ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

これからの年金

2012-02-23 15:35:09 | 徒然の記

 これからは、年金を受け取る老人の数が増え、支える側の若者が減って行く。

 ピラミッド型・騎馬戦型から肩車型へと変わり、若者の負担が益々大きくなる。現在の高齢者は、若者の立場から言えば、幸せな、逃げ切り型年金受給者と言える。テレビも新聞も、あるいは月刊誌も、こんな具合に年金問題を説明する。

 この見当違いの、愚かししい説明を、頭脳明晰な役人や議員たちが、いつかストップをかけると期待していたが、いつまで経っても繰り返される。逃げ切り型だとか、儲けている高齢者だとか、国民に世代間の対立を生じさせ、憎しみや恨みを育てるような解説を、それが正しいのならまだしものこと、明らかに間違っているのに、改めないのは何故なのか。

 これまでずっと我慢してきたが、この際政府も、マスコミもひとまとめに、いい加減にしろと怒鳴りつけたい。私は現在、およそ年額300万円の年金を受給しているが、政府が説明するように、儲けたとか、得をしたとか、逃げ切ったとか、これがそんな金額なのかと問うてみたい。

 現役時代の給料から、私たちは長い間、高い厚生年金保険料を払続け、それは結構な負担でもあった。真の原因は、高齢者が得をしているという話でなく、少子高齢化という社会構造の激変にあり、制度を支える基盤が変動していることではないのか。

 分かりにくい年金だから、制度の破綻を知らせるには、こんな説明でも致し方無しと、当初は思ったが、いつまでもこの調子では、高齢者も若者も、たまったものではない。政府やマスコミに悪意は無いのだろうが、若者のために、年寄りは早く死ねと言われているような気がする、この頃だ。

 「制度の欠陥」を、「高齢者個人の増加」にだけすり替えるのはもう止めようと、訴えたい。「風にそよぐ雑草の繰り言」でしかないこのブログだが、強風となって世間に伝われと、願わずにおれない。

 私がこれほど真剣になるのは、百才までは生きたいと予定しているからで、老人否定の風潮が広がっていくのは迷惑でならない。何のために百才までと問われれば、日本の行く末が眺めてみたいと、ただそれだけのこと。この慎ましい希望すら拒絶する、無情な社会が、いつまで続くのか。生きて確かめてみたい。

 野次馬根性と笑われようと、私には真面目な話で、おかしくも何ともない。

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