WIND AND SOUND

日々雑感 季節の風と音… by TAKAMI

SYOさんの命日(1カ月召天記念日)

2021-02-28 | 人生妙なり



今日はSYOさんの1カ月命日です。キリスト教では、「1カ月召天記念日」というそうです。

自宅マンションでいろいろと「残務処理」のようなことに日々追われて、そう考えるとあっという間の1か月でした。

手続き関係、まだ始まったばかり。まだまだ山ほどある。
ひとりでは途方に暮れるところ、両親、弟妹に支えられて心強い日々です。

仏教では「命日」ですが、キリスト教でも「命日」ってあるのだろうか、1か月の区切りってあるのだろうか、、、
そんなことも全然知らないまま、東京の友人から「命日」のお花を送っていただいたし、
私としてもなんか、なんとなく「区切り感」のようなものを求めて、仕事にも復帰しているので、1週間ぶりにSYO さんの家に来ました。


来たら来たで、ポストが凄いことになって、その中から重要な不在連絡票を探すとかいろいろ、、、


ちょうど妹から電話があり、
「今どこ?」
「SYOさん宅。今日はSYOさんの1か月召天記念日なので、なんか、来たかった。」
妹は、「しょうてんきねんび」とい言い方は悪い冗談かと思ったとのこと。
「一カ月召天記念日」というのがほんとにあるのか、私も知らなかった。
ここに来たからといって、何をしたらいいのかもよくわからない。
SYOさんの霊魂はここにはいないし。

それで、早速ググってみたのでした。
「1か月召天記念日」って、一応ちゃんとした名称だった。
そうか。私の「大切感」は間違ってなかったんだな。

そして、ご遺族によっては、自宅で近親者などを集め、牧師を招いてお祈り、メッセージ…などの式を行うこともあるとのこと。

私は、今からひとりでSYOさんの1カ月召天記念日やります。ミュージシャン的召天記念日。

東京の友人ご夫妻から届いた「命日」のお花。
SYOさんのピアノにも、写真にもとっても似合ってすごく素敵。
召天記念日らしい雰囲気になってきました~~


まずは感謝のお祈り。
そして、讃美歌や、SYOさんと一緒に演奏した曲などなどたくさん歌おうと思います。

可能性は低いですが、途中から激泣きモードになる可能性もあるので、
いや、それよりヨッパには確実になりますので
今のうちにアップさせていただきます。






さて。その続きです。
お祈りから初めて、ひとりでミュージシャン的「1カ月召天記念式?」やりました。
やはり、お祈りのときには泣きましたが、、、
その後、SYOさんと次回は一緒にやりたかったけどできなかった曲を歌った。
さすがにこれは最初は激泣きモードだったけど、だんだん超絶練習モードになった。

これが、神さまも、SYOさんも私に求めていることなのだと感じる。

私は、SYOさんがいなくなっても音楽活動やる。
でもSYOさんの代わりのピアニストはいないから自分で弾く…というスタンスです。
4月のSYOさんのお嬢さんをお迎えしての追悼ライヴでは、私もほんのちょっとこれからやるよ表明もしたと思います。

詳細はまたご案内しますので、よろしくお願いしますね。


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exinTAKAMI

2021-02-22 | キリスト教のこと


SYOさんが天国に帰ってから、激泣きの回数も少しずつ減ってきたような気がします。

もともと寂しいけど辛くはありません。

もうそろそろ別の記事も書けそうかも、、、

今日は、実は久しぶりにピアノの蓋を開けました。
久しぶりすぎるだろ~~~~!!
4月から早速SYOさんの後任で奏楽の奉仕をすることになっていて、
いくらなんでも、もう練習せねば、、、
どんだけ音楽と離れてしまっていた!?

ヨッパで激泣きしてしまうことがあるのは、もうひたすら神さまへの感謝とか、「神さまほんとにありがとう」という想い。
神さまが私とSYOさんの出会いからお別れまでのすべてを計画通りにしてくださったのだという想い。

そして、ひとりになっても、私はこれから、賛美リーダー(歌)だけでなく、奏楽者としても用いられていくのだ。
あと、聖書朗読者。
ものすごく嬉しい。
これも神さまの計画。

exintaはギリシャ語で60 ここらかの出発と思えます。
カンレキってなんかイマイチ…いや、イマ∞なので、言いたくないし、なんかオシャレなヤツないんかいと、誕生日頃にいろいろ捜してみてたのですよ~~♪♪





激泣きとは感激泣きです。

激泣きは私にとってカタルシスなのでよいのです。


SYOさんの衝撃的な召天のあと、、家族が心配してほんとうに毎日のように、食事を持ってきてくれたり、顔を見にきてくれたり、電話をくれたり、
そして、各種手続きに付き合ってくれたり、甘やかされまくっていた私。

どんだけ幸せ?


