WIND AND SOUND

日々雑感 季節の風と音… by TAKAMI

SYOさんの召天2周年

2023-01-28 | たいせつ



今日はSYOさんの「命日」
天国に帰って2年が経ちました。
やっと2年。まだ2年。
世間の方たちにとっては、「もう2年、あっという間だった」かと思います。
3年だっけ…とか、もうあまりにもいろいろありすぎて、本当にわからなくなってしまっていた。
…ので、過去記事で確認した次第。
そうはいいながらも、ここまで来たよ。

最初の1年は、初めてのわからないことだらけの中、仕事もしつつ、重い歩みを進めていかなくてはいけなかった。
仕事をしている時間以外は、時間の流れがものすごく遅い日々。
1日が、1週間が…終るのが遅い。半年ぐらい経ったような気がするのに、まだ1か月か…とか、、、
2年目は、それを取り返すかの如く、瀬戸芸にいったり、ライヴの準備をしたり、上京してレコーディングしたり。

5年ぐらい経ったような感覚でもあります。SYOさんと過ごした日々はもう遥か彼方のことのような。


最近は、私の中では、音楽関係が強いベクトルとなり、
その力や方向性は神さまから与えられていると感じる。
わたしの愛するSYOさんを連れて帰ったかわりに与えられたもの。


SYOさんは、もう天国、神さまの御許。
だから、思い出すことはあっても、SYOさんにお祈りやお願いすることはありません。
でも、時々心で報告みたいに喋っちゃうなあ、、、他愛もない日常含め。いつも、あれもこれもすべて、喋りまくってたから、習慣みたいなもの。
スーパーで「SYOさん今日もパクチーがないよ」とか。
SYOさんは庭で私のためにパクチー(その他ハーブ)を大量に育ててくれて、パクチーに困ることはなかったのだ、、、
今日は懐かしい2年前のSYOさんが天に帰る日までのこと、ゆっくり思い起こしたいです。
感傷とは違うのです。
昨年は、いろいろ抱えていること、初めての雑多なことがありまくり、
ゆっくりブログを書く心境じゃなかったな。


私はひとりで次いく。もういってる。
SYOさんの幻影と一緒の日々じゃない。
地下水脈で繋がった友達や仲間がいる。
すごくうきうきしたベクトルの毎日。

6/10 Listen to the View   guitar 納田牧人さん

7/22 WIND AND SOUND2  piano 岡 千加子  bass 西谷和雅  drums 生田知保

11/18 See sounds     bass 西谷和雅さん (日程は予定)

新しいユニット2つ立ち上げましたこの私が しっかりしなくては!!! 

だからこそ、2年前のあの日以前のことが、いつのまにか風化して私の頼りない脳が忘れ去っていくことがないように、
あの日々があってこその今なので、ゆっくり楽しく思い起こす時間を持ちたいのです。
これからも、しっかりと足は地面を踏みしめつつ、うきうきと楽しく過ごしていくために。

たまにはゆっくりホットウィスキー飲みながら😁🥃


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はじめてのひとりゆめタウン

2021-11-01 | たいせつ



少し前になりますが、初めてひとりで「ゆめタウン」(郊外型ショッピングモール)に行きました。
「ゆめタウンデビュー」です。

どんだけSYOさんとは行ったことか。SYOさんとしか行ったことがない。
15年間でいちばんたくさん行った場所だと思うなあ。

SYOさんは、ゆめタウンが昔から大好きで、改装してもしても絶対に100%、すべての店を把握して、いつも彼のお庭だったので、
私は自分のお買い物もSYOさんの案内で次々と、てきぱきとできたし、
SYOさんはゆめタウンをゆるゆると散歩するのが好きだったので、お付き合いもしたよ。

しかーし、今日の目的は、「リュック」と「ウォーキングシューズ」と「ジーンズ」
徒歩通勤の準備です。
もぉ~~~迷子になりまくりましたわ。
案内図を見て頭に入れたつもりでも、どーんと斜めの通りを歩くとなんだかもうわからなくなる。みなさん、そんなことないんでしょうか。ない?

