているので、そういう直接のやりとりできない状態。
私も楽器やその他貴重品を取り込まないようにと相手の弁護士に言い渡されているので、車の名義変更もしないままで保険だけ整えて乗っている状態。
いったいいつまでこの状況が続くのかは謎だし不安です。

ところで、田村正和さんが亡くなられて、最近Tverで追悼ドラマやってますね。
SYOさんは、1.藤岡弘 2.田村正和 に似てると若い頃から言われまくってたというのが自慢のようでした。
私は藤岡弘さんは余り知らないし、若かりし田村正和さんはあまり好きではなかったのです。古畑任三郎あたりからやっと好きになった感じ…。
Tverで古畑任三郎2本、観ました。あとパパはニュースキャスターもやってるけど、
この時代の田村正和さんはあまり好きではなく、SYOさんとオーバーラップさせながら見てみようかな…と思ったけど却下でした。
SYOさんは、古畑任三郎のモノマネがめっちゃ得意で、「えーーへへへへ」とか、表情も声もそっくりで、ウケまくり笑かしてくれました。
みなさまにもお見せしたかったな~~~

ギリギリこれなら田村正和っぽいか…と思われる写真を発見したので一応アップしますが、
私にとっては、知らない時代の他人のような気がして、私はやっぱりお付き合いしていた熟年~晩年のSYOさんが大好きです。




閑話休題。

先日SJこさんとおうちでお泊り飲み会しました。
SJこさんとは、私の高校芸専時代のお友達です。会おうねとはずっと前から言ってて、「花火」からずっと延期。COVID-19で何度も流れていまっているのですが、
その間にSYOさんのことを聞きつけた彼女は、もうすぐに慰めに来てくださり、(それがつい先日)さらに次は「お泊り飲み会」しようってことになりました。
めっちゃ嬉しかった! 小鍋たてで、自分のたべたい具材を入れて食べるやつ。

そして、飲み会は3時ごろに及びました。
仮眠状態で寝た私は、7時前に目が覚めて、昨日の続き。



SJこさんの指示通りに作った「アテ」
砂肝のスライスを熱湯でしっかり火を通して、キッチンペーパーなどで水分と粗熱をとり、
砂肝と同量のネギ輪切り(できればみじん切り白ネギがよい)ラー油ひと壜、醤油好きなだけに漬け込む。

翌朝早く目覚めてしまった私は、コレで発泡酒イキました。上に乗ってるのはサラダセロリ。パクチーの代用です。
もーーーーあまりにも美味しいので、ゼヒやってみてね。

そして最後に「ダシアン」ですが、最近なんだかサラダ感覚になっていますが、この漬け込みの時間が重要で、やはり、ダシアンはサラダではない。
最近いつも果物を入れるけど、今はぶどう。1パック買ってしまったら消費し切るまでに数日かかるなあ。
ビワも買いたいけど、高い。
フツーに食べればいいんだろうけど、なんだかそれじゃもったいなくて、チーズやナッツやクラッカーが欲しくなってしまいます。





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