昨日は3週間以上ぶりに仕事にいったけど、全然OKでしたわ。
むしろ、眠くもならず、ランチ後、コール音 鳴り中に、眠気で思考停止とかもならなかった。
「成約」もちゃんととれたし、上出来。

それより、朝の出社時とか、ログイン、ログアウト時、そして帰りの「手順」とかちゃんと覚えてるか、かなり不安だったけど、これもクリア。
まだらボケは進んどらんわ!!


家族がとっかえひっかえ、私のことをかまってくれたのは、TAKAMIがボケないようにと、、、まずソレ!
ひとりでどんよりと誰とも喋らずにいたら、イッキに認知症になってしまうので、それはなんとしても阻止しなければ( ̄□ ̄;)!! …ということで。
ほんとにありがたい家族です。ほんとに愛する家族。


家族っていいなあ。
母にはまたしても以前のとおり、小言もめっちゃ言われるようになった。
まずは「酒飲むな」。





もーこの歳で私の飲酒にとやかく言われたくないよ。
…とも思わなくなったし、母の小言に対しては、ほんとに「かわす」ことができず、真正面から反発して大喧嘩もして、こじれまくってたけど、
カ・ン・レ・キですから
これからは楽しくガンバロウ exinTAKAMI 






最近キリスト教とか、神さま系の記事が多いですが、この際ご容赦を。

ついでに。


キリスト教では、「死者の霊魂に話しかけるのは聖書的ではない」のだそうです。

え~~~~っ!!……でしょう?

お墓参りなどしたとき、いや、自宅の仏前に手を合わせるとき、仏教では絶対に亡くなったじーちゃんばーちゃんや従弟などなどに話しかけて、
「これからも穴吹家を守ってね」とかお祈りするのが当たり前だったじゃないの。
それって、すごく信仰深い行為じゃないの、、、?? これを「偶像礼拝」というのか??
現世で亡くなったら、次の世界で仏になる。仏教のお葬式では、その儀式…みたいなのを葬儀の中でやります。
実父は浄土真宗なので、私は、浄土真宗についてはかなり調べましたのです。
浄土真宗では、死者の霊は49日間この世とあの世の狭間を彷徨ったりせず、亡くなったらすぐに仏様の御手に抱かれるそうですし、お盆に家に帰ってきたりもしません。
じゃーなんで四十九日やお盆をやるのだ( ̄□ ̄;)!! …ってことは、どうぞ個々でお調べを。



10年前に、実父と、高校の1年上の、身寄りがないという鈴木一也先輩(当時私のヴォーカルの生徒さん)を、10日違いでお見送りしました。
実父は社交ダンス会のエライ人(肩書きは忘れました)でしたので、お花に囲まれた仏式の盛大な葬儀でした。
一方、鈴木先輩は、ほとんど親族とのかかわりもなく、葬儀費用も全くないと仰るのです。
私がキリスト教の洗礼をお勧めしたところ、彼は喜ばれて真剣にその日を待ちわび、私が父の葬儀で見舞えない期間にはSYOさんが見舞ってくださり、
洗礼に「間にあいたい」と仰っていたそうで、亡くなる前日に洗礼を受けて、クリスチャンとしてキリスト教の葬儀で旅立たれました。
病室洗礼式のときには、私、牧師先生のギターで賛美歌うたいました。
さらに私、なぜか喪主、、お付き合いしていたわけでもなく、身内でも当時はクリスチャンでもないけどナゼか鈴木先輩の喪主、、、、、
さらに葬儀ではSYOさんのピアノで、賛美歌うたいました。

あまりにもスゴすぎで、まあ、ここで書くのもなんです、、、
一応10年前にはこの件については書きまくっていますので検索でご覧いただくことはできるかも。


とにかく、キリスト教では、亡くなった人は「亡き骸」であって、死者に語りかけたりはしない。
亡くなってからのことはすべて神さまが責任を持ってくださる…と、そんな感じです。

ですので、私はSYOさんの霊魂に語りかけたりはしません。自分でもなんかソレ違うと感じるし。
でも、心の中にいるSYOさんとはいつも一緒。
いつも楽しく思い出すし、一緒感ず~~~っと続いています。
たぶんこれからも。嬉しいです。
ですので、時々ヨッパ激泣きはまあよいのではと、、、