SYOさんと何度も行ったここかしこの店。
それが1人ではたどり着くのにどれほど時間がかったことか。
当たり前?のユニクロさえも…
本館と繫がってなくて、いちど1Fに降りる…とかもうそんなんばっか!!

このユニクロも巨大なので、何がどこにあるのか殆どわからないので、案内のおねーさんに聞くのが早い!
私が穿いてるジーンズを見せて、「コレと同じまたはこれに近いものはどこにありますか?」
実はこれもSYOさんと行って買って貰ったもので、ヘビロテなのでもうそろそろ色褪せて膝も破れそうだ。
おねーさんはすぐに的確に親切に教えてくださる。
自分で探すより全然早いので、ユニクロではご案内のおねーさんに訊ねることにしている。

次は鞄やさんへ。SYOさんとも何度も来た店。
ここで、はたと考えたのだ。
私は、「時々」入れるA4の楽譜や書類にこだわってた。
「時々A4」以外はこのサイズである必要はない。
日常的に入れるのは、大きい順に、ペットボトル、財布、ペンケース、時々本、手帳、眼鏡ケース、スマホ、日焼け止め、ハンカチ、ティッシュ、キーケース、予備マスク、社員証、イヤホン。以上(たぶん)。
A4を入れる大きな空間には他に何を入れるのだ??
ってことで、考えなおす。
ウォーキングシューズは、とりあえずあるので、また次回としよう…

さて……

駐車場の車に戻って車の中で激泣きとなりました。
ゆめタウンに来たときから、どこを歩いていても、店の中でも、
SYOさんとの思い出しかないから、もう次々と思い出して、うううっっ…やべーとなって、
結構気持ちを逸らしたり散らしたりしてSYOさんのことは思い出さないようにしてた。大変なことになる。

さすがに店の中で泣くのはやめよう。
お買い物中は、↑のように理性的になろうとしていた。
でも、車に戻ったら思い切り泣くぞ。よし!ってなもんよ。

ほらね、SYOさんと行ったとこにひとりで行くと、こーゆうことになるのだな。
しかし、「ゆめタウン」は今後もお世話になるので、そのうち慣れると思うけど、
まだ暫くはうううっっ…な気がする。


でっ、本日はこのジーンズのみGET。

ロングシャツとか、白フレームの眼鏡で、まだまだ攻めでいくよ。
…とおもいながら、このように泣き崩れることもたまにはあるさ。


そういう自分が好きだ。
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息子のこっそり帰省

2021-07-15 | たいせつ
いろいろまとめて書かせていただきます。長文ご容赦。

先日、息子が所用で大阪からこっそり帰省してました。
私はその期間は、友人の合唱団のコンサートのお手伝い、教会の奏楽奉仕…などいろいろあり、まあいつものことですが、お互い勝手に行動するんだけど、
帰省が決まったとき、LINEで「一度ぐらい一緒に飲めたらいいね」というのがお互いの暗黙了承事項…みたいな感じ。
息子は突然私の打ち合わせ先のホールに現れ、家に帰る途中マウスピースを買い、自宅に着いてから、今宵は飲みに行こうってことになり…

「羊小屋」にいきました。

ラムチョップと生ラムのお店 羊小屋

ラムチョップと生̎...

 


以下の画像は、後日友人と行ったときのものです。もう食べることに夢中で画像を撮ることなんかブッ飛んでいて、
食前と、焼き肉が終わったあとのおつまみ系の画像しか撮っていません。悪しからず、、、








息子とお互い、食べに行くなら羊!…ということになり、この日は息子のおごりで、とことん食べまくり飲みまくりました。
いや~~~めっっっちゃ美味しかったわ。ご馳走様でした。
高松には羊肉専門店、ここしかないらしいよ。
テーブル席3 カウンター数席
息子も私も、お店で食べたことがないので(ジンギスカンのBBQはあるけど)、どうやって組み立てたら美味しく食べられるのか教えていただきました。
この日は店長ひとりで切り盛りしていましたが、さりげなくてきぱきとされていて、絶対忙しいと思うんだけど、全然そうは見えず、
それにも感心していたのですが、息子も全く同じくそう思ったとか。