ところで宗教によって、死後に行くところが違うのでしょうか?
私はそうは思いません。
人間の「死」とは、誰も等しく「死」だと思うのです。
霊魂の行き先が、生前に信仰していた宗教によって異なるなんて、誰が決めたのだ?…そりゃ人間が、、、

宗教ってなんだろう?? なんの為にこんなにいろんな宗教があるのだろう…
と10年前の、父と鈴木先輩の葬儀に際しては混乱しまくりました。…し、いろいろ考えまくりました。


しかし、私は実は物心ついた頃から、小さな子供の頃から、この世界は神さまがつくったものと感じていたのです。
キリスト教の神さまが、私が子供の頃から信じている世界を創造した神と思います。
さらに中学生の頃、TVでイエス・キリストの映画を観て、イエス様がめっちゃ大好きになったのです。

「進化論」は全然ダメダメだし、30代の頃、家族と初めて伊勢神宮にお参りしたとき、ものすごく楽しみにわくわくしていたのだけど、
ここに祀られているのもやっぱり「人間」なのかーということにもえ~~…とかなりガッカリしましたのでした。


すみませぬ。
いろんな考え方があると思います。
しかし、これが私の感性なのです。

聖書の神は、残虐で、生贄を求め、異民族を聖絶せよと言う。
そんな神をどうして信じられるのか、、、、

では他にどの神がいるのか。

…ということになるのですが、
私は世界の始まりから終りまで綿密に正確に記している「聖書」を全面的に信じています。
そして神さまの私への無限の愛と恵みも全面的に信じています。理屈ではなく、魂なのだと思います。


以上。


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SYOさんのお見送りほんとうにありがとうございました

2021-02-13 | 人生妙なり

父と息子とSYOさんはほんとに仲良しでした


SYOさんとお付き合いを始めた初期の頃、車の中で「私のために長生きしてね」と言ったことがあります。
彼は、「神さまの御こころのままや」と仰いました。

…ここで「仰いました」か「申しました」が考えこみました。
夫ですので、みなさまに対して尊敬語な~~…なのですが、私にとってはSYOさんはいつまでも後ろから追いかけていく人。
二人のときはエラソげなこともいろいろ言いましたが、やぱりこんなふうに書いてしまうこと、ご容赦ください。

SYOさんとのお付き合いは、最初は音楽繫がり。
そして、プライベートでもお付き合いをするようになったのは、息子とあまりにも瞬時に仲良くなって、「親友」のようになったからです。
息子は最初から「SYOくん」と呼んでなつきまくっていました。
「そっちが先」な感じでした。



それで、「神さまの御こころのまま」と言われて、私は当時まだクリスチャンじゃなかったし、「え~~~っっ!?!?」とちょっとガッカリしたのでした。
「TAKAMIのために自分の意思で長生きしてくれようと思わないの?」と、、、、


でも、彼はほんとうに、信仰の深い人なのでした。

今ではすごくあのときのSYOさんの気持ちがわかります。わかりまくります。
彼は子供のように神さまを愛していました。
彼はいつも神さまとお話しをしているのでした。
「お祈り」なのですけど、彼にとってはお祈りは神さまとのお話し。
何でも困ったり壁にぶつかったりした時には神さまとお話をするのだと言ってました。
絶対私のことも神さまとお話ししまくっていただろうなー。
私はどれほどSYOさんを困らせたことか。
どれほど私のことを神様とお話ししたことが、、、
お酒のこと、息子のこと、お金のこと…
SYOさんは私にとって「イエスさまの化身」のような人だったのです。
よくそう言ったけど、笑って否定してたけど。
まあそんなことはないけど、絶対に怒らず、喧嘩もしませんでした。

私は、「この人とダメだったら誰ともダメ」とか周囲の人みんなに言ってました。
本当に大好きで、掛替えのない人でした。
いんやーーーこう書くと激泣きモードですわ、、、





私はSYOさんがすごく安らかに天に召されるところを見ました。
前回も書いたけど、ほんとうに眠るように、あっという間に、静かに神さまに抱かれて天国に帰っていきました。…と本当に感じたのでした。

これまでにいろいろな人の臨終に立ち会いましたが、殆ど病院で点滴とかいろいろ繋がれて、最後にはぴーーーーとなるヤツ。

彼はなんと幸せだったことでしょうか。
まー私が自分で言うのもナンですけど、愛するTAKAMIと家で一緒に晩酌しながら、横たわってゆったりくつろいでるその時に。

救急隊員の方から蘇生をするようにと言われたので、一応言うとおりにしたけど、「SYOさん、帰ってきて!」と一応叫んだけど、
本当は「もうこれでいい。これが神さまのとき」感がありまくり、逆に引き戻すのは違うと感じました。「SYOさん、帰ってきて!」と思いませんでした。
それほど本当に安らかだったのです。