お客が私たちだけになった時、店長にいろいろお話を伺いました。(というか主に息子が)
息子は人好きで、このような出会いのときには、話をせずにいられないらしい。
そして、この店が、COVID-19緊急事態宣言が始まる直前の3月にオープンし、即コロナ禍にまみれながら、営業努力をされてきたとか。
店長は北海道の方だけど、この店は会社は県外で全国に数店舗?(もっとだったかも)あり、決してチェーン店ではなく、
高松は高松で、どのように営業を展開したら高松の街や人に馴染んで貰えるかということを中心に努力を重ねてきたとのこと。
もーすごい感動的なお話しでした。



ひやぶっかけ


ひやかけの出汁


大阪に帰る日曜日、教会の奏楽奉仕が終わってから時間があったので、息子とセルフうどんを食べに行きました。
「たも屋」本店。「たも屋」は息子の高校の傍にある、彼の胃袋の故郷。
そしてそのすぐ傍にある「宮脇書店」に寄った。
だだっ広い店内。
私は本屋なんかに行ってどうすんの…な気分だったけど、息子はたぶん初めての店内を効率よく歩く。
私は目的がないので、ついて行くだけなんだけど、平積みにしてある本の中から情報をキャッチする勘も鈍ったな~~
息子とは生きるテンポが違うと感じた。当たり前だけど。
だけど、途方もなく広く感じる店内を息子と歩くのも、なんとなくデートだな。
「若いモンにはまだまだ負けん」とか全然思わないし。負けて?あたり前だし。


店を出て、まだ時間があるので、急遽屋島に行くことになった。
屋島スカイウェイ(旧ドライヴウェイ)を運転するのは息子は初めて。すごく楽しそうだったなあ。
山上の滞在時間は少しだったけど、歩きながら息子がひとりで歌ってる途中で、「オカン、ここはハモれよー」という。
ああそうか。
母子で、ジブリの曲その他数曲歩きながらハモりまくった。…というか、ハモリ、2声などいろいろ。

これがすごく楽しかったし、息子も、また次回続きをやる気満々。こうして母と音楽で繫がっていることに幸せを感じると素直に言う。

今回は、息子との数ヶ月ぶりの再会の上、画像撮るのが解禁になったのだ。
さすがにブログにカオは無断で載せないでとのことだけど、それは社会人的常識。
FBにもお友達へのLINEなどにも、「俺は今までなんであんなに頑なに拒んでいたのか、アホみだいだ」
とのこと。なんか、すごく嬉しくて爽やかな気分だった。

いんや~~~~これをもって、「いっちょあがり!」 これで彼はもうホントに成人の社会人だ。
私の母としての役目は終わった。

これからは息子が、小さくなっていく母を労わってくれることだろう。そして小言もいろいろ言われることだろう。



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今後の治療方針

2021-01-28 | たいせつ

今日は、これまでの検査の結果を踏まえ、今後の治療方針を伺いました。とてもわかりやすい説明で安心してお任せしようと思えました。

切除はせず、抗がん剤と放射線治療とのことに決定しました。

SYOさんの癌は、「巨大」と、医師やスタッフの間で言われている模様。完治しない可能性があることもはっきりと告げられました。

消化器外科と皮膚科の先生が深く相談して、今後の治療方針を「切除」と決めていたところ、
SYOさんは今日大変息切れが激しくストレッチャーで診察室に行きました。
その様子をご覧になった先生は、治療方針を変更することにされました。

何故なら、切除は大手術になるので、体力的に難しい可能性が出てきたし、ここまで巨大化しているということは、転移の可能性も当然ある。
これまでの検査の結果では、遠隔転移の可能性は殆どない、可能性とすれば、骨盤や恥骨近くの転移。

ということで、生検の手術をやることになりました。

皮膚科の生検の手術で3日入院します。リンパに転移しているかを確かめるため。
その後は、内科の治療で放射線と抗がん剤ということになりました。体力のことを鑑みて、大手術はやめることになりました。

それらの説明は、本当に誠意のある、納得のできるものでした。
最善のことをやりますという心意気がとても感じられました。
だけど根治できない場合もありますから覚悟してくださいと。
今回の処置は、「根治」ではありません、、、と。

もちろん、私たちだって、お互いにそんな話はしてないけど、それぞれ考えている。

今日は、SYOさんは、息切れがひどくて、私が初めて病院に送り迎えをしました。
もう車でスーパーに行くのも無理そうなので、入院まで私が介助することに。
急激に彼は体力が衰えていると感じる。

今日、入院の手続きをしました。
入院中の付き添いやお見舞いはNGとのこと。
私は彼が入院したら、当然毎日お見舞いに行こうと思っていました。仕事も、有給を使いまくるつもりでした。
でもこのコロナ禍でお見舞いNGというなら、ハラ括れます。
SYOさんのことはすべて病院にまかせて、仕事に専念できる。

本当にいい先生に恵まれて、お任せできます。





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SYOさんの検査終了 おつかれさま

2021-01-25 | たいせつ


先日、SYOさんは多くの検査を終えました。
癌の種類を特定するものです。
「肛門腺癌」なのか、「皮膚癌」なのか。
それによって手術や、今後の治療方針も大きく異なるとのこと。

CT、MRI、PETなどを経て、先日は、胃と腸の内視鏡検査でした。
SYOさんはへろへろだったと思われます。検査中にたくさんポリープを切除して、予定時間を倍以上オーバーしました。
私は何も知らされていなかったのであまりにも長くかかるのでとても心配でした。

でも彼は本当に強い人なのです。付き添いの私を車で家まで連れて帰ってくれます。

そして、一昨日は皮膚科を受診しました。

この疾病は「消化器外科」か「皮膚科」か、どちらの分野かということが大変重大らしく、さらに生検も行い、両方の先生がいらして診察をして下さり、
いよいよ、明日、診断と、今後の治療方針が決まります。

病院での検査や診察は、予約して時間が決まっていても、結局数時間かかって、その後遅いお昼食べて、それから私の自宅にいろいろ雑用に行って
夕飯の食材などいろいろ買って帰ると、もう暗くなっている。

私はこのところ病院にいくと、大変血圧が高いし(180)ちょっとコーヒーを飲むとめっちゃ動機がする。
健康診断の結果もまだ貰いにいってないし、緑内障の検査にも行ってない。
そんなことよりSYOさんだ。
私のことなんかそのあとでも全然だいじょうぶだ。…な気分です。

SYOさんは、ほんとうに痛そうで辛そうなのです。

普通に歩けないし、普通に座れません。このところ加速度でこんなことになってる。
先日の配信LIVEの練習の頃から加速していたと思われます。






だから、病院のあとのランチはお座敷の店で、なるべく横になって食べられるところへ行く。



私はようやく看護師さんに患部のケアの仕方を教わりました。
SYOさんは、誇り高き人なので、私に言いたくないし見せたくなかったに違いない。
そんなこと言ってる場合じゃない。

私とずっと一緒に過ごすことはSYOさんのストレスになるのでは…と思ったりなどしてたけど、それどころではない。
SYOさんこれからはずっと一緒にいるよ。

彼は、イエスさまといつも一緒で、いつもお祈りしています。
お祈りというより「お話し」
不安なことがあればすべてイエスさまとお話ししている。

私の信仰やお祈りとは深さが全然違うなあ…と感じる。

今日はSYOさん不調につき、私は仕事休みました。いろいろ抱えており、すごくいきたかったけど、優先順位。

SYOさんは先日の診察で貧血があると言われた。顔色も白い。
1週間の禁酒も終わり、赤ワインが飲みたいとのことなのでレバー、ひじき…などなど買ってきた。
本日は昼からワイン飲みながらレバーやニラたま食べました。
たいへん楽しい昼下がりだったな~~~