私は、SYOさんが安らかに天に召されるところをこの目で見届けることができたのです。
ものすごく幸せだったと思っています。
夫婦として、こんな召され方、見送り方ができたことは、本当に最高のことだったと思っています。


前回記事で、まだちゃんと正常じゃないようなこと書いたままなので、
いろいろご心配をおかけしているかもしれず、ごめんなさい。
葬儀の日から、毎日両親と妹が来てくれて、穴吹家とのわだかまりは、あれはなんだったのかというくらい、あっという間に解決しましたし、
自分の音楽活動や、教会の奏楽引継ぎの件、次々と進みつつあります。
もう私は大丈夫です。たま~~~に激泣きはしますけど。
激泣きはカタルシスなのでよいのです。

今日もピアニストチックコリアさんが天国に旅立って、SYOさんとお友達になってね…とか思って激泣きしました。
まあ3日に1度ぐらいなんかの時に琴線に触れて激泣きはしますが、ホントにだいじょうぶで、これからのこと、考えてます。




キリスト教では「冥福」というのはありません。
神さまに抱っこされて、天国に連れていかれる。
私はもう本当にそう感じました。
みなさまに冥福をお祈りしていただいたり、たくさんお悔やみをいただきました。
本当ーーにありがとうございました。感謝しています。

正直なところ、SYOさんの召天は、私にとっては晴れやかなことと感じているのです。もちろん悲しみはありますけれど。本とに3日に1度の激泣きでよいのです。

私は「天国」というところがどんななのかまだよくわかっていません。
とりあえずは安らかに眠るところなのか??
でもチックコリアさんとお友達になって一緒にガンガンにピアノを弾いて盛り上がりまくって楽しんで欲しいなー。
天国って、そういうのが当たり前に、ふつーにできるところな感じがします。

でもあまり「天国」について深く考えることはしません。

私は今生きているこの地上生涯を、SYOさんと会えるときまで、毎日を大切に過ごしていきたいと思っています。
家族も、息子もいます。友人も。仲良くみんなと暮らしていきたいと思います。





みなさま、ほんとうにたくさんのお心遣いありがとうございます。
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SYOさんをお見送りしました

2021-02-01 | 人生妙なり


SYOさんを天国におみおくりしました。

私、まだ全然正常な精神状態じゃなくて、行動も書いてることも言ってることも変だとおもいます。ご容赦を、、、
でもなんだかこうしていないと心の均衡が保てません認知症がイッキに進みそうです。
早く仕事に復帰しなくてはと思っています。

SYOさんの葬儀は、教会で、私と牧師先生と教会の役員の方だけで静かに行うつもりでした。
ですので、SYOさんのお知り合いのミュージシャンの方にはご案内をしませんでした。
でも、どうしてもSYOさんの最後のお顔を見たいという方がいらしてくださいました。
SYOさんのいちばんのミュージシャン友達の國井類さんにだけは、お知らせして演奏をお願いしました。
アメイジンググレイスを演奏して下さいました。あまりにも素晴らしかった。ほんとうにありがとうございました。
もっとずっと聴いていたかった。ご家族で参列してくださいました。

SYOさんの葬儀には、本来なら、もうほんとうに大勢のミュージシャンがお別れにどどどどっっっと集まってくださる…
彼はほんとうに香川の宝でした。
いえ「主にある天の器」です。
教会にとっても、奏楽者として、素晴らしい賜物を自然体で生かされて子供のように楽しく自由に演奏されていました。

私が30代の頃、バンド活動を始めて、高松でもLIVEがやりたいと思い、高松の方がたにもお聴きいただきたくて、音楽に関わっている弟、妹を巻き込みました。
そのLIVEに、SYOさんがたまたま見にきて下さいました。
そして、アンケートを書いてくださいました。
それから毎年、年賀状のやりとりが始まりました。
アンケートを書いて下さった方に、私は年賀状を送ることにしていたのですが、ずっと続いたのはSYOさんだけでした。
お互い顔もしらない同士だけど、年賀状はお互いミュージシャンなので、カオ画像ありです。
30代後半、私は独身、それから結婚して息子を産み、離婚しました。そして、高松に帰ることにしました。
SYOさんもその間にお母さまを亡くし、喪中葉書をいただいた年もありました。
年に一度でも、微かにお互いの状況はわかる程度。

私が高松に帰ることになった、音楽活動はずっと続けたいので、どうかお力添えお願いします…という思いをSYOさんにお手紙を書きました。
彼は、すぐに返事を、私の高松のマンション宛に下さいました。
私が引越しで高松に帰ってきたとき、デスクにSYOさんからの手紙が置いてありました。

それからSYOさんとの音楽のお付き合いが始まり、暫くして、匠を紹介する機会がありました。
SYOさんのプライベートなことは殆ど知らず、ちょっと不安だったけど、
SYOさんと匠は、ものすごく自然に瞬時に仲良くなりました。
匠を車に乗せて、3人で家に帰ってくるときでした。
「ショーマイケルさんよ。お母さんの音楽ともだちのピアニストよ。」と紹介しました。
匠は家に帰ったとたんに地球儀を持ち出してきて、「ショーマイケルさんのおうちはどこ?」と聞きました。
SYOさんは、小さな香川県を指差しましたが、匠は日本地図さえよくわかっていない小学2年生。
でもそれからSYOさんと匠はずっと仲良く、コオロギの捕まえかたを教わったり、あちこちの公園や温泉や、本当にいろんなところに3人で行きました。
手を繋いだり、腕を組んで、いつもまるで「親友」のようでした。

匠が成人して、家を出てからは、SYOさんは匠ロスで、一緒に二人で散歩したりいろんなところに出かけても、本当にいつも匠の話しをしました。
ここにも来た、あそこにも行った…二人で歩きながら思い出話だらけでした。
どれだけ匠のことをずっとずっと愛してくださっていたのだろう。

SYOさんは、自宅でゆるゆると、楽しく晩酌中にあっという間に天に召されました。

私はSYOさんに愛されていることをいつも感じていたし、匠のこともすごく愛して下さっている、そんな人が私たちを残して自分の意思で天国にいくワケありません。
SYOさんは、神さまの御手に抱かれて天国へ帰っていったのだと感じています。

これから辛いと思われる放射線治療と抗がん剤の治療をする予定だった。
それも感謝して受けいれよう。
その間会えないけど、まず元気になって帰ってきてね。
でも、完治はしないかもしれない、、、、
ピアノが弾けなくなるかもしれない、、、、

そんなSYOさんを神さまは抱っこして天に連れてかえってくださったのだと感じています。
私は、救急車を呼んだときに言われたとおり蘇生の心臓マッサージをしながら、「SYOさん帰ってきて!」と叫びましたが、
神さまが連れていった感がすごくあり、もうそれにあらがうことはできない、、と感じました。
これが「神さまのとき」と感じました。

そして、葬儀の日、私の妹と弟が来てくれました。匠も母を心配して帰ってきてくれました。

普通は当然のことかもしれないけど、コロナ禍で、みなさまにお伝えしないでの葬儀だったので、弟と妹が来てくれることは私にはものすごく意外だった、そして嬉しかった。
彼らはねーちゃんの夫が亡くなったのだから葬儀に参加するのは当たり前…みたいな感じだったと思う。
他のみなさまがたからも、「だいじょうぶ?」とのお言葉をたくさんいただきました。
まだ全然大丈夫じゃないかもしれません。
私はどれほどSYOさんに甘えてもたれかかって頼っていたか。
その人を失って、これからどうやって自分の足で立って生きていったらいいのか、、、、
まだそんなことは考えられないけど、少しずつやります。


まず3つ。これは、私がSYOさんを失ったかわりに神さまが与えてくださったことだと確信しています。

1 これからも演奏は続けていく。SYOさんの代わりのピアニストはいない。私が弾いて歌う。
でもそのためには、めっちゃベーシストに頼らなくてはいけない。一緒にやってくださいとお願いしたところ、快諾してくださいました。ありがとうKAZUさん。
そして、清繁さんにもこれからもコーラスパートナーとして、承諾いただいた。
東京グループのミュージシャンに、「これからの音楽活動はどうするつもり? まだそこまで考えられないとは思うけど」と下手(したで)~~な感じで言われたんだけど、
実はまず「これからの音楽活動」について考えた。もうまずそれ。じゃないと私の生きる指針を失う。

2 教会の奏楽は私が引き継ぐ。
私はクリスチャンとしてもめっちゃ未熟ですし、曲も全然知らない。でも私が継がないでどうずる、、、、
わからないことだらけだけど、みなさまに支えていただき、やるよ。
SYOさんのようなあんな素敵な奏楽はできないけど、私なりのスタイルをつくっていこうと思います。

3 穴吹家はとても複雑だったのです。私と母のこと。母に会って、語って謝る。約3年ぶり、、、
よくまあここまで意地を張ったもんだ。
この機会を与えてくださったかみさま、ありがとうございます。




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