マーちゃん  ここも換気が行き届いて、とても安心できる




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SYOさんは今日も葬儀の奏楽にいった

2021-01-12 | たいせつ


今日はSYOさんが教会の葬儀の奏楽とのことで、昨日からSYOさんちにお泊まりした。
SYOさんはとてもしんどそうだ。
でも葬儀には颯爽と行く。

画像はSYOさんの「前夜式」(お通夜のようなもの)の奏楽の装い。
ネクタイに十字架があしらわれているものをいつも着用するとのこと。
本葬儀には黒いネクタイ着用だそうです。
私は協会員の方の葬儀に参列したことはありません。1度だけあったかな。

彼はこれまで教会で亡くなった方の葬儀の奏楽はすべてやってきたとのこと。
何故なら、教会で奏楽者はあまりいなくて、突然の「葬儀」に対応できる奏楽者はいない、ほとんど全てSYOさんが対応してきたとのこと。

私、引き継ぐよ…と、そんな思いも過ぎる。

彼は本当に強い人なので、私はこれまで気づかなかった。私にも知られたくなかったのだと思う。
SYO邸の庭はいつも彼がひとりで丁寧に手入れをしてきれいでかわいいのに、今は枯れ葉が落ち放題で荒み果てている。
もうこの庭が蘇ることはないのだろうか、、、

病院の検査はまだこれからなので、まだ何もわからない。
世間一般的には、よくぞここまで…もう手遅れ
ということだけど、私は神様に祈る。
あなたはすべてのがん細胞を消し去ることができます。私は信じています。

と祈りながら、SYOさんがいなくなったときのことを考える私、、、

いろいろな思いがぐちゃ混ぜになって、それでも先へいかなくてはいけない。
でも必ず神さまが一緒にいてくださる。

こんなことになってから、SYOさんも私も、よりいっそう 神さまに近づいていると感じる。



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一緒に暮らそう♪

2021-01-10 | たいせつ

私は、若かりし頃、(10代~30代→40代)好きな人ができたらすぐに「結婚」を意識してたっけなー。
大学で最初のカレシができたときもこの流れで結婚したい…みたいな。 未熟だったな~~~~!!!
だから、私は凄く相手にとって重い存在だったんだろうなー。だからフラれまくったんだな。
まあ…最初は軽く付き合ってそのうち「結構いいな」と思ったら、ちょっと真剣にこれからのことを考える…ってのが普通で今はもっとそういうカンジなんだろうな。

まあフラレまくりましたが、私と付き合ってほしいと言ってきた男子もいるいにはいたのだ。これ一応ゆっとく。もう決して言わない。
しかし、私はもぉ~~即拒絶。 
私のこと殆ど知らないのに「付き合いたい」ってどおよ! みたいな。
「そんなふうに言ってくれるなら、ちょっと付き合ってみようかな、、」とか全然思えなかったあの頃~~、、、
ってか、その後もずっとそうでした。ちょっと残念だかもなー。
私は自分から好きにならないとダメなタイプで今でもそうです。
SYOさんのことも、以前にも書きましたように私が連れ込んで押し倒しました(比喩表現です)


「一緒に暮らそう」の音源捜しましたがいまのところ見当たりません。
近日中にアップ予定。


「一緒に暮らそう」

「じゃあまたね」って電話を切っても またすぐ寂しくなってリダイヤルしてた
離れ離れの冬の寒い夜なんか特に寂しくてたまらなかった
「いつ会おう」って手帳を開けても すれ違いばかりでもどかしい日々だったね
一緒に暮らそうってあなたから言われて 幸せを噛み締めてうつむいてたあの日

これからはずっと一緒に 朝を迎え夜を向え 季節を重ねてゆくけど
忘れないでいようね二人が出会って頃のこと
いつも隣にいるから わたしを感じていてね


ずっとふたりでで捜して見つけた 公園のそばの日当たりのいい部屋
小さいけれどいつでも季節を感じながら テーブルには花を飾って
向かい合うふたりの間に 小さな諍いやときには悲しいこともあるかもしれないけど
ふたりのゆく道は あたたかなお日さまが護ってくれるよ

これからはずっと一緒に 朝を迎え夜を迎え季節を感じてゆくけど
忘れないでいようねふたりが出会った頃のこと 
いつも隣にいるから 私を感じていてね

これからはずっと一緒に 朝を迎え夜を迎え 季節を感じてゆくけど
手をつないでいこうね いつまでも元気でいようね
やっとめぐり合えたあなたと 歌いながら わらいながら







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SYOさんと医大病院にいった

2021-01-09 | たいせつ

今日からSYOさんの病気についての記事を書くことにしました。
こうでもしなければ自分の頭と心の整理もできないし、そんな状態で仕事もできない。
今日は仕事を休みました。これを書くために。
でも明日からはまた、普通に生活していかなくてはいけません。


SYOさんの付き添いで、紹介状をいただいて香川大学医学部附属病院に行った。

癌だといわれた。それはわかっていた。

肛門がんなのか、皮膚がんなのか今のところは不明。
これからいくつもの検査をして特定し、手術するとのこと。
部位がビミョーなので、私はずっと知らなかった。
どうしてこんなになるまで放っておいたのか、、、、
病院に行く前日に初めて見せてもらってびっくりした。
SYOさんは痔だと思いこんでいたのだ。彼は以前にも痔を患ったことがあるので。


ここまでなるまで放っておいたとは…と、医師も「手遅れ」感満載。
そうはいっても、とても穏やかないい先生だった。2人の医師と関わることにったのだけど、2人ともとてもいい人だった。
とにかくこれからたくさんの検査をやって、今月末に診断が下る。
検査も、むりやりねじ込んで入れて下さった。それほど事態は逼迫してるってことなのだな。

もう即祈りました。
「神さま、SYOさんの体の中の癌細胞を全部イッキに消し去ってください。あなたにはそれができます。
そして再びLIVEをやらせてください。」

しかし一方、こんな考えも過ぎった。

SYOさんは78歳、日本人男性の平均寿命で、これまで存分にピアノを弾いてきた。誇り高くカッコイイ。とても健康でパワフルだった。
彼の人生は満州に生まれ、父親を亡くし母子家庭に育ち、結婚~離婚やその後もプライベートは孤独に堪える人生だった。彼はとても強く、独りで生きてきた。
これからは私がずっとさいごまで一緒にいるよ。
え~~~なんでこのヘナチョコな私が!?!?
私はSYOさんより全然ヘナチョコで、SYOさんをお見送りすることなんができるのか私!?!?!

…でもこれが神さまのご計画なのか。

もちろん、私だってSYOさんとお付き合いし始めて、何十年も連れ添っている夫婦のように沢山の時間はないことはわかっている、だからこそ一緒の時間を大事にしよう…と思ってきた。
喧嘩なんか全然しなかった…のは、SYOさんがものすごく「優しくて強い人」だからだ。

私はこれまでずっとSYOさんの優しさと強さに甘えまくってきた。

「甘える」のが当たり前だったので、「甘えない」ということがどういうことなのかわからない。
これから私がどうしたらよいのか、わかりません。


でもでもでもでも、今感じることは、SYOさんはまだここで終わることないよ。
SYOさんは、「ちょっと休憩」と思ってる。
私もすごくそう思う。
そう思いつつ、SYOさんの冷たくなった顔に触るところとか想像するし、夢に見る。
こんなふうにぐちゃぐちゃなのです。


冒頭に書いたように、整理しつつ、頭と心の均衡を保とうと思います。
まだこれからこのカテゴリーは続きます。SYOさんとお別れするまで。
20年後かもしれないけどね♪



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